風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

もの

2010年06月21日 | 雑感
梅雨です。
今年の梅雨は今のところ梅雨らしくていい感じです。
どんより曇った空から時折雨が落ちてくる。
たまに晴れると、いかにも紫外線が強そうな強烈な日差し。
いい感じです。

アンティークの腕時計をしていますが、思いのほかに正確に時を刻んでいます。
グリュエンというアメリカのメーカーですが、機械はスイスメイドです。
1950年代の手巻き式です。
もともとは店の商品にしようと仕入れたものですが、腕時計を持っていなかったので自分でつけるようになりました。
毎日ネジを巻くたびに愛着がわいてきます。
目いっぱい巻いて、大体12時間動きますから、朝と晩に巻いておけば24時間フル稼働してくれます。

もともと、ものというものに愛着を持つことはなかったのですが、考えを改めるようになりました。
執着は持つことはありませんが、ものでも人でも縁があって自分の目の前に来たものはできるだけ大切にしようかなと。
人の場合は相手があることですから、こちらがいくら大切にしようと思ったところで、相手が望まない場合も多々あるわけですが、
ものの場合はどんなものでも大切に扱おうと思えば扱えます。 

ものを大切にするということは、それを作った人の思いに思いを馳せることなのかもしれません。
ぼくの場合、アンティークを扱っていますから、なおさらその作った人の時代背景やら社会環境やらに思いを馳せると、
興味が尽きないところがあります。
例えば、グリュエンというアメリカのメーカーですが、それまでは時計の世界ではパティック・フィリップやブレゲ、
バセロン・コンスタンティンといった、スイスの一流メーカーの独壇場だったわけですが、
第二次世界大戦後に超大国となったアメリカが、時計の世界に進出したのがグリュエンやハミルトンといったメーカーでした。
日本が一流国の仲間入りしたあとに、精工舎(セイコー)が躍進したようなものでしょう。

ものにはその作られた当時の時代の息吹が宿ります。
良くも悪くも、大女王であったヴィクトリア女王の好みをひたすら踏襲したヴィクトリアン様式。
最後の貴族階級の史上最も洗練されたといわれるエドワーディアン様式。
ジャポニズムという強烈な日本文化の洗礼を受けて誕生したアール・ヌーヴォー。
そのアール・ヌーヴォーの複雑怪奇な文様に飽き飽きしたかのように現れる明快な幾何学的文様のアール・デコ。

そういうそれぞれの時代にそれぞれの文化のなかで花開いていたもの作りの文化的背景が、アメリカという多民族的、大衆社会的、
大量生産消費型のもの作り文化が世界中を席巻するにつれ、ものから物語が失われ、作り手が失われ、誇りが失われていきました。

さて、これからはどうでしょうか。
顔のない格安製品が巷に溢れていますが、いつまでもそんな顔なしのものにひとは満足できるものなのでしょうか。

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