<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



ここのところ仕事が忙しくてブログも書けない状態が続いていた。
年度末ということもあるのだが、取引先との新しい取り組みの企画がマグレで通ってしまったために、色んな手続きに翻弄されているというのが実際のところだ。

「あなたの企画が通ったんだから喜ばないと」

とカミさんは嬉しそうだし、励ましてくれるのでなんとか頑張っている。
しかしいかにせん元々過密な仕事状況に加えて、会社の面々は事なかれ主義を第一とする人材で構成されているため通った企画が「しんどい」のも、これまた確かなのだ。

私に非協力で会社のためにならない事なかれ主義の人たちの最大の関心事は消費税アップ。
なんといっても事なかれ主義なので消費税が上昇すると。何かと計算が面倒になるので嫌がっているのだ。
とりわけ5%から8%へ変わる境目が面倒くさいらしく、今から支払いの〆はどうするの、受注した製品への添加はどのタイミングでどうするのか、など煩くてしかながない。

だいたいが3%のアップ分を製品に添加して回収すること自体が難しいのだが、経営する側から見ると、
「値上げするための絶好のチャンス」
と身構えているようで、ここぞとばかりに儲けようと企んでいる。
事なかれ主義の従業員と強欲な経営者。

私もさっさとこういう会社からはおさらばしたいところなのだが、簡単に次の職も見つからないのでタイミングを見計らっているところでもある。

この今のタイミングで値下げに踏み切り話題になっている牛丼や日清のラ王は別にして、だいたいの製品は値上げされる方針であることは間違いない。
製品だけではなく、電車賃も値上げされる。

身近なところではコンビニの製品が値上げされ、昼の弁当や飲み物、それにオヤツをコンビニ頼りにしている我々チープビジネスマンはなかなか苦しいものがある。

その中でも、缶コーヒーや清涼飲料水が値上げされるというニュースは昨日、メディアで駆け巡ったわけだが、清涼飲料水はともかくとして缶コーヒーは場合によっては見向きもされなくなるのではないかと、私は思ったりなんかするのだ。
というのも、ここ最近、コンビニで購入するコーヒーは缶やペットボトルではなく、コーヒーメーカーによる挽きたてコーヒー。
いつの頃からかどこのコンビニでも炒りたてのコーヒーが飲めるようになっているのだ。
それも一杯300エンなんて金額ではなく百円と少し。
味はまあまあだが、缶コーヒーに比べると遥かに美味しい。
甘くないし、健康的だ。
さらにさらに、ファーストフードも炒りたてコーヒーを提供するようになっているが、中でもマクドナルドのプレミアムローストコーヒーは価格の割には逸品で、正直、スタバのドリップコーヒーより美味い。

缶コーヒーと炒りたてコーヒーの価格勝負と味勝負。

消費増税で缶コーヒーの運命は苦いのかもしれない。


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(雪の仙台市内)

先週、出張で仙台へ出かけると、街のいたるところに雪が積もっていた。
私は大阪生まれの大阪育ちなので雪道には全く慣れていない。
もちろん雪用の靴なんかも持っていない。
したがってツルツル滑り歩きにくいことこの上なかった。

「溶けては固まり、溶けては固まりの繰り返しなんですよ」

と取引先の部長さんは言った。
なるほど、長野にスキーに行くとゲレンデが凍っていることが多いが、あれと同じか、と思った。
一方、

「震災の対応はちゃんとできないし、雪が降ったら除雪の予算もないっていうんですよ、この街は」

と東北大まで利用したタクシーの運転手さんは怒り心頭の様子だった。
地震が来ても対応が遅いし、雪が降っても除雪車ひとつ持っていない。
なんなんだここはと怒っていたのであった。
仙台は東北地方だから雪が積もっているのは当たり前と私のような関西から来たものなら考えてしまうが、実際は違って、やはり太平洋側だから、こんなに一挙に雪がつもることは稀なのだという。
夏の福岡が暑いと思い込んでいたら、大阪より涼しかったというパターンと同じなのだ。

そんなこんなで「仙台の雪も大変だ」なんて思っていた翌々日、家に帰ると未明からの雪で大阪もすっかり雪化粧してしまった。
しかも夜明けとともにその勢いは増してきて、ここ数年見たこともない景色に変貌。


(雪の大阪府岸和田市内)


見渡す限りまるで雪国で、仙台のタクシーの運転手の愚痴が他人ごとではなくなってしまった。
鉄道はめちゃ遅れ。
道路は渋滞。
高速道路は閉鎖。
ホテルは満室。
飛行機は欠航。
仙台への出張を延ばしていたら帰ってこれなくなっていたところなのであった。

それにしても今年は雪がよく降る。
そして積もる。
カミさんの実家で飼っている犬は庭駆けまわるどころか、温かい家の中から出ようとせずに、「ワン!」と鳴かずに「にゃー」鳴く有りさまで、情けないどころかお笑いだ。
大阪でも2週連続での積雪は近年なかったので私も驚いた。

大阪のように普段雪が降らないところに雪が降って積もるような気象状況は地球温暖化による影響なのだという。
オリンピックの会場になっているソチのような雪国が雪不足で、大阪のような熱帯地域(但し夏は)が大雪というのは明らかに地球規模での気候の大変動なのだというのだ。

寒いから雪が降るというのが素人的な考えだが、偉い学者さんはそうではないのだろう。

ということで、雪は春のおとずれを知らせるシグナルだという人もいるくらいなので、凍えるような寒さはまもなく終わろうとしている。
なお、凍えるようんさ寒さのために使用したエアコンの電気代で我が家の財布は寒さが続くであろう。

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佐村河内守るというクラシックの作曲家が実はインチキ作曲家だった、という話は後世笑って済ませられるかもしれないが、本人がろうあ者と認定され、それも嘘だったとなると刑事事件に発展する可能性もあり、ちょっとこの話題から目が離せない。

ところで、この佐村河内を紹介する時に「広島生まれの原爆二世」と枕詞のように付け加えられるが、原爆二世だからどうしたの?と突っ込む人が誰も居ないのが少々不思議だ。

以前、広島大学付属病院の先生だったかが著者の新書で、広島に原爆が落とされてからどのように街が復興し、人々はどうなったのかが書かれていたのを読んで思わずメモにとっていたことがある。
そのメモによると、次のようなプロセスになっていた。

1945年8月6日 原爆投下
8月10日 京都帝国大学の調査団広島入り
9月7日 枕崎台風直撃(この被害はあまり知られていないが死者行方不明2012人。)
10月1日 理化学研究所の調査団広島入り
この頃から復興住宅の建設始まる
11月~ 市内の広島電鉄の電車が運転再開
11月18日 恵比寿神社復興で翌日祭礼
(12月末までに死者14万人。広島人口の3分の1)
1月8日 広島復興局が設置
4月 5カ年の広島復興都市計画決定、都市ガス部分復旧
5月31日 市営水道7割復旧

という具合で、被害規模の割に復興スピードが尋常ではなく、当時の日本人のバイタリティが伺える。
福島や宮城の行政は是非参考にしてもらいたところだ。

で、この本に書かれていたもう一つの関心事は、
「いわゆる原爆二世には原爆による健康障害が認められた例は存在しないこと」
なのであった。
原爆被害者は特別なので、その子も特別と思いがちだが、科学的調査によると原爆を起因する遺伝的障害は確認できていないという。

佐村河内の「原爆二世」履歴。
これもひとつの詐欺なのかもわからない。

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刑事コロンボの初期のエピソード「構想の死角」は二人の小説家が仲違いをして一方がもう一方を殺害する、という筋書きだった。
実は殺したほうは小説を殆ど書いておらず、殺されたほうが実際の執筆者。
小説は二人の連名で出版してきたのだが、

「もう、二人別々に行こうや」

と云われた犯人は、焦って恨んで、相方を殺してしまったというわけだ。

子供の頃、このエピソードを見ていて、

「藤子不二雄はこんなんとちゃうんかな」

と密かに心配していたのだが、やがて藤子不二雄の作品のどちらが描いたのかが公表されるようになって、二人のケジメの良さに感激脱帽したことを覚えている。
子供はもちろん、世間の期待を裏切るようなことは無かったのだ。

この「構想の死角」のような事例は少なくないらしく、新聞報道によると全聾の作曲家と言われていた佐村河内守が実は自分では作曲していないばかりか、全聾そのものを偽っていたというのだ。
実際の作曲に携わった桐朋学園大学の非常勤講師の新垣隆という人が公表。

「佐村河内にはゴーストライターがいた」

と、新聞の文化面は大騒ぎをしている。

新聞が大騒ぎをしている割にはツイッターやFacebookの反応がイマイチなのは、きっとこの人たちはかなりマニアックな音楽関係者なのだろう。
私自身、不勉強も有るのかもしれないが佐村河内守なんて知らなかった。

そもそも、今回の件。
何がいけないのか、よくわからない。
普通に契約や約束しておれば、なんでもないことだったのではないか。
全聾がパフォーマンスでも、倫理上いかがなものか、と疑われるだけで犯罪ではない。
が、結局二人の間にはきちんとした取り決めがないままに、おざなりに今日まできてしまった、というわけなのだろう。
いつまでたっても楽曲の作者は佐村河内で自分は日陰の非常勤講師でいるものだから、不満が鬱積し、

「ホントの作者はボクなんだ」

と言ったに過ぎないのではないか、と思う。
要は、

「こいつは全聾を騙る不届き者でっせ」

と暴露して困らせてやろう、というだけのことではなかったのか。
ある意味みみっちい意図が見え見えで、こういう公表の仕方をすると、自分自身も無傷で済まないというのをよく考える必要があったのであはないかと思う。
確かに佐村河内名でリリースした楽曲は、高橋大輔がフィギュアに使用していたり、クラシック音楽では異例のヒットをしていたりと話題に欠くことはないようだ。
だからこそ自分の名前を表に出す、という欲求があったが、相方が認めなかったので強硬手段に訴えたのかもわからない。
しかし、この人も無料でそれをやっていたわけではなく、新聞報道によると報酬を受け取っていたわけで、同情するには少々難がある出来事ではある。

一方の佐村河内は全聾を売りに世間を欺いてきただけに、その罪は小さくない。
別に詐欺罪に問われるというものではないが、音楽ファンの期待を裏切り聾唖者をバカにした創作活動は今後糾弾されてしかるべき行為だ。

「耳が聞こえないけど作曲できます。ね、ベートーヴェンみたいでしょ。」

とほざいて来たわけなので、シュローダーならずとも「馬鹿にするな」と怒りたくなるのも当然の行為だ。

結局得るものは何もない、というのが、今回の「構想の死角」というわけで、殺人事件さえ起こらなかったが、刑事コロンボのエピソードと非常に似通った結末なのであった。

なお、刑事コロンボの「構想の死角」は監督が大学を出たばかりの若き日のあのスティーブン・スピルバーグだけに秀逸な作品に仕上がっているが、こっちの方は明日にも忘れ去られていそうな出来の悪い現実なのであった。

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数年前、大阪近郊のとある街に「イオンモールが出展を決めた」というニュースを耳にしたとき、私はその地区を管轄する消防署の防災課で職員の人と話をしていた。
すると別の職員さんが、

「困るんですよね。イオンモール。この近隣には都市のように大きな消防署がなくて、もし超大型商業施設で火災なんかが発生したら、大型災害と同じで対応が難しくなる。イオンには再三言ったんですけどね。」

と言った。

その地区は人口数万人の市町が点在するところで、消防署の規模は決して大きくない。
そこに数万平米というような巨大なショッピングセンターが誕生すると、現在の行政だけでは災害に対する備えが十分にできないというのだ。
予算もあれば人の問題もある。
時間があれば可能かもしれないが、小さな防災機関をいきなり巨大にすることなど出来ない相談だ。

私は尤もな話だと思った。

実際、イオンモールが建設されるところは防災行政の問題だけがクローズアップされるのではない。
経済的にも地元メリットが極めて少なく、デメリットばかりが目につくのだという。
イオンはショッピングモールの土地を買わずに借りる。
もし採算が合わなければサッサと撤退し、損害を最小限に留める。
しかし地元はそうはいかない。
巨大ショッピングモールを建設されて、中には東京資本の小売店がテナントとして入り、地元の商店を蹂躙するのだ。
税金は地元には落ちずに、本社のある東京や千葉に落ちる。
その結果、ショッピングモール誕生と同時に地元商店は姿を消すが、イオンが撤退したあと、それらが復活することは考えられないので、イナゴの群れに襲われた農地よろしく、何も残っていない不毛な状態が現れる。

イオンはこういうやり方を大阪圏だけではなく、巨大津波で甚大な被害を受けた東北の三陸地方でも展開している。
大阪圏はまだいい。
イオンはワンオブゼム。
しかし、地方はそうはいかない。とりわけ東北地方はそうはいかない。
小売業の壊滅は復興事業にも大きく影響するし生活に直結する。
「ちょっと試験的に出店なんて、その地元のことをホントに考えてるんでしょうかね」
と言って国の行政に携わる知人は憤っていた。

こういう特定の巨大小売店チェーンが地域に大きな影響を与えだしたのは、なにも最近のことではない。
その昔、大規模店舗の出店が規制されていた頃、ダイエーやニチイといった大型小売店の出店時も同じようなことが云われていたものだ。
かくいう私も近くのイオンモールで買い物をする時もあり、

「なんでやねん。」
と自問することも少なくない。

でも買い物をしながら考えるのは、あの頃と違うのはイオンが多岐にわたって買収を繰り返し、おちらもイオン、こちらもイオンとなっているところが異なるのだ。
まるでイオンは日本国内の小売業を独占しようかという勢いだ。
もしかして政治的手法でもあるのかと疑ってしまうのだが、ね、民主党岡田さん。

ということで、関西の大手スーパーイズミヤの阪急阪神ホールディングス入りは、ある意味歓迎だ。
なんでもかんでも赤紫のトップバリューはかなり食傷気味であるのは、たぶん私だけではないだろうから。

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子供の頃からなじみだった俳優やコメディアンが亡くなると寂しさを強く感じる。

広川太一郎や野沢那智、納谷悟朗といった個性的な声優が亡くなったときも強く寂しさを感じたものだが、サザエさんの磯野波平の声を演じていた永井一郎が亡くなったというニュースも、これまた強く寂しさを感じるものなのであった。
サザエさんという長寿番組で演じ続けてきたからか、はたまた突然の亡くなり方だったのでニュースで報じられたためか、巨人の星の星一徹の声を演じていた加藤精三が亡くなっていたことに気づいたのは、新聞を整理している時なのであった。

永井一郎は磯野波平を演じていたほかに、YAWARAの猪熊滋悟郎を演じていたことが再三報道されているが、私には宮凬駿のテレビアニメーション「未来少年コナン」のダイス船長や高畑勲の「母をたずねて三千里」のペッピーノさんが強く印象に残っている。
磯野波平が安全牌的役柄であれば、ダイス船長やペッピーノは個性派で演じる方も面白かったに違いない。

加藤精三の星一徹はあまりに個性的で、あの声をどこで聞いも星一徹を思い出してしまうくらい、役柄と声の一致した声優だった。
何を聞いても星一徹のタガが外れたのは、スタートレックDS9で異星人のオドーの声を演じていた時だった。
やはりアニメーション作品と実写の海外ドラマは雰囲気が違ったからだろうか。
オドーの声を聞いても星一徹をイメージすることはなかった。

声を聞くだけでキャラクターを思い出す。
星一徹と磯野波平。

個性の違う二人の父が逝った。


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「今晩なに食べよ」
「何食べたいん?」
「なんでもええ。なんか、いつもと違うもん」
「違うもんって?」
「ん~~~、ファミレスみたいなところと違って、個人でやってるお店がいいなぁ」

というのは、先日の私とカミさんの会話。
互いに仕事が遅くまでかかってしまって外食しよか、と繰り出したときのひとコマなのだ。

夫婦共働きというのは外食が多くなるトンでもない生活習慣で、一緒に働いても食費がかかって仕方が無い。
非経済なシステムで、無意味なのだ。
それに外食と言っても「牛丼」や「ハンバーガー」ではなく、何か小マシなものを食べたくなるからやっぱりコスト高になってしまう。
とりわけカミさんがそれを許さない。
私は出張なんかで出かけると牛丼で納得してしまうことがある。
でもカミさんにはそういう訳にはいかない女性としての栄養価に対するこだわりがあるのだろう。
しかし、そういうコストの問題や家計の問題よりも重要で、選択しにくいのが「何をどこで食べるのか」という問題だ。

外食が多くて気がついたのだが、最近はどこもかしこもチェーン店だらけ。
個人の店主が自分の店を切り盛りして、独自の味を提供するところがかなり少なくなっている。
とりわけ主要幹線道路沿いで「駐車場」があって、大きな看板があって「利用しやすい店」は、だいたいにおいてチェーン店だ。

先日も国道沿いに何やらお店らしき建物を建築しているを発見。
何ができるのか注意していると、しばらくして天丼屋が開店した。
聞いたことが無い名前の店だったので、
「おお、久々に個人店か」
と思ったが、念のためにネットで調べたら首都圏を中心に展開する天丼チェーン店なのであった。
なんのことはない、首都圏の天丼チェーンが関西に殴り込みにきた、その店舗のひとつだった。

外食チェーン店には共通した特徴がある。
それは看板がやたらとデカくて目立つこと。
看板が目立つのは商売としてあたりまえだが、どれもこれも規格化されているのではないか、と思えるくらい個性があるようで没個性なのだ。
例えば看板はほとんどが内部に照明器具を埋め込んだ行灯式。
大きさはまちまちだが、だいたいは一本の鋼製ポールの上に角が丸い角形の看板が高々と設置されているか、下から上までモニュメントのような一枚看板になっているかのどちらかである。
看板は多くの場合固定だが、一部にはポールの上で回転しているもんもあり、結構手が込んでいる。
モニュメントのような方式の看板では、ラーメンチェーンに周囲に電球がちりばめられているものが少なくない。

行灯式だから、夜間に見つけやすい。
個人の店ではこういう看板は高価nなかなかなく、のれんや小さなミニ行灯式看板が一般的だ。

最近の傾向では、看板の書体に前衛書道のような極太の筆でサッとなでたような文字が多い。
「〇〇ラーメン」
とか、
「〇〇食堂」
なんてもじは、どれもこれも太い筆でザザザと書いたような書体で書かれていて、ともすればどれもこれも同じ店に見えてしまう。

どこかでブランディングのデザイナーが仕組んでいるんだろうな、と思ってしまうようなデザインだ。
デザイン戦略のもとで中国食材やおかしな冷凍食品なんかが、セントラルキッチン方式に則って、あちこちで提供されているんだな、と思うと、外食産業は場末のキャバクラなんかとあんまり変わらないと思えるのだ。
厚い化粧に、危険な中身。

チェーン店化は個性の敵どころか、安全性も考えてしまう、そんなトレンドなのだ。

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