<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



以前、製品の図面を描く仕事をしていて、いつも悩むのがネジの描き方。
どこまで丁寧に描くのか。
ネジ山まで描けばいいのか、そんなことは省略すればいいのか、描き方が我流だったのでいつも悩んでいたのだ。
細かく描くのは面倒くさい。
かといって、省略していしまうと図面としてのリアリティが小さくなってしまい、なんとなく頼りない。
とりわけCADが登場してからは、細かく描きたくなる人情があるし、一旦描いてしまえば使い回しが可能なので、安穏に部品データをパーツとして使用するのだが、縮尺が小さいと細かなディテールなんかは潰れてしまうと意味が無い。

ネジはほんと、やっかいなパーツなのだ。

そのネジの歴史なんて、あまり興味がなかった。

そういえばネジが使われていない工業製品などほとんどなく、ネジは最も身近な道具。
その歴史を知るのも悪くない。

ということで、ハヤカワ文庫「ねじとねじ回し この千年で最高の発明を回る物語」はネジの歴史を語った珍しい技術エッセイだった。
ただし、珍しいのは珍しいのだが、掘り下げ力に欠ける部分があるのもこれまた事実。
読み進んでいるうちにネジの特許問題にぶち当たるのだが、各考案者同士のパワーバランスとビジネス戦争はとりわけ描ききれていないので残念だ。
この特許にゆれるネジの時代は産業革命から続くテクノロジーの進化の物語でもあるので、もっとページ数を割いて欲しかった物語だ。

とはいうものの、ある意味情けないけれどもプラスネジとマイナスネジの違いを初めて知ることができたのは本書であり、さらに実は産業革命以前のはるか昔。
ギリシャ時代の技術は現代の技術に並んでいたといっても過言ではない叡智がすでに成立していた、なんていう話では、思わずどどどと引き込まれる力があったのも確か。

これから工学系技術を学びたい、という中高生にはぴったりの読み物だと思う。

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朝日新聞WEB版の記事

中国はなんてけったいな国なんだろう。
「髪の毛の薄い人にはビザを出さない」
ですと。

このニュース、台湾メディアが伝えるニュースなので半分くらいは「ジョーク」かな、と思っていた。
それに掲載されているのが記事捏造では数多くの実績のある朝日新聞社。
まさか、と思ったのだ。

それにしてもハゲは「変装がしやすい」というのは理由になるのだろうか。
ハゲだとズラがかぶりやすいというのは確かかもしれないが、カツラというのは髪の毛があろうが無かろうが適度にフィットして不自然さを感じさせないくらいには誰でも装着できるものだと思っている。
テレビの時代劇に登場する役者さんは丁髷姿や日本髪を結っている人がほとんどだが、彼ら彼女らが「ハゲ」にカツラをかぶっているわけでは決してない。

暴れん坊将軍の松平健がハゲだと聞いたことがあるのか?
水戸黄門の里見浩太朗がハゲだと聞いたことがあるのか?
決してないのである。

とどのつまり、オノが自由にならない属国だと勘違いしている台湾という国が、経済や言論や表現の自由で繁栄していることに対する嫌がらせなのかもわからない。

髪の薄い人は台湾人以外にも沢山いるのだから。

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子供の頃、金曜日の夜8時といえば「プロレス中継」。
ジャイアント馬場にアントニオ猪木、ザ・デストロイヤー、ファンク兄弟などなど。
読売テレビのスポーツテーマがテレビから流れ出したら急いでトイレに行って、試合途中で画面の前を離れなければならない、という情けない事態を避けるよう、毎週心がけたものだ。

数あるスター選手の中でも私はやっぱり他の多くの子供達と同じようにアントニオ猪木とジャイアント馬場のファンだった。
馬場の十六文キックやアントニオ猪木のコブラツイストを毎回期待してテレビに釘付け。
プロレス嫌いの母は、「何がおもしろいねん」と文句を言っていたりしたものだが、私はリングの中の闘いに夢中になっていたものだ。

で、歳月は流れた。
プロレス人気は下火となって、今は多くのマニアの人達に支えられて生き延びている、どちらかというと少しばかりマイナーなスポーツ。
それでもかつてのスター選手たちを憧れる少年の心は今もあまり変わっていない。

と、気が付かせたのは、池袋東口にある「アントニオ猪木酒場」を訪れた時なのであった。

「面白い居酒屋がありますよ」

取引先の部長のレコンメンドで教えてもらったのがそこ。

西武池袋東口の改札前で待ち合わせをし、少し歩いたビッグカメラ横の雑居ビル4階にある[アントニオ猪木酒場」を訪れた。
エレベータを降りた途端、私は全身に熱い血液が湧き立の久しぶりに感じることになった。
「闘魂!」
酒場の入り口にはアントニオ猪木の等身大の人形。
入り口にはゴングがおかれており、

「三人ね」

とレフリーの格好をしたおやじさんに人数を告げると、おやじさんはおもむろにマイクを取り出して、
「カーン!」
とゴングを打ち鳴らし、
「お三人さん、ご入場!」
と場内アナウンス。
全席バーカウンター風のテーブルに案内された。

壁にはアントニオ猪木をはじめとするプロレスグッズ。
要所要所に設置されている大型プラズマビジョンでは、なんと、あの読売テレビ(日本テレビ系)で放送されていた、ガキの頃に夢中になって見ていたプロレスのビデオが流れているのだ!

雰囲気バツグン。
燃える闘魂。

さらにメニューが優れていた。

「コブラツイスト」



長ーいウィンナーソーセージをコブラのようにしただけの料理なのだが、これも感動。

そして、
「なんだこの野郎!焼き」



これが絶品!
アジアンテイストな焼き鳥でスパイシーでメッチャ美味なのであった。

そのほかシャカシャカサラダなんかは大声でスタッフとお客が一緒に掛け声を出しながらサーブされる料理で、これも興奮。

大阪にはグラビアアイドルを看板にした焼肉屋やラーメン屋があるものの(行ったことはありませんが)、ここほどお客の心を元気にしてくれることはないだろう。

ということで、池袋の「アントニオ猪木酒場 SAKA-BAR」。
東京へ行く度に立ち寄りそうになる「心が燃える」居酒屋なのであった。

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新幹線で大阪から東京へ行くと最速のぞみ号で2時間35分。
途中静岡や豊橋に停車するひかり号でも3時間弱。

社会人になって初めて新幹線で大阪~東京を往復した頃は最新車両が二階建て車両の連結された100系。でもほとんどの電車は丸ボンネットで青い光の超特急0系。
所要時間は3時間と少しだった。
名古屋を出てから東京につくまでの2時間が妙に長く感じられ、座席も今ほど良くないから東京へ着いたらぐったりしていた。
それが今や2時間代。

先日、出張でこだま号に乗らなければならない機会があり、いつもならのぞみに乗ってビューン!と通過する浜松駅に停車した。
たまたま夕方の電車でまだ景色が明るかったので外を見ていると、浜松を出発してすぐのビルの屋上に時代を感じる看板を発見した。

「東京まで90分、大阪まで100分」

と、その看板には書かれていた。

そうか、浜松までは大阪から100分。東京からは90分かかるのか。
合計190分。
普段見かけない看板に、「やっぱりたまの各駅停車のこだまもいいな」と思っていたが2時間半の距離にしてては190分は長すぎると疑問を感じた。
で、すぐさま190分は3時間10分であることを思い出した。

あの看板は新幹線が国鉄だった頃の看板なのだった。

のぞみ号に乗っているとスピードが早すぎて読めない看板だが、今なら「東京まで75分、大阪まで80分」となるところ。
各駅停車のこだま号の旅は、20年以上も前に私の心をタイムスリップさせてくれたというわけだ。

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早朝、東京への出張で関西空港に到着した私は8時発の羽田行に搭乗するため保安検査場をくぐった。

昨年の今頃までは関西空港の保安検査業といえば2箇所しかゲートが開いておらず、
「利用する人がほとんどいない」
過疎化する国際空港として、ますます寂しくなっていたのであった。
ところがやんちゃくれの大阪府知事が「伊丹を廃止して関空に統合!」などと言い始めたので俄に活気づいたのか、最近の関空は国内線ロビーもそこそこ混雑しており保安検査場も三箇所以上開いていることが少なくない。
ちなみに国際線ロビーはもともと混雑しているので、成田並に混雑されると不便になるから今のままがいいと個人的には思っている。

で、保安ゲートを抜けて出発ロビーに出た私は、朝のコーヒーを買い求めようかと考え立ち止まった。
しかしすぐさま空港のコーヒーは特別おいしいということもない割には駅の立ち食いうどんとに対して変わらない価格であったことを思い出し、コーヒーは東京に着いてから、しかも都内に出てからドトールかベーローチェでいいかも、と妥協することにした。
さらに搭乗する便がANAのチケットだったのだが機材はスターフライヤーであることを思い出し、「お。コーヒー機内で飲めるやんけ」と思ったのだった。
ケチケチANAはこの4月から機内サービスが有料になってしまい気軽にジュースさえ飲めなくなっているのだ。
それに比べて弱小エアラインのスターフライヤーはタリーズコーヒーが飲めたりなんかする。

そんなこんなを考えながら、ふと私が乗る19番ゲートとは反対側の左手をみると、「ANA」「ANA」の紺碧のマークが描かれた垂直尾翼が並ぶ向こう側に「ダビンチのヘリコプター」マークが描かれた水色の垂直尾翼が目に止まった。

「おおー!」

ヒコーキ大好きな私は古の人気番組11PM水曜日の新聞見出しのように「思わず興奮」。
なんと関西空港に「モヒカンジェット」が駐機していたのだ。



20年ぶりに期間限定で復活した懐かしい全日空のモヒカンジェットに、ここ関西空港で出会うことができるなんて意外だっった。
モヒカンジェットは羽田~九州限定ではなかったのか。
搭乗開始まで10分あったので私はカバンからデジカメを取り出し遙か北に駐機しているモヒカンジェットのゲートに向かって一目散に走り始めた。

ということで、朝から年甲斐もなくデジカメ小僧となって写真を撮りまくった朝の関空なのであった。



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インターネットのニュースサイトによると、ミャンマーが記録的猛暑で多くの犠牲者を出しているのだという。
旧首都ヤンゴンでは毎日数十人の主に老人が熱気のために命を落としているのだという。 これはただごとではない。

数年前、ヨーロッパを熱波が襲い大勢の人たち、これも主に老人が熱気のために亡くなったが、そこは欧州。 普段は気温が30度を超えることなどめったになく、住んでいる人も多くが汗腺の少ない白人の土地柄。 異常な暑さで人が亡くなっても驚くことはあるまい。

しかし、ミャンマーである。 シャン州など高原の土地は別として年柄年中蒸し暑いお国柄のミャンマーで熱波にやられて多くの人が亡くなるなど、驚異なのだ。

三年前に私はモンユウという街を訪れた。 ここはミャンマーでも屈指の暑さを誇っている地域で、その暑さは尋常ではなかった。 モンユウは旧都マンダレー(ミャンマーは旧都だらけだ)から自動車で4時間ほど北に進んだところにある内陸の街だ。 街としても小さくなく、大きなマーケットや寺院が点在し、活気がある。
この街が観光地として開けてきたのはつい最近だと思うのだが、付近には見ごたえのある様々な仏教聖地がある。 とりわけ郊外にある高さ100メートル以上はあろうかというお釈迦様の立像は必見で、その高さは奈良の大仏さんが見たらビックリして立ち上がるぐらい迫力がある。
たまたま上京したらスカイツリーの高さに目を奪われた、なんていうのは比べものにならないくらいダイナミックなのだ。

このお釈迦様の立像とは別に、モンユウから2時間近く車でさらに北東へ移動すると、ポーウィン山洞窟寺院というのがある。

実はここがめちゃくちゃ暑いのだ。 どのくらい暑いかというと、自動車を降りて10m先の寺院の入り口に歩くまでの間に喉がカラカラに乾き、脱水症状になってしまうぐらい暑い。
気温は優に40度を超えていたと、私は思っている。
下手にジュースなんぞを買ったりすると、冷えていない生ぬるいファンタなんかを飲むハメになり、脱水症状は加速されることになってしまう。
驚いたことに、この寺院でも地元のガキどもが走り回っていることで、私は、
「ああ、ミャンマーの子どもたちは超人だ、普通の人間ではない」
と思ったことも記憶している。 そのミャンマーで、暑さで無くなる人がいるのだから大変だ。

これは一度お世話になった人たちをお見舞いに行かねばならないが、そんなことを理由にひとり海外旅行を許してもらえそうな雰囲気はない。 それが一番辛いところだ。

モンユウの大仏さまについては以下のブログを御覧下さい。
モンユウの大仏様

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