千鳥ヶ淵を離れ、周囲を見ながら皇居に向かうことにします。
トッポも、ようやくこの新しいバッグに慣れてきたようで、バッグの中のポジション取りがうまくなりました。
途中で撮った武道館の写真も添付しておきます。
日本武道館は、天皇陛下の御下賜金と、国費と国民の浄財など総額20億円をかけ、1964年完成しました。
皇居に向かう途中、桜の合間より北桔橋門(きたはねばしもん)が見えます。
皇居東御苑の北側入口に北桔橋門があります。
江戸時代には、天守閣に近く本丸大奥からも直接外部に通じる門として重要な橋門のため当時は「跳ね橋」が架かっていたそうです。
入り口から乾濠側 (西側)を望んだ景色です。
トッポ、『皇居の中にワンコも入れるの?』
トッポパパ、『場所によって一般の人が入れるところがあるので、大丈夫だよ。』
入り口手前の橋から、平川濠側(東側)の高い石垣が見えます。
このあたりの石垣は、江戸城の中でも堅固に造られているそうです。
天守閣に一番近く最も重要な場所なので写真でもわかるように濠が深くなっています。
ここに使われた石は、伊豆半島から海路で江戸に運び込まれました。
写真の右側の角部分の石の色が違いますが、ここには御影石の本場兵庫県の小豆島より運び込まれた御影石が使用されています。
説明板によると、大きな石は、浅い幅広の平らの船で水中に石をつるして運ぶか、石のまわりに空き樽を沢山くくりつけ浮力をつけて筏で運ばれたようです。
多くの人が、この橋から写真を撮っていました。
江戸時代にこの橋は跳ね橋だった証拠に、門には滑車をつるしたと思われる金具が残っています。
では、中に入ってみます。
続く.............................................。
トッポも、ようやくこの新しいバッグに慣れてきたようで、バッグの中のポジション取りがうまくなりました。
途中で撮った武道館の写真も添付しておきます。
日本武道館は、天皇陛下の御下賜金と、国費と国民の浄財など総額20億円をかけ、1964年完成しました。
皇居に向かう途中、桜の合間より北桔橋門(きたはねばしもん)が見えます。
皇居東御苑の北側入口に北桔橋門があります。
江戸時代には、天守閣に近く本丸大奥からも直接外部に通じる門として重要な橋門のため当時は「跳ね橋」が架かっていたそうです。
入り口から乾濠側 (西側)を望んだ景色です。
トッポ、『皇居の中にワンコも入れるの?』
トッポパパ、『場所によって一般の人が入れるところがあるので、大丈夫だよ。』
入り口手前の橋から、平川濠側(東側)の高い石垣が見えます。
このあたりの石垣は、江戸城の中でも堅固に造られているそうです。
天守閣に一番近く最も重要な場所なので写真でもわかるように濠が深くなっています。
ここに使われた石は、伊豆半島から海路で江戸に運び込まれました。
写真の右側の角部分の石の色が違いますが、ここには御影石の本場兵庫県の小豆島より運び込まれた御影石が使用されています。
説明板によると、大きな石は、浅い幅広の平らの船で水中に石をつるして運ぶか、石のまわりに空き樽を沢山くくりつけ浮力をつけて筏で運ばれたようです。
多くの人が、この橋から写真を撮っていました。
江戸時代にこの橋は跳ね橋だった証拠に、門には滑車をつるしたと思われる金具が残っています。
では、中に入ってみます。
続く.............................................。