<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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週刊新潮で連載されているエッセイに藤原正彦が先週号で「花見にいくこと」を薦めている。

私もこれには大賛成!

喜びも悲しみも知っている桜と一緒の花見はなんて日本らしくて素敵なんだろう、とさえ思った。
上野公園も大阪城公園も自粛で花見なしか宴会なし。
大阪の通り抜けも夜間の夜桜公開がないということで、無粋なことこの上ない。

震災の打撃で経済も心も落っこちている今こそ、花見でもしてドドドドドドと盛り上げなければならない時期だ。

藤原正彦はエッセイの中で第二次世界大戦中のイギリスの例を挙げ、
「ドイツ軍の空襲で自分の家が焼かれているにも関わらず、ロンドン市民はその下を走っている地下鉄のトンネルに逃げ込んで冗談を言い合い、笑いでつらさを吹き飛ばしていた」
というのだ。

日本もこういう国を見習うべきで、なんでもかんでも自粛自粛じゃつまらないことこの上ない。
誰でもそうだが、天下の回りものであるお金が回ってこなければ経済の活性化などあり得ないことだし、活性化させるためには、まず、使わなければならない。
花見はそういう意味では効果的にな消費契機で、飲んで騒いで対した金もかからず、わっと騒げばストレスも解消。
実に健康的な日本の文化的行事なのだ。

震災で苦しんでいる人がいるから、
「飲まない」
「騒がない」
「遊ばない」
震災で電力事情に問題が出たから、
「使わない」
「動かない」
「遊ばない」

では、どうにもこうにも。
まるで江戸時代の「歌舞音曲禁止令」だ。

江戸時代には昨日当選したどこかの知事のように「倹約しなければならない」などと号令をかけて世間を不景気のどん底に落とし込んだ将軍様や老中様の事例は数えきれず。
で、田沼意次みたいな「癖のある政治家」が出てきてやっと解決する、というのが歴史の繰り返し。

だいたい自粛という経済規制を自ら課して、アホちゃうか、というのがほんとのところではあるまいか。

「欲しがりません勝つまでは」
と言ってるように聞こえて仕方が無い。
負け戦か、今回は。

ということで、盛大に花見をやって、笑いで陰々滅々した空気を吹っ飛ばそう!

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