トシの旅

小さな旅で学んだことや感じたことを、
まとめるつもりで綴っています。

大混雑のトロッコ列車、嵯峨野鉄道

2011年12月03日 | 日記
紅葉の京都は、毎年大混雑です。
特に、道路の渋滞は尋常ではありません。
わかってはいたのですが、
嵯峨野鉄道のトロッコ列車に乗るという誘惑には勝てませんでした。
乗ってきました。嵯峨野観光鉄道のトロッコ列車に。

まずは、JR山陰線の嵯峨嵐山駅に着きました。

平成元(1989)年、JR山陰線の複線電化が完成し、
JR嵯峨駅とJR馬堀駅間は、
かつてのJR山陰線とは別の路線になりました。
保津峡に沿って走る風光明媚な旧路線は、廃線になってしまったのです。

しかし、2年後の平成3(1991)年に、旧路線は復活します。
JR西日本の子会社、嵯峨野観光鉄道のトロッコ列車の路線として・・・。
そして、現在のJR嵯峨嵐山駅の隣に、
トロッコ嵯峨駅がつくられました。

嵯峨野観光鉄道のホームページには、
開業当時の様子が、次のように書かれています。

「廃線は、レールはサビつき、草は生い茂り、路肩は崩れ、枕木は腐食し、
とても列車を走らせる状態ではなかった。
「とりあえず3年」「それでだめなら撤退」、
9名の社員が保線作業を行い、沿線に桜を植え、トロッコ列車をつくり出した。」

社員の努力が、復活の原動力だったのです!
トロッコ列車は全席指定席ですが、この日は、すべて売り切れているようで、
改札口に近い時刻表には、「立席」という表示がされていました。

15時07分発のトロッコ亀岡駅行きに乗るため、待合室から、
改札を通ってホームに出ました。
 
乗車する予定の3号車が停車するあたりに行きましたが、
狭いホームには多くの乗客が並んで待っておられました。

15時01分、JR亀岡駅からの列車が、いっぱいの乗客とともに、
ホームに入ってきました。
ホームを行き来して、いい写真を撮りたいと思っていたのですが、
隣の人の腰ぐらいから撮るのがやっとでした。
移動なんて、とてもできません。
乗客が降りてから、先頭のディーゼル機関車の方にやっと移動ができました。

DE101104号機。 黒と赤に塗り分けられています。
機関車にくっついて「嵯峨野」、前方に20周年記念のヘッドマーク。
出発まで6分しかない。
しかも、乗客がいっぱいでのんびりできません。

DEの次の5号車は、SK300-1のトロッコ車両、「ザ・リッチ」。
トロッコ列車の車両は、トキ25000形無蓋貨車の改造車ですが、
「ザ・リッチ」は、覆いがまったく着いていないつくりです、
天候によっては乗客を乗せられないため、
乗車券は前売りがなく、すべて当日売りになっています。
出発時間が迫ってきましたが、
列車の中を移動することは不可能です。

4号車、SK100-1の脇を過ぎて、3号車、SK100-11車両へ。
 
もうほとんどの乗客が乗っていました。
2号車は、SK100-2、亀岡方面行きの先頭車はSK200-1。
SK200-1には、機関車を遠隔制御する運転台が先頭に着いています。
しかし、時間がなくて、行くことはできません。

トロッコ列車が出発しました。
時速25kmのゆっくりとしたスピードです。
木の座席はクッションがないため、いつもがたがたと揺れています。
特に制動がかかったときは、前と後ろの両側からおされているような振動。
がたがたという音も大きいです。
さすがに、もと貨車だっただけあります。
1kmで、トロッコ嵐山駅です。
 
3号車はトンネルの中で停車しました。
乗車するお客がさらに増え、立ち席の人もいっぱいです。
列車の中は白熱灯のような形をした灯りが3つだけなので薄暗い。

「ぼちぼち、出発します。」
車掌さんの案内放送に、乗客はどっと涌きます。
左側に保津峡を見ながら走っていきます。
「角倉了以の開いた保津峡です。」
「わあ、きれい」と言う声が出始めたところで、そのまま停車しました。
「運転士さんのご好意で列車が停車しました。」と車掌さん。
後ろから、保津峡をさかのぼってくるモーターボートが見えました。
「保津川を水上マーケットが移動中です。生活用品を乗せて運んでいます。」
 
青い保津川の流れに白い岩と紅葉、息を飲む美しさです。
「左側のみなさん。保津川下りの船が見えます。」
「右側のみなさん。しばらくの辛抱です、この先は右に見えますから。」
保津川下りの船がかなりのスピードで下って来ました。
3人船頭です。4~15人のこともあるそうです。
「亀岡から嵐山までを、2~3時間かけて下ります。3900円です。」
「深ーい、深ーいところは水深10mです。」

「あれは、現在の山陰線の鉄橋です。」

3kmでトロッコ保津峡駅に着きます。

「ここから鬼が乗車します」
「お降りの方がいらっしゃらないようですので、すぐ出発します。」
また、保津峡に並んで走ります。
「右側のお席のお客様、いよいよ保津峡が見えますよ。」
「左側のお席のお客様。保津峡は終わりです。」
車掌さんの放送へのお客さんの反応がすごいです。

やがて、きれいな紅葉が並んで見えてきます。
夕方にはライトアップされるそうです。
 
後ろを振り向いたとき、4号車との境におられました。
この方が、車掌さん! トロッコ列車の名物です。

突然、前方の2号車から、鬼が入ってきました。
子どもや女性を見つけると近寄っていって声をかけています。

15時30分、終点のトロッコ亀岡駅に到着しました。
トロッコ保津峡駅から3.7km。

ホームは、またもや、いっぱいの人です。
1号車と2号車の写真を撮るのはあきらめました。
人に押されるようにして、駅の外に動いていくしかありませんでした。

やっと、駅の外に出たら、もうトロッコ列車の出発時間になっていました。
一日フルに働いている固定編成のトロッコ列車は、
この日7回目の、トロッコ嵯峨駅に向けての出発でした。
最後尾のSK200ー1に、機関車を遠隔制御する運転台が見えました。

トロッコ嵯峨駅からトロッコ亀岡駅までの7.3kmを23分かかって移動しました。
車掌さんの楽しい案内放送を聞きながら、保津峡の渓谷美、
植樹された樹木の紅葉を眺めながらの楽しい時間でした。
乗車券は600円でしたが、高いとは思いませんでした。
1000円でも乗りたいと思っている人は多いのではないでしょうか。

開通時は、「やがては全国のローカル線と同じようになっていくだろう」と、
関係者でさえ思っていた、嵯峨野観光鉄道のトロッコ列車。
今や年間100万人の観光客を集める人気路線になっています。

時間に余裕がなくて、すべてを見たわけではありませんが、
列車の魅力に加えて、附属の施設も楽しめました。

トロッコ嵯峨駅にある記念館前に設置されている、
SLの車軸でつくったオブジェやSL。 

建屋の中にも展示されていたSL。

オリエント急行のエンブレム。

広いスペースを使ったジオラマ。

運転席からの操作で動きます。運転している感覚が味わえます。
子どもがいっぱいでした。

待合室にある記念品売り場。

たくさんの人が集っていました。

開業時は、「とりあえず3年」という自信のないままスタートした、
嵯峨野鉄道でしたが、社員の創意工夫によって、
たくさんの人が集まる魅力的な空間を作り出していました。
トロッコ列車の魅力との相乗効果でしょう。

お客さんがほとんどいないローカル列車感覚で、
トロッコ列車にのんびり乗れる日は来るのでしょうか?


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