走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

子どもの視点

2006年04月20日 05時08分01秒 | その他
今、子供たちの読書力のなさが社会的問題になってき始めている。
大人たちは、必死で子供たちに本を読ませようとしている。
でも強制しては、かえって読まなくなることも理解している。
そこで、さまざまな場所で本がある環境を造ることで自然に本にふれあうようにしようとしている。
しかも、寝そべって読もうが、どのような格好でもいいから本を読んで欲しいということである。本を読むことの重要性を横に置いてでも。
ずいぶんと変わったもんだ。
自分の子供の頃は寝そべって本を読んでいたら親にたたかれた。愛の鞭である。
そのときには、「きちっとした姿勢で読まんと目が悪なる。」と言われた。
子供ながらに理解した。だからといって本は嫌いにはならなかった。
読書が嫌になったのは、読書感想文が宿題に出始めたくらいからである。
なにか、大人に読書を強要されたようで、その反動としてしばらく本を読まなくなった。
でも、中学校のときに凄い親友Tが出来た。
なんにでも(特に性に)好奇心旺盛になり始めた頃、図書館で色物の本が読めるということになった。
そこで二人は、何と読書倶楽部に入会するのである。
この倶楽部は、倶楽部の時間中、ただ黙って自分の好きな本を読むだけという、極めてわかりやすい倶楽部であった。
Tは、さっそくにポッカチョの「デカメロン」や「カンタベリー物語」といった本を本棚から抜き出してくると、まず講釈をたれるのである。
講釈といっても単にこの本が書かれた時代背景や作者の意図くらいであった。
でも、兄弟のいない私には新鮮であった。
同級生のTが兄のように思えた。(後でわかったことだが、彼自身の講釈は兄からの受け売りであった。)
多感な私は、ドキドキしながら(隣にはまじめな本を読む女子生徒がいる中で)、そして勝手な想像をしながらむさぼり読んだ。
次に、Tが紹介してくれたのが、北杜夫の「ドクトルマンボ昆虫記」であった。
これは痛快に笑えた。「静かに読む」という唯一制約のあった倶楽部で、笑を押し殺しながら本を読む体験をしたのはそのときが始めてである。
そして、ドクトルマンボシリーズにのめり込む。
さらには、遠藤周作や星新一といった短いエッセイ集を紹介されるのである。
今にして思えば、Tは読書の魅力を教えた天才ではなかったか。
一番興味を抱くものから入り、こっけいな文書へとつなげ、短いけれども余韻を残す文書にいざなうことで、文字から創造へとつなげてくれた。
おかげで、乱読・寸読・積(つん)読ではあるが、本好きにはなった。
自然に本を読ませるためには、実はTのような身近な立場の水先案内人がいなくなったということではないか。
そして、その水先案内人は痛いほど私の性格を読みきっていたということである。