<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



新聞報道によると2013年の国内映画興行収入は洋画が最低で邦画が最高だったのだという。
洋画では目立つヒット作はトム・クルーズの「ミッション・インポッシブル」だけで、後は泣かず飛ばす。
一方邦画の方は海猿シリーズを始めヒット作が目白押し。
洋画にとってはお寒い結果となった。

私が十代の頃。
つまり1970年代後半から80年代前半にかけて映画といえば洋画であった。
それもアメリカ映画が主体で、ハリウッドの大作主義が幅を効かせていた一方、同じくハリウッドの粋な中小の作品がたくさんあった時代で、どれもこれも個性豊かな映画が揃っていた。
スピルバーグやルーカスと言った若手の監督の作品がとりわけ目を惹く一方、ジョン・ヒューストンやウディ・アレンといった非常にユニークな作品を生み出す監督がそこここに存在したものであった。
SF映画の特撮は群を抜いているし、音楽はナイスだし、俳優陣には格好いい人が本当に多かった。

一方日本映画といえば、中途半端な作品が多くて、中でも「巨匠」と呼ばれる人々の映画には見るに耐えない内輪受け映画が氾濫し、とてもエンタテーメントを楽しめる雰囲気ではなかった。
エンタテーメントといえば、テレビとのコラボもこの頃から存在したのだが、なんといっても作られる映画のスケールまでテレビサイズだったから、「南極物語」を始め見るに耐えない作品が少なくなかった。

あれから30年。
アメリカ映画はその国の国力と比例して弱体化し、アイデアも乏しくなってしまい、1.2.3.4.と寅さんシリーズよろしくシリーズ物ばかりが登場する。
斬新さを売り物にするハリウッド形式のドッカーン!という映画も少ないが、かといって「洒落たニューヨーク」「奇人の町サンフランシスコ」といった雰囲気を醸し出すような小作品も少なくなってしまった。
オマケに若者の「文字離れ」が著しくなったとかで、洋画までも日本語吹き替え。
劇場の臨場感ある場所で、アニメの如き日本語吹き替えの映画を見たくなるものかどうか。
非常に疑問になる映画市場が現出している。

ということで、洋画冬の時代。
映画は知的なエンターテイメント。
字幕の洋画、日本語の邦画にしたら、洋画も本来の楽しさが復活し、元気のいい邦画とともにきっと日本の映画産業を支えてくれるに違いない。

と、映画人でもない私は勝手に考えるのであった。

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日本製品は多機能万能で小型で省エネ。
私たちの生活に夢を与えてくれた様々な機能が日本の工業製品には組み込まれていて、それがまた西側先進諸国では市場を席巻してきたことは70年代以降を知るお父さん、お母さん世代の記憶だ。
電気製品は品質の頂点を極め故障しないし長寿命。
自動車はついにガソリン不要で家電のように自宅の電源で動くものまで登場し始めた。

でも、日本製品は売れにくくなった。
なんでだろう?と思っていたら、市場のニーズにを超越し、とりわけ新興国では欲しくもない高機能で高価格の製品に成り果ててしまっていたのだ。
それに為替レートが追い打ちをかけ、なんの発想もなく日本や米国のコピー製品を作っている韓国や中国に押されっぱなし。
元アイドルの小泉今日子まで中国家電のCMに出演する時代になってしまった。
情けないことこの上ない。
で、どんな製品が市場で売れているかというと、

「芋を洗える洗濯機」
「冷房機能だけ温度調節機能なしのエアコン」
「電気が来てなくても灯るライト」

なんかが売れているという。
でも、こんな製品は日本でも米国でも欧州でも必要ない。
新興国を中心とした発展途上国で初めて生まれるニューズなのだ。

このように発展途上国で開発されて、その土地でメジャーになる製品が最近は少なくないという。
土地の人の収入、風土、教育レベル、インフラ状況を把握して初めて売れる商品が生まれるという、この当たり前の事実に気づかない人が意外に多いのが今の日本。
昭和一桁が頑張った日本での成功事例が途上国で通用すると思うのが間違いで、それがドツボにハマる大きな原因になっているのだという。
考えてみれば昭和前半の日本は発展途上国ではなく、戦に負けた先進国。
ビンボーだったが今の途上国とはかなり違うのに、なかなか気づかない。
これも、戦後教育のなせる技かも知れないが、それは余談。

この途上国で生まれた製品が、最近は世界に広まり新しいトレンドを作る牽引役になっていることがあるという。
この現象は「リバース・イノベーション」と呼ばれている。

ゴビンタラジャン、トリンブル共著「リバース・イノベーション 新興国の名もない企業が世界市場を支配するとき」(ダイヤモンド社刊)は、そんな途上国発信の製品が世界に名だたるグローバル企業を脅かし、その経営戦略を変えてしまうという、驚くべきだが、よくよく考えてみると当たり前のことが事例を持って記されており、なかなか興味あふれるビジネス書であった。

私のように中小企業で働く人にとってグローバル企業の直面している問題など、関係ないと言いたいところだが、私はそれは全くの間違いだと思っている。
例えば、中小企業でもメインの業種が危機に面した時のために、他の事業に手をだすことがある。
私の仕事がまさにそれなのだが、その時に、自分の会社が曲がりなりにも発展してきたプロセスを新しい事業に応用すると得てして失敗することが少なくない。
市場に対する無知や、思い込みが大きく影響するのだが、このパターンがグローバル企業の途上国での失敗と酷似しており、大いに参考になる一冊であった。

なお、最終部分で途上国からのリバース・イノベーションが半世紀前の日本や韓国からのそれと同列であるようなことが書かれているが、これは心外であろう。
というのも、先述したように韓国はともかく日本は敗戦した先進国。すくなくとも列強の1つだったわけで、イノベーションしたというよりもデベロープしたもののほうが遥かに多い。
外国人が今もって日本を理解しきれていないこともよくわかったのであった。

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1993年に製作された日本映画「僕らはみんな生きている」は真田広之主演のコメディなのであった。
詳細は正直忘れてしまった感があるが、「面白かった」ことだけは覚えている。
劇場で見ずにビデオで鑑賞すると、かなりの割合で印象がこのようになってしまう。
やはり映画は劇場で見なければならない、な、吉田くん。

この映画、コメディなのだが、妙にリアリティが溢れていたこともなんとなく記憶に残っている。
というのも、当時は確かソビエト連邦が崩壊したばかりで世界中政治情勢が少しばかり混沌としていて、とりわけ東ヨーロッパで革命に近い社会変化が発生していた。
おまけに東西冷戦が集結すると、国際パワーバランスも崩壊し、東西対立よりもキリスト教対イスラム教の図式が鮮明になり始め、イラクのクウェート侵攻に続く湾岸戦争が展開されたりしたのであった。

湾岸戦争では日本人を含む外国人がフセイン政権に体の良い人質に取られ、アントニオ猪木などの説得によりやがて救出されるにおよんだのであったが、当時の日本政府はアホの限りを尽くしており、邦人救出に自衛隊はおろか日本航空さえ派遣することが出来ない体たらくであった。
日本人の多くは自力で、或いは米国や英国など同盟国の力を借りてトルコやシリアに脱出。
海外の自己防衛も完全なDo it yourselfというホームセンター状態なのであった。

だからといってはなんだが、
「そんな国で住んでたら、また旅行で滞在していたらどうなるんだろ?」
という疑問を日本人なら誰もが持ち始めたのも当然なのであった。

で、この映画はかなりタイミングの良い映画であった。
凡そはコメディなのだが、実をいうとシチュエーションはあまり笑えないコメディで
「アジアの某国でクーデターが発生し、そこに駐在していた日本人商社マンやメーカー社員がいかにして、そこを脱出したのか」
というのが面白おかしく描かれていたのだ。

翻って現在。
なんでこの映画を話題にするのかというと、アルジェリアのプラントを襲って17人もの日本人を含む50以上の外国人が人質として拉致されるという事件が発生し、世界中を驚かせているからなのであった。
報道からの情報はまだまだ混沌としていて、どうやら日本人の中にもお亡くなりになってしまった人もいるようだ。
恐ろしいというか、なんというか。
海外駐在のリスクを一気に見せられたようなトンデモ事件なのである。

もし、年末に総選挙が実施されずに民主党政権のままだったら、もっとひどいことになっていたかもしれない。
もしかすると日揮の社員さんたちを救出するために費用も、
「なんで一番に救出しなければならないんですか。二番じゃだめなんですか」
と言われたり、
「戦争反対!危険な地域に行くことはできません」
と理解不可能なスローガンで見殺し優先政策を取られていたかもわからない。
幸いにも安部総理は大切な東南アジア歴訪も中止し、帰国。
事態の把握に向けて陣頭指揮にたっているようだ。
ただ、たっているからといってどうしようもないのが現実化もしれないが、救出費用を予算切りしそうな民主党に比べるとはるかにマシと言えるだろう。

ということで、海外で活躍する日本人は数百万人。
いつ、どこで、だれが、同じ状況に立たされるかわからないので、国はしっかりとやっていただきたいと思いつつ、映画を思い出したのであった。

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まだ72歳だったんだ。

元横綱大鵬が亡くなった。
このニュースはB787トラブルのニュースをぶっ飛ばすだけのインパクトが、もしかすると大鵬が現役力士だった時に子供だった私たちの世代にはあるかもしれない。
まだ72歳。
意外な若さを改めて確認すると、
「少し、早すぎるんじゃないか」
と残念な気持ちでいっぱいになる。

今は殆ど見なくなった大相撲だが、私は子供の頃から千代の富士が活躍していたころまで、大相撲は大好きなのであった。
昭和30年代の終わり頃に生まれた私にとって、生まれて初めて応援した力士は柏戸であり、大鵬なのであった。
親の話によると、家でテレビで相撲を見ていて大鵬が負けるたりなんかすると、私は地団駄踏んで悔しがっていたという。
今では全く覚えていないのだが、それだけ当時の大相撲は大鵬一色で、本当の意味での大相撲のスター選手なのであった。

翻って今の大相撲は一連の八百長事件で人気のレベルはかなり小さくなってしまった。
私はすっかり興味さえ失ってしまっている。
以前、ある食事会で横綱になる前の白鵬の隣のテーブルに座ったことがあったが、憧れ感は全く生まれず、「良い若者だけど、自分のほうが強いんじゃないか」なんて思ってしまうくらい、関取に憧れを感じなかった。
むしろ難波の駅ですれ違った元若島津のほうが、魅力的で外国人力士ばかりが隆盛している大相撲には魅力を感じないのが正直なところだ。
さらにスポーツというよりもショーに近い取り組みに違和感を感じてしまい、魅力を感じなくなってしまった悲しさもある。

大鵬死去のニュースは外国人でも八百長でもない真の横綱の死去であり、相撲最盛期の終わりを宣告する。
そんな悲しさも含んでいるように思えてならないのだ。

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板東英二が脱税をしていて、悪質だからテレビに出すのは禁止だよ。

という記事がここのところ芸能欄を騒がせているけれども、脱税はだめでも談合は良いというのが、芸能マスメディアの倫理なのだろうか。
というのも、板東英二は脱税で国をちょろまかしたわけだが、みのもんたは談合で横浜市に損害をかけた過去があり、その時に一部の週刊誌を除いてほとんどだれも、
「みのもんた、テレビ・ラジオから追放!」
なんて叫ぶことがなかったのだ。

だから、この世界、つまり芸能界のルールでは脱税は悪だが談合はOK、という倫理があるのかもしれない。

それにしても形式ばかりの良し悪し論議には辟易とするものがある。
板東英二が脱税をしていて罰せられる。
これは当然のことであり、いかに元中日ドラゴンズの選手であったとしても阪神タイガースファンの私には関係のない話でもあり、優遇する必要はまったくない。
税務署を怒らせると恐ろしいことは、かのアル・カポネも身をもって知っているくらいだ。

ところが、ここの妙ちくりんなパワーバランスが存在して、名古屋のテレビタレントは☓だが、首都圏のタレントは○なんて理論が、もし万が一まかり通っていたりしたら、それはそれで正義に反する。
板東英二罰するのであれば、水道メーターの談合で摘発された会社の社長たる(当時)みのもんたが罰せられても当然ではないかと思えるのだが、現実は違うようだ。


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民主化で突如脚光を浴びているミャンマー。
私はこの国が大好きで、最近頻繁に新聞やテレビで取り上げられるのを嬉しく感じている。
日本企業の相次ぐ本格的進出やミャンマーによる対中国貿易の制限や日緬友好に関する数々の話題。
話題の大多数がポジティブな内容であふれているが、例えば西部の諸州で展開されている仏教徒とイスラム教徒の衝突や北部で展開されている少数う民族との衝突には民主化の副作用とはいえ痛ましい限りだ。
とはいえ、このミャンマーに共通するのは敬虔な仏教徒であることと、日本人にきわめてよく似たメンタリティー。
これらが親近感を感じる大きな原因だが、最も大きな理由はとても親日的な国だということだろう。

軍政の時代から日本語を勉強している若者は少なくないし、手本にしているんは日本なので、乏しくとも識字率は高くてほとんどの国民が読み書きできる90数%。
日本人とわかると話しかけてくる、あのフレンドリーさは他のアジアの国でも体験するが、ミャンマーが最も大きいかもわからない。

こんな親日になった大きな理由が日本がミャンマーの独立に大いく影響しているから。
日本人の多くは忘れてしまっているが、ミャンマーの独立義勇軍を編成したのは日本で、最初の一時的な独立は日本の支援で成し遂げた。
終戦直後に連合国側についたが、戦後の日本が国際社会復帰できるように最も奔走してくれた国の1つもミャンマーだった。

この戦前戦中戦後のミャンマーの重要な政治を担ったのがアウン・サン・スー・チー女子の父であるアウン・サン将軍。
当時、リーダーだったアウン・サン将軍は同志30人と日本に密航し、面田紋次という日本名を名乗って軍事訓練、政治教育などを受け、やがてタイへ潜入。
バンコクでビルマ独立義勇軍を編成し、日本軍の支援のもとに英国軍を駆逐。
ラングーン、のちのヤンゴンに凱旋した。

アウン・サン将軍の日本での教育や政治活動、海南島での軍事訓練については後の独裁者ネ・ウィンなどの著作に多く記されているが、厳しい訓練の中でも充実したものがあったという。
国家の独立に命をかけた彼らの志は、きつい訓練をも凌駕して、たくましく尊敬すべきものに違いない。

このたくましく、現在でもミャンマーの人々の尊敬やまないアウン・サン将軍はじめ30名の志士がたったひとつだけ、日本人を許せないものがあるという。
それは、軍事訓練中に頻繁に行われた「ビンタ」による体罰だ。
日本軍、とりわけ陸軍はこのビンタを始めとする体罰で兵隊教育を実施していたことは、例えば司馬遼太郎の著作の中でも時々読むことが出来る。
体罰のひどさに、司馬遼太郎は「日本の破滅の原因は陸軍にある」という意味合いのことまで語っているくらいだ。

この体罰はアウン・サンやネ・ウィンたちも許すことができなかったらしく、昭和50年代に書かれた書物にも、志士の生き残りたちの証言として残っている。

その体罰で高校生が自害した。
大阪府立桜宮高校の運動部の学生が、顧問による度重なる体罰と、精神的脅迫で遺書を残し自害してしまったのだ。

ニュースの経緯は大きく報道されているが、このニュースを聞いて驚くような発言をする人が少なくない。
「生徒の精神が弱かったのではないか」
「体罰ぐらいなんだ」
「これでは先生が指導しにくくなる」
といったトンデモ意見なのだ。

体罰を擁護する意見は日本陸軍が繰り返した「ビンタ」の洗礼と何ら変わらず、そのために国は戦に敗れ、陸軍は解体。
多くの人に苦しみを与えた。
ちなみに海軍は存続して今そのまま海上自衛隊と名乗っている。

以前にも教育現場での体罰に賛成するような意見をしていた橋下徹大阪市長も遺族を訪問し、2時間も対談。
「自分の考えが間違っていたことがわかった。あの年代の少年が家族に宛てて遺書を認めるということを考えると、張り裂けんばかりの気持ちになる」
という意味合いのことを涙をにじませて語ったという。

教育には体当たりの部分も必要だろう。
我が子をパシッと叩くこともある。
でも、意味のない「体罰」は何も生まない。

体罰という文化。
アウン・サンのみならず、誰からも感謝されない教育は、教育ではない。

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B787のトラブルが今日も新聞を賑やかしている。
なんでも操縦席の窓ガラスが割れたんだとか。
そんなことがニュースになるのは、ヒコーキ知らずの新聞屋さん。
鳥がぶつかったり、雷が落ちたり、飛行機はとかくトラブルがつきもので、万一ヒビが入ってもいいように5層ガラスになっているのが、何よりも安全設計の証拠でもある。

とまあ、昨日は散々に「B787は危ないんじゃないか」と書いたものの、オイル漏れやバッテリーの損傷といった一連のニュースを聞いていて、今から20年以上前の連続初期トラブルのニュースを思い出した。

主人公は300系のぞみ新幹線。
シンデレラエキスプレスの名前を轟かせ、名古屋を通過する初めてにして最後の新幹線としてデビューした300系のぞみ号は、そのころ「ボルト抜け落ち」「ブレーキ故障」などなど数々のトラブルが報道されて、
「やっぱり時速270kmなんて危ないんじゃないの」
と今回のB787のような扱いをされたのであった。

で、実際に人身事故があったかというと、東海道新幹線は今も無事故で走り続け、ついに来年50歳を迎える。

というようなことを考えていたら、やはりB787もまた複雑怪奇な設計故に初期トラブルも多いんだろうと、とりあえず納得することにした。

ということで、週明け一番、飛行機で東京へ出張します。

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B787がおかしい。
おかしい、というのは「面白い」という意味ではない。
トラブル続きで「変だ」という意味なのはいうまでもない。

飛行機の安全性に関する統計によると、飛行機は機種が新しいほど事故を起こす確率が少ない。
たとえばエアバスA320で事故に遭う確率は100万回に0.13回。
4000年間毎日乗って1回事故に遭う確率だ。
驚異的なのはB777で0回。
1996年の就航以来人身事故0の旅客機で空飛ぶ新幹線的安全性を誇っている。

これに比べて今はなきいにしえの超音速旅客機コンコルドは11.3回。
飛行機は新しいほど信頼性が高いのだ。

ということはボーイングの新鋭機B787はB777のそれを上回らなければ意味は無い。

機体はカーボンファイバー。
窓は1.6倍の広さで上昇下降しても客室内は気圧の変化も起こらない。
静かで快適。

そんなB787に連続してトラブルが発生。
正直、乗るのが怖くなるようなトラブルだ。

一昨日、ボストンの国際空港でJALのB787が電気系統に異常を来たしボヤを発生。
昨日は同じ空港で、JALの別のB787が燃料タンクのキャップが外れて燃料漏れ。
今日は今日とてANAのB787がブレーキ系統に異常をきたして山口宇部空港で欠航。
一体全体どうなっているのか、大いに心配になってくる新鋭機なのだ。

昨年日経だったか何かの雑誌新聞の記事でB787の最新技術について書かれていたものに目を通したときのと。
そこには数々の自慢機能と併せて機体の問題点も指摘されていた。
たとえばカーボンファイバー製の機体は軽くて丈夫だが、紫外線に弱くて硬化しやすく、硬化すると安物の塩化ビニールのように「パキッ」とひび割れるという。
電気系統のトラブルは開発段階から発生していて1号機がANAに引き渡されるちょっとまえに飛行中に火災が発生。
納期が遅れる原因になった。

ということで、昨年私も伊丹空港から羽田までB787に乗って「こりゃ快適!」と喜んだのであったが、飛んでる途中に燃料が漏れたり、火を吹いたらシャレにならないので、暫く静観したいと思っているところなのだ。
35%の部分が日本製のB787が「車輪の出ないことで定評のあるボンバルディア機」みたいにならないことを祈るばかりだ。

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毎年お正月は家族で映画を見に行く事にしている。
昨年は何を見に行ったのか忘れてしまったのだが、今年は忘れようにも忘れられない「007」を見に出かけたのであった。

私に限らず一般の人々にとって「007」と言えば映画のシリーズ物でも定番で、ショーン・コネリーの昔からお正月や夏やすみといえばボンド映画がスクリーンに登場し、劇場に足を運んだものだ。

私が劇場で初めて見た007は「私を愛したスパイ」なのであった。
この映画は、当時かなりの話題になっており、その幾つかを紹介すると、
1.リチャード・キール演じる「ジョーズ」
2.水中にも潜れるボンドカーの登場
3.ソニー社製TVモニタ、セイコー社製デジタル腕時計などの日本製品が画面に続々と登場
4.カーリー・サイモンによる主題歌
などがあげられる。
とりわけ当時世界を席巻し始めた日本製品がピックアップされたのは70年代後半の時代ならでは。
今ではパナソニックさんやシャープさんの危機が伝えられる時代になっていしまったが、当時は日本企業はイケイケドンドンで中国は文革の真っ最中、韓国は軍政のできそこない、東南アジアが日本の工場になり始めた、そんなころでアジアそのものは大きなライバルどころか市場でさえ無かった時代なのであった。

そんななか、当時中学生だった私はクラスの友達と二人で千日前の東宝敷島に出かけてこの映画を見たのだったが、斬新でジョークも冴えたこの映画、ホントに面白いと思ったものであった。

時は流れて約40年。
007初体験の中2の娘を伴っての「スカイフォール」は娘のトンチンカンな質問攻めに遭いながらも、相変わらずのスリリングで面白い作品に仕上がっていたのであった。
で、その娘の質問というのが面白い。
1.007ってルパンとどうちがうん?
    娘はスパイはルパン三世のような泥棒と一緒だと思っていたようなのであった。
2.スパイって何?
    これは親に責任がある。スパイについて、とりわけMI6について説明したのは言うまでもない。
3.007って名前ないん?
    ジェームズ・ボンドも知らなかった娘については、これも親の責任だ。じっくりと教えてやったのはもちろんだが、映画をもっと見せなければと反省したのはいうまでもない。
4.007ってミスターインクレディブルの真似?
    これは音楽が似ているという意味なのだが、ピクサーアニメーションの方を先に見てしまっている必然性の帰結とはいえ、ボンドのテーマを詳しく説明したのも言うまでもない。

ともかく、娘にとっては007初体験で大いに興奮した様子で、
「ミッション・インポッシブルみたい」
という評価はなかなかではあるのであった。

この007,私たちはIMAXシアターで鑑賞したのだった。
このIMAXシアターは最近は大作といえば3Dになっているのが普通なのだが、「007 スカイフォール」は2D。
CGをCGと感じさせないテクニックと、超アナログチックなアクションが絡み合い、見事に楽しめるスパイアクション映画はIMAXの大画面の魅力が、実は3Dよりも2Dの方に発揮されることを如実に物語る良き例となっていたのだ。

007、次回作が楽しみだ。

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