風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

エリ

2009年06月04日 | いい加減
「パパ、ムシムシさんがおるよ!」とベランダにいる娘が言った。
ぼくはちょうど煙草に火をつけたところで、「そ~ね、ムシムシさんがおるんね」と煙を大きく吐き出しながら言った。
「うん!」
地上8階にあるマンションのベランダの正面の数キロ先には小高い山が、ネス湖の怪物の背中のコブのように三つ連なっている。そのコブも今ではすっかり新緑の緑で覆われている。苔むしたネッシーの背中。
「パパ、大きいムシムシさんはどこ行ったん?」
「大きいムシムシさん?」
「うん!」
ぼくは立ち上がって、あと数ヶ月で3歳になろうとする娘の視線の先に焦点を合わせた。ダンゴ虫だ。別に小さくはない。普通のサイズの焦げ茶色のダンゴ虫だ。排水溝をいかなる困難にもたじろがずによじ登って8階のこのベランダまで登ってきたのだろう。
「パパ!」
「な~に?」
「小さいムシムシさんが泣いと~よ」
「小さいムシムシさんが泣いとるの?」
「うん!」
空は曇っていたが、山の方からからりと気持ちのよい風が吹いていた。麦の穂を焦がしたような色合いの細い娘の髪の毛がふわふわと揺れていた。彼女はダンゴ虫から目を離そうとはしなかった。
「なんで小さいムシムシさんは泣いとるの?」とぼくは聞いてみた。
「大きいムシムシさんがおらんから!ママがおらんから!」
「そーね、ママはどこに行ったんやろうね」とぼくは煙を吐き出しながら言った。
娘はじっとなにかを考えているようだった。ぼくはそんな娘の横顔を見ていた。
「パパ、ムシムシさんがゴハン食べよるよ!」
「そ~ね、ご飯食べよるね」と相槌を打ち煙草を灰皿で消してから、立ち上がってベランダのダンゴ虫に視線を落とした。ダンゴ虫は数日前に娘がベランダに吐き出したクッキー入りのチョコレートの残骸にへばりついて動かなかった。それでも目を凝らしてみるとダンゴ虫は触覚だけはせわしなく動かせていた。
「ムシムシさんがゴハン食べよるね~」とぼくは大袈裟に言った。
「うん!」

「パパ、じゅうじだよ~、エリちゃんがきたよ~」と言って娘は毎朝ふすまを開けてぼくを起こしに来る。
嫁の差し金だとは思うが、目覚まし時計で起こされるよりは何千倍もましだ。ぼくは子供のころから寝起きの機嫌が極端に悪いのだが、エリに対しては、毛布を剥ぎ取られようが、顔面を足で踏みつけられようが、灰皿をその辺りにぶちまけられようが、腹は立たない。不公平ということで言えば、これ以上の不公平は世の中にはありようがない。エリは誰がなんと言おうとも、彼女のすべての行いに対してぼくは許し、祝福し、応援する。でも、家族関係を抜きにした社会生活において、誰かが誰かにリアルな意味で「公平に」接している姿というのも見たことがない。それでも、何年後か、エリも学校に行けば「誰に対しても平等に」とか「思いやりの心をもちましょう」とか「明るく元気に楽しく」とか教えられるのだろう。それを教える教師が明るく元気に楽しく生きているとは思えない。学校に自分の子供たちを送り出すその親たちが平等を大切にしているとも、思いやりがあるとも、楽しさを重要視しているとはさらに思えない。親が子供に嘘をつき、子供を嘘を教える学校に送り出し、嘘を前提にした経済という渦に巻き込まれることを容認するのが、今という時代の平均的「ふるまい」なのだろう。

(続く)