<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



民主党の総裁選挙に北朝鮮キム将軍の中国訪問、超円高などなど。
ニュースの話題に事欠かないが、私の最も気になるニュースがチリの鉱山での落盤事故。
この事故で鉱山内に33人の男達が取り残され、しかも元気に生存している。
但し、救出にかかる日数は約4ヶ月。
この間、地上とのやり取りは小さく開けられた通風口。
この通風口を通じて食糧や空気を送り続ける、という作業が続けられる。

まるで、映画のような事件なのだ。

宇宙や異次元に取り残されて地球や現実社会に戻ってこられない、という物語のSF映画は時々目にすることができる。
「宇宙からの脱出」
はそいう映画の走りだと思うし、
「ポセイドンアドベンチャー」
も、ある種そういう映画だった。

映画と現実を比べるというのは、いささか不謹慎かも知れない。
しかし、この33人の運命はドラマチックで、目が離せない。
いかにせん「チリ」という南米の遠い外国の話なので、日本のマスコミがまったくスポットライトを当てないのが、ふがいない。

ところで、スぺーシャトル「コロンビア号」が帰還飛行中に空中分解を起こしたあと、国際宇宙ステーションに宇宙飛行士が取り残された話はすでにノンフィクション本となって邦訳もでている。
これがなかなかスリルある物語なのだ。
尤も、宇宙に取り残される宇宙飛行士は21世紀の今は最先端の技術のつまった宇宙ステーション。
無重力、という特殊事情を除けば快適なはず。
しかし、地下の何のインフラもない坑道の中は、さぞ厳しい環境に違いないだけに、救出後にだされるだろう物語本は、これまた目が話せないのは間違いない。

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書店で面白そうな本はないかと物色していたら、経済コーナーで妙なタイトルの本を発見。

「ヘッテルとフエーテル」

なんじゃい、これ?

手に取ってパラパラとめくると、なんと童話らしい。
それもかなりのパロディ。

「なんで童話が経済コーナーに?」
と発行元を確認したら「経済界」。
あの硬派な雑誌「経済界」の手になる本なのだった。
著者名は、と確認したら「マネー・ヘッタ・チャン」。

再び。
なんじゃい、これ?

と相成った。
最初の2~3ページを読んで見ると、そこにはグリム童話をベースにした経済パロディが描かれていた。
なかでも、中の1エピソード「アホずきんちゃん」には脱帽し、日頃へそ曲がりな本ばかり読んでいる私にはピッタリの本ではないかと、早速購入することに決めレジに向ったのだった。

で、要はこの本はなかなか素晴らしい経済解説本で、フリーターやパーぷーOLなどの個性が、新聞や雑誌などで目にするリアルな経済事件や話題と絡められており、実に面白い。

「断っることを正しいと思う女経済評論家」
「マガジンを送るためにメールアドレスを売買して荒稼ぎしているインターネットショッピングサイト運営会社」
「必ず儲かる株ニュースの会社」
(以上、正確に表現できていませんが、そんな内容が書かれています)
などを皮肉たっぷりに茶化しているのが、これまた面白い。

経済の仕組みに疎い人にはもちろんのこと、良く知っている人にも楽しめる一冊だった。
なお、経済の失敗で身に覚えのある人には楽しめない一冊であることも間違いない。

~「ヘッテルとフエーテル 本当に残酷なマネー版グリム童話」マネー・ヘッタ・チャン著 経済界発行~

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終戦の日の前後のニュースは「いつも閣僚が靖国神社に参拝したのかどうか」というのがトピックになる。

私が小学生の頃は、そんなことはニュースになりはしなかったのだが、高校生の頃だった1980年前後から毎年取り上げられるようになった。
今では
「上野アメ横」「京都錦市場」「大阪黒門市場」の年末年始の賑わい、
「上野公園」「大阪城公園」の桜のお花見の賑わい、
に並ぶ、「季節の定番ニュース」になってしまっているのだ。

但し,これらと靖国参拝ニュースが大きく異なるのは、靖国のニュースがあまりにも馬鹿げていて腹立たしく、おまけに今の日本の体たらくを見せつけるような、悲しい要素が大きいということだ。

とりわけ今年はめちゃくちゃ悲しい。

「中国や韓国のことを考えて、参拝しませんでした」

と言ったのは、韓国や中国の人ではない。
日本の総理大臣菅直人のセリフなのだ。

この人は中国人や韓国人のことは考えても、肝心の日本人のことはまったく考えていないのだろう。
どこの国の総理大臣なんだ。
まったく。

「お国のために」と戦って亡くなった人々に対する敬意はまったくなく、反対に足蹴にする。
そんな人が総理大臣を勤める国を、どうしてその国民は愛することができるのだろう?

色々な国の外国人と付き合うと、彼らが自分の国の悪口を言いながらも、とっても愛しているということを感じる。

「選挙にいかんと罰金や」
と文句を言いながらも、きっちりと領事館に出向いていくオーストラリア人。
「タンシェ議長はとんでもない人です。でも、いい人の方が多いんです」と言うミャンマー人。
「日本の方が暮らしやすい。でも私の国の悪口いったら許さないですよ」という中国人。

国を愛する心は人として基本的なものなのだろう。

ところで韓国や中国の企業が急速に業績を伸ばしたのは、その背景に日本人技術者の存在があることを忘れてはならない。
働いている日本の会社よりも何十パーセントも高い給与を払うことを条件に引き抜かれた技術者達だ。
その技術者達には自国の経済を発展させる、という心意気よりも目先の利益に走っている部分が少なくないことを否定できない。

親しくしていただいている石油化学関連企業の取締役がいらっしゃる。
理学博士の肩書きを持つその取締役はある石油製品の開発にかけてはスペシャリストで、この道50年。
その取締役にヘッドハンティングの会社がアプローチしてきたそうで、依頼主は中国企業。
今務めている会社の3倍の給与を払うので来て欲しい、とのこと。

「あなた、そんなこと行けるわけないじゃないですか。日本で生まれて、この会社に長年お世話になって。断りましたよ。」

とおっしゃった。
で、

「それに、気持ち悪いんですよ。私の生い立ちから学生時代のこと、家族は何人かとか、全部しってたんです。どうやって調べたんでしょうな」

そんな国に義理を立てる必要もない、と思うのだけども。


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東京都でミイラ化した老人の遺体が発見されて以来、日本全国の高齢者が軒並み行方知れずになっていることが明らかになった。
「日本はデタラメ高齢者社会」
海外のとあるメディアから侮辱された。
どう見てもそっちの国のほうがデタラメちゃうんかい、と言いたくなるところのマスコミだけに、いささか情けないものがある。

これはいったい何を意味するのか。

まず、役所がきちんと調べていなかった、という事実がある。
つまりお役人様の怠慢だ。

だいたい人間が100年以上も生きるというのは稀なことだ。
「隣のおじいちゃん120歳なんだけど、元気で昨日から泊まりがけのゴルフに行ってるよ」
なんてことは絶対に耳にしないのである。
100歳以上生きている老人が本当に実在しているのかどうか、行政は実地に確認する義務があるように思う。
チェックしないと書類上は生きていても、現実にはミイラになっているか、冷凍されているか、土に還っているか、人間ではない、かのいずれかである可能性を疑ったほうが良い。

つぎに高齢者が増えすぎたことに加えて核家族の常態化で、増えているのに実際には老人と接する機会が少なく、老人に関心を払わなくなっているのではなかろうか。
書類上生きていれば年金や恩給などが受けられ、しかも生きてる「筈の」おじいちゃん、おばあちゃんが行方不明なら、そのお金は子供、孫の使い放題ということも考えられなくはないのだ。
つまり,行方不明の老人は、無責任で冷たい家族にはまたとない収入源となるわけだ。

つくづく、嫌な世の中。

それにしても、行方不明の老人たちはどこへ行ったのだろうか。

私はロン・ハワード監督の米国映画「コクーン」(1985年作)を思い出した。
老人たちは異星人の提供する繭のようなものに入って、今頃、宇宙のどこかで暮らしているのかもわからない。

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世界中で洪水が発生して大きな被害を出している。
中国では鉄砲水で街が土砂に埋まって大変だ。

「二階、三階まで汚泥に埋まって....」

とラジオのニュースが伝えていたけれども、二階三階まで土砂が来るのはどんな災害なんだろう。
現地では数千人の住民が行方不明になっているといい、人民解放軍が救助作業に当たっている。

洪水で大変なのはヨーロッパも同じだそうで、ドイツやオーストリアではかなりの人々が洪水で亡くなっているのだという。

「三峡ダムのせいじゃ」

と、私の父は酒を飲みながら呟いた。
なんでも、三峡ダムの巨大開発が地球規模の環境異変を引き起こし、世界中で異常気象を発生させているのだという。

さすがに、私の住む大阪府南部で洪水の話はめったにない。
ましてや生まれ育った堺市では洪水騒ぎは待ったに起きない。
親類の住んでいた門真市や守口市というところは台風が来るたびに床下浸水していたものだが、
「なんで、そうなるの?」
と子供のわたしはコント55号の欽ちゃんの物まねでよく、そう言ったものだ。

したがって、私は長い間、洪水、というものを体験したことがなかった。

洪水を初めて体験したのは、初めてミャンマーの首都(当時)ヤンゴンを訪れた時であった。
滞在最終日前日、次の日の夕方便でバンコクに帰る予定の私は、ガイドさんがコーヒーをご馳走してくれるからということで、市内中心地のJドーナッツを訪れた。
Jドーナッツはヤンゴン市内にある数少ないファーストフード店のひとつで、早い話がミスタードーナツのコピー店なのであった。
店内の作りはミスタードーナツと同じ。
メニューもフレンチクルーラーなど定番の製品が揃っていて、これもミスタードーナツと同じ。
聞くところによると、JドーナッツのJはJapanのJであるとのことで、日本のドーナッツ、ミャンマー版「ミスタードーナツ」なのであった。
ちなみに、このような模倣店はミャンマーには多く、ミスドの他に「マックバーガー」(マクドナルドのコピー)、「Tokyo Frid chicken」(ケンタッキーのコピー)などが存在している。
お隣のタイには全部オリジナルが存在することを思えば、米英の経済制裁恐るべしである。

で、そのJドーナッツでガイドさんと話をしている僅か数分の間に、雨が降り出し、気がついて約15分後外に出てみたら、通りは辺り一面水没していたのであった。

「えらいこっちゃ」

と思う私を尻目に、ガイドさんが、

「排水溝をちゃんと掃除しないから、こうなっちゃんですよね。ゴミもあちこち捨てるし」

と説明してくれた。
その説明が妙にリアルで思わず笑ってしまったのであった。
水はなかなか引かずどうしようかと思っていたら、タクシーがまるで川の中を進む船のように水煙をあげながら走ってきたので、それに飛び乗り、水の無いところまで移動したのであった。

以来、ミャンマーを訪れるたび、とりわけそれが6月なんかだったりすると洪水に遭遇することになっている。

なかなか雨でマトモに参拝できなかったゴールデンロックへの三度目のチャンジの時も、雨なのであった。
しかも豪雨。
ヤンゴンからゴールデンロックへ向う途中の街バゴーもまた、かなりのところが水没していたのであった。

洪水はテレビで見ただけではただの災害だが、近寄ってみると非常に汚い災害であることがわかり、たまらない。
「洪水になったら泳いで移動したらええねん」
と小学生ぐらいの知恵の人は言うかも知れないが、とんでもない話だ。
泳いで移動する、なんて論外で、下手をすると誰のものやらわからないウ○コと道連れになってしまう可能性もある。
洪水は病気の原因も運び込んでくるから恐ろしい。

ということで、世界中が洪水続きで大変だ。

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家族で花火大会に出かけた。

どういうわけか花火大会は夏の暑い盛りにしか実施されないという欠点がある。
どうして真冬の極寒の季節には行なわないのだろうか?
鍋料理をつつきながらの花火見物、なんてのもオツだと思うのだが、謎である。

USJやTDLでは季節に関係なく花火を上げていると思うし、甲子園ではホームランを打つだけで掲示板に花火が映し出されるのだから、「花火は真夏に打ち上げなければならない」という法律は存在しないはずだ。
せめて春先や秋口の涼しい季節に実施してくれれば、もっと快適に花火鑑賞が楽しめるのに、よりによって最も暑い季節に実施する、その習慣に腹が立つ時がすくなくない。

ミャンマーのシャン州の州都タウンジー市で毎年開催される気球祭(気球で打ち上げる花火大会)は、あのクソ暑い南国の最も過ごしやすい10月に実施される。
軍政批判ばかりせずに少しは、南国ミャンマーを見習っていただきたい、と思う私なのであった。

と、いうことで、汗をだらだら流しながら、雑踏の中を埃まみれになって歩いていると、たくさんの屋台が並んでいるエリアに到着した。
りんごあめ、ヨーヨーすくい、焼きそば、フランクフルト、くじ引き、回転焼き、などなど。
お祭りの屋台は子供ならず、大人もウキウキしてしまうところがある。
私は子供の子、綿菓子以外の食べ物は買い求めることが許可されず、お祭りイコール綿菓子、という感覚が今も残っている。

「金魚すくいしたい」

と小学生の娘がリクエストに応えて、金魚すくいの屋台を訪れた。

「子供1回 300円。 大人1回400円」
と、店の柱にぶら下げられたプラスチック製のダンボールの切れ端にマジックで書かれていた。

屋台、というか縁日の各種料金は非常に高い。
どうしてこうもバカ高いのか、理解に苦しむ。
例えばパックに入った焼きそばが500円。
缶ビール1本が500円。
アラブのサンドイッチ、ケバフが500円。
どれもこれも超インフレ価格だ。

金魚すくいを私がしようと思ったら400円も取られてしまうので、娘ひとりでチャレンジしてもらうことになった。
毎日食べているランチより高価な金魚すくいなど、したくなかったのだ。

「掬えなくても1ッ匹あげるよ」
と看板に。
「但し、袋代100円」

1枚数円のビニール袋を100円で販売。
金魚はタダ。

それにしても金魚すくいはよくできたビジネスだ。

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正義とは何か?
よくよく考えてみると「正義」ほど、その実態を知ることが難しいものはない。
「正義」はそれを定義する者の位置によって意味合いが異なるからだ。

冷戦時代、私たち日本や欧米の自由主義は、共産ソ連や中国にとっては「正義」ではなかった。また、共産主義は私たちにとって正義ではなかった。
ベトナム戦争は南北ベトナム双方の正義に基づいて展開されたが、ベトナム側、アメリカ側双方に正義があり、そのどちらの正義が正しいものであったのかは、後世の歴史でしか評価することはできなかった。
中国の大躍進政策も毛沢東の指揮のもとに展開されたが、その結果数千万人の人民が死ぬことになった。
その大殺戮運動であった大躍進も当時の中国にとっては正義なのであった。

ともかく、このように難しい話では分かりにくいので、簡単に言ってしまえば、ブラゼルや城島をはじめとするタイガースの選手たちのホームランやファインプレーは阪神ファンにとっての「正義」に違いない。が、ジャイアンツファンにとっては「正義」ではない。
サンスポの正義と、報知新聞の正義は大きくことなっており、最も分かりやすい例と言えるだろう。

NHK教育テレビで日曜夕方に放送されていたハーバード大学の政治哲学の講義は、見ているだけで興奮し、思わずテレビに向かって突っ込んでしまっていた。
テレビにつっこむなんてことは阪神戦以外には「連想ゲーム」以来数十年ぶりの出来事であった。

その白熱した大学講義を展開したのがマイケル・サンデル教授。
「これらか『正義』の話をしよう」(早川書房)
はそのサンデル教授の著書で、内容もテレビほどではないものの、白熱しており、なかなか面白いものであった。

ハリケーン被害での物価の不当な高騰が、本当に不当であるのかどうか、というような事例から、本書は始まっている。
冒頭からいきなり突っ込みたくなる。
アメリカ人と日本人の価値観の違いが、すでにその部分から展開され、アメリカ人の著者であるサンデル先生の論調にあれこれと口を挟んでしまうのだ。

べらぼうなボーナスを受け取っていたアメリカの金融ビジネスマンへの非難も同様で、これもまたバブルに踊った経験のある日本人には、思わず突っ込みたくなる内容だった。

楽しく考え、読みながら頭脳の中で議論する。
そんな素晴らしい一冊で、本を読んだら必ず突っ込みたくなる人には超おすすめなのであった。

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