昼食をすませてから徳島駅に戻り、
13時17分発の阿波池田行きの普通列車に乗り込みました。
2両編成のディーゼルカー、車掌さんも乗務しています。
高徳線より徳島線の方が格上なのかなあ?
JR四国の普通車両は、
前方部の右側のドアの近くに、前向きになった一人掛けの座席が2つあり、
その後ろは横シートになっています。
私は、その最前列の席をとりました。
雨がやや激しくなっていました。
徳島線(愛称:よしの川ブルーライン)は、
吉野川の南岸を、並走するようにさかのぼって行きます。
そして、阿波池田の一つ前の佃駅で、土讃線に接続しています。
この列車は、阿波池田まで25駅を、
2時間かけて走ることになっていました。
ちなみに特急「剣山」は、同じ距離を、1時間14分で走ります。
特急料金は、1,660円でした。
46分が1,660円なら、高徳線とほぼ同じぐらいです。
徳島線が、格上じゃあないんだね。
さて、この普通列車は、駅間を2~3分ぐらいで結びながら、
順調に進んでいきました。
13時56分、学駅に到着。
かつて、この駅の入場券が、「入学」がかなうということで、
人気がありました。
私の知り合いの中学校の先生は、3年生を担任した年には、
入場券を買いに来て、入試に向かうクラスの生徒に配って、
元気づけていました。
30年も前のことになってしまいました。
今も入場券を買いに来る人がいるのでしょうか。
かつての賑わいをしのばせる立派な駅舎でしたが、
この線の多くの駅がそうであるように、無人駅でした。
14時10分に川田駅に着いたとき、
反対側の線路に、穴吹駅が始発の徳島行き普通列車が待っていました。
「6分停車」という放送がありました。
考えてみると、これが、この列車の最初の行き違い停車でした。
お相手は、徳島行きの特急列車でした。
14時22分、穴吹駅着。
吉野川の向かい側にある脇町は、
藍で財をなした商人がつくった、
うだつの町並みで、全国に知られています。
うだつはもともとは、防火の役割をもっていましたが、
富の象徴として、競ってつくられていったということです。
「うだつがあがった」人たちが住んでいる町なんですね。
貞光駅には、14時41分に着きました。
ここで下車して町に出ました。
祖谷に向かう一宇街道の両側に、うだつのある民家が並んでいます。
ここでは、二層のうだつの家が見られました。
葉たばこの取引で富を蓄えた人がつくったものだといわれています。
16時12分に、貞光駅を出る普通列車で、
阿波池田に向かいました。
雨は小やみになっていました。
阿波池田の一つ手前の佃駅でも6分停車しました。
待っていると、琴平行きの普通列車が来ました。
乗り換えたくなったのですが、ぐっとがまん。
終点の阿波池田に向かいました。
阿波池田に着いたのは、16時49分でした。
山小屋を思わせる駅舎。
向かいは、アーケードの中にある結構大きな商店街でしたが、
地方の町に共通するさみしい雰囲気がただよっていました。
阿波池田といえば、やっぱり池田高校です。
「山間(やまあい)の子を甲子園につれていってあげたかったんだ」
いまは亡き、蔦文也監督に率いられたやまびこ打線。
あの長い校歌とともに、今も、元気のいい試合が思い出されます。
商店街を越えた山の中腹に、白い校舎が建っていました。
徳島駅から、ここまで3時間30分。
私は、ここから土讃線と予讃線を通って、
坂出に向かい、瀬戸大橋線で児島に帰ることにしていました。
この先も、普通列車の旅が続きます。
13時17分発の阿波池田行きの普通列車に乗り込みました。
2両編成のディーゼルカー、車掌さんも乗務しています。
高徳線より徳島線の方が格上なのかなあ?
JR四国の普通車両は、
前方部の右側のドアの近くに、前向きになった一人掛けの座席が2つあり、
その後ろは横シートになっています。
私は、その最前列の席をとりました。
雨がやや激しくなっていました。
徳島線(愛称:よしの川ブルーライン)は、
吉野川の南岸を、並走するようにさかのぼって行きます。
そして、阿波池田の一つ前の佃駅で、土讃線に接続しています。
この列車は、阿波池田まで25駅を、
2時間かけて走ることになっていました。
ちなみに特急「剣山」は、同じ距離を、1時間14分で走ります。
特急料金は、1,660円でした。
46分が1,660円なら、高徳線とほぼ同じぐらいです。
徳島線が、格上じゃあないんだね。
さて、この普通列車は、駅間を2~3分ぐらいで結びながら、
順調に進んでいきました。
13時56分、学駅に到着。
かつて、この駅の入場券が、「入学」がかなうということで、
人気がありました。
私の知り合いの中学校の先生は、3年生を担任した年には、
入場券を買いに来て、入試に向かうクラスの生徒に配って、
元気づけていました。
30年も前のことになってしまいました。
今も入場券を買いに来る人がいるのでしょうか。
かつての賑わいをしのばせる立派な駅舎でしたが、
この線の多くの駅がそうであるように、無人駅でした。
14時10分に川田駅に着いたとき、
反対側の線路に、穴吹駅が始発の徳島行き普通列車が待っていました。
「6分停車」という放送がありました。
考えてみると、これが、この列車の最初の行き違い停車でした。
お相手は、徳島行きの特急列車でした。
14時22分、穴吹駅着。
吉野川の向かい側にある脇町は、
藍で財をなした商人がつくった、
うだつの町並みで、全国に知られています。
うだつはもともとは、防火の役割をもっていましたが、
富の象徴として、競ってつくられていったということです。
「うだつがあがった」人たちが住んでいる町なんですね。
貞光駅には、14時41分に着きました。
ここで下車して町に出ました。
祖谷に向かう一宇街道の両側に、うだつのある民家が並んでいます。
ここでは、二層のうだつの家が見られました。
葉たばこの取引で富を蓄えた人がつくったものだといわれています。
16時12分に、貞光駅を出る普通列車で、
阿波池田に向かいました。
雨は小やみになっていました。
阿波池田の一つ手前の佃駅でも6分停車しました。
待っていると、琴平行きの普通列車が来ました。
乗り換えたくなったのですが、ぐっとがまん。
終点の阿波池田に向かいました。
阿波池田に着いたのは、16時49分でした。
山小屋を思わせる駅舎。
向かいは、アーケードの中にある結構大きな商店街でしたが、
地方の町に共通するさみしい雰囲気がただよっていました。
阿波池田といえば、やっぱり池田高校です。
「山間(やまあい)の子を甲子園につれていってあげたかったんだ」
いまは亡き、蔦文也監督に率いられたやまびこ打線。
あの長い校歌とともに、今も、元気のいい試合が思い出されます。
商店街を越えた山の中腹に、白い校舎が建っていました。
徳島駅から、ここまで3時間30分。
私は、ここから土讃線と予讃線を通って、
坂出に向かい、瀬戸大橋線で児島に帰ることにしていました。
この先も、普通列車の旅が続きます。