<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地





東北地方の皆様。
東北新幹線の全線復旧おめでとうございます。
阪神大震災の時の山陽新幹線よりも早い復旧はやっぱりJR東日本の会社力の見せる技でしょうか。

ということで、やっとのことで新青森から新鹿児島まで新幹線でつながりました。
残すは北海道と四国だけ。

1988年。
国鉄からJRになって一年目に青函トンネルと瀬戸大橋がほぼ同時に開通した。
そのときのJRの広告のキャッチが「一本列島」。
日本列島と言葉かけた広告は今も印象にバッチリと残っている。

2011年。
新幹線が本州最北端から九州最南端までつながったことで、一本列島に新たなカタチができてきたわけで、残すは北海道と四国だけ。
四国は計画もないのでちと難しいかもしれないが、北海道は後数年で函館まで新幹線が延びるので、時間の問題。
それがどうした、と言う人がいるかも知れないが、高速鉄道網が発展するのはそれはそれで経済効果のあることだ。

とはいえ、いくら高速鉄道網といえども青森から鹿児島まで移動するときに新幹線を利用する人はほとんどいないに違いない。
途中最低、二回(東京駅と新大阪、または博多駅で乗り換え)は乗り換えなくてはならない面倒くささもある。
どのくらいの距離が新幹線と飛行機の移動の分かれ目になるのか、かなり微妙なところでもあるのだ。

例えば、東京~大阪間あ飛行機の便数が多いことで新幹線と飛行機の所要時間がほぼ同じ。
空港も羽田と大阪三空港を選択できるので、目的地に応じてどこへ飛ぶのかで新幹線との競合はやりやすい。
また東京~広島も広島空港が超辺鄙なところにあるので、新幹線と飛行機の所要時間対決はほとんど変わらない。
むしろ本数が圧倒的に多い新幹線の方が便利なくらいだ。

私のような関西人の場合、飛行機と新幹線の分け目で微妙なのが、仙台や熊本になる。

仙台へ出張すると、仙台空港が仙台市内から少しく遠いので、その移動時間と搭乗手続きをする時間のあいだに新幹線で東京まで行けてしまうのではないかと時々思うことがある。
そうすると東京から新大阪まで新幹線で2時間半。
東海道新幹線は昼間でも都市部の通勤電車並に本数が多いので電車を待つ時間はほとんど不要。
となると、実際のとこ、仙台から大阪まで新幹線を利用すると最速4時間半ぐらいで移動できる。

一方飛行機は仙台から伊丹空港まで1時間20分くらい。伊丹空港から大阪市内までは渋滞がなければ30分くらいだが、渋滞したら1時間なので、仙台から大阪市内まで2時間20分ほどかかることになる。
となると、新幹線とあまり変わらないというのが実情だ。

とはいえ、新幹線にゆられ揺られて4時間以上も移動することに比べて、飛行機の1時間20分は楽ちんだ。

ということで未だ新幹線で新大阪~仙台を移動したことのない私なのであった。




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古都京都。
毎年4500万人を超える観光客が訪れるこの街の魅力はやはり「日本文化」。
京都にあって東京に無いもの。
それは日本の文化を代表する歴史に裏付けされた数々の伝統的な建築や工芸、文学や芸能であろう。

日本の建築美の代表である桂離宮や御所。
西陣織や扇子、清水焼などに代表される工芸品。
平安時代から日本の古文学を生み出した冷泉家に代表される公家文化。
舞妓さんや芸妓さん、能などに代表される伝統芸能。
などなど。

どれもこれも歴史と高貴さを併せもち、その魅力は日本人だけではなく多くの外国人をも魅了している。
多少、市民が独特な保守性を有していて、座布団を半分外に出して「おこしやす」と云われることがあっても、たとえ「ぶぶづけでもどうです」と早う帰れ、と云われようとも、いわゆる余所者に超イケズであったとしても、京都の文化を超えるものは他の地方にはなかなか見当たらない。
親子三代ぐらいでは京都人とは云われず、「うちは応仁の乱から続くオウチです」と云われるくらいでなければ京都人と認めてもらえない凄みのある街なのだ。(ちょっと大げさすぎましたが)

そんな京都のもうひとつの顔。
それはハイテクの街である、という顔なのだ。

ノーベル賞受賞者が東大よりも多い京都大学はもちろんのこと、企業の名前を上げるだけでただ者ではないハイテク企業がラインナップされているのだ。

誰でも知っている世界最大のテレビゲームメーカー任天堂。
農業ビジネスの雄、種のタキイ。
フロントホックのCMが忘れられないハイテク下着のワコール。
スペースシャトルからボールペンまでの京セラ。
エネルギー政策で注目の的のジーエスユアサ。
ノーベル賞社員がいる島津製作所。
ジャン・レノだけが、なぜか印象的なローム。
新幹線からよく見える京都電産。
何故か気になる目川探偵(って関係ないですけど)。
などなど。
並み居る企業が控えている。

体温計で家庭でもおなじみのオムロンも、これら並み居る京都のハイテク企業だ。
そのハイテク企業が、実はたった一人の熊本出身の技術者によって生み出され育まれていた会社だったとは、これまであまり気にとめることはなかった。

「できませんとは言うな~オムロン創業者立石一真」湯谷昇羊著(新潮文庫)はそのオムロンの創業者立石一真の一代記だ。
そして、その一代記を通じて日本企業のひとつのあり方を伝えることができる実に面白い読み物であった。
本書のタイトル「できませんとは言うな」は本題ではなく、この物語の本題は終盤に記されていた「人を幸せする人は幸せになる」という考え方が全編に渡って貫かれているテーマのように思えるのだ。
それは現代では多くの日本企業から消えてしまっている経営の哲学の基本であり、産業用製品でもユニークなものを生み出し続けるオムロンの秘密であるとの印象も受けたのであった。

昨日発表されたパナソニックの4万人削減計画は株主にとってのメリットを考ると企業がスリム化して収益をあげるので良いのかも知れない。株主も自分の懐も暖かくなるから満足する。しかし削減される世界4万人の人々のことを思うと、松下幸之助が泣いてるぞ、と言いたくなるような政策であるように思えるのもまた事実だと思う。
冷徹な経営は正しいのかもしれないが、ある種の違和感を感じさせるのは否めない。

立石一真は松下幸之助や本田宗一郎、盛田昭夫などとならぶ戦後を代表する経営者だったようだ。
ただ、作っている製品の分野が業務用、産業用であったため長らく人々の目に触れることがなかった。このため企業としての一般的知名度が低かった。
だから私たち一般人にはオムロンは体温計の会社なのだ。

それはともかく福祉工場を世界でも先駆けて立ち上げたり、自動改札機やATM、交通管理システムなど社会に献身するインフラ技術を率先して開発してきた企業の物語は、大震災とそれに誘発されている経済的苦境で閉塞した日本社会に大きな夢と勇気を与えてくれることを間違いない。


(写真)大阪大学吹田キャンパスの最寄り駅、阪急電車北千里駅の改札口に建つオムロンが開発した世界初の自動改札機を称えるIEEEのマイルストーン。







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まず最初に告白しておくと、この映画の見た部分は最初の15分ぐらいと、最後の15分くらい。
途中はちっとも覚えていないという、まれに見ぬ「おやすみなさい」映画になったしまったのであった。

その映画とは、ジャック・ブラック主演の「ガリバー旅行記」。

もともと日頃の仕事で疲れきっていたということもあったが、ひと月ほど前に鑑賞した「英国王のスピーチ」を仕事に疲れながら爛々とした目で鑑賞し、しかも見終わった後は感動で元気になっていたので、仕事の疲れだけが「ガリバー旅行記」が「おやすみなさい映画」になっていた原因ではないことは間違いない。

それにしてもジャック・ブラック主演で「ナイト・ミュージアム」のスタッフで製作したというからには、きっと面白い映画に違いないと思って3Dの高い料金を払ってまで見に行ったのだ。
しかも字幕スーパー英語版を見るために映画館までも厳選した。
にもかかわらず、映画は「おやすみなさい」。

面白いとかつまらない以前に、内容をちっとも覚えていない映画なのであった。

とってつけたようなCG合成だけは鮮明に記憶に残っており、その時点でお金を払ったことに後悔していたことも鮮明に記憶している。
ストーリーもとんちんかんで、ちっとも面白くない。
なんといってもほとんど覚えていないので面白くないのだ。

あまりに面白くなかったので「ガリバー旅行記」をインターネットで調査してみると、今年のゴールデンラズベリー賞の最低映画作品賞を受賞している映画なのであった。
まさにアカデミー賞作品賞の「英国王のスピーチ」とは対象を成す作品であった訳だ。

そんなことを知っていたら、見に行かなかったのに.......。

ということで、こういう映画に無駄金使うくらいなら、家でビールでも飲んで昼間から居眠りをしていたほうがよっぽどマシだったに違いない。

なお、一緒にこの作品を見に行った中一の娘は、
「うん、おもしろかった」
とご満悦であった。
少し、教育をやり直さなければならないと思ったのであった。

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かつてのアイドルは時代のシンボルであり、現代のそれとは比較にならないほどの輝きを放っていたように記憶している。
キャンディーズもまたそのアイドルのひとつであったことは間違いない。

キャンディーズが人気絶頂であった頃、私はまだまだ洟垂れ小僧の小中学生で、アイドルとしてのその魅力はさっぱりわ理解できず、
「なんか派手なお姉ちゃんたちやな」
程度にしか感じていなかった。
アイドルよりも玩具の方が興味あるという年齢で、ずっと年上の女性を「可愛い」対象にはできなかった、というのが正直なところだ。

それでもドリフの番組を中心に活躍するキャンディーズの女性アイドルグループという新しい輝きだけは感じ取ることができていたように思える。

そのキャンディーズの田中好子が亡くなったというニュースはあまりに唐突だった。
仕事に疲れて深夜帰宅して開いたインターネットのニュースを見て、愕然とした。
しかも二十年間もの間、闘病生活をしていたことなどちっとも知らなかっただけに、驚きは何倍にもなって衝撃を与えた。
私よりも年上の、キャンディーズ世代のファンのひとたちには、もっと信じられないことだったに違いない。

その田中好子死去のニュースは意外なかたちで、人の死と人の生き様について考えさせられることになった。

ちょうど羽田空港で帰りの飛行機を待っている時にロビーに置かれている大型テレビから田中好子の声が流れてきたのだ。
消え入りそうな弱々しい声で語られるその挨拶は、死の淵にあっても震災で亡くなった人々を支えようとする言葉で始まっていた。
しかも「病気に負けるかもしれません」という死を覚悟した言葉からは天国へ行っても、亡くなった被災者を励まします、という言葉に言い表すことのできない意志の強さを感じた。
私は不覚ながら空港の出発ロビーで涙が出そうになったのであった。

さらに「妹夏目雅子のようにいつの日か復活する時に」の言葉は女優でありアイドルである田中好子を喪った喪失感と悲しみをファンであった人々とファンでなかった人々の両方に抱かせた。
人の生き方、死の見つめ方を真剣に考える機会を失ってしまっている現代において、田中好子が遺した最期のメッセージテープは、一人の元アイドルの死というものでは済まされない凄みを感じた。
締めくくりの「その日まで、さようなら」の一言は、大震災に悲しみ、そして悩み苦しむ日本人にとって「生きることはどういうことなのか」ということを思い起こさせる強い言葉になったと思われてならない。

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今年のアカデミー作品賞を受賞した英国映画「英国王のスピーチ」はさざ波が寄せては返してくるような、静かだが緊張感がある感動的な作品なのであった。

エリザベス女王の父君であるジョージ六世が吃音症だったことを世に知らしめてしまった小説の映画化で、女王は長くこの作品が映画化されることを快しと感じていなかったという。
尤もなことであろう。
父親が吃音症で、しかも国家の重要人物。
誰もが知っていて、尊敬の対象であるはずの王、ともなれば間違いなく吃音はあまり誇りにならない病気だといえる。

私も子供の頃、吃音症の友達がいて、なぜその友達が普通に話せないのかよくわからなかった。
私に話しかけるときは必ず、
「あ、あ、あ、あんな。」
とどもる。
私には大切な友達だったので、それをイライラするようなことはなかったし、ましてや「どもりやんけ」と差別してしまうこともなかった。
でも、どうして「あんなー。これなー。」と、普通に言えないのかよくわからなかったのだ。

高校生の時に読んだ井上ひさしの小説にものすごくひどい吃音症の大学生が主人公になっている物語があった。
ところがその主人公はあるきっかけで吃音症が治ってしまう。
そのきっかけとは初体験。
初めて女を知った瞬間に吃音症が治ってしまうという、という筋書きなのであった。

このことから吃音症はある種の精神的抑圧から生ずる病気であることを初めて知った。
友達は精神的なストレスを抱えていて吃音症を抱えていたことをそのときようやく知ることができたのであった。

映画の中でもジョージ六世は父王から過度の期待をかけられ緊張してスピーチ原稿をまともに読めないというシーンがあったが、立場が立場だけに安穏な生活は許されなかったらしく、誠実な性格だけに気の毒な感じがしたのであった。

ところで、この「英国王のスピーチ」を見ていて気づいたのだが、英国王室というのは意外に庶民の世界と近しいことに驚きを感じた。
王の息子、日本で言えば親王である立場の人がひとりでロンドンの街を外出し、自分で町医者をおとずれることなど、今の日本では考えられないことではある。
例えば、秋篠宮様が地下鉄に乗って市井の医者を訪ねることなど考えられないことなのだ。
映画で英国王となったジョージ六世が吃音症の治療に当たっているライオネル・ローズの自宅を訪れるシーンは目黒の秋刀魚を彷彿させるような近しさをもっていた。
また、ジョージ六世の兄、つまり皇太子が女にうつつをぬかすために退位までしてしまうところは、現在のチャールズ皇太子を彷彿させて、すでにあの血はここになったのか、と思わせるものがあった。

以前、テレビの解説だったか、新聞記事だったか、落語のマクラだったかは忘れてしまったが、
「皇居のお堀は良くない。国民と皇室を隔ててしまう。そこへゆくと京都御所は遮るものがほとんどなく距離が短くていい。」
と言っていたのを思い出した。
皇居はもともと江戸城という武家のための要塞だ。
国民の心のよりどころとする皇室には相応しくないという考え方から発したものだと思うのだが、確かに、京都御所はホームセンターで販売しているような脚立程度で塀を乗り越え御常御殿までたどり着くことができる(ホントにしたら重犯罪です)ことを考えると、国民と皇室とのの近しさを考えるのなら京都御所のほうが天皇の御在所としてふさわしいことは間違いない。

ともあれ、「英国王のスピーチ」はただ単に、物語の面白さだけを感じさせるのではない、別の考えを彷彿させる映画なのであった。

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先週号の週刊新潮に札幌医科大学の高田淳教授が放射線測定器片手に私服で福島原発の玄関まで行った記事が掲載されていた。
なんでも、
「福島原発の放射線は恐るるに足りず。少なくとも原発の玄関前までは。避難する必要などまったくない。」
ということらしい。
記事には仙台あたりから原発までの放射線の実測レベルが記載されていて、「なるほど避難する必要はあるんかいな」という内容だった。

例えば原発のある浪江町で放射線レベル0.4ミリシーベルト。
福島原発の玄関先で0.059ミリシーボルト。
国際宇宙ステーションと比較すると、そこに一日乗船しているだけで1.0ミリシーボルトを受けるという。
でも、国際宇宙ステーションで放射線レベルが一般大衆に問題になったことがない。
浪江町が問題なら国際宇宙ステーションはもっと問題になるというわけだ。

それに発がんリスクが生じるのは100ミリシーベルト以上ともいうことだから、正直、政府発表よりもこっちの先生の方の信憑性が高そうだ。

そうなると、避難命令に科学的論拠はあるのだとうか、ということになる。
もし要らなければ原発事故は避難命令そのものが人災ということになってしまう。

新聞記事によると牛が3千頭、豚が3万匹も餓死しているということだから、もし過剰な避難が必要ないとなれば、これは畜産農家の経済的損失に加えて政府主導の動物虐待ということにもなる。

現状では何が本当なのか一般市民には選択しにくい状態が続いており、何を信じて良いのかわからない有様だ。

ロシアの説もフランスの説も。
そして高田教授の説も。

実のところ原発事故で避難の必要性はなかったとなれば、これまた大騒ぎの原因になる。
なんといっても共通した認識として「原子炉は安全に停止した後、トラブルを起こした」ということで、これはチェルノブイリともスリーマイルとも大きく異なるポイントなのだから。


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関空発のANAを1ヶ月ぶりに利用して羽田空港に降り立った。
窓際の席に座っていたので何時まで経っても木更津が見えてこない。

「んんん、もしかして今日は久しぶりに東京湾一周コースか」

と思っていたら眼下につり下げ式のモノレールの線路が見えてきたので千葉市上空を飛行していることがわかった。
やがて千葉マリンスタジアムと幕張メッセの建物が見えてきたので木更津コースではないことがわかった。

天気が良くて眺めが良い。
右側窓際に座ってよかった。

数分もしないうちに東京ディズニーランドが見えてきた。
モノレールが動いているのが見えたので、ディズニーランドが休業していても外周モノレールは営業をしていることを初めて知ったのであった。

「C滑走路に着陸や」

と喜んだ。
なんといっても第二ターミナル前の滑走路に降りるとANAの場合は早く到着口に接続できるので嬉しい。
特に、仕事で目的地に急いでいるときはメチャクチャありがたい。
やがてドスンと着陸。
スピードを落としてほとんど停止するようなスピードになったら直ぐ目の前の綺麗なターミナルビルの前にANAの大型機が止まっているので、

「お、今日は京急への乗り換えはスムーズや」

と再び喜んだ。

ところが良くよく見ると、ANA機の向こう側に欠けた日の丸のJALも止まっている。
さらによく見ると、大韓航空が止まっている。
さらにさらに良く見るとシンガポール航空も止まっている。
なんのことはない、国際線ターミナルなのであった。

結局第二ターミナルからは最も遠いB滑走路に関空発羽田行きのANAのB777-200は着陸したのであった。

「めっちゃ遠いやないかい」
早く乗り換えられるという期待は、一瞬にして砕かれたのであった。

で、我がB777-200機はチンタラチンタラと第一ターミナルの南側を自走して、大回りで第二ターミナルに到着したのであった。

震災後初の東京出張なのであった。

到着ロビーからエスカレーターを降りてムービングウォークのある通路へ向かった。
行く手の通路がやけに暗い。
真っ暗ではないが、なんとなくヤンゴン国際空港を彷彿させる薄暗ら~い、陰気な雰囲気が漂っているのだ。
と言ってもよくわからないかもしれないので、別の例えで説明するとUSJのジュラシック・パークで恐竜が巣食う変電所の中に入っていくような雰囲気なのであった。

「なんじゃい、看板の電灯が全部消えてるやないかい」

そう。
いつもは煌々と灯っている壁面の大きな広告看板が消灯していて、めちゃくちゃ暗くなっているのであった。
さらに天井の照明も約半分が消灯されていた。
このため看板消灯に拍車をかけて薄暗くなっており、電力不足のヤンゴン国際空港の国内線ターミナル、もとい恐竜が巣食う変電所みたいな薄暗さなのであった。
ちなみに薄暗かったヤンゴンの国際線ターミナルは数年前に日本の資金でぴんぴかぴんになっているのでとっても明るい。

出口を出ると地下のモノレール乗り場へ降りるエスカレータ2基のうち、1基が「節電のため運転を中止しています」の張り紙がベチャッと貼りつけられて止まっていた。
モノレールの乗り場もご多分にもれず薄暗く、良くよく観察すると案内看板の電灯まで消されていたのであった。

初めて体験する首都東京の節電風景なのであった。
関西からやってきた私には、今の東京は普通の都市ではなくなってしまった雰囲気なのであった。

驚いたのは仕事が終わって帰りの便を利用するために羽田空港に到着したら、来た時よりも驚いた。
なんと搭乗手続きをする2階ロビーはさらに薄暗く、おまけに人通りもかなり少ない。
とても世界第三位の利用客を誇る東京国際空港とは思えない、寂れようなのであった。

ということで、今回の震災の初めての直接接触は節電政策で体験することになったのであった。




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民主党は支持母体の中に連合や教職員組合、ピースボートなんていう団体がいたりして、普通の感覚を持った人には「なんでここが与党なの」と疑問が沸き起こってくる政党だ。

「出て行け、アメリカ」
と普天間基地移設問題をややこしくした張本人でもあり、
「自衛隊は暴力装置」
と暴言を吐いたのもこの政党の幹部だった。
その「出て行け」と叫ばれたアメリカは震災発生と同時に救援物資を載せたヘリコプターを岩国経由であの普天間基地から被災地に向かわせたのを皮切りに、第七艦隊を三陸沖に派遣して大規模な救難活動「トモダチ作戦」を展開中。
また「暴力装置」の陸海空の自衛隊は昼夜をおして物資輸送に、行方不明者の捜索活動、道路復旧作業に原発事故の収束活動と大活躍。泥にまみれて風呂にも入れず、涙しながら遺体を搬送する隊員の姿にまた感動するばかり。

双方とも被災地はもとより、ほとんどの国民から畏敬の念を持って感謝されている。

この自衛隊と米軍の正反対をやっているのが政府民主党。
普段は「世界一になる必要はない」とか「日本は侵略国家」とか、国益を損ずることばかり主張している人たちなのだ。
だから、震災、原発事故で風評被害が起きてもなんのその。

「今回の原発事故はレベル7」

政府発表の危険度レベルがチェルノブイリ事故と並ぶレベル7。
これで「日本製品は危険です」と政府自らが主張したのと代わりはない。
福島県産の野菜ばかりか、日本製品そのものが海外からケッチン食らうに十分なステートメント。
現に反日のお友達、中国や韓国なんかは騒ぎ出していてともすれば「日本から賠償を」の勢いも感じられる。

幸いなことに、外国の機関が日本政府の発表に疑問を挟んでいるのが今回の救い。
「日本のレベルは4以上5以下。7なんてとんでもない」
と言ったのはロシア。
他のまともな知識を持った国も同じようなステートメントを発表している。
「最高レベルにあげておけば、国民から文句を受ける『面倒がない』からだろう」
「日本の対応は十分以上」
とさえ指摘された。

マハティール首相の「日本、無かりせば」に似ていなくもなく、国を辱める伝統が日本社会党の残党政党・民主党に脈々と流れていた、ということだけなのかもわからない。

自虐史観でレベル7

いい加減にしてちょうだい!
ホント、はやく国政から退場していただきたいものだ。

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ヤフーのニュースサイトによると、明日民間航空機の乗り入れが復活する仙台空港にJALの鶴丸A300が羽田から乗り入れるのだという。

JALの鶴丸、仙台空港に復活

私はどちらかというとANAの利用者でJALはめったに利用しないのだが、最近のJALで何が気に入らないかというと、一時国有化されるような、かつての甘ったれた経営体質よりも、おの「欠けた日の丸」の垂直尾翼のマークが大嫌いだった。

日本のフラッグエアキャリアだったはずのJALのマークが欠けた日の丸というのは「なんて不敬な航空会社なんだ」と、大嫌いだったのだ。

それが是正されることが発表されたのは数ヶ月前。
たった数年で縁起の悪い欠けた日の丸から元の鶴丸に戻ることになった。

この鶴丸には御巣鷹山や羽田沖、ダッカやドバイなどの航空機事故やハイジャック事件など負の記憶も多いけれども、なんといってもJALの鶴丸。
32年前初めての海外旅行を今はなきパンアメリカン航空ででかけた私には、ロサンゼルス国際空港で見た鶴丸マークに感動ひとしおなのであった。
やっぱり乗るなら日本フラッグキャリア。
その時は日本航空に憧れをもったものであった。

当時、そういう感覚を持った日本人は少なくないはず。
モザンビークのPKO取材で航空自衛隊機の日の丸を目にして元気を出した日本人報道カメラマンほどではないが、海外で鶴丸は世界と日本を結ぶ、日本人に元気を与えてくれるシンボルだった。

その日本人に元気を与えていたマークが復活、津波で被災した仙台空港に舞い降りる。
こういうシーンは青い翼よりも鶴丸JALがお似合いだ。

復活JALの鶴丸と復活仙台空港。
航空ファンとしては、是非とも写真を取りたい一瞬になるのは間違いない。

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週刊新潮で連載されているエッセイに藤原正彦が先週号で「花見にいくこと」を薦めている。

私もこれには大賛成!

喜びも悲しみも知っている桜と一緒の花見はなんて日本らしくて素敵なんだろう、とさえ思った。
上野公園も大阪城公園も自粛で花見なしか宴会なし。
大阪の通り抜けも夜間の夜桜公開がないということで、無粋なことこの上ない。

震災の打撃で経済も心も落っこちている今こそ、花見でもしてドドドドドドと盛り上げなければならない時期だ。

藤原正彦はエッセイの中で第二次世界大戦中のイギリスの例を挙げ、
「ドイツ軍の空襲で自分の家が焼かれているにも関わらず、ロンドン市民はその下を走っている地下鉄のトンネルに逃げ込んで冗談を言い合い、笑いでつらさを吹き飛ばしていた」
というのだ。

日本もこういう国を見習うべきで、なんでもかんでも自粛自粛じゃつまらないことこの上ない。
誰でもそうだが、天下の回りものであるお金が回ってこなければ経済の活性化などあり得ないことだし、活性化させるためには、まず、使わなければならない。
花見はそういう意味では効果的にな消費契機で、飲んで騒いで対した金もかからず、わっと騒げばストレスも解消。
実に健康的な日本の文化的行事なのだ。

震災で苦しんでいる人がいるから、
「飲まない」
「騒がない」
「遊ばない」
震災で電力事情に問題が出たから、
「使わない」
「動かない」
「遊ばない」

では、どうにもこうにも。
まるで江戸時代の「歌舞音曲禁止令」だ。

江戸時代には昨日当選したどこかの知事のように「倹約しなければならない」などと号令をかけて世間を不景気のどん底に落とし込んだ将軍様や老中様の事例は数えきれず。
で、田沼意次みたいな「癖のある政治家」が出てきてやっと解決する、というのが歴史の繰り返し。

だいたい自粛という経済規制を自ら課して、アホちゃうか、というのがほんとのところではあるまいか。

「欲しがりません勝つまでは」
と言ってるように聞こえて仕方が無い。
負け戦か、今回は。

ということで、盛大に花見をやって、笑いで陰々滅々した空気を吹っ飛ばそう!

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