鳥キチ日記

北海道・十勝で海鳥・海獣を中心に野生生物の調査や執筆、撮影、ガイド等を行っています。

書評:「鳥 優美と神秘、鳥類の多様な形態と習性」

2013-01-23 22:58:25 | 鳥・一般
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All Photos by Chishima,J.
ツバメチドリ 2012年4月 沖縄県石垣市)

NPO法人日本野鳥の会十勝支部報「十勝野鳥だより179号」(2012年12月発行)より転載 一部を加筆・修正また写真を追加)

 この9月に、まだ真夏の暑さを引き摺る東京で参加した日本鳥学会100周年記念大会では、600名を超える参加者が連日議論を交わした。秋も深まった11月、千葉県にある手賀沼の畔で2日間に亘って開かれたジャパン・バード・フェスティバルでは、複数の会場で行われた企業や地方自治体、市民団体等によるブース出展やイベント、講演等は多くの人で賑わった。これだけ見ると学問として、また趣味として鳥に関わる人が大変増え、周辺環境も活発化していることが伺える。しかし一方で、鳥学や鳥類全体を広く概観できる人は増えないどころか寧ろ減っているのではないかと感じている。
 その理由の一つとして、鳥類についての幅広い情報を的確に伝える教科書的な書物の少ないことが挙げられる。比較的最近に出版されたものとして思い付くのが、M.ブライト「鳥の生活」(1997年)やF.B.ギル「鳥類学」(2009年)あたりだが、前者は生態にやや偏っている感は否めない。後者は鳥類学の分野を広く網羅しているものの、750ページ近い大部の書であり、また読み手は多少の生物学的な知識を必要とする。どちらも訳書である。日本人の手によるもので鳥を広く扱ったものとしては平凡社の「日本動物大百科」が1990年代のものだが、分類群ごとに専門家が分担執筆したもので、内容も生態中心である。また、「これからの鳥類学」(2002年)や「現代の鳥類学」(1984年)は鳥類学の専門書だが実際には論文集であり、系統立てて学べる類のものではない。この手の教科書が、昔から日本に皆無だったわけではない。大正15年に出版された内田清之介(*注1)の「鳥学講話」は、鳥の繁殖、渡りから始まって鳥と人生、鳥類の保護と云った章まで設けられ、自然科学の枠を超えた鳥学の教科書として、現代でも十分通用する。昭和16年出版の「鳥」は同書のダイジェスト版的な内容で、平易な文章で要点を纏めているので格好の入門書でもある。戦後、学問が細分化される中で広い視野を持った研究者がいなくなり、また過度の業績主義で研究者が論文ばかり書かねばならず、内田のような一般書や随筆を多く書ける人材が育たなかったのが、近年国内において同様の良書が存在しない理由であろう。


交尾直前のスズメ
2012年6月 北海道中川郡池田町
牛舎の屋根にて。左のメスは総排泄腔が見えている。
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 本書は2008年に出版された「The Secret Life of Birds Who they are and what they do」の日本語訳である。4部と10の章から成り、500ページ近い大著の中に写真はなく、イラストもモノクロが時折ある程度なので字数はかなり多い。それでもすらすらと読めてしまうのは、著者のコリン・タッジ氏がケンブリッジ大学で動物学を学んだサイエンス・ライターであり、執筆や講演を通じて科学をわかりやすく伝えることに長けているからだろう。単なる科学的事実の記述にとどまらず、我々の感性に訴えかける姿勢は全体を通じて一貫している。また、樹木や農業・食糧問題の著作もある氏ならではのものとして、しばしば鳥以外の生物との対比があり、生物界や生態系における鳥類の位置付けが従来の類書よりも理解しやすくなっている。
 第Ⅰ部「一味違う生き方」は飛翔の功罪と鳥の起源について述べ、第2章「鳥の生い立ち」では最近の知見も交えて鳥の起源にかなり詳細に迫ってゆく。羽毛を持つ恐竜等、これまでの定説が次々と覆されているこの分野の、近年新たな発見が相次いでいる中国での発掘成果等も含めたレビューは読み応えがある。ちなみに、第2章を数ページ繰っただけでもホワイト(*注2)、ウォーレス(*注3)、ダーウィン、アガシ(*注4)、ハクスリー(*注5)等錚々たる博物学者の名を目にできるのは、長い博物学の伝統を持つ英国の、文化的な奥深さを感じざるを得ない。
 第Ⅱ部「登場人物」は鳥の分類に関するものだ。第3章「登場人物の把握‐分類は不可欠」では分類学について、近年盛んになりつつあるDNAに基づく研究も含めて紹介している。折しも2012年9月に発行された「日本鳥類目録第7版」がDNAによる研究成果を採用して、従来の分類が大幅に変更されたばかりなので、DNAによる分類とは何で、旧来の分類をどう変えたか知るには最適である。ただし、本書と「日本鳥類目録第7版」の分類が完全に一致しているわけではなく、例えば本書ではハヤブサ科をタカ目に含めているが、「日本鳥類目録第7版」はハヤブサ目としてタカ目から分けている。続く第4章では、系統樹に基づいた30の目を主な単位に、世界中の様々な鳥類を紹介してゆく。形態や系統を中心にユニークな種等も取り上げ、流れるように鳥類の多様性を俯瞰できる。化石による類縁関係の推定が詳述されているのが興味深い。エチオピア区(*注6)やオーストラリア区(*注7)、新大陸には目や科レベルで馴染みが薄いものも多いので、図鑑やインターネットでその姿を探しながら読み進めると良い。


オオタカ(左)とハヤブサ(いずれも成鳥)
左:2010年11月 北海道十勝郡浦幌町 右:2012年6月 北海道
従来タカ目に統合されていたハヤブサ類は、近年ではスズメ目により近い独立した目として扱われることが多い。
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 著者が「本書の心臓部」と謳う第Ⅲ部「鳥の暮らし」は、採食、渡り、性と繁殖と云った主に生態的な部分を扱う。200ページを超える相当な情報量も、続々紹介される鳥たちの興味深い生態につい読み耽ってしまう。性や繁殖に関する部分では性選択や利他的行動等社会生物学の分野にも踏み込んでいるが、豊富な事例によってそれらを知らない人にも理解できるようになっている。第9章「鳥の心」の後半で扱う脳と社会性等については、最新の情報を日本語で読める数少ないものだろう。章の最後でそれらについて科学徒らしく「明言できない」と簡潔に答えながらも、後に続く「鳥類に心などないと主張するのはひねくれているとしか思えない。鳥類は間違いなく心をもっている。」からは、著者の鳥に対する深い愛情と慈しみの念を感じる。
 最終の第Ⅳ部「鳥と私たち」は、避けては通れない共存の問題である。有名なドードーやオオウミガラスだけでなく、いかに多くの鳥たちを人間が絶滅させて来たかに改めて愕然とする一方、未来への希望となる保全の成功例も紹介している。エピローグ「考え方の問題」ではダーウィニズムやこれまでの生物学を歴史や社会的背景の観点から捉え直して唯物論的思考や競争を批判し、協力に根ざした自然な経済を確立するために鳥類からは多くの学ぶべき点があると締めくくる。
 全体を通じて、翻訳やその校正に明らかな誤りが多いのは残念である。例えば、165ページにある英語でグレーファラロープ、米語でレッドファラロープのヒレアシシギは、アカエリヒレアシシギではなくハイイロヒレアシシギである。375ページの「ウミバトの仲間」は、その後の「断崖の岩棚に一つだけ卵を産む」という記述からウミガラスの仲間なのは明白である。ウミバトの仲間は岩礁の隙間等に2卵を産むのが普通である。ウミガラス類、ウミバト類とも英語ではGuillemotのため生じた誤訳であろう。漢字の誤りや段落が変わったのに行頭が下がらないといった校正の杜撰さは、随所に見受けられる。これらは全体的に硬めの訳文と相まってスムーズな読書を妨げている。


ウミガラス(左)とウミバト(いずれも冬羽)
左:2011年2月 北海道根室市 右:2011年3月 北海道根室市
米語ではウミガラス類がMurre、ウミバト類がGuillemotであるが、英語ではどちらもGuillemotだ。
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 とはいえ、鳥類学の広範な分野に亘って最新の知見を豊富な事例とともに凝縮した本書は、すらりと読める鳥の教科書として類書のないものであり、その価値は高い。鳥類学に関心のある人だけでなく、鳥好きなら十分楽しめる内容である。探鳥から帰った休日の午後に紅茶を、あるいは深々と雪の降る冬の夜更け、ナイトキャップを片手に鳥たちの多様な世界を垣間見ることにより、日々の鳥見が更に豊かなものとなることは間違いない。


アカエリヒレアシシギ(夏羽)の群れ
2011年5月 北海道道央沖太平洋
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ハイイロヒレアシシギ(冬羽)
2011年8月 北海道十勝沖
米語では夏羽の羽衣にもとづくRed Phalarope、英語では冬羽由来のGrey Phalaropeが用いられることが多い。
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*注1内田清之介(うちだせいのすけ1884-1970):鳥類学者。東京・銀座の商家に生まれ、東京帝国大学で動物学を学ぶ。日本鳥学会の創設メンバーの一人。農商務省鳥獣調査室長等を歴任し、日本の鳥の分布や生態、渡りを研究。日本における鳥類標識調査の創始者でもある。鳥獣保護にも情熱を注ぎ、その著書は「日本鳥類図説」のような専門書から一般向けの「野鳥礼賛」まで幅広く、数も多い。中西悟堂と並ぶ、日本の鳥界における名随筆家だ。
*注2ホワイト(Gilbert White 1720-1793):英国の牧師、博物学者。身近な自然を風土と合わせて記録した「セルボーンの博物誌」は、ナチュラルヒストリーの不朽の名作として、今日でも燦然と輝きを放つ。
*注3ウォーレス(Alfred Russel Wallace 1823-1913):英国の探検博物学者。アマゾン川流域に続くマレー諸島の探検中に自然選択説に辿り着き、書簡を交換していたダーウィンと共同で、1858年のロンドンリンネ学会で発表された。インドネシアのバリ島とロンボク島の間に生物分布の境界線があることを発見し、後に東洋区とオーストラリア区の境界として「ウォーレス線」と命名され現在に至る。後年には心霊主義や環境問題にも関心を示した。探検記の「マレー諸島」は新妻昭夫による版をはじめ幾つもの邦訳があり、ウォーレスの足跡を辿った新妻の「種の起源を求めて ウォーレスの「マレー諸島」探検」もまた好著である。
*注4アガシ(Jean Louis Radolphe Agassiz 1807-1873):スイス生まれの米国の海洋・地質・古生物学者。氷河や海洋生物の研究を通じて大洋や大陸は太古から変わらぬ恒久的な存在と信じ、進化論の強固な反対論者であった。
*注5ハクスリー(Thomas Henry Huxley 1825-1895):英国の生物学者。進化論を強力に擁護し、「ダーウィンの番犬」の異名で知られた。カンムリカイツブリやアビの求愛行動等の研究で知られる鳥類学者のジュリアン・ハクスリーは彼の孫に当たる。
*注7エチオピア区:生物地理区分の一つでアラビア半島南部、イラン南部、サハラ砂漠以南のアフリカ大陸を含む。鳥類ではダチョウやホロホロチョウ科、ネズミドリ目等がこの区に特異的。
*注8オーストラリア区:生物地理区分の一つで、オーストラリア、ニュージーランド、パプアニューギニアや周辺諸島が含まれる。哺乳類では有袋類(カンガルーやコアラ)や単孔類(カモノハシ)、鳥類ではエミュー科やコトドリ科等が特徴的である。


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ISBN 978-4-7813-0522-6 C0045     体裁:四六判・509ページ
発行元:(株)シーエムシー出版      著者:コリン・タッジ
発行:2012年10月29日         訳者:黒沢令子
価格:3150円(3000円+税)


(2012年12月28日   千嶋 淳)


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