<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



実は白状すると高校生のとき、2つのカルトというか新興宗教の勧誘を受けたことがある。
一つは話題の〇〇協会。
もう一つはブロードウェイ・ミュージカルにもなったM教。
いずれも南海電車の三国ヶ丘駅の駐輪場で学校からの帰りに声を掛けられたのだ。

M教は白人の宣教師が自転車に乗って現れ、教祖なんじゃらスミスの話を始め、
「ヨカッタラ、キョウカイニキマセンカ? エイカイワ、ナラウコトモデキマス」
などと日本語で語りかけてきた。
当時は外国人が少しばかり珍しいことに加え、こういうチャリンコに乗ってウロウロしている宣教師が話題になっていることもあり興味半分で思わず話に乗った振りをしたのだった。
そもそも私は当時も今も預言者というのは信頼しておらず、なんじゃらスミスにしても妙ちくりんな人の一人ぐらいにしか感じなかった。
当時の私には外国人でスミスというと「宇宙家族ロビンソン」に登場するドクタースミスの顔が浮かんできて「悪いやつちゃうん」と思うことさえあった。
たぶん雑誌「UFOと宇宙」なんかに登場する怪しい人ではないかと思っていたのだ。

〇〇協会の方は今思えば非常に危険なことをしてしまったが、大胆にも誘われるがままついていったのだった。
すると事務所と思われるマンションの一室では大学生ぐらいのお兄さんお姉さんが待ち構えていて、いろいろな教義の話をするのかと思ったらおもむろにギターを取り出し歌い出したのだった。
「さあ、君も一緒に歌おう!」
と往年の、というか当時は最盛期の田中星児のような雰囲気でわたしにも歌えと言い出したのだった。
まさかレッツゴーヤングのような雰囲気になるとは思わなかったのでかなり驚いた。
何人もの田中星児に囲まれてギターがジャカジャカなる中、教義を歌うその歌詞も私には異次元の話でしかなかったのだ。
この後暫く、笑福亭鶴瓶がDJをしていたMBSラジオの「わいのわいの90!」を聞くたびに、番組の最後の歌で「今日の♫、天気は♪、いい〜てんき〜」と歌うところでギターの音を聞く度に、この悪夢のような陽気な歌の「雰囲気」を思い出したのであった。

そもそも当時の私は手塚治虫作「ブッダ」を愛読していてお釈迦様の人間味溢れる大河ドラマにどっぷりと浸かっており、仏教という宗教ではない哲学に大いに感銘を受けていたところだった。
このため他の宗教、ましてやカルトが入ってきても単なる物見遊山以外のなにものでもなかったのだった。

そのカルトがまたまた大きな社会問題になっている。
カルトが組織票を駆使して政治を操ろうとしていることが明らかにされて政界に激震が走っている。
とりわけ与党の1つはかなり狼狽しているようだが、そもそも選挙を軽く考えている国民全員に問題があるのだと思われてならない。
投票率が低いため組織を動員した方が当選するというセオリーが成り立つためにカルトや労働組合など、社会的にいかがなものかと思えるような連中に左右されることになるのだ。
安倍さんもまさかこんなことで自らの命を失うとは想像することはできなかっただろう。

仏教、キリスト教、イスラム教。
きっちりと教義が熟して人の生きざまにしっかりと良い傾向を与えている哲学を持つ宗教は重要だ。
でも金集め、政治操作、強欲を満たすために犯罪に類す活動を行っている集団は宗教ではない。
その点、しっかりと区別すべきではないだろうか。


コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




メジャーリーグ・エンゼルスの大谷翔平がベーブ・ルースの記録に並んだ(実際は勝数がまだ少ない)ことが本日のトップニュースになっている。
岸田内閣の改造でも、その内閣改造発表のウラでコソコソと開いたオウム真理教に匹敵するカルト宗教の記者会見でもなくトップニュースが大谷翔平というのは、ここんところ碌な話題がなかった日本にとっては目出度いトピックなのだ。

この大谷の頑張りのなかで目立つのが実況中継をしている米国アナウンサーの「SUGOI!」という叫び。
確かにイチローのときも、その職人技的な野球技工に度肝を抜かれたはずだろうが、今の大谷の活躍は力技で見せるアメリカ人が喜びそうな一発が日本人のイメージを変えているのだろう。

SUGOIに刺激されて日本の若者がドドドっと世界に出ていけばいいな、と思う、今日のトップニュースなのであった。

それにしても私が子供の頃は野球少年といえばジャイアンツかタイガースの野球帽をかぶっていたが、一昨日なんか少年野球チームの連中の何人かが赤い大谷Tシャツを着ていた。
もう野球少年の目指すものは国内ではないのかもしれない。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




自宅をオフィスにして仕事をしている私。
大阪空港でパートをしているカミさん。
駅までの送り迎えは当然私の役目ということになる。
カミさんは早番のときは始発で出勤すると午後夕方での電車で帰ってくる。
最も暑い時間帯だ。
私は車を繰り出し駅まで迎えに行くのだが、昨日ふと気がついたのが「歩きスマホ率」。
駅チカを歩行者に気をつけながら運転していると、どいつもこいつもスマホを見ながら歩いていることに気がついた。
なんだ、なんだ!
という感じだ。

歩道を歩いている者も、路側を歩いているものを、堂々と道のど真ん中を歩いている不貞な輩も、大多数がスマホを見ながら歩いている。

以前、スマホを一生懸命見ながら歩いているヤツの画面が見えたことがあった。
地図でも見ながら歩いているのかと思ったらゲームをしているのだ。
わけがわからない。
歩く時間はゲームの時間か。

正面から近づいてくるものへの配慮はまるでなし。

以前、オーストラリア人の友人が、
「うちの国じゃ車道を歩いていて車に轢かれても文句は言えんよ。なんだい、ここは」
と言っていたことがある。
歩きスマホをしているヤツと車でぶつかっても運転手は無罪ということにすると歩きスマホが無くなるんじゃないか。
そんなこんなを考えてしまった歩きスマホ率8割の光景なのであった。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




米国SFテレビドラマ「スター・トレック」で通信士官のウラ中尉を演じていた二シェル・ニコルスが先月末、亡くなった。
享年89歳。
私の母より1つ年下なのであった。

日本ではあまり報道されていないが、このニシェル・ニコルスは米国では非常に影響力のある女優さんであった。
というのも、彼女が演じたスタートレックのウラ中尉という役どころが1960年代終盤の米国社会に於いて非常に重要な立ち位置にあったというところが実に大きかった。
彼女は黒人であり、女性であり、若く知性があり、極めて有能である、という設定だった。
異星人との接触に押すれること無く任務を遂行。
ブリッジのメンバーとして地味だが常に冷静で大きな役目を果たしていたのだ。

このドラマが放送された当時の米国は、そうではなかった。
黒人はやはり差別の対象であり、重要な役どころにつくことはできない。
女性もそう。
そんなリアル社会の中にあってウラ中尉のキャラクターは若い女性、とりわけ黒人やマイノリティーの人々に大きな影響を与えたのだ。

宇宙をパトロールする宇宙船という設定ながらも黒人女性が活躍する姿は他のドラマや映画には未だ無い時代で、そんな彼女の役割が人々に勇気を与えないはずはなかった。
女優のウーピー・ゴールドバーグは彼女を見て女優になることを決心した一人だ。
またサリー・ライドを始めとする女性宇宙飛行士たちもその影響を受けウラ中尉と同じ職場を目指したのだ。

スタートレックは彼女のキャラクターだけではなく、そこに登場する多くのテクノロジーの具現化を目指して、多くの科学者や技術者が影響を受けながら一つ一つ実現してきている。
米国の技術立国の側面を支えているドラマの1つと言えるのだ。

ふりかって日本にはそういうドラマがほんとんど存在しないことに気がつく。
あのドラマを見て医者を目指しましたとか、政治家を目指しました、ということをなかなか聞くことがない。
踊りに影響を受けて家族で踊ってみました、というのはあるけれども社会現象にまでなるようなものがなかなかない。

ドラマ、映画、文学、その他。
社会に与える大きなインパクを持つ社会問題解決への方法やテクノロジーへのイマジネーション。
そういうものが、コンテツに求められるのではないか。

ニコルスの死去で改めて考える、ドラマや映画の存在は、そういうところに本当の価値があるんじゃないかと思えるのだ。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )