<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地





数年前に初めて仙台を訪れたとき、街の中心部でJAZZ FESTIVALが開催されていて、しばし仕事を忘れて聞き惚れていたことがあった。
仙台でJAZZ。

関西人はJAZZといえば神戸が有名で、最近では大阪高槻市のJAZZストリートも毎年テレビに取り上げられるほど知名度が上がってきている。
昨年は大阪ミナミでJAZZ FESTAが開かれ、道頓堀で生演奏、なんて風景も見られた。

初めての仙台で偶然にJAZZを聞くことになったのは、実際のところかなり意外な感じがしないでもなかった。
もちろん、悪い意味での意外ではない。
JAZZの洒落た大人のリズムが、とってもよく似合う街だと思ったのだ。

仙台という街は、想像以上に市街地が美しかった。
とりわけ定禅寺通りの背の高い並木は印象的で、洒落たレストランやブティックなどが並ぶ様子からは、ファッションセンスの上で実に洗練されたところだという印象をもったのであった。

その景色とJAZZの音楽が頭の中で融合して、大した仕事もしないままだったにも関わらず、仙台に対する良い印象を持って大阪に帰ってきた。

実のところ、仙台を訪れJAZZを耳にするまでは、仙台の音楽といえば、月並みかもしれないがさとう宗幸の青葉城恋唄なのであった。
ちょうど私が高校生の時にヒットした曲で、ザ・ベストテンでこの歌を耳にするたびに、
「なんて美しい詩なんだろうか」
と、ちょっとキザッポク思ったものだった。

「清瀬川、流れる岸辺......」
で始まる歌詞はキラキラと輝いているようで、季節が夏の歌だけに暑いけれども爽やかな感じがしたものだ。
でも、歌詞の締めくくりは1番から3番まで、すべて「あの人はもういない」。
別れた人の思い出を語る寂しい歌だと気がついた。

「あの人はもういない」
今回の震災は、この歌の歌詞に別の意味を持たせてしまったのではないだろうか。
なんとなく、ネットで購入した青葉城恋唄を聴いていて、目頭が熱くなった。



コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




昨日、JR天王寺駅(大阪)のコンコースを歩いていたら、
「東北地方へのご旅行はお控えください」
というアナウンスが流れていた。

東北地方は復旧支援活動に忙しく、物見遊山の旅行なんかしてくれるな、という気持ちはわかる。
だいたい今の時期、物見遊山は不謹慎だ。
しかしながら、新聞やテレビの報道を見ていても判らないことが多々あって、どれをどのくらい信じてよいものかわからない事態になっているのがほんとのところだろう。
東北地方の全体が被害を受けているのかどうなのか。
物見遊山ではなくても、東北地方の経済の少しでも足しになればと、静かに旅行する人もいるかも知れない。
正確な情報がわからないので、JRのアナウンスを鵜呑みにするしかない、というのが現状だ。

ともかく震災にからむ情報は神戸の時もそうだったが、信頼できないことが多い。
今回はだいたい民主党菅直人政府や東京電力の発表すること自体が信用できない。

「原発は自動的に停止しましたら心配は要りません」

と当初言ってたのに、2週間半経った今現在は、

「プルトニウムが漏れだしている憂慮する事態だ」

に変わっているくらいだから、発言に信頼がないことは間違いない。

他の情報にしても同じことが言える。
東北地方の交通手段は寸断されて、どうしようもないというのが、私たち関西に住んでいる者の印象だ。
でも実際のところ、日本海側の秋田県や新潟県といった東北地方はどうなのだろう。
ちゃんと普通に機能しているところも多いのではないだろうか。
たとえば、大阪からは青森行きや新潟行きの特急が走っており、現在のところ運休しているのは札幌行きのトワイライトエキスプレスぐらいのもの。
このダイヤを見ていれば日本海側の諸都市は普通に機能しているように思えるのだが、それに関する報道は皆無だ。

「東北地方への旅行はお控えください」

とは言うものの、東北地方で旅行業を生業にしている人の人口は少なくなく、大きな産業であることに違いない。
お客が来てくれなければ、収入も途絶え、震災より、風評の方で被害を受けた、ということになることも考えられる。
もし、大きな損害が無く、旅行者を待ち続けているホテルや土産物屋、名所旧跡、タクシーやバス、鉄道といった交通機関があるのなら、駅のアナウンスは適切ではない、ということになる。

ホテルは被災者の一時宿泊所になっているのだろうか。
本当に、お金を落としに人々がその地域を訪れなくても良いのだろうか。

天下のJRが放送しているアナウンスなので、まさか間違いはないだろうが、本当に秋田や新潟、青森の一部などは旅する者を迎える準備もできておらず、「ややこしいから、来てくれるな」と心底思っているのだろうか。

旅をどうするのか?

難しいところだ。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




先週末、大阪の難波界隈をぶらぶらしていると異様にひとが多いのに驚いた。
まるでショッピングに賑わう年末のような風景なのだ。

ただ、年末とちがうのは中国や韓国、そして台湾からの外国人観光客と思しき人達が多いことに加え、白人や黒人の家族連れの姿も大きく目立っていたことだった。
これって東北地方の震災の影響なのか。
正直、人の流れに身を任さなければ、容易に歩けないほどの混雑になっていた戎橋筋や心斎橋筋の雑踏に巻き込まれると、そう思わざるを得なかったのだ。

今回は単なる地震ではなく、原発の事故が二次的に発生し、人々をより大きな不安の中に陥れている。
日本人はもちろん、日本に滞在する外国人にとっては言葉も十分に通じないし、テレビやラジオで報道される政府発表や東京電力発表はてんで信頼ならない。
ということは日本を離れるか、どこか別の安全そうに見える街に引っ越すか、ということになってしまう。

そういう避難場所に選ばれたのが大阪なのだったのだろう。

例えばスイスの大使館は今、東京にはなく、暫定的に大阪ミナミのスイスオテルという元南海サウスタワーホテルの中に設置されているし、ドイツ大使館も一時的に大阪総領事館を大使館にしている。
週刊誌の報道によると東京に拠点を置いていた外資系企業も大阪や京都に拠点を移しており、事態の沈静化を待っているというのだ。

そういえば、ミナミを歩いている多くの外国人は家族連れで、かつ、生活臭プンプンただよっている人たちなのであった。

こんな事態がいつまで続くのか。
大阪市も水道局が放射線のデータを公表し始めた。

もっとも、ミナミのごったがえしの雰囲気は、震災の鬱々とした湿っぽさを吹き飛ばしていたことは間違いない。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




小学校の低学年くらいまで、私はお菓子と言えばチョコレートしか食べない妙な子供なのであった。

おかきやせんべいは好みでない。
飴やガムは舐めたり噛んだりするのが面倒くさい。
マシュマロやグミの食感は最悪。
ウエハスの類いは口の中にペチャペチャと破片がくっつくので大嫌い。

なぜか、チョコレートだけが大丈夫なのであった。

とはいうものの、チョコレートは今も昔も安くなく、なんとなく虫歯の原因候補ナンバーワンと思えるような予感も変わらない。
したがって、そう再々食べさせてもらえるわけではなく、食べさせてもらえても、昭和40年代、私と母が勝手に「棒チョコ」と呼んでいた駄菓子系のチョコレートか、チューブに入ったこれまた駄菓子系のチョコレートを買ってもらうのが関の山で、ロッテや森永、明治といったメーカーのチョコはメめったと口にすることはなかったように記憶している。
ちなみに、たんまに父が飲み屋からもらってくるウィスキーボンボンと外国製のチョコレートは最悪の味だと思っていた。

この「虫歯の原因」と勝手に思っていたチョコレートは実は昔「医薬品」として使われていたことを知って驚いたのだった。

武田尚子著「チョコレートの世界史~近代ヨーロッパが磨き上げた褐色の宝石」(中公新書)には、チョコレートが生み出された歴史的背景と、チョコレートがもたらした様々な文化が記されていた。
身近なお菓子、チョコレートがこんなにも様々な背景を抱えていたとは、実のところ想像することもなかったのだ。

知ってて当たり前なのかも知れないが、チョコレートの原料「カカオ」は南米原産。
つまりチョコレートもトマトや唐辛子と同様に大航海時代がもたらした産物であったわけだ。
しかし、トマトや唐辛子と違ってカカオはその使い方が最初はよくわからなかった。
カカオからココアへと進化して、さらにチョコレートになるためにはずいぶん時間を要して、私たち一般人の手元に届いたのは20世紀を迎えるころ、というのにも驚いたのだった。

そのなかでも意外だったのは、当初、チョコレートの原型であるココアは滋養強壮を狙った薬品として扱われていたということだった。
確かにココアにしろチョコレートにしろカロリーが高く、体力を消耗しているときには有効な食品であることは、なにかの本で読んだことはあったものの、まさか医薬品として扱われていたとは知らなかった。

虫歯の原因、チョコレートは医薬品だったというわけだ。

ともかく、チョコレートのあれやこれや。
チョコレートの歴史は、近代菓子の重要な要素なのだと思ったのであった。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




ここ数日、
「東京電力は自力で復旧や保証をする能力が無いから国が保証すると発表した」とか、「ボランティアを騙って空き巣に入って泥棒家業で稼ぐ輩がいる」とか、「セリーグがセパ同時開幕を回避の姿勢」とか、「東京との水道から放射性ヨウ素検出」といったニュースを目にすると、滅入ることしきり。
ろくでもないことばかりなので、元気が出る映画を見たいと思い、家族を伴って公開中のディズニーのミュージカルアニメ映画「塔の上のラプンツェルン」(IMAX 3D字幕スーパー版)を鑑賞してきた。
震災で大変な時に映画なんて、と思われるかもしれないが、それはちょっと違う。
こういうときにこそ映画を見よう。
心の平安をサポートできる人類が生み出した最高のエンタテイメント、それは「映画」あると、私は固く信じているのだ。

予め希望を述べると「ダムの決壊」という今時にはちょっと、と考えてしまうシーンが一カ所だけあるものの、ディズニー社には是非この映画を被災地で無償上映し、被災した人たちにひとときの楽しみと希望を与えていただきたいと思うくらい元気をくれる映画なのだ。

そもそも、私はミュージカル映画が大好きだ。
それは人が演じるものでも、アニメ作品でも変わらない。

このミュージカル大好きになったのは中学生のときに何気なくテレビのチャンネルを合わせたゴールデン洋画劇場で放送された「ザッツ・エンタテイメント」を見たのがきっかけだった。
この映画は1930年代から50年代に公開されたMGMの黄金時代のミュージカル作品のハイライトを集めたものだった。
数々の名シーンが連続するのだが、そのインパクトは紅白歌のベストテンやレッツゴーヤングぐらいしか歌番組を知らない洟垂れ小僧の私には強烈なものなのであった。
とりわけジーン・ケリーの元気なダンスやフレッド・アステアの優雅な踊り、レスリーキャロンの可愛らしさ、フランク・シナトラのヘタッピだけど妙に味のあるやんちゃな歌などが強く印象に残ったのであった。

以来、ミュージカル映画が公開されると劇場に足を向けるようになった。
また、アニメのミュージカルについては物心がついた頃に東映アニメ「長靴をはいた猫」やNHK人形劇「ひょっこりひょうたん島」を夢中になって見たために抵抗感がまったくなく、その楽しかった映画が潜在意識の中に蓄積されていたのだった。

そんなこんなで、近年ではそのミュージカル好きがエスカレートし舞台のミュージカルも楽しむようになった。
それも劇団四季ではなく、本場ブロードウェイの来日公演がお気に入りで、大阪で何か目立った公園がある時は、高いチケットを工面して購入し、劇場に足を運んでいる。
「ニューヨークに行きたい」
と我がままを言って叱られることもしきりである。

実のところ「塔の上のラプンツェルン」については、当初まったく関心がなかった。
どうせいつものディズニー映画だと思っていたのだ。
ピクサーではない新作ディズニー映画に対する私の関心はあまり高くない。

ところがある日、愛読してる週刊誌の映画評欄で、いつもは酷評でならした五人の評論家がこぞって4つ星か5つ星の高得点を与えていたのに目が止まった。
しかもその一個の批評に、
「まるでブロードウェイの舞台ミュージカルを見ているように興奮した」
というような意味合いが書かれていて、これは観なければと、めずらしく鑑賞映画候補リストに加えていたのであった。

時節柄、映画館はガラガラなのであった。
私たち親子3人がシアターに入ると客は一人もおらず貸し切り状態。
無人の映画館で予告編と広告だけが流れている状態になっているのであった。
後方中央部の席に付き、貸し切り状態を喜んでいると、あとから4人ほど観客が入ってきた。
それでも私たちと合わせて10人にも満たない劇場は、正直なんだか寂しいのであった。

そんな寂しさを吹き飛ばすように、物語は開始と同時に息も付かせぬブロードウェイミュージカルそのままの店舗で展開し始めた。
隙無し、テンポよし、CGとは思えない美しい映像には思わず息をのんだ。
キャラクターの表情もCGアニメとは思えない魅力があり、事実、物語に没頭しているとCGアニメであることを忘れてしまうくらいのアニメとしてのリアリティが溢れていたのだ。
各所で見せる踊り、歌。
キャラクターが演じる一つ一つのシーンが舞台のミュージカルを彷彿させる心地よい汗の匂いを感じさせたのであった。

「このディズニー映画。ピクサーでもないのにすごいテクニックや」
と感動していてタイトルクレジットを見ると、なんと製作総指揮はピクサーのジョン・ラセターなのであった。

アメリカ映画お得意の超楽観主義的雰囲気がないこともないが、一つ一つのエッセンスが洗練されているために、そんなことはどうでも良くなり、主人公とそれを取り巻くバイキングのような悪人集団(実は良い人たち)や王や王妃に知らず知らずのうちに感情移入して、笑いあり、涙ありの超エンタテイメントを楽しむことができていたのだった。

なお、最っも印象深いキャラクターは近衛兵の白い馬。
このキャラクターの表情や動作を見るだけでも一見の価値あり。

どんな苦しいときでも幸せになれる稀な映画なのであった。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




人間、社会的に偉くなると自身が関係している大きな災害があったとしても人前にでないというのが普通なのか。

いやいや、それにしては天皇陛下がテレビカメラの前で国民に向けたメッセージをお読みになるくらいでから、その説は当たらない。
たぶん、偉くなったら頭を下げたり、非難されたりするのに耐えられないから人前に出ることを避けるのだろう。

今回の震災でも、災害救助や復興活動の指揮を執らなければならない菅直人首相の顔が見えない。
テレビに顔を出すのは枝野官房長官ばかりで、菅首相はなかなか現れることがなく、たまに画面に現れたらヨレヨレの作業着にボサボサの頭。
疲れきっていかにも「なんで俺が首相のときにこんな災難に遭わなければならないんだ」という表情がにじみ出ている。
パフォーマンスをしたいところだが、もともと演技力は政治力と同じぐらい乏しいのでどうにもならない。

昨日、被災地を訪れる予定だった管総理だが、
「気象条件が悪いから」
という理由で訪問をキャンセルした。
ちょっとくらいカッコいいところを見せようとしたのかもわからないが、もしかしたらホントの理由は「被災地に行くのが怖いから」なのかも知れないと思った。

地震発生以来、避難所の食料や衣料品、燃料などが不足して多くの人が避難先でも被害を受けている。
なかには亡くなった人もいるそうで、テレビの報道番組を見るたびに言葉にならない怒りがこみ上げてくる。
いったい、支援物資の輸送はどうなっているのかと。
放射線の被害よりも、国民の怒りの目線の方が菅首相にとっては、遥かに恐ろしいに違いない。

自衛隊は200機以上のヘリコプターを出動させているという。
さらに数多くの米軍の航空機なども救助活動や支援物資の運搬に活躍している。
民間でも大阪のユニバーサルスタジオがヘリコプターをチャーターして支援物資を送っている。

にもかかわらず、避難所ではいつ物資が届くのかわからないところが少なくないという。

なんだ、これは。
自衛隊の兵隊さんたちも被災した自分の家を家族に託して事態収束と救援活動に全力をあげている。
その自衛隊を「暴力機関」と呼ぶ人を復興対策の責任者の一人に推す首相の考えはわけがわからない。
テレビの前に姿を見せることができないのも、さもありなん。

同様のことは東京電力の社長にも言えて、テレビには一回出演した限りで現れない。
常務が「社長は陣頭指揮を執っていて、私が代行」とかばっているようだが、国民が見たいのは常務の言い訳する情けない顔ではなく、会社を代表する社長の顔だ。
もしかすると、どこかの食品会社の社長のように「私は眠っていないんだ」と言いそうになりそうなので、周りが止めているのじゃあるまいか。

ということで、海外のマスコミが報道する日本国民は、とりわけ東北の人は忍耐力に優れて知的で行動力のある人がいいのも事実だが、リーダーたちには、そうでない人が多いこともまた、事実なのだ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




今回の地震災害で選挙ほど、もっとまじめに国民が取り組まなければならないものはないと、改めて痛感した。
政治に関心を持たなければならないのだ。

なぜなら、先の阪神大震災のときも同様だったが、政権与党が無能であると、非常時下で国民が負担しなければならない苦痛がより大きくなってしまうからだ。

被災者の救助。
援助物資の輸送。
インフラの回復。
治安維持。
産業支援。
風評被害拡散の防止。
などなど

どれもこれも強く有能なリーダーシップを求められるものばかりだ。

今回の地震では、倒壊した家屋や津波に押し流された家屋から救出されている人たちが少なくない。
さらに報道によると、取り残されたために凍死したり体力的に限界を迎えてなくなった方もいると聞く。
行方不明の人たちがそういう瓦礫の下や、自動車の中、海上で生存している可能性も少なくなく、一刻も争う重大事だ。

このような中で政権与党・民主党政府は、たとえば台湾からの救助隊を空港で足止め。理由は中国に遠慮をしたからだというが、こういう愚を演じることが許せない。
台湾政府からの救助隊こそ、自国の救助隊よりも日本には相応しい。
なぜなら、台湾人は日本語が普通に話せる、あるいは理解できる人が他の国に比べて格段に多いからだ。

にもかかわらず、政治的配慮やイデオロギーにこだわる政府首脳は政治家や官僚ではなく人殺しと言っても過言ではない。

阪神大震災のときにイデオロギーにこだわった与党・日本社会党が自衛隊の出動に待ったをかけたのは有名な逸話だし、病院船の提供を打診してきた米軍を袖にしたのもまだまだ記憶に新しい。
今の民主党の構成メンバーには、地震後に神戸を破壊した日本社会党の残党が一杯いる。
社会党が社民党と名を変え、福島某という頭が普通とは思えない党首を頂く弱小政党に変わり果てたのは、何も世界政治の潮流が変わっただけが理由ではない。

また、救助物資の輸送も歯がゆい。
自衛隊のヘリで空輸し投下するようなことができないのか。
イライラする。
物流を現代ではロジスティクスなどと言って運送会社や倉庫業の中には会社名に盛り込んでいるとことも少なくない。
このロジスティクスのもともとの語源は軍隊作戦に於ける兵站のことだ。
つまり現状のように自衛隊を駆使して僻地、孤立避難地に物資を運べないというのは日本という国が平和ボケしてしまい軍隊=自衛隊による兵站ができないことと同じ意味なのだ。

このようなことで、もし朝鮮半島に有事が発生し、日本が巻き込まれたときどのようにして国民を守るのか、大いに疑問だ。

インフラにしても首相は東電を怒鳴りつけることしかできない。
これでは親父の権威を盾に威張り散らす中小企業の出来の悪いボンクラ二代目経営者だ。

東電にも非はあるが、IAEAが「これは東京電力に非があるのではなく、人間の予想を遥かに上回る自然の為せた災害」と認めているような途方も無い大きな災害なのだ。
福島原発で事態を収束させるために活動している東電社員、関係業者、自衛隊、消防隊、米軍のことを首相が少しでも冷静に考えれば、もっと他に言い方も、やりかたもあったに違いない。
誰が放射線の中で、命を張って、作業を継続しているのか。
その選抜。
その心情。
それらを思うと原発を止める作業員は特攻隊に近いものがあるのではなかとさえ思え、彼らの心情を想像すると、いたたまれない気持ちになる。

さらに、経産省は風評被害についての対策はしているのだろうか。

原発事故で日本の農産品、工業製品が売れなくなったら、それこそ重大事だ。
国内に於いても、まず秋田や新潟といった同じ東北地方でも被害の少なかったところは風評被害で試練に遭う可能性が強い。
埼玉のダイオキシン報道であれだけ風評被害が出たのを記憶の人も多いことだろう。
きっと久米宏も覚えているに違いない。
今回はダイオキシンどころではなく、原発事故。
正しい情報で国民の命と生活を守り抜くのが政治と行政の義務ではないだろうか。

選挙で、国民も、政治家も、もっと真剣に国家運営を考えていたら、もしかすると被害は少しでも小さくできたかも判らない。

政治を変える、ということが今回の震災で亡くなった人たちへの、生き残った国民の責務であることは間違いない。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




耳を覆いたくなる、という経験を初めてしている。
かといって、見ない訳にはいかない現実がそこにあり、そしてそれをしっかりとらえることで、初めて支援だとか、仕事上の備えだとか、生活への影響などを冷静に考えることができるのだから。

信じられないニュースが連続している。

途方もない予算を費やして築き上げ、「国費の無駄遣い」まで揶揄された津波用の防波堤はいとも簡単に突破された。
世界最高水準の原発技術も津波の前では想定外で、命をかけた戦いが展開されている。
政府首脳は無策にちかく、首相は怒鳴るしかすべがない。
児童手当、高速道路無料化など、理想に燃えた非現実的な政策は、自然の猛威の前であっけなく潰えた。

夢であったら良いのに。

きっと、日本だけではなく、世界中で多くの人がそう思っているのに違いない。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




今回の地震災害は想像を絶する大規模なものだった。
今もテレビで放送されている壊滅してしまった街の姿を見るに付け、あまりに衝撃が大きすぎて現実感が湧いてこない。
失礼とは思うものの、まるで夢か映画を見ているような錯覚に陥ってしまう。

15年前、1月17日の午後、地震で大被害を受けた西宮、芦屋の街を目の当たりにしてぼう然とした時と同じ感覚が甦る。

土曜日なのだったが仕事があり出社すると私の担当ではないお得意様から電話があった。

「すいません。御社の製品デリバリー体制はどのような状況でしょうか?」
と訊かれたので、
「東北地区はわかりません。今日は土曜日ですから業務が休みなんです。今わかることならおお聞きしますが、どのような内容ですか?」
と答えた。
すると先方の話しを聞いて地震による災害の酷さを改めて感じたのだった。
「当社の本社は仙台にございまして、データセンターが被害を受け、復旧見込みの立たない状態なんです。」
「それは.......大丈夫ですか。」
「はい、ただ、つきましては通常の発注が出来ないため当分の間、ファクシミリとエクセルファイルによる発注業務で対応していただきたいのですが。」

この得意先はうちの会社ではあまり大きな取引はないが、誰もが知っている大手メーカーだ。
そのメーカーがシステムダウンで20世紀の発注方法「ファクシミリ」で処理したいと言ってきたことに驚いた。
正直、「詐欺かな」とも疑った。
しかし、折返し電話を確認したら、間違いなく得意先さんだった。

うちの会社も仙台の支店が津波に襲われ被災。
しばらく社員と連絡が取れなかった。
今日になって全員の無事が確認されて安心したが、このあとどのように対応していけば良いのか、想像できない。

15年前はリュックを背負って応援に行くという姿が見られたが、今回は前回になかった津波の被害が甚大だ。
歩くにも、歩く道が無くなっているところが無数にある。
市民ボランティアでは通用しない凄みがある。

東北地方にも友人が少なからず住んでいて、かなり心配だ。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




コント55号の坂上二郎が亡くなった。
また一人、味のあるコメディアンがいなくなってしまった。

数年前に発売されたコント55号の「なんでそうるの!?」のコント集DVDを鑑賞すると、今でも十分楽しめるのが良くわかる。
お笑いの世界では時代を超えて楽しめるものを「古典」と呼ぶが、コント55号はまさに「古典」。
昔のものでも十分に楽しむことが出来るエンタテイメントだ。

そのコントの中で欽ちゃんにいじられるのが二郎さんのいつもの役回りで、
「ハアハアハア」
と息を切らせながら舞台を走り回る姿はエネルギッシュだ。
それでいて「下ネタはしない」という55号のスピリッツの通り、不快感の無い内容は、幼稚な内容が多い最近の新しいお笑いと比較しても、良くできていて楽しめる。

晩年の坂上二郎は俳優としても活躍。
もうかれこれ20年近く以前になってしまったがNHK水曜ドラマ「腕におぼえあり」の口入屋役は秀逸で、村上明宏や渡辺徹と並ぶ主役の一人だと思っていた。

これもそれもコント55号が浅草出身のプロのコメディアンで、単に人の笑いをとるだけではなく、人を楽しくさせる修業を積んだ芸人さんだったからに他ならない。

ということで、76才というと今の尺度からするとまだまだ若い。
なんで死んじゃうの!?

コント55号の生のコントは、もう見られない。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )



« 前ページ