風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

内なる子供

2006年11月06日 | スピリチュアル
「泣きながら生きて」の丁さんみたいな生き方は心から素敵だと思うし、男らしくてかっこいいと思います。
そうは思うんですが、全然そういう生き方とは正反対な生き方を送っているぼくってなんなんでしょう?
あれほどの生真面目さも情熱も責任感も持ったためしがありません。
人それぞれだと言ってしまうには、あまりにも両者の溝は深いです。
「北の国から」のゴローさんも大好きだったりします。
中畑建設の中ちゃんも好きです。
でも、ぼく自身はそういうキャラクターを持って生きてはいません。

そんな時には、占いの本を見たりして自分を納得させようとしたりします(笑)
前にも紹介したかもしれませんが、「前世ソウルリーディング―あなたの魂はどこから来たのか 」(ジャン・スピラー著)です。

「地球と月の軌道の2つの接点「ドラゴンヘッド」と「ドラゴンテイル」から、前世のパターンと今生でのテーマを占う
ドラゴンヘッド占星術。占星術家である著者が、その秘法を初めて明かす」という触書の本です。

ドラゴンヘッドは主に前世からの因縁を開示し、ドラゴンテイルは今生での課題を暗示します。
仕組みとしては、ドラゴンテイルで示されるような今生の課題をクリアにすると、前世からの因縁の解消に向う課題の
クリアに向うという感じです。
ちなみに、ドラゴンヘッドもドラゴンテイルもそれぞれ誕生日によって決められる星座の位置です。

以前読んだ時は、ドラゴンヘッド、つまり前世からの因縁についてが非常にインパクトを持って読んだのですが、、
今回は、ドラゴンテイル、今生の課題がずしんと来ました。
結構分厚い本で、それぞれの星座に関して読む分量が多いのですが、書かれてあることのことごとくが
その通りだと言うしかありません。
人間関係がめんどくさくなるとすぐに逃げ出すとか、事態を傍観する癖があるだとか、なんやらかんやら耳に痛い言葉が続きます。

一言で言うと、自分の中に住む「子供」の声に素直に従えということらしいのです。
前世では、状況を客観的、的確に分析し、誰かに有効に仕えてきたという経験を経てきたので、
今生では、何かの組織や人に従属するのではなく、自分の可能性を信じて、子供のように無邪気に楽しめということらしいのです。
情報を分析して、客観的に状況を俯瞰して、でも行動には移さない悪い癖があると言うのです。
ぼくの中に住む子供は、もうすでに充分、状況に対して分析的・客観的な視点を持っているから、
更に情報を集めたり、慎重になったりするのではなく、そのまま子供の声を聞いて行動に移せと言います。

無邪気に楽しんでいるのは、飲みたいときに遠慮せずに酒を飲んでいることくらいかもしれません。
でも、自分の中の子供が「酒を飲め」と言っているかというと、それはなんか違うような気もしますが。

そういえば、ぼくの頭の中というのは基本的に幼稚な言葉ばかりが浮かんでいます。
「未来少年コナン」みたいな世界が本当は好きです。
「ラナ、今助けに行くからね!」というセリフは、今でもこっそり風呂場で声色を真似ています。
人の悪口を言おうとすれば、「うんこ」という言葉が浮かびます。
そういう意味での「子供」ではないんでしょうけれども(笑)

とにかく、なんかいろんな意味不明の遠慮やら思惑やらめんどくささやらで、行動ががんじがらめになっているのは事実です。
行動を起こさないことで、ますます心身のエネルギーが不活発になっていくという負の循環に陥ってます。
ぼくの中の子供はすっかりふてくされている、そんな感じです。

長年子供の声を聞き損なって生きてきたので、どれが本当の子供の声なのかがわからなくなっているというのもあるかと思います。
仕事もなにも、エーイめんどくさい、全部投げてしまえという声は子供の声ではなくて、前頭葉の退化したサルの声でしょう。
いや、別にサルに悪気はないんですが。

今でも充分にわがままなのですが、子供の声に従った建設的なわがままではありません。
非常にセルフィッシュなわがままです。
答えは行動です。
世間の中で行動するというのは、セルフィッシュなわがままは通用しません。
でも、世間の中に出て行くというのは、ぼくにとってはかなり心理的な抵抗を感じるのは事実です。
ぼくもやっぱり「カニ歩き」で鍛える必要があるのかもしれません。