風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

記憶

2007年01月29日 | 雑感
今日は午前中は雨でした。
自転車に乗ることもできず、バスにしようかとも思いましたが、思い切って歩いて店まで来ました。
歩いても15分くらいなんですが。
ICレコーダーで好きな音楽を聴きながら歩くのはとても気持ちがいいです。
雨が降ってようがなんだろうが関係がありません。

途中、飲み屋街があるんですが、その時かかったのがジョン・レノンの「スターティング・オーヴァー」。
1980年、5年ぶりに発表されたアルバム「ダブル・ファンタジー」の一曲目です。
オノ・ヨーコとよりを戻し、これからまた二人でやり直そうという内容です。
息子ショーンも5歳になり、再び巡ってきた幸せのはずでした。
その年の暮れ、アルバムが発売されてまもなく、ジョン・レノンは暗殺されました。
当時はさすがにショックでした。

日比谷公会堂で追悼集会がありました。
当時のガールフレンドと一緒に地下鉄に乗って行きました。
いろいろなミュージシャンも来ていましたが、誰だったかもう覚えていません。

「ダブル・ファンタジー」にはいたく感銘を受けていただけに、かなりの喪失感がありました。
12月の寒い夜だったことを覚えています。

と、音楽を聴いているといろいろなことを思い出すわけです。

ニューヨークに行ったときには、ジョンが住んでいたダコタアパートも見に行きました。
ジョンを記念して作られた、セントラルパークにあるストロベリーフィールズのベンチでも、ボーっと座ってきました。

さらには、その時のガールフレンドのことも思い出すわけです。
北海道を旅行したこと、ささいなことで焼もちを焼いて喧嘩したこと、エトセトラ、エトセトラ。

昔聴いていた音楽を聴きだすというのは、年取ったせいの懐古趣味なのかもしれません。
そういえば、ぼくの父親は老人になってから、童謡を馬鹿でかい音で聴いていました。

記憶というのは特殊なフィルターがかかるみたいで、なんかセンチメンタルな情景ばかりが思い出されます。
下らないことやら、馬鹿げたこと、卑劣なこと、頓珍漢なことの方をイッパイしてきたはずなんですが、記憶に浮かびません。
勝手なものです。
だとしたら、少々物騒なのは、自分の記憶の中にあるぼくと、当時を知る他人の記憶の中のぼくとはまるきり別人であるかもしれません。

記憶というのはそういう甘美な思い出ばかりをせっせと溜め込む癖があるんですね。
で、年老いて記憶を失っていくということはどういうことなんでしょうか。
自分が積み重ねてきた(と思い込んでいる)思い出というのがなくなっていくと、世界は限りなく味気のないものになっていくのでしょうか。

思い出にふけるというようなぬるいことをしてないで、「今」という瞬間に生きる癖をつけないさいというメッセージなんでしょうか。
たぶん、そうなんだと思います。
どうやら人は最後の最後まで甘ったるい生き方は許されていないようです。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿