風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

泣きながら生きて

2006年11月04日 | 雑感
このごろよく月を見ます。
どうしてかなと今考えてみたら、このところ毎日晴れているからでした(笑)
でもなんかこのところ月がなにかを語っているような気はします。

ロンドンに深夜到着した翌朝、薄暗いうちに目を覚まし、ホテルの外を散歩したんですが、
東には昇りかけの太陽、西には青白い満月でした。
何かのメッセージがありそうだったのですが、残念ながらそんな声を聞く能力はぼくにはありませんでした。

日本神話にも月読命というつくに神様が出てきますが、その活躍はさっぱり伝えられていません。
月とか星星とか、当時の人間にとってもとても身近で重要なものであったはずなのですが、
なぜか日本神話では触れられていません。
逆に、触れられていないことが、何かを語っているようにさえ思えます。

前にも書きましたが、占星術や算命学というか、大方の占いは星の運行を基にして出来た統計術なのでしょう。
星の運行というのが、人の人生に影響を与えるということは証明は不可能にせよ、ありえないことではないと思います。

話は変わりますが、昨夜テレビで「泣きながら生きて」という番組を観ました。

文化大革命の影響で農村部に送られた男が、どうしても勉学する夢を諦め切れず、
妻子を残して、親族から借金をして日本にやってきます。
彼が入学した語学学校は北海道の阿寒の辺鄙な町にありました。
彼は働きながらでないと勉強できる身分ではありませんが、働く場所などその過疎の町にはありません。
仕方なく彼は東京に出ます。
阿寒から出た時点で彼は不法滞在者となりました。

東京に出た彼は働きます。
朝は掃除夫、昼は工場で、夜はコックとひたすら働きます。
部屋に帰るころは銭湯も締まり、給湯器のお湯で髪を洗い、身体を拭きます。
キャベツの炒め物などを作って夕食を食べ、残ったおかずは翌日の弁当にします。
彼の部屋には上海に残した娘の写真が一枚壁に貼られています。
不法滞在者となり、自分が勉強することを諦めた彼は、娘を大学にやるために必死に働く決心をしたのです。

上海で、何年も日本に行きっぱなしの夫であり父親である彼のそんな姿を、妻と娘がビデオで見ます。
妻は泣き、娘は身を粉にして自分のために働く父の姿を見て号泣します。

娘は必死に勉強します。
そのかいあって、彼女はニューヨークの大学の医学部に合格します。
上海からニューヨークに向う途中、東京でのトランジットの間の十数時間の間を使って、娘は父親に会いに行きます。
父親の狭苦しいアパートで、父と娘は静かに会話します。

翌日、父親は娘を成田まで電車で送ります。
彼は不法滞在者なので、空港内には入れません。
成田空港の一駅手前の成田で降ります。
娘は窓を振り返り、ホームに泣き顔で立っている父親を見ます。
動き出した電車の中で、彼女は号泣します。

ニューヨークで落ちついた娘に会いに、母親が上海を旅立ちます。
彼女もやはりトランジットを利用して、東京で夫に会いにいきます。
娘の時と同様、夫はその日も仕事があるため、日暮里の駅のホームで二人は待ち合わせます。
10数年ぶりの再開です。
過酷な労働で老け込んだ夫の姿を妻は見ます。

妻もまた、夫の狭苦しいアパートに連れられ、料理をする夫の後姿を見ます。
ベットの枕には、日本に行く時に妻が持たせた枕カバーが掛けられています。
壁には娘の写真が貼られているのを見ます。

夫は貴重な時間を目一杯使って、電車を乗り継いで、妻を浅草や東京湾に案内します。
自分だって今までろくろく観光したことなど無いでしょうに。
二人は静かに東京の目まぐるしい光景を見て回ります。

瞬く間に朝が来て、夫は妻を成田に送ります。
やはり空港までは行けませんから、成田で降ります。
電車の中でも、降りるときも二人は余り言葉を交わしません。
言葉になんかできないのです。
電車が動き出した時、妻も窓を振り返ります。
やはり、夫は泣き顔でホームに立っています。
妻は電車の中で人目も憚らず号泣を止めることが出来ません。

ニューヨークの娘は、無事卒業のめども立ち、ひとり立ちの時期を迎えます。
彼は上海に帰ることを決心します。
帰る前に、廃墟となった阿寒の語学学校跡をたずねます。
なにもいい思い出などないだろうに、彼は阿寒が第二の故郷だと誇らしげに言います。

成田から飛行機に乗ります。
窓の外には、十数年間働きづめに働いた日本があります。
目にはみるみる涙が溜まります。
彼は手を合わせます。
泣きながら手を合わせます。

その頃上海では、妻が帰ってくる夫のために食事を用意しています。
歯がすっかり駄目になっている夫のために、おかゆのご馳走を用意して、待っています。