風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

澤木興道禅師

2010年02月09日 | スピリチュアル
店の裏の猫がから揚げの半分しか食べていません。
しかも、残りが皿の外に散乱していました。
ミルクは減っていません。
少し心配です。

昨日買ったばかりの「澤木興道 生きる力としてのZEN」からです。
もうすべての言葉が言葉にできぬ温もりと光を放っていますが、ほんの一部だけ。

「『澤木さん、欲はない』と言うが、実はあるどころではない、ようやく辛抱しておるだけじゃ。
 欲を深うすると仏法に傷がつくから、辛抱しておるだけの話である。欲が深いから人の欲の深いことがよう分かる。
 分からんでおるのはアホじゃ。だから間抜けたことはせん。しかもその欲の曲線は、角度が激しくある。
 その角度の激しい煩悩を持ちながら、その煩悩を仏道に持ってくる。そうすると煩悩の多いほどええんやね。
 煩悩が鈍うなるとやっぱりええ処も鈍うなる、元気も鈍うなる。どんな辛抱でもするのは、煩悩が多いからである。
 そこの人生と仏道の交錯点がもっとも肝要な処である。」

「人間澤木興道が仏道から引きずられていく。それがために凡夫の澤木の自由がきかぬ。それが信仰というものである。
 透明になるから凡夫澤木がわがままできなくなる」

「『仏祖の法』は誰でも嫌いである。それよりは飲んだくれの法が好きなんだ。私は堕落しとうてかなわんのじゃけれども、
 しかたなしに引きずられて坐禅をしておる。みなが監督しておって、堕落させられないだけの話である。』

もうすべての言葉が、その場その場で生き生きとしています。
活字にしてこうなのですから、その風貌や肉声に接したときには、さぞかし心に響いたことでしょう。
ページをペラペラ捲っただけでも、どの言葉にも引き付けられてしまいます。
おすすめです。