風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

大掃除

2012年12月17日 | 雑感

終日厚い雲に覆われています。
昨夜選挙速報を深夜まで見ていたら、眠り時を逸してしまい、朝方まで眠れなくなってしまいました。
別に興奮したとか、憤慨したとか、一切そういうのはないのですが、ただ眠れなくなりました。
普段ならそこで酒をクピクピ飲むところなのですが、数日前から禁酒してまして、そうもいかないのが辛いところでした。
なぜ酒を断ったかと言いますと、先日ある飲みながらの会合がありまして、途中から一切記憶がなくなってしまいました。
10人ほど参加してましたが、気がついて周囲を見ますと誰もおらず、ぼくだけがぽつんとテーブルのところに坐っていました。
寝ていたのか、気を失っていたのか定かではありませんが、とにかく気がついたらひとりぼっちでした。
何が起きたのかわけが分からず、そのままタクシーに乗って帰ったわけですが、さすがにこれはマズイと思いました。

その会合自体は非常に興味深い話が満載で、途中まではワクワクして聞いていたのですが、ある瞬間を境に、
まるでタイムワープしたかのようにぽつんと独りで坐っていました。
しかも寝ていたわけではなく、坐ったままぽつんとしていました。
酒やら料理屋らもテーブルから片付けられていましたから、おそらく気を失ってから3~60分は経過していたと思われます。
無意識のままその間ずっと坐っていたのでしょうか。
後日、その会に参加した他のメンバーに聞いたところ、別段変わったところはなかったといいます。
謎です。
身じろぎもせず意識を失ったまま坐っているぼくに、誰も何も声をかけずに帰っていったということなのでしょうか。
謎です。

まぁ、そんなことでこのまま酒を飲み続けたらヤバイなということで、年末にもかかわらず断酒に踏み切ったわけです。
仕事を終えたときや、眠りに入る前に飲みたいなと思いますが、まぁ、大丈夫です。
25日まで禁酒します。
ちょうどウィンズの店が25日までクリスマスフェアをしていますので、ちょうど良い機会だからと25日までの禁酒です。

一年近くほったらかしだったウィンズの再建にいよいよ取りかかります。
一年ぶりくらいにフェアの案内のDMも出しましたが、正直お客さんが来てくれるかどうか、まったく見当もつきません。
禁酒のおかげかどうか知りませんが、初日、二日目、三日目と少し昔の賑わいを取り戻せそうな雰囲気にはなりました。
有り難いことです。
仙臺屋で諦めない根性と、逆境にしぶとく耐え抜く肝は鍛えられましたので、こういう久しぶりの展開は、
本当に有り難いです。
あと一週間フェアは続きます。
来ていただいたお客さんに、何か楽しかったという思い出を持って帰ってもらえるよう、工夫してみます。

心の大掃除はまだ続行中です。
心といっても、上層、中層、下層というふうに、幾重にも折り重なっています。
表面意識、中層意識、深層意識、さらにはエーテル意識だの、アストラル意識といった層まで
、今回の大掃除の目的は徹底していようです。
上層の埃を払ったかと思ったら、下層からなにやら腐った塊がごろりとでてくるといった案配に、大掃除は難航しています。

光を当てると闇は存在できないといいますが、意識で意識に光を当てるというのは、
正しくその意識をそのままに認識することです。
隠したい意識、土をかけて埋めてしまいたいような記憶、そういうものをそういうものがあると正しくそのまま認める。
ときには土深く埋められているような記憶さえも、掘り起こして、その記憶を在ったことそのまま認識する。
なかなかしんどく辛い作業です。
そのまま認識し、再体験し、その意識やら記憶やらをもう二度と隠したり、恥ずかしがったりしないですむように、
再認識し、新たな+の意味づけをして、その意識なり記憶なりは闇から解放されます。

例えば、ある大切な人から厳しい口調で叱られて、それ以来その人に心を許せなくなった経験というものがあり、
その経験さえも思い出すのが嫌で、心の奥にしまい込んでしまったら、なぜだか分からないままその人に
心を開けないままず~と来ていたとします。
心の奥底に仕舞ってしまっていますから、なぜその人に対すると心がぎこちなくこわばるのか分かりません。
そして、天はその人とのそのぎこちなさがどうしても解決しなければならない問題として現実に表面化させます。
できればそんな問題に正面から対峙したく在りません。
なぜだか分からないし、そんなに重要な問題にも思えないから(表面の意識上では)です。
でも、その問題から逃げれば逃げるほど、どうしてもその問題を解決しなければ一歩も前に出れなくなるまで、
天は追い詰めます。
どうしようもなくなり、シブシブ自分の心を覗き込みます。
そうすると、突然その時の手厳しく叱られた経験が甦ります。
とても大好きで心を許していた人から叱られ。心が破れそうになったこと、言い訳も許されず悔しかったこと、
その後とても寂しくなったこと、そんな辛い感情も同時に波のように思い出します。

そして、その当時は分からなかったその人がどんな思いで叱ったのか、が光のように分かります。
その時に、その経験の質が変わります。
それは辛い思い出から、ああなんて有り難い言葉だったのだろうという感謝の思い出に変わります。

まぁ、思いつくままに例にしてみましたが、こんな感じで心の闇に仕舞っていた記憶やら意識やらを
光の下へ一つ一つ引き出す作業が、意識、記憶の再認識の作業です。
自分で自分がどんな意識やら記憶やらを心の奥底に隠し込んでいるのかは分かりません。
ただ、現実がどこへ隠しているか、何を隠しているかを反映してくれます。
その時、現実はとても残酷に見えます。
勇気を出して再認識化に成功すると、その現実こそがああ有り難いとなるのですが、まぁ、なかなか大変な作業ではあります。

こうなれば現実が反映するものに完全にお任せです。
自分がどこを掃除したいとか、何を取り除きたいとか決めるのではありません。
現実がシグナルを出したものに焦点を当て、それを光の下に引きずり出していくだけです。
頑張るというよりも、たんたんと掃除を勧めていくだけですね。

写真は今の店内です。

 


 


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