子供の寝顔を見ると、つい次の歌が浮かぶ。
「銀(しろがね)も 金(くがね)も玉も 何せむに まされる宝 子にしかめやも」
山上憶良の「子供というものが、金銀財宝の何物にも代え難い最高の宝である」という歌である。洋の東西や歴史を超えた真理であろう。
自分はこの歌に、小学6年生の時に出会った。その時は、「子供ってそんなに大切なのかなあ」というくらいの感想だった。
しかし、実際に子供ができると、山上憶良の気持ちが痛いほど良く分かる。実体験を通してみないと分からないことはたくさんあるのだと感じている。
ただ、小学校6年生で出会っていたからこそ、この歌を思い出せたのである。今から1300年も前の人と同じ気持ちを味わえたのである。小学生の時は分からないことであっても、その時に出会えていて良かった。大人になって「こういうことだったのか」という理解が深まる体験はとても楽しい。子供の頃に覚えた詩文は、大人になってから思い出すことで、人生をより豊にしてくれている。
もう1つ、これは、高校生の頃に覚えた漢詩である。
この前、飲み会の後に歩いて帰った。その夜は満月がとても美しかった。
ふと高校の頃に覚えた詩を口にしていた。

月明かりの下で、思わず口に出して読んでいた。とても静かな時間を体験できた。
高校生の頃に覚えた詩で、意味はあまり分からなかったのだが、大人になった今、この詩の意味がずいぶん分かるような気がする。(60才くらいになってからだともっと良く分かるかもしれませんが)
子供のうちにたくさんの詩文を覚えることは、心の中に宝物を埋める活動でもあると思う。人生の途上で時々思い出し、人生を豊にしてくれる。
「銀(しろがね)も 金(くがね)も玉も 何せむに まされる宝 子にしかめやも」
山上憶良の「子供というものが、金銀財宝の何物にも代え難い最高の宝である」という歌である。洋の東西や歴史を超えた真理であろう。
自分はこの歌に、小学6年生の時に出会った。その時は、「子供ってそんなに大切なのかなあ」というくらいの感想だった。
しかし、実際に子供ができると、山上憶良の気持ちが痛いほど良く分かる。実体験を通してみないと分からないことはたくさんあるのだと感じている。
ただ、小学校6年生で出会っていたからこそ、この歌を思い出せたのである。今から1300年も前の人と同じ気持ちを味わえたのである。小学生の時は分からないことであっても、その時に出会えていて良かった。大人になって「こういうことだったのか」という理解が深まる体験はとても楽しい。子供の頃に覚えた詩文は、大人になってから思い出すことで、人生をより豊にしてくれている。
もう1つ、これは、高校生の頃に覚えた漢詩である。
この前、飲み会の後に歩いて帰った。その夜は満月がとても美しかった。
ふと高校の頃に覚えた詩を口にしていた。

月明かりの下で、思わず口に出して読んでいた。とても静かな時間を体験できた。
高校生の頃に覚えた詩で、意味はあまり分からなかったのだが、大人になった今、この詩の意味がずいぶん分かるような気がする。(60才くらいになってからだともっと良く分かるかもしれませんが)
子供のうちにたくさんの詩文を覚えることは、心の中に宝物を埋める活動でもあると思う。人生の途上で時々思い出し、人生を豊にしてくれる。