風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

初めてのアメリカ4

2016年06月08日 | 旅行
ちなみにぼくが辿った大まかなルートを紹介しておきます。
LA、サンフランシスコ、ポートランド、シアトル、バンクーバーと西海岸を北上し、
ソルトレイクシティ、デンバー、サンタフェ、エル・パソ、サンアントニオ、ニューオリンズと中西部を南下し、
フロリダ・キー・ウエストから、サバンナ、ワシントンDC、ニューヨーク、ボストンと東海岸を北上し、
最後はシカゴからラスベガス、グランドキャニオンと大陸を横断し、LAに帰着するというものでした。
ルートはすっかり忘れていましたが、今地図を見て思い出しました。
当時は毎日が楽しくてたまりませんでしたが、今同じルートを辿れと言われましても、絶対に無理です。
3日で音を上げる自信があります。

長く連泊したのは、知人のいたワシントンDCと、当時どこよりも行きたかった憧れのニューヨークです。
ニューヨークには10日ほどいたような気がします。
あとは、バスが町に着いたら、「地球の歩き方」に乗っていた安そうなホテルを探し出して、一、二泊だけ泊まります。
ホテルにチェックインしたら、荷物を部屋に置いて、とにかくひたすら町の中を歩き回ります。
歩き回ることで町の全体像と大体の雰囲気を掴みます。
日本ではあまり知られていないのですが、とても雰囲気のいい町というのがいくつか記憶に残っています。
クリーブランドとか、サバンナとか、決して大きくも、特別な何かがあるわけでもないのですが、良い思い出として残っています。
その反対に、ソルトレイクシティとかエル・パソとかセントルイスとかは大きな町でしたが、それほど印象に残っていません。
まぁ、いろいろなタイミングもありますし、相性というのもありますし、一概には言えないんですけどね。

カメラは持って行ってたのですが、途中でフィル物入ったバッグを紛失してしまい、すっかり写真を撮る意欲をなくしてしまい、
多分1枚も残っていません。
その他に、トラブルというよなことはなかったように思います。
というか、英語もまともに話せず、お金もなく、初めてのことばかりなのですから、毎日がひたすらチャレンジなわけです。
お金も一度だけ東京の姉にお送金してもらいました。
どういう方法で送金してもらったのか、全く覚えていません。
クレジットカード会社を使ったような気はするのですが、どういう方法だったのかは思い出せません。

食べ物はバスで移動中はハンバーガー、街にいればベーコンエッグとコーヒー、あとオレンジの生ジュースがあちこちで売ってます。
ニューヨークでは屋台のホットドック、ベーグル、ちょっと奮発してTボーンステーキ、これは安いけど見た目とは違い固くてまずいです。
ニューヨークの牛丼屋と思ってもらえばいいと思います。
和食の店にも何度か入りました。

確かポートランドだったと思います。
雨が降っており、暗く寂しい街並みに、日本語で書かれた赤い提灯がぽつんと雨に打たれていました。
店名やらなんやらは覚えていません。
入ってみると、ぼくの他に一組の日系のお客さんがテーブルに、大柄の白人男性がカウンタ‐に座っていました。
ぼくは何を頼んだのか覚えていませんが、多分天ぷら定食か何かを頼んだのでしょう。
ご主人は日本語が上手ではなく、おそらく日系の方なのでしょう。
壁に貼ってあるメニューも統一感がなく、たどたどしい感じで、何か間に合わせで店を開いてみましたという感じでした。

日系のお客さんは何かを食べていましたが、カウンターの白人男性はカウンターに肘をついてじっとしています。
ぼくは内心どうしたんだろうと思っていましたが、もちろんそんなそぶりを見せずビールかなんかを飲んでいたんだと思います。
だいぶたってから(10分以上?)カレーライスがそのお客さんの前に持ってこられました。
サンキューといってその白人男性は食べ始めました。

カレーライスで何分待たされたのだろうとすこしその白人男性に同情しました。
日系のご主人にはまったく悪びれた様子がありませんでした。
人のよさそうな上品なご主人でした。
ぼくも何かを食べたのでしょうが、全く記憶にないということは、まぁそういうことなのでしょう。

まぁ、今はどうか知れませんが、海外で過剰に期待して日本料理店に入ると決まって痛い思いをしたものです。
それでも、そんな店でも結構人でにぎわっています。
それ以来、美味しい日本定食屋を海外で展開すれば、間違いなく流行ると確信していましたが、とうとう今に至っています(笑)。



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