風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

シンプル

2006年11月07日 | スピリチュアル
急に寒くなったというか、平年並みの気候に戻った感じです。
夏物のスーツを着ているのですが、膝の辺りがスースーします。

先月、ほとんど仕事をしていなかったので(まぁ、先月と限ったことではないのですが)、月末の支払いが滞ってしまっていました。
こういうときにも、「すべてはうまくいっている」と思うのは勇気が要ります。
こういう状況だからこそ、心の底から本当に「すべてはうまくいっている」と思う必要があります。
で、今日、充分なお金が出来ました。
別に何かの手段を講じたわけでは全然ないのですが。

こういうのは、見方によれば、ひどく無責任な態度だということは良く分かります。
運任せ、人任せとしか思われないでしょう。
ある意味、運任せ・人任せではあるのですが、自分の目先の都合にとっていいことがありますようにとは願いません。
事態が悪化するのなら悪化した事態をそのまま受け止めようとは思っているのです。
どんな事態になろうが「すべてはうまくいっている」はずだからです。

毎日神棚に手を合わせます。
何かを願うというようなことはしませんし、できません。
ただ、今日の一日をありがとうございますと3回唱えます。
「すべてがうまくいっている」と心から思えれば、当然、感謝の心が芽生えます。
「すべてがうまくいっている」と口先だけでいうと、心にやましさやら疑問やらが生まれます。
心の底から「すべてがうまくいっている」と思うのは、簡単なようで難しいことかもしれません。

自分がついているということを自慢したいわけではありません。
今生きているということをよくよく考えてみると、すべての人がもの凄くついているのだと思います。
ついているから今生きているという大チャンスを貰っているのだと思います。

ぼくが言うとなんかうそ臭いな~と自分でも思わないこともないんですが(笑)
自分の人生を大チャンスと捉えて、前向きに生きたことなどないかもしれないぼくが言うのはあれなんですが、
でもぼくを含めて、すべての人にとって生きることはチャンスなんだということは疑いのないことだと思っています。

要は、チャンスという言葉の捕らえ方でしょうか。
お金や素敵な異性が天から降ってくるのをチャンスだと捉えると、そんなチャンスはなかなか巡ってこないことになります。
逆に、逆境や困難や苦しさに直面させられることが成長のチャンスと捉えることが出来れば、
その人の人生はチャンスだらけになるでしょう。

ぼくがこういう前向きなことを言おうとするとどうもウソ臭くなるのはなぜなんでしょう(笑)

おそらく、いいこと、正しいこと、豊かなこと、心地よいこと、嬉しいことというのは、すべからくシンプルなものだと思います。
シンプルさというのを失った心というのは、シンプルな言葉というのをあまり信用しなくなります。
人間や世間の裏側にはドストエフスキー張りのどろどろが渦巻いていて、真理はそのどろどろに手を突っ込まなければ見えてこないと、
その頑固な頭で考えてしまう癖ができてしまいます。
そんな頑固頭にとってはこれ以上シンプルではありえない「すべてがうまくいっている」という言葉は、照れくさすぎる言葉です。

シンプルな心に憧れながらもシンプルではないぼくにとって、正直その言葉にはまだ照れくささを覚えます。
でも、照れくさいながらも、その言葉を信じてはいます。
照れくさいなどという心の泡みたいなものは、放っておくに限ります。

考えてみると、怒り、憎しみ、嫉妬、恐れなどの負のエネルギーというのは、どれもが複雑な心の動きを伴います。
一見シンプルに見えますが、どれもが複雑怪奇な心の動きを見せます。
複雑さというのは魔界への入り口なのかもしれません。

シンプルで幸福なキーワード、「ありがとうございます」はその魔界からの複雑な触手を払いのける真言なのかもしれません。
もちろん、感謝できる状況ばかりが周囲にあるわけではないし、その反対の状況のほうが多いのかもしれませんが、
周囲の状況が複雑になり、困難なものになり、苦しいものになるのを防ぐためには、その状況に対して
「ありがとうございます」と言ってしまえれば、その状況をより複雑にしようとする心の動きを止められます。

複雑さ=悪ではもちろんないのですが、複雑さというのは悪意やら邪念やらが身を潜めやすい場所なのでしょう。

う~ん、どの口で言ってんだという感じが(略)←複雑化の悪い例