南海電鉄諏訪ノ森(すわのもり)駅の西駅舎です。木造平屋建ての洋風建築です。前回訪ねた南海電鉄浜寺公園駅とともに、平成10(1999)年に国の登録文化財に登録されました。同じ木造駅舎ですが、浜寺公園駅が堂々とした構えの駅舎だったのに対し、面積48㎡という小振りの駅舎になっています。浜寺公園駅を訪ねた日(「高架工事中の私鉄最古の駅 南海電鉄浜寺公園駅」平成29年11月11日の日記)、一つ難波駅寄りにある諏訪ノ森駅も訪ねて来ました。
諏訪ノ森駅は浜寺公園駅から1.0kmのところ、難波方面の石津川駅まで1.1kmのところにあります。
難波駅行きの「普通車」(南海電鉄では普通列車を「普通車」と呼んでいます)が、2番ホームに到着しました。難波駅方面に向かう上り列車のホームになっています。諏訪ノ森駅は、上りと下り(和歌山駅方面に向かう)のホームがそれぞれ独立した構造になっています。向こう側の下り列車用の1番ホームは、ここからは見ることができません。難波駅方面に60メートルほど行ったところに設置されているのです。しかし、諏訪ノ森駅が、明治40(1907)年、南海鉄道北浜寺(きたはまでら)駅として開業したときには、対面式のホームをもつ駅でした。駅名であった「浜寺」は、南北朝時代、会津出身の僧侶、三光国師(さんこうこくし)が建立した大雄寺を、「浜の寺」と呼んだことによります。大きな寺院で、現在の浜寺公園はこの大雄寺の跡につくられているといわれています。
西駅舎は、2番ホームの難波駅方面の端に設置されています。ホームに隣設したトイレの前から西駅舎に向かいます。日射しで見えにくいのですが、東駅舎が右前方に見えました。さて、北浜寺駅として開業した駅は、翌年の明治41(1908)年、「諏訪ノ森駅」と改称されました。この駅の近くに、旧船尾村の村社である諏訪神社があったため、地元の要望により改称されたそうです。
現在の西駅舎が開業したのは、大正8(1919)年6月10日のことでした。このとき、駅舎を約60メートル、和歌山駅方面に移動させ、現在地に建設されたのでした。このときは、対面式のホームになっていました。写真は、2番ホームから見た浜寺公園駅方面のようすです。
西駅舎につながる上屋です。左側にバリアフリーの通路が右側に階段があります。降りたところに自動改札機がありました。
改札を通り駅舎内の待合いのスペースに掲げられていたプレートです。上が”登録有形文化財”、下が、”近畿の駅 百選”のプレートです。”近畿の駅 百選”は、平成12(2000)年から平成15(2003)年の4年間に、国土交通省近畿運輸局管内にある特徴のある駅を公募し、毎年25駅づつ選定したもので、浜寺公園駅が平成12(2000)年に、諏訪ノ森駅が平成15(2003)年に、選考委員会の審議を経て選定されました。
西駅舎への出入口の上の明かり取り窓には、5枚のステンドグラスがはめられています。広いとは言えない駅舎ですが、高さはかなりあります。
白砂青松の浜寺の浜辺と淡路島が描かれているそうです。右側の絵から順に、横に並べました。
こちらが淡路島の風景なのでしょう。海岸に木造船の後部が描かれています。駅付近にあったという旧船尾村らしい風景だと思いました。
開業時から120年近く経過しているとは思えないような美しさで、今も訪れる人を楽しませてくれています。
こちらは、ホーム側の明かり取りの窓です。ステンドグラスがあったところと同じようなデザインです。
これは、その反対側。2人掛けの造り付けの木製のベンチがつくられていました。ベンチの両端にある飾り柱がユニークです。
入口から見た駅舎の内部です。自動改札機と自動券売機が見えます。右側に、造り付けのベンチに座って電車を待つ人の足が見えています。この方はかなり長い間、ここに座っておいででした。自動券売機の向こうは駅事務所。駅員さんも勤務しておられました。券売機の下のデザインや天井から吊り下がっているランプシェードも、駅舎にマッチしています。ホームに上る階段も見えます。
駅舎の全景です。広さからいえば、乗客が10人も駅舎に入れば動きがとれなくなりそうです。それでも、東駅舎よりも、少し広いそうです。
駅舎外から西駅舎を撮影しました。歴史を感じさせる外観です。入口の上部の5枚の窓のところがステンドグラスになっています。駅舎の外の掲示物には「大正ロマンを象徴した外観と入口のステンドグラスが特徴的です」と書かれていました。
駅舎の前には、石津川8号踏切がありました。
踏切の手前は連続立体交差(高架化)事業の工事現場です。平成40(2028)年の完成をめざして工事が続けられています。
石津川8号踏切を渡ってから、西駅舎方面を撮影しました。駅舎の向かいには、ジャスコ諏訪ノ森店がありましたが、閉店してイオン諏訪ノ森ショッピングセンターに代わっています。壁面には「KOHWA」(イオングループの食品スーパー)の看板がありました。
石津川8号踏切の先は、”諏訪ノ森本通商店街”です。かつては、賑やかな商店街だったのだではないかと思いました。
踏切を渡ってすぐ左折します。先ほどまでいた諏訪ノ森駅の西駅舎が見えます。
正面に諏訪ノ森駅の東駅舎が見えました。昭和41(1966)年、和歌山方面行きの下りホームと東駅舎が、もとの場所から約60メートル難波駅寄りに移転して建設されました。このときから、現在の独立したホームと駅舎となりました。上り(西)駅のホームは拡幅できたのですが、下り(東)駅は拡幅する余地がなく、移設するしか方法がなかったからでした。
東駅舎の内部です。自動改札機と自動券売機が設置された現代の駅舎です。ただ、待合のスペースがなく、ホームに上がって上屋の下のベンチで列車を待つようになっていました。
堂々とした豪華な駅だった浜寺公園駅に比べ、同じように、登録有形文化財、”近畿の駅 百選”である諏訪ノ森駅は、構えも小さく地味な印象を受ける駅でした。しかし、駅舎のステンドグラスや造り付けのベンチや飾り柱は「大正ロマン」を今に伝えています。訪ねる価値のある、いい駅でした。