風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

坂村真民

2007年01月06日 | 雑感
今日から天気が穏やかではないみたいです。
連休中にちょっと山登りに行きたいのですが、どうでしょうか。
小雪が舞うくらいなら、かえって風情があっていいのですが。

今月号の「致知」を開くと、坂村真民という詩人の写真が載っていました。
小柄で華奢な体の上に、柔和なお顔が載っています。
詩集の広告ページです。

「いのちいっぱい
 生きるのだ
 念じて念じて生きるのだ
 一度しかない人生を
 何か世のため人のため
 自分にできることをして 
 この身を捧げ
 生きるのだ」

いい詩ですね。
ページを捲ると、坂村真民のことが書かれてありました。
昨年の暮れ、12月11日、98歳の誕生日を間近に迎えて亡くなられたそうです。
だから見開きに真民の詩集の広告が載っていたわけです。
知れば知るほど、なんというか、尊い人生を歩まれた詩人であったことが分かります。

「坂村真民先生は明治42年に生まれた。満8歳で父親が急逝。36歳の母親は乳呑児を抱え、
 5人の子供を女手一つで育てなければならなくなった。どん底の生活だったという」

もう、この説明だけで言語を絶するどん底ぶりが分かってしまうような境遇です。
母親は愚痴を言う代わりに「念ずれば花ひらく」といつも唱えていたといい、
その言葉が真民の詩魂に火をつけ、詩道一筋の人生を歩む原点になったといいます。

「詩壇には目を向けず、『自分という人間を創り上げるために、そして人々の心に光を灯すために』
 苦しみから立ち上がる詩を書き続けた」

そして、宗教的な境地ともいえるようなところまで、一人で歩み続けました。
次のたった3行の詩が見事に言い表しています。

「一道を行く者は孤独だ
 だが前から呼んで下さる方があり
 後から押して下さる方がある」

立派な人というのはいるものですね。
お顔に顕れています。

で、立派な人の母親というのがやっぱり立派なんですね。
乳呑児を抱えながら、借り受けた山畑を開墾して、子人の子供を育て上げるというのは想像を超えます。
それでも愚痴を言わず、「念ずれば花ひらく」と唱え続け、その生き抜く背中を子供に見せ続ける。

人生を磨き上げるのには、半端じゃない逆境というのは切れ味のよい「ヤスリ」になるんでしょうが、
現代人たるぼくらなんかには切れ味がよすぎて、人生そのものがあっという間に擦り切れてしまいそうです。

親兄弟を平気で殺してしまうようなニュースが続きます。
人は誰でも性格やらなんやらにでこぼこしたものを持っていますが、成長の過程でいい塩梅に「ヤスリ」をかけられ、
成長していくものだと思いますが、親兄弟の間でもちょっと「ヤスリ」をかけ合うということにさえも耐え切れない
脆弱過ぎる人間が増えてきたのでしょう。
なんというか、言葉を失います。


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