風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

腑抜け

2011年10月02日 | 雑感

写真は伊勢白山道さんのブログから転載しました。

http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/c88f5e456af012a58ca9ee08565a206f

もう一目見ただけで心が苦しくなります。
死んだ妹を背中に負ぶったまま焼き場にやってきて、直立不動で焼き場を見つめる少年。
母親も父親もいない中、少年は妹を守り続け、その甲斐もなく妹は死んでしまった。
二人ともそんなに痩せこけてはいませんから、妹は何かの病気で死んだのかも知れません。
薬だって手に入らなかったのかもしれません。

絶望という言葉でさえ少年の目の色を表すには言い足りません。
死体を次々と焼く焼き場の前で、少年は直立不動で立っています。
妹の死体が焼かれ、煙になって空に上っていったあと、少年はどこへ向かったのでしょうか。
帰る家はあったのでしょうか。
妹が最後に残されたたった一人の家族だったのかも知れません。
軽くなった背中に気がついて、たまらなく寂しく、辛く、悔しくなったのかも知れません。
生きる気力を振り絞って、どこかで生き続けてくれたことを願うばかりです。

戦争は言うまでもなくこういう悲劇をそこかしこにどかどかと容赦なく作り出します。
そういう言葉を絶する悲劇を乗り越えて、この国のご先祖様は立派な大国を再び立ち上げました。
立派な大国になったら、今度はわけも分からない複雑な不透明さに取り囲まれて、人の心は苦しみ出しました。
妹を理不尽に奪われる悲劇と比べようはありませんが、わけの分からない苦しみというのも、別の意味で苦しいものです。
わけが分からないだけに、きちんと問題に対峙して、きちんと乗り越えていくと言うことが出来ないからです。

苦しさはいつかは終わると信じられたなら耐えることが出来ます。
いつ終わるとも知れない得体のしれない苦しさは、耐えるのが難しくなります。
少なくともぼくは、この少年のように悲劇に面して直立不動で現実に対峙する気概と勇気とを持ち続ける自信がありません。
たった一人で妹を背負い、焼き場に行って、妹の昇天を見届けることは出来ると思います。
ただ、この今の時代のわけの分からない複雑怪奇な気の乱れ具合を直立不動で見守る胆力はありません。

正直に言って、逃げ出せるものなら逃げ出してしまいたいです。
でも、虹の彼方にもやはり逃げ出したくなるようなこの世がどこまでも連なっているのを知ってしまっています。

直立不動で何事にも対峙する。
それだけのことがとても難しいです。

ぼくは腑抜けになってしまっているのかも知れません。

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿