走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

年金制度について

2011年09月22日 19時36分09秒 | つぶやき
 今、年金制度について再び熱い議論が重ねられている。

 なぜ、このような状況になったのだろうか。
 そもそも論から言うと社会経済情勢が右肩上がりを前提とした制度であるということ。
確かに人口増加社会においては、最もわかりやすい制度であったろう。
しかし、時代は一変する。
少子高齢化から人口減少化社会の到来である。
安心しきって胡坐(あぐら)をかいていたために一部の不心得者が現れたり、絶対ばれないと思っていた管理方法が脆くも露呈した格好となる。

 そして、真逆に反転した社会現象の中で根底から制度の見直しを問われている。
そういう意味では、負の遺産を引き継いだ現政府は気の毒としか言いようがないが、国民のための制度改革を見直さなければならないであろう。

 マスコミにお願いしたいのは、長期的かつ鳥瞰(ちょうかん)的な視野を持っていただきたいということである。
国民生活に密着する年金制度を最低でも百年の大計で論じて欲しいということである。
間違っても重箱の隅をつつくような取り上げ方は誰に一番影響が出るかを考えて欲しい。

 そして、直接、制度改革に携わる方々にお願いしたい。
年金制度だけでなく、他分野にも踏み込んだ中でどう取り組むかを考えて欲しい。
例えば、なぜ人口減少化社会になったかということである。
当然、少子化になったからである。

 では、なぜ少子化になったのか?
それは親が、子どもにとっての未来が明るいと感じられなくなってきているからではないか。
 年功序列制度や終身雇用制度が壊れた社会の中で学歴社会も崩壊している。そうした現状の中で、子どもに教育費を投下しても何にもならないということを気づき始めている親も増えてきた。
高い教育費を投下する意義すら見出せなくなっている。
そうなると、ニートやフリーターはもっと増える可能性がある。

だからこそ年金の原資をどうやって集めるかを考えるよりも、どうやったら年金を納めたいと国民に思っていただくかにエネルギーを費やして欲しい。
 具体的にいうと、子どもを成人まで育てるのに一番かかる経費は食費ではなく、教育費である。
このことを年金制度と重ねて議論した話はあまり聞かない。
だが、家庭の中で家計を一番圧迫しているのは教育費ではないのか。
遊行費に回る可能性がある制度よりも教育費の負担をいかに減らすべきか。
 なんでもないようなことが社会のさまざまな分野でほころびとして出始め、それが顕在化してきている。

 また、教育費といっても公立・私立、そのほかに私塾など多様であるが、日本の最大の資源が人的資源とするならば、徹底してここに投資して欲しいものである。
例えば年金資金の運用を教育関連産業に回すことで、個人の教育費の負担を軽減するような社会システムができないものであろうか。
 さらには、投資される側の教育産業にはそれなりに厳しい基準や評価基準を新たに設けるなどして教育品質を高める必要もあろう。

 どうか、一制度の見直しだけではなく社会全体として、国民の未来としての改革をお願いしたい。