風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

浮雲

2009年06月19日 | スピリチュアル
今日も空には浮雲が流れているだけで、雨の降りそうな気配はありません。
そろそろ降ったほうがいい感じです。

一昨日は老師が外出で参禅はありませんでした。
昨日の参禅で、また公案が通りました。
「本来の面目」の面目躍如の感があります。
でも、公安が通ったとか通らなかっただとかはもう言いませんね。
話を聞くほうはちっとも面白くもなんともない話ですからね。

言うまでもなく、公案が通るかどうかは二義的な問題です。
第一義は境涯の進展です。
境涯が進展しなければ公案も通らないのですが、境涯が進展しなくてもいいのです。
進展しようが進展しまいが坐禅を組んで、参禅する。
それがすべての根底にある崩しようのない前提に据え置くべき境涯です。
また、境涯が進まず、公案も通らず、混迷を深めれば深めるほど、そこを打ち破ったときの喜びもひとしおのようです。

禅にはどうでなければいけないとか、こうあるべきだとかいうのは基本的にありません。
己が、己の閉じた心をこじ開けて、己のままを曝け出すだけです。

とにもかくにも、今回の接心は今夜が最後です。
心地のよい緊張を心に感じながら、今から行ってきます。