風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

登山道

2011年11月26日 | 雑感

来週は十二月になります。
なんだかもうひと月経つのが、一週間経った位の感じで過ぎていきます。
きちんと流れを見据えていないと、どこかわけの分からないところへ押し流されてしまいそうです。
崩れかけた体勢をきちんと立て直し、流れの方向を捉え直し、きちんと船首をしかるべき方向へ向けなければなりません。
エンジンの不具合も調整し、燃料も確保しなければなりません。
色々やることが重なると、頭も心も麻痺します。
目の前の一つ一つを片っ端から片付けていくことが当面のやるべきことです。

どうも時間の使い方が下手くそになってきています。
もしかして老化現象なのでしょうか。
放っておくとあっという間に何もしないままに数時間が過ぎています。
別に思い出に浸ったり、空想に耽ったりというのではありません。
ひたすらぼうっとしたまま、気がつくと時間だけが過ぎています。
ちょっと自分の心を取りだして、この手でコネコネと練り直したい気分です。

昨日は店でパーティーでした。
小人数のパーティーでしたが、12時近くまで話で盛り上がりました。
皆はあまり飲まず、ぼく一人で焼酎をがぶがぶ飲んでいました。
いつものことですが、このパターンも賞味期限を過ぎています。
そろそろテーマをもった話を展開するというワザをマスターすべき時にきているような気がします。

こうやって、日々反省すべきことだらけで自分の心の周囲が埋まっていきます。
これは楽しくありません。
すべきことをすかっと片付けて、呵々大笑して次のステップへ進む。
そんな感じにとっととしたいです。

若いときは無駄な動きにこそ、ユーモアや雅気がありましたが、年を取るにつれ気力体力が衰えます。
気力体力が衰えれば、無駄な動きをすればするほど、消耗感だけが残ります。
無駄な動き、心労を削りに削り、的確な動きで出来事を捌いていく。
そういうのがかっこいい年の取り方なのかも知れません。
そう考えると、あえて無駄な言動でしか喜びを感じられなくなっているようなところがあるぼくには、なかなか大変な道なのかも知れません。
切るべきものは切る。
常に、言うは易し、行うは難しです。

なにはともあれ、人の情熱を支えるのはヴィジョンです。
本当のヴィジョンさえ持てれば、後のゴタゴタはすべて枝葉末節です。
やるべきことはやる、登るべき登山道は登るだけです。
いまから本当のヴィジョンを持てるのか。
そもそもヴィジョンというのは、持つとか持たないかというよりも、生来的にその人にあるかないかなのではないのか。
その辺りのグズグズを吹っ切って、登山道に向かいます。

 

 


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