<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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ミャンマーへ旅行する時は準備する通貨はUSドル。
私はいつも両替は大阪難波のM銀行の窓口で行なっているのだが、その時の注意点は「小額紙幣をたくさん入れてもらう」こと。
1ドル札や5ドル札、10ドル札をたくさん入れてもらって100ドル札はできるだけ「使わない可能性のある」枚数だけ両替してもらうことにしている。

発展途上国を旅行するときの鉄則かも知れないが、だいたいミャンマーで100ドル紙幣などを持ち歩くとろくなことはない。
使い途に困るだけなのだ。
なぜ使い道に困るかというと、金額が大きすぎて困ることになる。

ミャンマーのミンガラドン国際空港に到着すると、まず旅行会社が迎えに来てくれているであろう。
渡しの場合はミャンマー人経営の某旅行代理店でガイドさん兼通訳さんをお願いしている。
私がガイドさんや通訳をお願いするのはミャンマーだけで、タイもベトナムもシンガポールも台湾もアメリカも、通訳やガイドは現地ツアーを除いて頼んだことがない。
この理由は話せば長くなるのだが、ミャンマーだけはそれが習慣になってしまっているのだ。
そもそもシンガポールやアメリカは言語が英語なので困らないし、タイやベトナムもなんとかやりくりして過ごしてしまう。
タイに至ってはタイ語を勉強し、
「安くして」
「高い高い」
「美味い!」
「まずい!」
「バス停はどこですか?」
「シーロム通りを右に曲がってください」
「ホアランポーン駅まで50バーツで行けますか?」
など、旅行会話を少しばかりマスターしたぐらいだ。

台湾に至っては英語も必要なく、多くの場合日本語が素で通じてしまうので、
「ここどこ?ホンマに外国か?」
という感覚に陥ったことがあるくらいだ。

ガイドさんを伴って旅をすると現地の言葉を覚えないという悪弊が生じてしまい、あまり良くないと私は勝手に思っている。

で話が完全に横道にそれてしまったが、ガイドさんに迎えに来てもらい、ミンガラドンの空港では両替をせず、ヤンゴン市内のマーケットで両替をしてもらうことになる。
この両替がなかなか難しい。
というのも、いくら両替すればいいのか、悩むのだ。

100ドル両替したら、だいたいが大金持ちになったような錯覚に陥る。
なぜなら、財布はもちろん、ちょっとしたポーチなんかに入らないくらいの札束になるからだ。
そしてこの100ドルは詰まらない買い物をしない限り、だいたい10日間はゆーっくりと過ごせるだけの価値がある。
ホテルや旅行者への支払いはUSドルになるので、現地通貨のチャットでは食費やちょっとしたバス、チップくらいにしか使うことはなく、食費が日本と比べても極端に安いミャンマーでは100ドルはなかなか使い切らない大金なのだ。
そもそも日給が1ドル未満のこともあり、100ドルと言えば数カ月分の生活費になる可能性もある。

このような経験は初めてベトナムへ行った時にも経験した、為替マジックの代表例なのだ。

ミャンマーの場合、為替が実勢と正式の2通りがあり、この2通りに10倍近くの差があるため、なおさら為替の価値はマジックに影響されることになる。

このミャンマーでクレジットカードが使えるようになるという。
日経新聞によると、JCBが先頭を切って現地の銀行と文書を交わし、ミャンマー国内でカードサービスの展開を開始するのだという。
カードを使うということは正式のレートとなり損をしそうに思うのだが、ホテルやエアラインチケット、ツアー費用には有効かもしれない。

とはいえ、カード決済された側のホテルは正式レートでしかチャットに両替できないことになり、ともすれば料金値上げに至る可能性もあるだけに注意が必要だ。


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「葛飾北斎はサーファーやったんちゃうん?」

やっとのことで時間ができたので大阪市立美術館で開催されている「北斎展」を訪れてきた。
冒頭の一言は、順路も後半、北斎の大阪に於ける弟子たちの浮世絵を展示しているコーナーを過ぎたあたりで私の耳元で強くささやいたカミさんの一言だ。

確かに北斎画は水に関わる動きの表現が他の日本がを圧倒している。
代表的な「富嶽三十六景 神奈川沖波裏」はもちろんのこと、他の作品でも水の表現は秀逸で、しかも構図としてローアングルが少なくなく、
「どう考えても水面近くから見た景色」
ということで、
「北斎はサーファーだったんじゃないか」
という仮説が生まれきたのだった。

この展覧会は会期も残すところあと2週間となっており、Facebookで他の人が行ってきた話を読んでいると随分と混雑しているというよなことを言っていたので、早朝いちばんに出かけることにした。
正直、最近は美術館に行く時間もなく、久しぶりのアート鑑賞で、しかも題材が大好きな北斎ということもあって期待感がもりもり盛り上がりなのであった。

今年は葛飾北斎が来阪してから200年ということを記念した展覧会なのであったが、江戸で活躍した人気画家北斎が、大阪への2度の訪問で上方の絵師たちに及ぼした影響が大きなものであったことを改めて理解するいい機会になった。
大阪はパワーダウンしながら今もそうだが、江戸と二分する出版産業の盛んな街。
しかも芝居などのエンタテーメントが当時は江戸よりも華やかだったことから役者絵に及ぼした影響がかなりあったことも面白い。

北斎は大阪ではどこに宿泊したんだろう...。
どこで教えたのだろう.....。
道頓堀の芝居や料理屋を見て食べ歩きしたのかな....。

なんて想像するだけでワクワク感がいっぱいだ。
相も変わらぬ北斎漫画の楽しさや、あまりに現代っぽい絵本の数々。
江戸時代が今の時代と途切れること無く、シームレスでつながっていることを肌で感じ取ることができるのが楽しい。

北斎に限らず幕末の絵師たちがヨーロッパ印象派の画家達に強い影響を及ぼしていたことは周知のことだが、日本国内でも意気盛んに影響しあっていた様が、これまたリアリティいっぱいに広がっていた。

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いっちゃっている目をしていることで印象的な鳩山元首相が引退を発表。
「政治家として幸せな人生だった」
とのこと。

つくづく、
「幸せなアタマなんだな~」
と思ってしまうヒトコトなのであった。

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暫く出張が無かったので、当然ヒコーキにも暫く乗ることがなかった。
先週後半、3週間ぶりに東京への出張があって関西空港から乗ったANAでまずチェックしたのが機内誌「翼の王国」の記事とマイチョイスのメニュー。
とりわけマイチョイスのソフトドリンクにどんな飲み物が登場しているのか気になっていたのだった。

秋になると食べ物が美味しくなる。
とりわけ農作物には新しいものが次々に現れ、感動を覚えるほど美味しい物にであることがある。

ANAのマイチョイスも春よりも秋のほうが、美味しいものに出会える機会が多いように思える。
もっともマイチョイスのサービス自身、まだ3年ほどしか経過していないが、細かいことは無視するとする。

ということで、今月の飲み物は山田養蜂場の「ゆず&はちみつ」ドリンクなのであった。

はちみつの飲み物といえばレモンと混ぜあわせた武田薬品だったかサントリーだったかのジュースを思い出す。
私はこの手のビタミンCを前面に出した飲み物に心を奪われることが稀にあり、とりわけ冬には風邪の防止になると勝手に思い込んで飲む機会が増える。
山田養蜂場といえばはちみつのビッグブランドであり、日本のはちみつであることは当然で、抗生物質たっぷりでヨーロッパでは輸入が禁止されているという大陸産のはちみつではない安心感がある。

実のところ、私ははちみつにはこだわりがあり、これまで岡山、奈良、大阪、福島、ミャンマーのシットウェー、タイのチェンマイなどで純粋はちみつを買い求めては満足するというところがある。
とりわけ岡山産のレンゲはちみつは絶品で、これで作ったはちみつ飴は価格が高いのが欠点だが、めちゃくちゃ美味しいのでたまに買い求めることにしている。

もちろんそんな私がANAマイチョイス山田養蜂場のはちみつドリンクを見逃すはずはなく、きっちりと購入して食いいいと飲んだのであった。

味は濃い。
はちみつの深みのある甘さと、柚子の爽やかさがマッチして、大手清涼飲料水メーカーの製品と比べると300円の価値は十二分にあるのであった。

ということで、ANA、朝の機内の一杯は、合格なのであった。

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オスプレイ配備反対。
米軍兵士の婦女暴行。
米軍将校による民家押入り。

とかく米軍関係の報道についてはネガティブな情報が満載だ。
昨年の「トモダチ作戦」の友好的な感動と感謝はすでに忘却の彼方なのか、良い話題は封じているのか。
マスコミの姿勢には疑問がなくもないのが正直なところだ。

例えば、オスプレイ問題。
確かに自己発生率の高い軍用機の配備には、少々メイワクなところがなくもないが、オスプレイを配備されて一番困るのは基地周辺の住民ではなく中国や北朝鮮、もしかすると韓国もそうかもわからない。
というのも、オスプレイはヘリコプターより機動性があり、航続距離も倍あるということで、いざ有事といことになれば極東の防衛には欠かせない航空機なのだ。
私も不勉強で「オスプレイは要らない」なんて言っていたこともあるのだが、よくよく考えてみるとオスプレイは専守防衛には欠かせないアイテムなのかも知れないと思うようになった。

つまり、おかしいのはマスコミじゃないかと。

というのも、オスプレイ配備に一番迷惑するのが中国と北朝鮮、韓国であると想定したら、マスコミが反対するのもむべなるかな。
納得いく資料がここにある。
例えば、韓国日報の日本支局は読売新聞東京本社の中にあり、朝鮮日報は毎日新聞東京本社、東亜日報は朝日新聞東京本社の中にある。
外国の通信社に自分の事務所を貸しているのはどういう理由によるものか。
大いに悩むところで、こういうマスコミが、
「米軍のオスプレイ配備反対」
をサポートしても、悪の日本人を捏造した英字新聞の記者を置いていた毎日新聞や、捏造記事でお馴染みの朝日新聞、たった一人の言うなりになっている読売新聞からの情報を鵜呑みにできるはずはない。

ということで、日米同盟について何か参考になる本はないかと探していたら、たまたま見つけたのが「在日米軍司令部」春原剛著(新潮文庫)。
在日米軍の司令官から駐米大使、その他日本側の関係者などを取材した、なかなか興味あふれるノンフィクションなのであった。

この本が書かれたのは2006年頃なので、尖閣問題を抱える現在とは事情は大きく異なるかもしれないが、現在の在日米軍の米国から見た立場や、自衛隊との関わり方、またその存在についてリアリスティックに考えさせる内容であった。
長年の流れで、米国政府が在日米軍の重要性を徐々にランクを下げていたこと。
司令部機能をハワイへ移そうとしていたこと。
新聞報道ではあまり大きく取り上げないことが書かれていて驚きとともに、日米の同盟関係がいかに日本にとって大切かがよくわかってくるのであった。
それは在日米軍が必要だ、不必要だという議論をすることと一組で考えなければならない重要なテーマで、もし米軍の戦力を減らす時は自衛隊の戦力強化を考えなければならないし、米軍が駐留を続ける時は、治安の問題もさることながら、自衛隊とのスムースな連携をどうとっていくのかといったことを国民が共通して意識する必要のある要素だ。

一昨年まで、ただ単に平和を謳っていれば平和は保たれ、国土も国民も財産や命は保証されると思い込んでいた。
でも、震災有り、領土の違法占領あり、他国による暴力有り、ということを身をもって知った今、日本人である私たちは「軍事というセキュリティ」を外交のエレメントとして運営しないと、他国には通用しない、とりわけ中国や朝鮮半島には通用しないことを理解したわけだ。
従来の平和一辺倒は「平和ボケ」と言われ一蹴される。
だからといって戦争をする必要もないが、ガードが必要なのはあきらかで、本書はそのガードの最大の機能のひとつである在日米軍の今についてスポットライトを当てているのが、まさにいま読むノンフィクションだと思えるのだ。

なお、本書には加筆部分があり、トモダチ作戦が自衛隊と米軍の機能的な連携に支えられていて、ここ数年展開されていた有事での連携が完璧に行われた事例なのだという。
中国の焦りは半端ではないというのが、また興味深い意見なのであった。



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ニッセンが販売したスニーカーの4本線が、ナイキの3本線のデザインに酷似しているということで、特許庁はナイキの言い分を認めニッセンに「混同の恐れがる」と判断。
ニッセンの言い分を退け販売できないことになった。

このニュースを読んで私は世間の人がどう思っているのか知りたくなり、「2ちゃんねる」を検索。
するとどうか、やはり世間は役所とかなり異なるようで、面白いコメントが沢山入っていた。
でもその流れの最も大きなものは、
「誰が3線と4線を間違えるか!」
「5線ならいいと言うのか!」
ということであり、つまりは、
「消費者はアホちゃうぞ」
ということを叫んでいるのであった。

そもそもラインの数が1本違うだけで「混同する」と言うのであれば、iPhoneとGalaxyはどう違うのか?
カタチも似ていればオペレーション方法も酷似している。

ニッセンを処分するのであれ、サムスン携帯も一斉に販売中止にすべきではないかと思ったのは2ちゃんねらーではなくて私なのであった。

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スマトラ島沖地震が起こった時、シンガポールの高層コンドミニアムが大きく揺れて、当時シンガポール在住だった友人は慌てて階段を駆け下り1階のピロティに出た。
周囲を見渡すと同じように慌ててコンドミニアムから避難してきた人たちが大勢いたのだが、そのほとんどすべてが日本人だったという。

かように日本人は海外にいても地震に敏感だ。
それはきっと日々災害の脅威にさらされているという歴史に基づくものだとよく言われている。
たとえば、日本人が他宗教からは「原始的」と言われる神道をなんとなく信仰しているのも、他宗教からは「あれは哲学や」と言われる仏教を慕っているのも、自然災害が日常的に身近に存在するからに違いない。
災害に遭うのに貧富の差はなく、誰もが辛い目、ひどい目に遭う可能背がある。
だからヤクザでも庶民のための炊き出しを行い、他人のものは盗まず、殺さず。
暴動もまず、起こらず助け合いで乗り切るのだ。
事実、統計上も地球上で発生する自然災害の3分の1は日本列島周辺で発生しているらしく、科学的にも納得できる数値なのかもしれない。

一方、こと地震に関しては海外での大きな災害は、とりわけ米国の西海岸を除いて先進諸国では少ない。
これを原因に日本人も「外国は地震が少ない」という固定概念にとらわれているところも少なくない。
だからたまにスマトラ島沖地震のような大災害が発生すると私の友人のように慌てふためくことになる。
また、海外の地震が怖いのは、日本ではなんてことない規模の揺れでも簡単に建物が崩壊してしまうことで、シンガポールで揺れを感じたら、まずは建物崩壊が頭を過るのだろう。

実際、タイのバンコク都内でも高速道路を走りながら周囲の建設中ビルを眺めてみると、建物の柱はやたら細いし、床も薄い。
建物の強度には関係ないが、ヘルメットも被っていない作業者が木で組んだ足場を歩いているのを見ると建物の品質を大いに疑いたくなるのも宜なるかなといったところだ。

ミャンマーで一昨日、M6.8の地震が発生。
旧都マンダレーやタイのバンコクでも揺れたという。
エヤワディ川に建設中の橋は倒壊。
多くの死者を出しているという。

今注目のミャンマーは実は地震が少ないくないところで、例えばヤンゴンのボータウンパゴダには日本軍と英国軍の戦闘でできた壊れ以外に地震で壊れた部分があり、この国が決して地震に安全なところでないことがよく分かる。
度々サイクロンもやってくるし、雨季の集中豪雨は半端ではない。
ミャンマー人に接すると、とってもメンタル面が日本人に似ていることに気がつくのだが、仏教思想を基本とした倫理観が影響しているだけではなく、もしかすると災害が多さも関係しているのかもわからない。

(写真:今回の地震のあった震源から100kmほど西にあるモンユウの巨大仏像群。壊れていないかどうか心配だ。)

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万里の長城トレッキングツアーで死者が出た。
ツアーを企画したのは3年前に遭難死亡事故を出したアミューズツアーという登山客向けの旅行会社。
今この旅行会社に非難が集中しているが、晩秋の北京郊外で何が起こるのか。
気象予測をあまく見た結果の悲劇だが、果たして旅行会社の杜撰な計画だけが原因と言っていいのかどうか。
十分に考慮する必要のある事故といえよう。

そもそも尖閣諸島で日中が揉めている、というか中国が一方的にクレームを付けて日本に対して暴力に訴えている状態で、
「万里の長城にトレッキング」
を実行する人っていったいどういう考えを持っているのか。
新聞は読んでいなかったのか。
テレビのニュースは見ていなかったのか。
中国についていいことしか書いていない朝日新聞の読者だったのか。
注意不足では済まされないものがある。
「現地では十分に気をつけて。用のない外出は控えるように」
というのが中国出張に頻繁に出かけるメーカーや商社の現実的な話なので、今回の事故の発生以前に旅行会社はもちろん、当の旅行者自身にも世間から疑問が投げかけられてもおかしくない事故だったのだ。

そもそも、旅行というのは国内であろうが国外であろうが、旅行者自身が十分に安全を考慮して楽しまなければならない「娯楽」だと私は思っている。
自分の生活している場とは違うところへ出かけるわけだから、どのような事態が発生するのか、当然のことながら想像することは難しい。
飛行機や電車に乗り遅れたどうしよう、金やパスポートを盗まれたらどうしよう、という基本的なことから、インチキ賭博に引きこまれて「金を出せ」と言われた後に「ありません」と言ったらヤクザが出てきたらどうするのか、滞在している街でクーデターや大規模テロが起こったらどうするのかという応用編まで、十分に注意しなければならない。

ご存知のように私は時々ミャンマーやタイ、ベトナムへ旅行をしている。
バックパッカー的旅行は私の最もお気に入りの気分転換方法でもある。
とりわけミャンマーがお気に入りなのだが、ミャンマー旅行はタイを旅行するよりも、より多くのことに注意を払い自己責任で行動できるように心がける必要がある。

今でこそミャンマーへのツアーは日本旅行やJTBといった大手旅行社がこぞって企画しているが、民主化前のミャンマーにはこれら会社はその支店さえ現地になかった。
私のような旅行者は個人旅行か、どうしてもツアーを選ぶなら現地のツアー会社か、国内でもアミューズツアーのようなマイナーな旅行代理店しか選択肢がなかった。
保険は効きそうにないし、危険な要素もたくさんある。
従って、メジャー旅行代店はリスクを恐れてツアーを組まなかったのだ。

ミャンマーへ行くたびに、いつも私は念の為に海外旅行保険に入ることにしていた。
旅費をケチっていつもなら海外旅行保険に入ることは稀なのだが、もし万が一事故にでも遭ったらシャレにならない。

例えば、ミャンマーで自動車事故や転落事故に遭って重症を負ったとする。
足の骨を複雑骨折して臓器破裂、脊髄に損傷の可能性がある、なんていうシリアスな状態になった場合、ミャンマー国内では十分な治療を受けることができない。
十分なケアを受けるためにはバンコクやシンガポールなどの大きな技術もあって信頼出来る病院まで運んでもらう必要があるのだ。
インフラは民主化後の今も大変だ。
停電、洪水、その他トラブルに日常的に備える必要がある。
例えば、懐中電灯は必携で、夜、ヤンゴン市内を歩くだけでも突然の停電で周囲が見えなくなることがあるので懐中電灯は安全に歩くために欠かすことのできないアイテムである。
また、ミャンマーだけではなく、トイレットペーパーが常備されていない国も多い。
タイやミャンマーなどは「手で洗う」というのが習慣で、むしろ紙を使うのは世界の3分の1ほどでしかないという。
従って突然の便意に備えるためには、そのへんの備えも大切だ。
とりわけ田舎では重要になる。
さらに、列車、バス、タクシーなどが機械的なトラブルで停止することも多く、万一に備えて移動手段を複数用意しておくことも重要なのである。

最近の日本人は、なんでも他人に頼ってしまうという悪いくせがついている。
生活に困れば生活保護。
失業すれば失業保険。
災害に遭えば、消防署や警察、果ては自衛隊が到着するまで待っているだけ。
税金を他人のお金とでも考えているのか、なんでもかんでも他人任せで他人の責任。

旅についても同じように言えるわけで、北海道で8人も遭難死者を出した旅行社を選択するのも、それに営業免許を与えている国のせい。
現地の状況を把握していないのも旅行会社のせい。

江戸時代後半、現在と同じく多くの人々が日本全国を旅していたが、安全性は自己責任。
役所は旅人に通行手形を発行し、宿場町を整備して、各藩や代官所に対して旅行者の安全を司るよう治安維持を指示していた。
しかし山道突破、渡海、夜間行路などはすべて自己責任で、もし山賊に遭遇して身ぐるみ剥がされても、時化に巻き込まれてアメリカ大陸に流れ着いても、だれも政府に文句は言わなかった。

ということで、少なくとも海外旅行に出かける人は江戸時代の日本人以上の自己責任と覚悟と知恵が必要ではないだろうか。

(写真:黄金の三角地帯を流れるメコン川から撮影したミャンマー側 2003年撮影)

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独裁者の末路は悲惨だ。
第三帝国のヒトラーは連合軍に追い詰められて愛人と拳銃自殺。
ルーマニアのチャウセスクは捉えられて裁判もなく夫婦で銃殺刑。
サダム・フセインはどう見ても理不尽な裁判で絞首刑。
そしてカダフィ大佐はというと、自国民でさえない外国軍に殺される、というなんともまあ、お気の毒な最後を遂げた。

また、同じ独裁者でも結構人気があって最後まで天命を全うした人も少なくない。
これもまた事実。
たとえば、スターリンや毛沢東、金日成は人気があったというより死ぬまで人々に忠誠を誓わせた強力な独裁者だが、例えばスペインのフランコ、キューバのカストロ委員長、などは独裁者だが,前者と比べるとちょっと変わった人たちだ。

独裁者というのは一般的に「悪い人」と思われている。
そりゃそうであろう。
何万人、何十万人の命を奪うことも少なくなく、独裁者登場後の人民の被害は歴史を見ればいかに悲惨かがよくわかる。

ところが時と場合によってはその独裁者が実はその地域に於ける政治文化の改革につながっていたというものが少なくない。
例えばサダム・フセイン。
この人はイラクを数十年にわたって一族で支配したとんでも大統領だったのだが、その反面、西側主要国に習ってイスラムオンリーの世界から開放し、宗教の自由を認め、女性の教育を積極的に推し進めた。
フセイン政権の閣僚にキリスト教徒がいたことがなによりの証拠でもある。

同じようなことがリビアにも言えたそうで、そのあたりは情報の欠如から私たちが多くを知らないややこしい部分になっている。

高山正之の偏見自在シリーズは、そのような「もしかして、それはホントに正しいの?」という一般的な常識を独自の視点で論破していく痛快コラムだ。
この人のコラムには毒があり、好き嫌いはその毒が体に合っているのか合っていないのかに左右されるようだが、私にはピッタリで知的好奇心が刺激されることが多い。
ミャンマーの旧都ヤンゴンのシェダゴンパゴダ。
黄金に輝くその仏塔の近くにあるイスラムモスクには「RED FORT」と書かれた墓地がある。
かのインドムガール帝国の最後皇帝の墓がそれなのだが、この歴史的に重要なスポットはミャンマー唯一のガイドブック「地球の歩き方」にも、現地の旅行サイトにも書かれていない、

私はこのような場所があることを高山正之のコラムから知り、現地に赴いた時にはさっそくその場所を探し出し、訪問したものであった。

高山正之のコラムは、このように歴史の常識に埋もれてしまっている真実にスポットを当て、現代社会の問題点を鋭く突いているのが特長で、それが最大の魅力なのだ。
異見偏在「日本よ、カダフィ大佐に学べ」(新潮社)は、欧米的価値観がある意味絶対だ、と勘違いしている日本人に冷水を浴びせるお馴染み痛快なコラム集なのであった。


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仕事の関係でよく図書館を利用する。
仕事で、というと司書か何かアカデミックな仕事をしているように勘違いされる恐れがあるので予め断っておく必要があるのだが、会社が書籍購入費をなかなか出してくれないので、図書館を利用する。
図書館を利用しているというのも、企画開発の仕事をしているので、インターネットだけでは掘り出せない情報が図書館には詰まっており、かつ、娯楽も豊富だし無料なのでよく利用しているのだ。

よく利用するのは地元の市立図書館と大阪市立中央図書館と台東区立中央図書館と某大学図書館である。
地元の図書館は家に近いから利用するのだが、中規模の街で予算もなく、祭りには異常に熱心なのだが教育には無頓着なところがあり、蔵書が少なくもっぱら暇つぶし的存在となっている。

大阪に住んでいるのに台東区立図書館の利用が多いのは、私の定宿の近くにこの図書館があり、雑誌読み放題、区立なのに流石に東京、大きい図書館なので蔵書も豊富。
夕方早めに仕事が引けたりすると都民の皆様の図書館を府民の私が利用させていただいているのだ。

で、最も頻繁に利用するのが大阪市立中央図書館。
さすがに大阪市立ということもあり蔵書も豊富。
外国文献もたくさんあり、最大の特徴は大阪関連の資料が多いことと、ビジネス関連の資料も豊富であることだ。
私の大阪の事務所は難波にあるので、中央図書館のある西長堀までは地下鉄で2駅。
便利といえば便利だし、たまに「めんどくさく」なることを除けば、なかなか重宝な図書館だ。

大阪の図書館といえば、もちろん最大は大阪府立図書館で、学生の頃や、社会人なりたての頃は淀屋橋にある中之島図書館をよく利用したものだ。
今、府立図書館は東大阪の荒本というところにほとんどが引っ越してしまい、利便性が著しく損なわれているが、中野島の図書館も健在で、こちらはビジネス書を中心に商都大阪の企業サポートに軸足をおこうとしているようだ。

中之島図書館は実は図書館というよりも建築物として有名で、明治の終わり、寄付だけを元手にすべての健在をイギリスから取り寄せて建築された完璧なルネッサンス様式の欧州伝統建築なのである。
従って初めてこの図書館を訪れた学生の頃は、
「おお、なんて威圧的な建物なんや」
と入りにくかったことこの上なかったのだが、今や大阪だけではなく、日本を代表する近代建築の一つとなっている。
古いのに、頑丈で阪神大震災でもびくともしなかった優れものなのだ。

この図書館の建物を図書館以外に使用しようという計画が持ち上がっている。
計画を出したのはなにわの暴れん坊市長、橋下徹。

「建物が古く書籍に理想的な空調設備もままならない。書籍のことも考えると、この伝統建物は図書館である必要があるのかどうかも考える必要がある」

この発言が物議を醸し、元司書や教育関係者、そしておなじみの市民団体がクレームを付けて集会を開いたという。
古い図書館を図書館で無くすのはけしからん、という趣旨のようだ。

これはこれで一理ある。
100年以上も図書館として大阪の街に腰を据えテクタこの伝統ある図書館を図書館でなくするのは甲子園球場をサッカー場に買えるようなものだ、といいたいのだろう。
「市民から寄贈された貴重な井原西鶴の本もある」
とは集会に参加した地元私立大学の先生の話。
そんな府民に親しまれた図書館をカフェや美術館にするのはケシカランというわけだ。

でも、貴重な本を「空調設備が充分でない図書館」に保管してもいいものだろうか。
私は今度の市民の運動が、なんとなく理屈に合っていないような気がしてならない。
貴重な本は空調設備が完璧に整えられた、例えば国立国会図書館や正倉院宝物殿のようなところで保管されるべきで、古い建物に保管するのは不適切なのは間違いない。
大阪府立中之島図書館が重要文化財だから図書館として使い続けなければならないという考えそのものが、いつもフレキシブルに物事を考える大阪らしくない、どこか官製的考え方だ。
しかも、今回は官である市長のほうが柔軟に議論しようとしているのではないのだろうか。

元中之島図書館でオシャレなコンサート。
ルネッサンス様式のモダンな建物に洒落たレストランと、ハイテクライブラリー。
そんなイメージを持つことがどうしていけないことなのか、私には分からない。

ちなみに教科書に出てくる正倉院の建物には宝物はひとつも入っていなくて、鉄筋コンクリートの完全空調全館金庫状態の建物に宝物が入っていることは多くの人が知っている。
宝物はいつでも見ることはできないが、書籍は電子化すると中身を読むことはいつでも可能だ。

古い図書館の使い途。
むしろコンクールを開いて全国からプランを募集したら、こういう市民集会も影を潜めるのに違いない。

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