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トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その10の7 『東京と桜、 千鳥ヶ淵』

2007年04月12日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
8代将軍吉宗の次男宗武が、15歳で元服し、2年後将軍家より江戸城田安門の内に屋敷を構えたのが田安家である。
吉宗の次男宗武は長男の家重より優秀であったが、家康以来長男が家督を継ぐ決まりになっていたため、万一のためを思い、宗武を一般大名にせず城内に残しておいたそうです。



田安門の周辺も、きれいな桜が満開でした。
トッポ、『無理やり、僕を撮らなくていいんだけど。
トッポパパ、『トッポのブログだから、こちらにも事情があるの!

その後、この田安家は独立し幕末まで続くことになります。。
宗武は国文学者・歌人としても有名だったようです。



田安門の辺りは,上州方面への道が通じていたそうで、太田道灌時代,江戸城の合戦はこの辺りであったといわれています。
江戸城完成後は北丸と呼ばれ、大奥に仕えた千姫,春日局や英勝院の屋敷が、この北の丸公園にあったようです。



また宗武の次男が、松平定信です。 松平定信は、天明の大飢饉で苦しむ領民を救い、後に第11代将軍家斉の老中になり、将軍補佐となります。
祖父・吉宗の享保の改革を手本に、寛政の改革を行ったことは歴史で習った記憶があります。



トッポ、『難しいこと、言わないで早く写真撮ってくれ! みんなが見ているので、恥ずかしい!



昭和36年に田安門は重要文化財に指定され、解体修理と渡櫓の復元が行われました。
田安門の脇のお堀には、桜と同時期、ショカッサイ(ハナダイコン)が咲いています。



あちらこちらを、見ながらやっと、千鳥ヶ淵に到着です。



北の丸公園は早朝のため、それほど人出が多くなくゆっくり桜見物ができましたが、千鳥ヶ淵の遊歩道は、ごらんのように一方通行で大混雑です。



とりあえず列について行き、一番景色のよいところを写真に撮ってきます。



続く.............................................。