<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



CNNにネット記事にスペースX社のCEOイーロン・マスク氏が、
「火星への有人飛行は生きて帰れないかも」
と言ったとか。

これはかつての南極探検や北極探検になぞらえた発言で注目されているが、飛行士が生きて帰れないような計画を米国や欧州連合、日本などの先進国家が承認するわけはなく、このような無謀に挑戦させるのはロシアか中国ということになる。
ということは、人類最初の火星上陸が中国人かロシア人で現地にはプーチンや習近平の肖像が翻るのかもしれない。
そんな計画を宇宙船を作っている会社のCEOが語るなんて。
きっとこの人はトレッキーではない。
ロシア人かもしれない。

実はロシアにはそういう無謀なことをやった前科がある。
ソユーズ1号が打ち上げられるとき、その宇宙船は地球に帰ることが技術的に無理だったにも関わらず米国との競争に勝つという威信があり、発射。
結果的に唯一の乗組員だった船長のウラジミール・コマロフはパラシュートも開かず減速もできないソユーズの帰還カプセルの中にで管制センターを罵りながら地上に激突。
カプセルは30m近くものめり込んだという。
管制センターとの交信は録音されていてYoutubeで聞くことができる。
なお、音声はロシア語なので何を言っているのかわからない。

これは宇宙開発史に残る最大の悲劇の一つだ。
もっと大きな事故、例えばチャレンジャーやコロンビア、アポロ1号の事故はあるものの、いずれも不可抗力によるものだった。
わざわざ死ぬことがわかっていて旅立ったのはソユーズ1号だけ。

そういうことで「帰れないかもしれない」火星旅行を口にするCEOがいるスペースX社というのはなんなんだ。
もっと夢のあることが言えないのか。
企業の威信であるのなら、技術を持っていてもこの会社は危険だ。


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吉本新喜劇の人気俳優・チャーリー浜が亡くなったというニュースは昭和40年代から50年代に小学生、中学生だった私のような世代の関西人にはそれなりにショックだったに違いない、
というものあの大好きだった吉本新喜劇が遠い記憶の彼方に去ってしまうようでとっても寂しく感じられるからだ。
つい昨年末にチャーリー浜と同じ頃に活躍していた船場太郎が亡くなっている。
もはや私ら世代が親しんだ吉本喜劇役者で現役の人はほとんどいない。

岡八郎(2005年没)
花紀京(2015年没)
原哲男(2013年没)
中山美保(2017年没)
山田スミ子(2019年没)
木村進(2019年没)
などなどなど。

土曜日の午後。
学校から帰宅してテレビを点ける。
しばらくすると吉本新喜劇が始まって毎回同じネタなのに笑っていた。
それがなんとも平和で楽しく、その時覚えたギャグを覚えて学校で使った。
チャーリー浜こと浜裕二の、
「ごめんくさい」
は利用しやすいギャグのひとつ。
船場太郎の「せん、ばたろうです」とか「クエ〜」は今は彼方。
岡八郎の「くっさ~」は真似するにはかなり難しく、花紀京は定番ギャグがない真似できない凄い面白さがあったものだ。

懐かしの吉本新喜劇。
当たり前だが生で見ることのできない寂しさは結構大きい。


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もうこうなると既存のメディアは要らないじゃないか。
とりわけ地上波テレビや新聞なんてメディアはもう時代遅れで廃止すべき存在なのかもしれない。
廃止することのメリットは小さくない。
地上波テレビを廃止したら空いた電波スペースを携帯端末やデータ通信に利用でき、現在よりも有意義に利用できることこれ間違いない。

「メディアは言論の自由を守っている」

と声高に叫ぶ可能性もある。
けれどもすでにネットのほうが言論が自由であり、自由すぎて無責任な発言をして検挙されている人が出てるぐらいだからネットを使った放送の方が放送法にも縛られず有意な番組提供ができるはずだ。

で、なんでそんなことを思ったのかというと一昨日の菅首相の緊急事態宣言発令に伴う記者会見で記者たちの質問を聞いたからだ。

まったくもってどいつもこいつも、どこかのE党首と同じで質問内容は小学生以下。

たとえば
「前回の非常事態宣言解除は早過ぎたんじゃないですか」
とか、
「また休業を余儀なくされる飲食を中心にする人々に対してはどう言い訳をすんですか」
とか、ホンマにほんま、アホかいななのだ。

テレビを見ていると、
「早すぎたって結果だけ見て叫ぶなボケ!」
とか、
「飲食の人たちの生活を脅かしてんのはお前らや」
と野球中継を見ているようなヤジを飛ばしてしまいそうになる。

これらが大手新聞や準大手新聞の記者たちによる質問だから呆れを通り越して悲惨でもある。
メディアには東大や早稲田なんてトップ大学を出た御仁もいるわけで、そういうところで何を学んだか、質問するのはたんなるイチャモン。
一体誰の差し金なのか警察に調べていただきたいぐらいだ。
もしかすると防衛庁やJAXAの機密情報を盗もうとした某国の陰謀の可能性もあるので要注意でもある。

そんな中、まともな質問をしたメディアがひとつだけあった。
ニコニコ動画記者。

そもそもニコニコ動画に記者がいたなんてことを知らなかったし、それが記者クラブに入り込んでいることも知らなかった。
私は正直かなりびっくりした。
場違いじゃないかと思った。
例えば宝塚歌劇で男優がオスカルを演じるくらいの場違いに驚いたのだ。
さらにメディアとして最もまっとうな質問をできる記者がここなんて。
地上波メディア終焉を強く感じることになったのは言うまでもない。

各社が首相の失言を引き出そう。
愚衆の言動を煽って視聴率を稼ごうとばかりして、前述のようなアホウな質問を繰り返す中、

「ニコニコ動画です。リモートワークを実施して新しい働き方を考えなければならないことがこの一年間の流れですが、それに十分対応できない企業がまだ多くあります。この状況を政府としては今後どう対処されていきますか・」
というような趣旨の質問なのであった。

ネット系企業だからリモートワークには興味がある分野かもしれないが、政府がホントに対処しなければならないもののひとつがネットワーク環境の整備とそれの推進で、とりわけ緊急事態宣言下というかコロナ禍でこの質問は非常に重要なポイントを付いていたのだ。

菅首相にも医療の現場でも製薬会社にも感染症の専門家にも誰にも100%確かなことはわからないコロナの変異やその拡散についてぎゃあぎゃあ言ってる新聞記者よりよっぽどまともな質問なのであった。

そもそもテレビや新聞が市民、つまり視聴者や読者に向かって、
「コロナ感染が広まっています。外出せずに、出歩かずにできる限り自宅で過ごしてください」
と呼びかけたことが一度でもあるのか。
「みんな正常な生活を取り戻すために協力しましょう」
なんて言っているのを聞いたことがない。

いつも、
「今朝の渋谷の人出です。」
とか、
「大阪なんばの様子です」
「夜、公園での飲んでいる人がこんなにいます!」
とは伝える。
でも大勢が横断歩道を歩いている光景を写しながら、
「外出しちゃいけません。このようなことにならないようお願いします」
「みんな飲じゃだめです」
と言ったメディアがひとつでもあるのか。

コロナ禍。
それをどのように協力して終焉させるのかを訴えもせず首相にアホウな質問を繰り返すだけの既存のメディア。
これを機会に地上波メディアや衛星放送をリセットしたらいかがか。
携帯電話が通じやすくなるし、代わるのメディアはニコニコ動画みたいになんぼでもあるのだから。




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国道26号線を和歌山方面に走っていて交差点で停車。
ふと左手を見るとTSUTAYAが閉店していることに気がついた。

ここ数年、書店の閉店が相次いでいてTSUTAYAも例外ではない。
この地域では数年前に1店舗は店を閉じ、そしてまた今回この店が閉店。
もともとこの店は書店としては営業しておらずレンタル専門店だったので私は立ち寄ることがほとんどなかった。
CDもビデオも10年少し前までは借りることも少なくなかったが、借りると当然だが返却しなければならず面倒くさいので借りなくなってしまっていたのだ。
そこへ最近はネットでの配信が盛んになって借りなくても定額で何曲でも聴けるとなるとお店へ行ってわざわざ「ブツ」を借りてくるなんてことは無くなってしまっていたのだ。

書店にしろレンタル店にしろ、リアル店舗というものがネットで代用できるメディアを扱っていると存続は難しい時代になってしまった。

TSUTAYAの閉店は大手チェーンであっても生き残りが困難になってきていることを示すもので、あまり歓迎したくない現実だ。
そのうちTポイントカードのTが何かを知らない人たちが登場する時代になるのかもしれない。


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ついにその時が来てしまった。
カメラ雑誌の老舗・月刊「日本カメラ」が5月号をもって休刊されることになったのだ。
で、出版元はどうなるんだろうと思っていたら日本カメラ社も会社を清算するという。
事実上の廃刊、廃業なのだ。

これから写真・カメラ雑誌はどうなってしまうのか。
その行き先が大いに気になるところだ。

そもそもデジタルカメラが普及し、コンパクトカメラの分野がスマートフォンにとって代わってしまった時点でカメラ雑誌の命運は潰えていたのかもしれない。
というのも写真はすでにプリントして紙で見るよりも液晶画面で見ることが主流になり、写真の共有もプリントした紙をやりとりするのではなくデータを送受信することによって各々のデバイスで鑑賞することが普通になってしまっているからだ。
このような状況で紙に印刷された写真を手本にする次世代の人たちは多くはないだろう。
なにかの参考にする写真は雑誌のカラーグラビアからではなくインスタグラムやPinterestといって画像サイトからというのが手軽で無料。
そのうえ撮影者本人も気軽に参加できるので投稿したら十中八九ボツにされるカメラ雑誌よりも大いに魅力的だ。

おまけに雑誌の重要なスポンサーであるカメラメーカーも広告の打ち方が変わった。
雑誌広告を載せるより売りたい製品で撮影した実際のデータをネット上に公開してアピール。
調べている顧客の方も、
「ああ、こんな感じに撮れるのか」
と納得しやすい。
雑誌で仕様やサンプルをチェックするのは雑誌代もかかり優越性がない。

また一つの主なスポンサーであるフィルムメーカーはもはや写真の世界ではニッチな分野になってしまったのだ。
世界トップのコダック社はもう何年も前に倒産。
二位の富士フィルムは写真フィルムは片手間事業になって今は総合化学メーカーに大変身。
フィルムを広告するなんてほとんど無意味の世界になっているのだ。

とはいえ、日本カメラは昨年休刊したアサヒカメラと並ぶメジャー雑誌だった。
アサヒカメラは少し奇をてらった写真が多かったが日本カメラは正統な流れの作品が多かった。
それぞれ個性があって面白い雑誌で映像を大学で専攻した私なんかは勉強になった雑誌でもあった。
アサヒカメラは朝日新聞社が発行しているので会社はなくならなかったが日本カメラは会社も存続せず消えてしまう。

時代の流れ、と言ってしまえばそれまでだけど、他のカメラ雑誌の今後が気になるところでもある。

ありがとう日本カメラ。




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団扇で口を隠すとコロナウィルスの飛沫感染防止に役立つ。
そんな説を勝手に作って広めようとしたのが兵庫県知事・井戸敏三さん76歳、自治省出身。
扇で口元を隠して「ホホホ」と笑うアメリカ映画に出てくる芸者を想像したのが笑えるのだが、この団扇に700万円の血税を使ったその感覚は嗤えないのだ。
兵庫県の県庁所在地・神戸市の衛生担当者からは、
「そんなことを勝手にされて蔓延することになったらどうするんだ!」
とテレビを使って批判され、県民からは無駄遣いと批判をくらい食事用団扇はどうやらお蔵入りしそうな雰囲気だ。

で、この井戸さん。

コロナが始まってから「ダメ知事」の代表として取り上げられることも多かった。
兵庫県民からは、
「兵庫県は大阪府に合併させてください」
というネット上の意見を頻繁に見るようにもなった。
以前は、
「尼崎市は大阪府でいい」
というように工業地帯や町工場が入り組んだゴミゴミした地域は大阪府へという大阪をバカにしたようなコメントが目立ったものだが、吉村知事を頂点とする行政の人々の頑張りでそのイメージは一変した。

ということで井戸さん。
兵庫県民に選挙の大切さを痛感させた、その業績は間違いない。
で、次はないから安心してね。


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なんとなく息苦しい時代なのだ。

学童を相手に犯罪を犯した教員の免許の復活を認めるの認めないのという議論が渦巻いている。
普通の感覚からすると児童を相手に性犯罪を犯してしまった教員の免許なんぞ復活させるということ自体が「おかしい」と思わなければならないのに、それを陸続けするために、あれをしては駄目、これをしては駄目とどこかの野党のように議論ばかりするものだからおかしな具合になってしまう。
そんな世の中息苦しっくてしかたない。
日本人は議論よりも情と慣習で処分することのほうが得意なので、論理を振りかざすとろくなことはない。

で、何がいいたいのかというと、教員と生徒との個人的交流は一切禁止するというのが意見として出てきており、わけがわからない。

これでは往年の人気テレビのコメディ番組「奥様は18歳」なんぞありえんことになり再放送禁止になってしまうのではないかと思われる。

「奥様は18歳」は50代以上の世代の人にしかもうわからないかもしれないが、石立鉄男演じる教師と岡崎友紀演じる女生徒が実は夫婦であるが、それは秘密になっており知っているのはその学校の校長先生だけ、というコメディだ。
私は小学生、中学生の時にこの番組の再放送を見てそれなりに面白いと思っていた。
もちろん今でも一部の人にはお気に入りのドラマかもしれない。
しかし先生と生徒が夫婦というシュチュエーション自体、今議論をしている(変な)人たちによるとご法度かもしれず、同性愛者や肥満した人を揶揄すると叩かれる状況と同じ事態が発生する可能性がある。
畢竟、ドラマの再放送はありえず(古すぎてフィルムが無いかも)お蔵入りということも考えられる。

この論理が通じると、たとえば高橋留美子の名作コミック「めぞん一刻」もご法度になる。
これは主人公の一人・音無響子の亡くなった旦那さんは音無響子の高校時代の担任の教師であり、それがドラマの重要な背景になっているだけに、お蔵入り必須である。

ということで、どうなる「奥様は18歳」。


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大阪での新型コロナ変異種の感染者激増により「大阪府下の聖火リレーは中止」とあいなりました。
私の知人も一人、聖火ランナーで走る予定になっていたので公道を走れないとなるとかなり残念かもしれない。
でも吹田にある万国博覧会記念公園の中を走れるのだからカタチだけでもあってよかったと思うべきなのが今の情勢だろう。

ところで私はオリンピックの聖火リレーを見たことがある、ことになっている。
「ある、ことになっている」というのは全く記憶にないからであって、なぜなら私はまだ1歳だったからだ。

一昨年亡くなった母の話によると、
「堺の一条通でお前を抱いて聖火走るんを見たんやで。お前も見取ったがな」
ということである。
1歳の私は1964年の東京オリンピックの聖火リレーを大阪府堺市の一条通交差点近くで見ていたことになっており、その話を聞くたびに、
「ふ〜〜ん」と言っていたものだ。

半世紀以上ぶりの大阪での聖火リレーは残念ながら中止。
決断した吉村知事を非難する人もいると聞くが私の周りにはそういう話を耳にすることもない。
コロナの拡散は誰の責任でもなく、予想し、防ぐことが困難なものでもある。
むしろ、このような状況で皆で歓迎できない聖火リレーに意味があるのかどうかと考えることもないことはない。

今回の聖火リレーはランナーのためのイベントなのだろうか。



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「非常事態宣言が出たので出張を延期させてください」
「飲み会は今はだめなので、また次回」
「プロジェクトは暫くペンディングです」
「今日のセミナーは交流会無しです」
というのはこの一年、あちらこちらで耳にしたセリフ。

新型コロナ禍を原因をして、出張は思いっきり減るし会食はゼロ。
セミナーが始まっても交流会がないので名刺交換を真面目にやらないとならないので堅苦しい。
そんなこんなで大変な状態が続いているが、このコロナ禍を逆手に取って都合のわるいものを断る事例も存在する。

「コロナなので打ち合わせはWEBで(=ホントの理由→たいして重要な会議でもないのに、交通費と時間を使ってそんなところまで行けるかい)」
「今は会食するなと言われているので(=ホントの理由→あんたとなんか飲みたくない)」
「チケットが限定で手に入らないよ(=ホントの理由→S席18000円のチケットなんか2枚も買えるかい)」

と、気がつけば自分自信にも覚えがあることも気づかもしれない。

そんななか、コロナを理由に東京オリンピック欠場を宣言した国がある。
そう、とある半島の付け根にある将軍様の鬼ヶ島のこと。

「新型コロナに不安がある。選手の命を守るために東京オリンピックを欠場します。」
が正式理由。

でも、そのホントの理由はたぶん、
「将軍様とアメリカ大統領の会談でもホテル代が出せないんだぜ。オリンピックなんかに行く予算、あるはずない。」

ま、どうでもいいですけど。


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テレビに出てくる人はもしかすると全部で100人もいないんじゃないかと思うことが少なくない。
例えばコマーシャル。
出てくる人といえばほおとんど同じタレント。
人気があるから出演しているのかもしれないが、悪く言えば扶安なタレントの使い回し。
出ている顔はというと橋本環奈、本田翼、深田恭子、芦田愛菜、IKKO、指原莉乃、吉岡里帆
製品は違うが、出演者がいつも同じなのだ。

バラエティショーの司会を見ると、決まった顔ぶれがさらに多くなる。
有吉弘行、マツコ・デラックス、加藤浩次、恵俊彰。
朝も昼も夜も同じ顔。
何か特別な理由でもあるのかと勘ぐりたくなるが、それだけ製作する側に創造性や冒険心がないからだろう。
「この人を使えば無難なんだ」
なんといってもサラリーマン。
危ない橋を渡って消されたらたまったもんじゃない、という感覚があるのは間違いない。
しかも朝のワイドショーなんかの場合、発言はあっちへころころ、こっちへころころ。
無責任のオンパレード。
「そんな発言しても差別じゃなきゃ問題ない。だって漫才師なんだもん。」
という感覚が伝わってきてたまらない。
もうテレビはやめてネットをみることになる。

ということでテレビは見れば見るほどもう要らないんじゃないかと思えてならない20世紀の遺物で、出演者の固定や発言の無責任さとバカさ加減は21世紀に入って21年放置している20世紀の腐敗臭気の一種かもしれない。


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