倉敷川に沿って、白壁、貼り瓦、掘割、柳並木を配した商家が並びます。
350年前の江戸時代、倉敷は江戸幕府の直轄地『天領』でした。
倉敷川畔は米や綿花などの物資の集散地として栄え、商人たちが白壁の土蔵や屋敷を構えました。
『天領(てんりょう)』とは江戸幕府の直轄領のことを指す通称です。
資料によると、大阪冬の陣の際、備中大寒の小堀遠州が倉敷から大量の兵糧米を贈ったことが天領への道を開いたそうです。
以後、幕府の保護や周辺の豊かな農地や産物を背景に、物資の集積地として成長していきます。立ち並ぶ武家屋敷は現代の流通センター、そして倉敷側は大阪へと続くハイウェイの出発点になったと書かれていました。
この橋は、『中橋』といわれ、1877年に石橋に架け替えられ、橋桁が一枚岩の太鼓橋です。
橋の奥に見えるのは、江戸時代の米倉を改築して昭和25年に開館した倉敷考古館です。
壁に貼り付けた瓦は白壁に映えています。
この白い壁を綺麗に維持するだけでも大変だろうと、余計な心配をしてしまいます。
またまたモデルさん登場です。
トッポパパのためにポーズをとってくれているのではないので、構図が悪いのはご勘弁ください。
それより、壁がとても変わっています。
この壁は、色むらのある平瓦を漆喰で縁取った壁で、なまこの色に似ていることから『なまこ壁』と呼ばれるそうです。
倉敷格子と呼ばれる、はめ込み式の格子です。
風通しがよく、外からは中が見えにくい構造になっているものもあるようです。
町屋の雰囲気をそのまま残した民芸品販売のお店も、華美でなくいい感じです。
最後に、この美観地区で見つけた、この年代ものの車。 思わず見入ってしまいました。 これ相当古い車だと思うのですけど、何年ごろのものなんでしょうね。
ほんの1時間ほどの滞在でしたが、江戸情緒を十分に堪能して帰路に着きました。
350年前の江戸時代、倉敷は江戸幕府の直轄地『天領』でした。
倉敷川畔は米や綿花などの物資の集散地として栄え、商人たちが白壁の土蔵や屋敷を構えました。
『天領(てんりょう)』とは江戸幕府の直轄領のことを指す通称です。
資料によると、大阪冬の陣の際、備中大寒の小堀遠州が倉敷から大量の兵糧米を贈ったことが天領への道を開いたそうです。
以後、幕府の保護や周辺の豊かな農地や産物を背景に、物資の集積地として成長していきます。立ち並ぶ武家屋敷は現代の流通センター、そして倉敷側は大阪へと続くハイウェイの出発点になったと書かれていました。
この橋は、『中橋』といわれ、1877年に石橋に架け替えられ、橋桁が一枚岩の太鼓橋です。
橋の奥に見えるのは、江戸時代の米倉を改築して昭和25年に開館した倉敷考古館です。
壁に貼り付けた瓦は白壁に映えています。
この白い壁を綺麗に維持するだけでも大変だろうと、余計な心配をしてしまいます。
またまたモデルさん登場です。
トッポパパのためにポーズをとってくれているのではないので、構図が悪いのはご勘弁ください。
それより、壁がとても変わっています。
この壁は、色むらのある平瓦を漆喰で縁取った壁で、なまこの色に似ていることから『なまこ壁』と呼ばれるそうです。
倉敷格子と呼ばれる、はめ込み式の格子です。
風通しがよく、外からは中が見えにくい構造になっているものもあるようです。
町屋の雰囲気をそのまま残した民芸品販売のお店も、華美でなくいい感じです。
最後に、この美観地区で見つけた、この年代ものの車。 思わず見入ってしまいました。 これ相当古い車だと思うのですけど、何年ごろのものなんでしょうね。
ほんの1時間ほどの滞在でしたが、江戸情緒を十分に堪能して帰路に着きました。