トシの旅

小さな旅で学んだことや感じたことを、
まとめるつもりで綴っています。

SLやまぐち号に乗ってきました!

2011年08月10日 | 日記
私が学生だった頃、SLはまだ現役でした。乗り換え駅からの1駅は、SLの引く列車で通学していました。

SLが姿を消してからは、一度もSLが引く列車に乗ったことがありませんでした。今回、旅行代理店が企画したツアーに、「SLやまぐち号」で、新山口駅と津和野駅間を往復する企画があったので、SL運行再開後、初めてSL列車を体験することができました。

今年は山口国体の年、新山口駅も国体の雰囲気でした。添乗員さんの旗に従って、ぞろぞろと後について歩くのも久しぶりです。跨線橋のコンコースから、SLやまぐち号が入線しているのが見えました。
 
山口線のホームは、煉瓦づくり風の雰囲気、「新山口驛」と表示されています。「駅」の字が「驛」と書かれているだけでも、レトロな感じが出てきます。

すごい数の人です!前方のSLに近づけばその数はさらに増していきます。

私の席はSLのすぐ後ろの5号車なので、うしろの1号車から車両のチェックをすることにしました。
   
1号車(オハ13 701)、展望車風客車。展望デッキと展望室がついていました。定員56名。赤を基調にした車内、明かり取りのついた豪華な天井部分が印象的です。

2号車(オハ12701)欧風客車。一番人気がある車両です。定員80名。青色の大きな座席、上部にはステンドグラスを思わせる装飾が着いています。明かり取りのついた天井部分には、さすが欧風車両と感心しました。オリエント急行を参考にしたということでした。

3号車(オハ12702)昭和風客車。昭和初期の車両をモデルにしたとか、茶系の座席、明かり取りのない天井に旧型電灯が5個ずつ2列並んでいます。定員80名。

4号車(スハフ12702)明治風客車。青系のレザーの座席、明かり取りのない天井に2個のレトロなランプがついています。定員72名。

私が乗った5号車(オハ12703)大正風客車。定員72名。緑の大きめの座席に、明かり取りのついた天井に灯りが3個。津和野寄りに展望デッキがついていますが、1号車と違ってきちんと屋根がついていました。SLのC51の1号機。梅小路運転区の所属で、阪神淡路大震災の時には、神戸鷹取工場で被災した過去をもっています。9月の下旬から10月中旬にかけてはC56160との重連で運転されますが、この日はC571の単機運転でした。

ヘッドマークは、丸形の彫刻スタイルで、山口県の県鳥、なべづるの下に「やまぐち」と横書きされています。最後尾の展望デッキについていたテールマークには、山口市の瑠璃光寺の五重の塔と斜めの「やまぐち」が描かれていました。

さて、山口線にSLが復活したのは、昭和54(1979)年8月1日でした。このやまぐち号の成功が全国のSLの復活につながっていったのです。昭和63(1988)年7月24日にレトロ車両が導入されています。今年で復活後32年目を迎えます。今年中に利用者200万人も達成できるようです。

山口線快速列車(津和野行き9521列車)であるSLやまぐち号は全席指定車。そのため、乗車券以外に指定席券が必要です。新山口駅を出ると湯田温泉、山口、篠目、長門峡、地福、鍋倉、徳佐の各駅に停車し、12時46分に津和野駅に着きます。所要約2時間の旅です。

湯田温泉駅を出たと思ったら、すぐに山口県の県都、山口市に到着。ここまで所要10分でした。山口駅から20分少々で、仁保(にほ)駅に着きました。

6分停車の車内放送があり、乗客も一斉にホームへ飛び出します。めあてはもちろん先頭のSLです。その前の車内放送で、「新山口駅から津和野駅までに行くために、10トンの水と1トンの石炭を消費するが、その中の半分を、この先の急勾配のために消費します」と伝えられたからです。

機関士さんは念入りに車輪の点検を行い、機関助手の方は、運転席の後ろの石炭と水のはいったタンクの上で、釜に投げ込む石炭を、ひたすら前の方に移動させています。その様子を乗客の皆さんは、しっかり見守っておりました。
11:29 出発。
走り始めるとすぐにトンネル、出るとまたトンネル。外の様子はさっぱりわかりませんが、やまぐち号は、歩く程度のスピードであえいでいるに違いありません。冷房の効いた車内にも煙のにおいが漂い始めました。

SLの運転席はむきだしです。運転席では、機関士と機関助手の2人の運転士さんと、煙と暑さとの壮絶な戦いが繰り広げられていることでしょう。5つめの山口線最長の田代トンネル(1597m)を抜けると、「しばらくトンネルはないから窓を開けて空気を入れ換えて」の放送があって、11時50分頃、篠目駅に着きました。

構内に大正11年につくられた給水塔と、今は使われていない腕木式信号機が残っていました。

山口線の駅名表示板は変体がなで書かれているところが多いのですが、ここもそうでした。駅前で二つの川が落ち合う長門峡(ちょうもんきょう)は紅葉の名所です。地福駅を経て鍋倉駅。「徳佐りんご園」があります」と車内放送。
 
すぐに、徳佐駅着。「海抜300mの田園地帯」との案内がありました。あと一駅。最後のトンネルが山口線2番目の長さで、県境を越えて島根県に入ります。そして、12時46分、定時に津和野駅に到着しました。

乗客がみんな降りても、乗務員の仕事は終わりません。SLの水分補給と回転の作業が残っています。

客車と切り離されたSLは、到着した線路をそのまま前に進みます。そして、再びバックして反対方向に進む線路に入ります。その間、車掌さんは歩いて前方にある転車台に向かい、コントロール室に入ります。

そこへSLがまっすぐ入って行きます。一度停車して、転車台へ。大きなC571はぎりぎりで乗っかっている感じ。山口線がSL全盛の頃、D51も走っていたようですので、心配はないのですが、ぎりぎりに乗っているのを見ると気になってしまいます。

いよいよ回転です。左周りに90度回転したところでストップ。動き始めるときにはいつも鳴る、短い汽笛がぴっ!となって動き始めます。そして、給水のために再び停車しました。

このあと、SLが客車と連結されるのは、15時前。

折り返し列車が出発する20分ほど前でした。

忙しい勤務の合間に、機関助手の方は子どもと記念撮影。子どもの質問にも答えておられました。「どんなことを考えながら運転していますか?」「お客さんが喜んでいるかなと考えています」(見事な受け答えです!)眼鏡の機関士さんもカメラ目線に協力してくださいました。お二人には、帰りも、またトンネルが続くところでの、煙と暑さとの格闘が待っています。満を持して出発を待っておられました。

帰路は、新山口まで約1時間45分。往路で停車した地福駅と仁保駅は通過です。新山口駅についた時、実際には15分速いだけだったのですが、ずいぶん速く着いたように感じました。

新山口の構内では、重連で運転するときに連結する電源車の姿が見えました。来るべき時に備えて骨休めをしていたのです。

子ども連れの家族で満員のSLやまぐち号の、短い旅が終わりました。