風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

アーユルベーダ

2009年12月22日 | スピリチュアル
寒さは昨日までの数日に比べて穏やかになったようですが、今日は冬至だそうです。
明日からまた一日一日と日が長くなるわけです。
時代もものごとも後ろに流れ去って行きますが、日々新しい息吹も生まれています。
その場その場の幸不幸に振り回されることなく、自らが新たな息吹の源となれれば幸いです。

ストーン・ヘンジやインカなどの古代の遺跡では冬至に重要な祭りが行われていたようです。
太陽が再生する日として尊ばれたのでしょう。
言うまでもなく、太陽はすべての生命エネルギーの源です。
人間も植物のように太陽エネルギーを直接摂り込めるようになれば、争いごとは絶えるでしょう。

先日、アールユベーダの先生という方と話をする機会がありました。
人は食物を摂らずに生きることはできるかという質問をしてみました。
ある程度の修練は必要だろうが、出来るだろうというお話でした。
その方はいわゆる「ヒマラヤの聖者」と呼ばれるような人たちとも生活を共にしたことがあるそうで、
興味深いお話がたくさんありました。

世の中にはまだまだ面白い話があるものですが、でもそれはただの話です。
面白がって聞くだけで、自分の腹が膨れるわけでも、賢くなるわけでもありません。
そういう話を聞いて、さて、自分がなにをしたいのか、どこに行きたいのかを選択する上でのヒントになれば、
その話を聞いた甲斐があるというものでしょう。

どうやらアーユルベーダの世界というのは、肉体・精神・神界から自然の摂理までを包含する膨大な世界のようです。
書物か何かでそれを学ぼうというのは無謀の試みで終わるような気がします。
一番の近道は「瞑想」ではないかと思っていますが、その瞑想の仕方に関しても、どうやらそれは秘伝口伝のようです。

で、改めてぼくは「禅」に参じている自分の境遇をありがたいと思うわけです。
「禅」はインドの瞑想のエッセンスであるような感じがするからです。
ここだけは抑えておけという最小限の核のようなものだという、そんな感じがします。
ろくろくなにも知らないぼくがこんなことを言うのもなんなのですが、そのアールユベーダの先生も入り口は「禅」だったそうです。

日曜日には今年最後の菅生の滝に行ってきました。
もはや寒いという段階ではないです。
二日酔いでもあり、お不動様のご真言を三回上げただけで、そうそうと滝を出ました。
写真は滝仲間のKちゃんが撮ってくれたものです。

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