<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



映画「ハドソン川の奇跡」を観てきた。
クリント・イーストウッド監督、トム・ハンクス主演の話題作。
2009年に発生したUSエアA320型機のハドソン川への不時着水を描いた作品だ。

それしても静静と迫りくる緊張感がなんとも言えない迫力となっていて最初から最後までドラマに見入ってしまう優秀作品なのであった。
そもそもクリント・イーストウッドが近年監督として手がけてきた映画に外れがないことに驚きを感じている。
まるで昔から監督業をしていて、映画の隅から隅までずずいっと知っているという感じだ。
トム・ハンクスの多芸さにも驚くばかり。
航空機のベテラン機長という雰囲気を少しも損なうこと無く、我々観客をドラマの中に引き入れてしまう。
それほどの人間的魅力を引き出していたのだ。

ドラマの見どころはそれこそ数え切れないほどあった。
たった96分の上映時間にも関わらず、航空事故調査委員会の嫌らしさ、テクノロジー対人間、緊急事態に対処する人の心理、事故機に向い救助しようと行動を起こす全ての人々、機長と副機長だけはなく3人の客室乗務員の冷静沈着で勇気ある対応など、感動と勇気と知性が随所に散りばめられていた。
中でもドラマの骨格となっているアメリカ映画が得意とする裁判のような事故調査委員会とのやり取りは緊迫感がある。
しかもシュミレーターを使った事故調の理論固めには山崎豊子の「沈まぬ太陽」の1シーンを思い出させる苦々しいものがあった。
シミュレーターを使った実験では当該機はハドソン川への着水の必要はなく、もとの空港に戻れたのだという。
「沈まぬ太陽」には方向舵や油圧系統のコントロールを失った123便はシュミレーターを使ったボーイングのテストパイロットによると左右のエンジンの出力調整だけで羽田に戻れたというシーンがあり、読んでいて怒りを感じた。
その小説の一部と今回の映画の一部が重なり合い、技術への過信は禁物であるとスクリーンを見つめながら何度も考えたのであった。

ということで本作は優秀作品。
ドンパチもアクションも、飛行機の飛んでるシーンを除いて派手なCGも無いけれど、映画のツボを押さえた素晴らしい作品なのであった。

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先月、福岡出張からの帰りはLCCのピーチエア。
行きはANAだったのだが、ピーチを選んだのはANAは夕方便に福岡発関空行が無いからだ。
私の自宅は大阪南部に位置していて関空からは近いのだが、伊丹空港からだと1時間半ほどかかってしまう。
飛行機でスーッと移動して、阪神高速で大渋滞、という矛盾を体験しなければならず敢えて狭いピーチを選んだのだ。

相変わらず人気のピーチエアは満席状態。
私は搭乗手続きまで座席の確定しない安物チケットなのだったが、幸運にも通路側の座席をゲット。
どこを飛んでいるのか分からない欠点があるものの、比較的ゆったりと移動することができてめでたしなのであった。

ところで、ピーチは機内サービスがすべて有料である。
ジュースひとつとってみても無料で配られることはないので欲しければ買わなければならない。
ましてや食べ物となると絶対に有償だが、LCCとはいえそこは人気のピーチエア。
なかなか美味しそうなメニューが揃っているのだ。

で、ここんところピーチにはご無沙汰であったので久々にメニューをチェックしてみると、なんと!近畿大学産の「ナマズの蒲焼き」がトップに掲載されていたのだ。
近畿大学というと「近大マグロ」で世間の話題をさらったことは記憶にあたらしいが、マグロの次はなんと「ナマズ」なのであった。
うなぎが絶滅危惧種に指定されそうであり、それでなくても高価なのでその代替魚類として「ナマズ」が研究されていたというわけだ。

ある調査によると近代ナマズの蒲焼きを何も言われずに出されて食べたお客さんたちは、それがナマズであることに気づかなかったのだという。

「ナマズ?え、気持ち悪い〜」
と言うなかれ。
日本人は普通、ナマズは食べないが東南アジアへ行くとナマズは食材として珍重されており、私もミャンマーのナマズの唐揚げは大のお気に入りである。
実に美味なのだ。

結局このときはそんなにお腹が減っていないこともあり、フライト時間が50分もないので機内食としていただくことはなかった。
しかしメニューを見る限り非常に興味を誘われるので、もし1時間以上のフライトの時はトライしてみたいと思う、ナマズの蒲焼きなのであった。

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JR山手線に新駅が誕生する。
昨日プレス発表された品川と田町駅間に建設される山手線と京浜東北線の新駅は建築家の隈研吾が担当することになった。
担当すると言っても本人が図面を引いたり業者に直接指示をするのではないだろう。
隈研吾建築事務所のスタッフが隈研吾の指示によってCADと業者の担当者を操作することは間違いない。

隈研吾といえば今超売れっ子の建築家だ。
私もこの人の著書を読んで大いに感銘を受けたこともあり、その力量には大いに感服し尊敬するものがある。
今も東京オリンピックのための新国立競技場、大阪難波駅前の新歌舞伎座後の複合ビルなどの設計を担当されている。
いわば国家プロジェクトを請け負える建築家なのだ。

とはいえ一昨日発表された新駅の設計が隈研吾であることをネット版の新聞で読んだところ、
「ひとりの建築家がどれだけの物件を同時に対応できるのだろう?」
と、正直なところ考えてしまったのだ。

私は学生時代、大阪芸術大学で映像を専攻していた。
先生方にはテレビや映画関係者が多く、とりわけ依田義賢先生や宮川一夫先生、森田富士郎先生、川上清先生は我々学生から見ると雲の上の人たちだったが、私達のつまらない質問にも丁寧に答えてくださるだけではなく、映像に対する飽くことなき情熱を私たちに伝えてくれるそのエネルギーが素晴らしいものであった、ということに気がついたのは卒業してからであったが。
ともかく映画屋、テレビ屋の世界の人が多く、そういう雰囲気が持ち込まれている環境であった。

そこで思い出したのはテレビ屋さんはともかくとして映画屋さんのトップ、とりわけ監督業に近い人は複数の作品を同時進行で製作することは殆ど無いということだ。

映画は建築業と同じく様々な業種によるコラボレーションビジネスだ。
このことに気づいたのは卒業後にサブコンの仕事についたときだ。
クリエイティブな仕事をするはずが建築設備業に就職し、竹中工務店や鹿島建設の建設現場で、なぜか技術者として働いたわけだが、この時に建築の監督と職人さんたちの関係が映画の世界そっくりだったことにびっくりしたのだった。
建築現場という言葉のイメージからは「危ない」「汚い」「キツイ」などのいわゆる3Kの言葉が思い出されるかもしれないが、私の働いたのは例えばホテルニューオータニ大阪だとか近鉄百貨店阿倍野本店だとか、チバガイギーといった建築の中でも非常に技術とデザイン力の要るところで職人さんたちのレベルは高く、親方さんたちは他社の私にでも親切に基礎を教えてくれる人が少なくなかった。
監督の中には2つの現場を掛け持ちする人もたまにはいたが、それはひとつの現場が終わりかけか、小さいかのどちらかの場合であった。

そこで考えるに建築家、いわゆる設計をする立場の人はどうなのか、ということだ。
隈研吾氏のように国家プロジェクト的案件をいくつも同時進行するのには、それなりのスタッフという人的資産があるわけだろうが、クライアントとしては、
「隈さん、お願いいたします」
という感覚で発注しているはず。

果たして人気建築家の仕事処理能力はどのように判断すればよいのか。
山手線新駅のニュースを見て、つらつらと思った次第なのであった。

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先日仕事の打ち合わせもあって京阪電車に乗って枚方市を訪れた。

枚方市は古くからの京〜大坂の中間点で宿場町だった。
秀吉から北河内ならではの小汚い土地の言葉で商売しても良いと免罪符をもらった「くらわんか船」が有名だ。
今は京都と大阪のベッドタウンとなっているが、近くにUSJに次ぐ関西の人気遊園地「ひらパー」があるとか、パナソニックの拠点があるとかで工業と住宅がないまぜになった都市となっている。
京阪電車枚方市駅はその中心で、ここから関西難読地名の1つ「交野市」への支線が出ていたり、少し行くと「織姫彦星伝説」の発祥の地である星ヶ丘があったりする。

実はここがレンタルビデオ最大手TSUTAYA発祥の場所であることを、私はこの日まで全く知らなかったのだ。

この古い歴史を持つ枚方の街に最近「T-Site」がオープンした。
あの東京・代官山と同じ「蔦屋書店」が入っている。
レンタルビデオを書店のTSUTAYAが入っているだけでなく、もちろんスタバやApple関連のストアも入居していて、それぞれシームレスにつながっている。
建物の外観も超モダンで、枚方にあるのが不思議なくらいのコンセプトのショッピングコンプレックスなのだ。

私はここの1階で仕事の打ち合わせをする相手と待ち合わせをしていた。
雑誌をパラパラとめくり、TSUTAYAのスマホなるもののパンフレットを見ていたところにTさんが現れた。
早速打ち合わせをすべくショップから出て歩き始めた。
T-Siteはモダンだが、その他は昔の流れそのものだ。
道路をわたって狭い歩道を京阪交野線の高架の方に向かって歩き始めるとTさんが言った。

「そこの角の餃子の王将ですけど。」
「王将で打ち合わせですか?」
「そうそう、餃子食べながらビール飲んで....ってちゃうって」
「ツッコミ、ありがとうございます。」
「お約束ですから。」
「そうでしょうね。書類、ラー油とかたで汚れそうやし。」
「未だ言うんかいな。で、何を言いたいかというと。」
「はい。」
「この餃子の王将の場所がですね、TSUTAYA創業の地なんです。」
「ええっ!....こんな(次の言葉を飲み込む)」
「そうなんです。」
「こんな...きた.......TSUTAYAは枚方の会社なんですか?」
「ここに店が出来たんです。私が高校生の頃ですけど。」

私はTSUTAYAはてっきり東京生まれの東京の会社だと思っていた。
なぜなら代官山の店のようなコンセプトを投入したり、公共図書館の運営まで引き受ける、社会に常に話題を提供する情報発信型の会社だとおもっていたからだ。
ところが、それが大阪の会社だという。

ビックリした私は帰宅してからすぐにネットでチェックした。
で、TSUTAYAを調べてみると本社は東京と大阪に2つあるが、登記上は今も大阪。
なぜ枚方にT-Siteが誕生したのか。
その理由がなんとなく分かったとともに、大阪人の発想力と行動力はまだまだ衰えていないことを知って大いに勇気づけられた。
「くらわんか船」のエネルギーはまだまだ健在だった。

枚方は侮れない歴史の街なのであった。

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「結末はどんどんひとに喋ってください」

というキャッチコピーで公開されたのは映画「ファール・プレイ」。
1978年製作で監督がコリン・ヒギンズ、主演はゴールディ・ホーンとチェビー・チェイスだった。

テレビのCMで流されたそのキャッチコピーにキャッチされた高校生だった私は公開初日に今はなき梅田東映劇場に足を運びこの映画を鑑賞した。
それほど話題性もなく、この年が空前のSFブームで同じ時期にスピルバーグの「未知との遭遇」が大ヒットしていたにも関わらず、この地味っぽい映画の客席はほぼ満席。
CMのキャッチがかなりの効果を出した映画だったのでのではなかったのかと今になって思い出すのだ。
映画そのものはヒッチコックのサスペンステイストを持った秀逸なコメディで、以後私は現在に至るまで映画はコメディが最もお気に入りのジャンルである。

ところで「結末を人にしゃべる」というのは「口コミ」を広めることであることは今でならよく分かる。
インターネットの無かった1978年。口コミをどうやってマーケティングに利用するのか。
多くのクリエイターやマーケターは頭を悩ましたことだろう。
本当に面白いもの、そうでないもの。口コミを通じてできるだけポジティブな情報を親しい人のネットワークを通じて伝えていくことのいかに難しかったことか。
もちろん口コミ成功の大きな事例が当時は存在した。
前年の1977年に公開された「スター・ウォーズ」がそれで、全米でたった50館の映画館で公開されたB級SFと思われていた作品は見た人の度肝を抜いて口コミで広がり、ついには歴代ナンバーワンのヒットに繋がった。
そういう時代だったからこういうコピーも生まれたのかもしれない。

この口コミの影響は現在、フェイスブック、ツイッター、ブログなどを通じて絶大なチカラを持っている。
とりわけSNSでは知らない人ではなく、自分の知っている親しい人からの情報なので信頼性が高く(信頼性の低い人の情報は情報の信頼性も低いことに注意が必要だ)、しかもインターネットがあるので伝達が早い。
こういう時代では真実を曲げると、その曲げた部分が露骨に見えてくるので、たとえば広告で製品のいいところだけをPRしてもSNSを使って「実はこの製品は.......」とあっという間にネガティブな情報を拡散されてしまう。
「ウソはつけない」時代になってきてる。

そういう新しい時代のマーケティングへの考え方について書かれたのがイタマール・サイモンソン、エマニュエル・ローゼン共著「ウソはバレる」(ダイヤモンド社 千葉敏生訳)。
インターネットを通じて流れるクチコミ情報が既存のマーケティング戦略を大きく覆し、テレビCMや雑誌広告で編み出してきた手法が通用しない時代になっていることに気がついている人はまだまだ少ないという。

もしあなたがカメラを買おうとする。
従来であれば、雑誌の批評やテレビCM、メーカーの知名度、カタログ表記などを吟味して製品を選んでいただろう。
しかし本書は言うのだ。
今なら雑誌やテレビCMも参考にするが、最も情報としてチェックされるのはアマゾン・ドット・コムのレビューであり、星の数であり、価格調査サイトの口コミであり、SNSを通じた知人の評価だ。
これがもし1978年ならこういう情報を入手するのはほとんど不可能で、どうしてもという場合は週末の居酒屋で酒を飲みながら話題として引っ張りだすか、数人もいないだろう同じ趣味を持つ友人に恥を忍んで相談する、というぐらいしか方法はなかった。
口コミ情報を入手するには手間もかかるし時間もかかる。
いろいろ聞いて回った頃には購買欲も冷めているかもしれない。

しかし、今はインターネットで簡単迅速に調べることができるのだ。

メーカーや映画会社が広告する情報に人は安易に騙されない。
「ウソはバレる」
極めて重要な社会変革かもしれない。



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「当機ではANA SKY LIVE TVのサービスを行っております」
と機内アナウンスが流れた。

早朝の大阪空港。
まもなく出発する東北の福島に向かうB737の中で私はアナウンスを聞いた。
「なんやろか?」
飛行機のアナウンスというのは聞き取りやすいようで聞き取りにくい。
とりわき聞いたこともないようなサービスである場合、理解するのに時間がかかることがある。
私の頭がボケているわけではないので誤解のないように。
まさにこの時がそうであった。

「当機はお持ちのスマートフォンで音楽やテレビを見ることができます」
とアナウンスは続いた。
「お〜〜〜、ついに機内で映像配信が開始されたぁ!」
と私は感動した。
ついこの間まで、飛行機といえば電子デバイスの使用を禁止していた。
離陸や着陸、飛行中を含めて飛行機の中で電話をしたりカメラで写真を撮影したら墜落するかも分からない、と私たちは脅されていたのだ。
それが2年ほど前から離着陸でもデジタルカメラの使用が可能になった。
電波を発信する携帯電話は今も使えない。
その厳しいレギュレーションの中でスマホのための映像配信が開始されたのだという。
感動しないほうがおかしい。

しかし感動したのも束の間。
どうやったらそのサービスに接続できるのかさっぱりわからない。
私は自分のiPhoneをあっちっこちひねくり回してはWifi接続を確認したり、アプリが必要なのかとアップストアに接続し「ANA」と入力したものの出てきたのは私の持っている予約アプリかその関連かだった。
やがて飛行機は扉が閉まり、いつものように、
「携帯電話は電波の発信できない状態に設定するか、電源をオフにしてください」
アナウンスが流れた。
なんのことはない。
いつもと同じなのであった。

離陸してから座席前のポケットに「ANA SKY LIVE TV」という二つ折りのパンフレットが入っているのに気づいた。
私は機内誌「翼の王国」の最後のページのほうばかりパラパラめくっていたのだが、新サービスは載っていなかった。
新サービスが専用のパンフレットに記載されていたのであった。

「な〜〜んだ」

で、よくよく読んでみるとこのサービス。
出発時の「ドアが閉まる前」と到着後の「ドアが開いてから」しか使えないことが分かった。
それってなに?
という感じだ。

つまりほとんど見る時間も聴く時間もないANA SKY LIVE TVなのであった。

無意味だ。

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