風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

本当のこと

2011年08月28日 | 雑感

今朝は久しぶりに滝に行きました。
駐車場が車で溢れていて、何事かと思いましたが、近辺の住民の方々が合同で草刈りをしていたみたいです。
そんな中で、久しぶりの滝です。
もう、なんというか、久しぶりの滝です。
何百回と唱えてきたはずの観音経が口から出なくなっていましたが、それでも十分に堪能しました。

やはり滝はとてつもなく爽快です。
ただ、坐禅に、滝に、畑にとなりますと、流石にしんどくなります。
FMはそろそろ飽きてきましたので、今月で辞めることにしました。
いっぺん、週間スケジュールを根本的に見直す必要があります。
膨大な無駄な時間が多いです。
そのほとんどが酒がらみです。
そろそろ人生の最終段階と心得て、いつまでもふらふらするのはやめませう。

さて、最終段階に来たからには、どうしても「本当のこと」というものを知るに至りたいわけです。
その答えは誰かしらない人の書いた書物や、言動にあるわけではありません。
空や森の中にあるのでもありません。
ぼくの中というような、せせこましいところにあるわけでもありません。
どこにでも、いつでも、今ここにあるのですが、目が曇っていれば見えません。
どこにあるかではありません。
いつだって、どこにでもあるわけです。
その、あるものが見えない、その心の目の曇りをこそ拭い去らなければなりません。

おそらく「本当のこと」というのは、知る対象ではありません。
「本当のこと」のど真ん中に生きるしかないのが、「本当のこと」なんだと思います。
「本当のこと」かどうかも忘れ果てて、「本当のこと」を生きる。
野に咲く一株の草花になる。
空を漂う一片の雲になる。
流れの下で転がるちっぽけな石くれになる。
どこにも嘘がなくなることなんだと思います。

そういう意味では、人間はとかく、たやすく嘘にまみれます。
人にも嘘をつき、自分にも嘘をつきます。
そのうち嘘をついていることさえも気がつかなくなるほどに、嘘にまみれます。
だから、やることなすことが厄介になっていきます。

まぁ、あせることはありません。
どんどん手放すことは手放して、なにか小さな光が自分の心に宿っていれば、それでいいです。
もう誰の企みにも騙されません。
誰をも騙そうとも思いません。
ぼくはぼくです。
あなたはあなたです。
それぞれが、ちっぽけながらも、この大宇宙の主人公です。
騙したり、騙されたりする世界には金輪際興味はありません。

覚醒とは、自分自身を取り戻すこと。
はっきりくっきりした自分自身を取り戻せたら、すべては「本当のこと」です。