<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地





宮﨑駿が監督したNHKのアニメ番組「未来少年コナン」に登場するジムシーは豚のことを「うまそう」と呼んでいた。
当時中学生だった私は「ヘレカツ」は美味しそうに見えるのだが、どう考えても「生の豚肉」はもちろん「豚」そのものを見て、それを美味しとは思えなかった。
どちらかというと生きている動物は豚だけでなく、それが牛であっても、鶏であっても美味しそうと思ったことはなかった。
従ってジムシーのセリフはアニメの世界だけのものだと思っていたのだ。

やがて社会人になって結婚をして子供を連れて大阪天保山の海遊館に行った時に水槽の中を元気に泳いでる「鯵」の群れを見て初めて「美味しそう」と思った。それが初めて生きている動物を見て美味そうと感じた経験なのであった。
しかし未だ「あんこう」や「なまこ」「タコ」の類を見て「美味そう」と思えたことはない。

内澤旬子著「世界屠畜紀行」(角川文庫)で著者はジムシーのように生きている豚や牛を「美味そう」と言っていた。
ジムシーのセリフはアニメだけのものではなかったのだ。
本書は生きている牛や豚を見て「おいしそう」と言える著者が日本、韓国、アメリカ、モンゴルなど世界の幾つかの国々の屠畜を取材し、その仕事に従事する人々やそれを取り巻く社会、そして方法、考え方などを著した紀行ものだ。
本業はイラストレーターらしく、わかりやすいイラストが添えられている。

この本を初めて見た数年前、
「これは凄いことを書籍にしたものだ」
と感じてすぐにも読まなければ、と思った。
でもすぐに買わなかったのはそこそこ値段が高かったことと、他に買わなければならない本があったためで今回やっと文庫を見つけて読むに至ったのだ。

そもそも屠畜という業務そのものが日本人には馴染みが薄い。しかもそれを生業にする人たちを差別してしまう闇の文化がある。
このため一般の人が「屠畜」から「加工」に至るプロセスを見たり聴いたりすることは稀である。
今、一般的には食肉がスーパーに並んでいる時はの姿は存在しない。
ただそこには「商品」があるのみ。
綺麗にカットされパックに詰められフィルムでラッピングされている。従ってそれが生き物であったことを連想させるものが無い。
肉だけではない。
魚も切り身で売っているので元はどのような形の魚なのか知る由もない。

このような状態は人間の食に対する基本的意味を失わさせるのに十分な役割を担っているわけで、本書で度々謳っている、
「すべての生き物は他の生き物の生命を頂戴しなければ生きていくことができない。」
ということを知らず知らずに忘れてしまっているのだ。
そういう意味で、屠畜は立派な職業であり、職人技とも言えるその技術はいずれの国の場合でも他の職業同様尊敬すべきものなのだ。
技術も驚きだったが、我々は牛や豚の生命を頂いて生きながらえているということを思い起こさせてくれるという意味でなかなか類を見ない良書なのであった。


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南海トラフ地震の発生が確実視されていて、それもいつ発生してもおかしくないという。
実際の地震の揺れは海洋型地震なので阪神淡路大震災のときのような急な加速度で突然ドド〜〜ん来るのではないから、最新の耐震基準の建物にいる限りはほぼ大丈夫。
心配されるのは東日本震災並の津波で、特徴は揺れたらすぐに津波が襲ってくるということらしい。

そういう「災害の備えは万全ですか」というトピックはここ数年繰り返し言われてきた。

産経新聞ネット版の報道によると、それに加えて南海トラフの近くの圧力により大阪上町断層帯の直下型地震に警戒する必要度がアップしているのだという。

上町断層といえば大阪のど真ん中を南北に貫いている活断層だ。
天王寺動物園から見ると大阪市立美術館が東側の丘の上に立っている。この美術館に向かって上がっていく大きな石の階段のところが目に見える上町断層の一部なのだ。

この上町断層の東西1000メートルぐらいの範囲には数々の著名な建築物がある。
大阪城、敵塾、大阪中央公会堂、通天閣、あべのハルカス。
この中であべのハルカス以外は阪神大震災の震度(大阪は確か震度6)でびくともしなかったことが経験として確認されているが、上町断層が動いた場合、断層のすぐ横にあると言っても過言ではない通天閣と高さ350メートルのあべのハルカスが突然はどうなってしまうのか。
そして動物園もどうなるのか。
天王寺動物園は断層のすぐ横にある。
檻が潰れて猛獣や毒蛇なんかが逃げ出したりしないのか。

とっても気になるニュースなのだ。


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アスクルの倉庫の火災がやっと鎮火した。
消防が消し止めるまでなんとほとんど一週間燃え続けた。
アスクルが明日来なくなった事件なのであった。

それにしても文具や事務器が主体の製品倉庫で何がそんなに燃え続けさせたのか。
消防庁も興味があるようで自らが乗り込んで調査することになった。

アスクルの扱い品で燃えやすいものをつらつらと考えてみると例えば以下のような物があげられるだろう。
・スプレーのり
・各種接着剤
・インクジェットプリンター用インク
・プリンタトナー
・デジカメ用などのリチウムイオン電池
・紙製品
などなど

しかしこういうものは一般倉庫で管理して良いものになっていて、もしかするとそのような管理方法が今回の火災を大きなものにしてしまったのではないかと私は勝手に考えている。
アスクルほどになると恐らくストックの数も少量ではなくかなりの数のはずだ。
スプレーのりやインクジェットのインクなどは大量にあると石油製品だけに指定可燃物に該当するはずで、保管方法も消防法に則ったものにしなければならない。
これが一般倉庫の場合、通路幅や置き方などの防火対策も条件にマッチしたものになっていないはずだし、一旦火が付いた場合の消火設備も十分ではないはずだ。

大きな火災事故の後には必ず法改正。
今後の調査に注目しておく必要がありそうだ。

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子供の頃から科学雑誌が大好きだ。
小学生の頃は学研の「科学」と「学習」のうち「科学」を買ってもらっては付録を大いに楽しんだものだった。
まったくもってグリコのおまけと同じで中身よりも付録が楽しみな雑誌であったわけだが、そういう体験は私の年代では誰もが持っている思い出でもあるだろう。

中学生になると天体に興味を持つようになった。
きっかけは岡山にある父の実家に行って夜中に空を眺めると大阪では見ることのできない素晴らしい星空があることに気がついた時と、関西テレビで深夜に放送されていたスタートレックこと「宇宙大作戦」にハマった時期が重なったことだ。
そこでたまたま岡山県総社市にあった書店で月刊「天文ガイド」なる雑誌を立ち読みした瞬間にビビビと感じるものがあり、天文学の世界に魅了されてしまったというわけだ。
岡山は日本でも有数の星空の美しいところで国内最大の天体望遠鏡を持つ東京大学の天文台も設置されているくらいだ。

当時、天文の雑誌は今も発刊されている「天文ガイド」と今はなき「天体と気象」という2つがあってどちらも高校を卒業するまで購読していた。

高校生になると「宇宙大作戦」にハマっていたこともあって異星人やUFOなどの「トンデモ科学」にも興味を持ち始め、先に挙げた硬派な2誌以外にも「UFOと宇宙」という雑誌を購読し始めた。
ちなみに私が雑誌投稿をして初めて採用されたのがこの「UFOと宇宙」で、テーマは「UFOの飛行原理」なのであった。
確か、
「UFOは惑星間で影響しあっている重力を利用して恒星間飛行している」
という、明らかにスタートレックの「ワープ航法」に影響を受けたような理論を述べて採用された記事なのであった。
なお、公の出版物に初めて自分の名前が登場したのはニッポン放送で放送されていた「欽ちゃんのドンといってみよう!」で欽ドン!賞を頂いた小話が掲載された集英社の「欽ドン!part4」というペーパーバックだったが、これは余談。

大学生になると「宇宙」よりも「映画」に夢中になってしまい、天文からは離れることになるのだが、この年に創刊された雑誌が科学雑誌「ニュートン」であった。
東京大学教授で日本沈没の元ネタのプレート理論を提唱し、太い黒縁の眼鏡を少し傾けて掛けている姿が印象的な竹内均先生が編集長ということで大いに注目した雑誌なのであった。
そして期待は裏切られることがなかった。

豊富な写真。
綺麗なイラスト。
専門的すぎないわかりやすい解説の数々。

天文だけではなく生物や化学、地学にいたるまで、すべての科学分野を網羅するその紙面は、硬派な「日経サイエンス」や、当時は全く知らなかった「ナショナルジオグラフィック」にも勝るとも劣らない内容で、すっかり魅了された私は定期購読者になったのであった。
天文から映画に興味は移行したが私は基本的に科学が大好きだったのだ。

その雑誌「ニュートン」が今、廃刊の危機に瀕している。
その原因は元出版者社長が詐欺罪で逮捕され、詐欺で集めていた資金がこの雑誌に投入されていたことが判明したからである。
ニュートンを出版していた出版社は昨日民事再生法を申請した。
事実上倒産。

メディアでは「ニュートンの発行継続に全力を注ぐ」と伝えられているが、どうなることか分からない。

会社はともかく数々の素晴らしい記事を掲載し続け、毎年ノーベル賞受賞者を輩出するほどの科学立国日本になったことに少しは献身したはずの雑誌「ニュートン」。
今後もどこかの出版社が発行を続けることを期待してやまない。
一人の科学ファンからの希望なのである。

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たまたまインターネットで観た予告編が面白そうだったのでカミさんと連れ立って見に行った映画が「世界でいちばんのイチゴミルクの作りかた」だった。
ドイツ映画ということで多少の文化的違いを覚悟していたが、多少の覚悟では済まされない映画なのであった。

アメリを思い起こさせる色彩計画。
ダウンタウン物語を彷彿させる子供の演出。
名犬ラッシー並みの動物の演出。

それぞれに独特の色合いが出ていてギドギドなのだ。
従って個性が濃すぎて想像を絶する異色性が溢れていたのだ。

中でもストーリー展開そのものが最も取っ付きにくく、中で展開される奇想天外なミニエピソードとミュージカルシーンの数々はもしこれがテレビであったらチャンネルを変えていたぐらい、違和感いっぱいなのであった。

しかしダメな映画ではない。
それぞれが面白さを感じる神経をくすぐり、クスッとした笑いを生み出してくれる。
それはそれで楽しい映画ということもできる。

主人公は幼稚園の子どもたち。
セリフも演技も拙いが、それはそれで巧みな大人の出演者や演出がカバーしており違和感はない。
全体が違和感の塊なので違和感を感じないのかもしれないが。

この映画を観た観客は恐らく2つのグループに分かれるのに違いない。
ひとつは、
「おー、変わった映画やなー。やっぱりヨーロッパやから作れる映画やな。面白いわ。」
というグループと、もうひとつは、
「金返せ」
というグループだ。

ともかく観に行くのならそれ相応の覚悟が必要な映画ということができるだろう。

なお、私はそれなりに楽しめたが、後ろの方のカップルが途中退席したのを私は忘れることができない。

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太陽光発電がもてはやされて幾年月。
ここに来て「やっぱりな」という事態に発展しつつある。
それはないかというと、
「倒産」
だ。

帝国データバンクの調査によると昨年に倒産した太陽光発電事業所は67件。
当初の予想だった40件相当を大幅に上回る規模でバタバタバタと潰れてしまったという。
これは前年度比で80%を上回る倒産件数増ということで、事態はかなり深刻なようだ。

そもそも再生エネルギーに太陽光発電を含める考え方が間違っていたのではないだろうか。
日本で主流の太陽光発電といえば太陽電池パネルを使った発電だが、これは特別なパネルを使う以外はまだまだ効率的に十分ではない技術だ。
一般に出回っている太陽電池はシリコン型でこれは発電効率が15%から20%と言われており寿命は10年から20年。
効率の高いイリジュウムガリウムヒ素太陽電池は毒性が高いので宇宙ステーションぐらいにしか使えない。
たとえ使えて発電効率が高くても夜や曇りの日は発電しないし、しても少ししか発電できない。
とっても効率が悪いのだ。

こういうものにゴルフ場のような巨大なスペースを占領されていると固定資産税も馬鹿にならない大きさになる。
さらに太陽電池パネルは20年保ったとしても他の設備が持たないので入れ替えや設備の新設が必要になってくる。
メンテナンスも必要だ。

これは他の施設にも言えることだがメンテナンスや設備の入れ替えなんか当初の建設時に計画されていないことも多い。
結果的に設備を維持するために巨額の投資が必要になって、例えば石油価格が下落したりすると火力発電のほうが安いとうことになり経済的メリットが消え去ることになる。

「太陽光は環境にやさしい」

と叫んで見たところで採算が合わなかったら誰も面倒をみてくれないのでそれでおしまい。

理想と現実は大きく違う。
太陽光発電の倒産はまだまだ続く見通しだという。


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約30年前。
大学を卒業して初めて就職した会社は建築設備の会社で週休1日制。
つまり休みは日曜祝日と年末年始、盆休み。
それだけなのであった。

当時、週休二日制の会社はほとんどが大手で私の就職した中小企業はだいたいが土曜日も仕事。
従って日曜日が非常に貴重で、日曜日の終わりを告げる淀川長治さんの「さよなら、さよなら、さよなら」に続く日曜洋画劇場のエンディングテーマを聞くたびに憂鬱になったものだった。
尤も小学生の時から大学まで土曜日はちゃんと授業があったので「土日休み」なんてのは特別な環境でもあった。

就職してわかったのは定時には帰れないということであった。
勤務時間は一応9:00から17:00という決まりがあったものの、私は新築の現場で資料を作成したり現場の設備の測定をしたりするのが仕事であったため始業時間が8:00か8:30ということが少なくなく、終業時間は有って無きが如しだった。

「○○君。今日は騒音測定手伝ってくれるか」

と現場所長から言われると、その日の終業時間はだいたい11:00頃になるか、帰れないかのどちらかであった。
騒音測定は設備から発生する音を測定する作業なのだったが、周囲の自動車や電車などの生活騒音が大きな昼間はデータがとれないので畢竟夜間の仕事となる。
こういう夜間の仕事がなくても、図面やデータの整理が19:00,20:00までかかることが多く、残業は毎日2〜3時間あった。
つまり月あたりの残業時間は50時間以上が普通で100時間を超えることも特別ではなかった。
しかも私の任される現場は神戸市や京都市にあることが多かった。
このとため大阪の堺市にあった自宅からは片道1時間30分ほどかけての通勤でだったので、朝は遅くとも自宅を午前6時30分には出発、帰宅は早くて21:00頃なのであった。

家はまさしく「寝るだけの場所」であったわけだ。

そんな仕事も慣れというのは恐ろしいもので、辛いとか苦しいとか感じなくなり、やがて楽しいに変化するという信じられない精神的境地に達した。
ただし、それはもしかすると「建築」という仕事の一部に携わっていたからかもわからない。
建築で作られる「建物」は向こう何十年と地域に姿を留める。
「あの建物は僕が建てたのだ。但し、ほんの一部やけど」
と認識することができる仕事だったからかも分からない。
それと現場事務所で仕事しているうちに色んな業者の人々とファミリーのような感覚になってくる建築という仕事の特質も影響していたと思う。

また残業の多さだけではなく休みも少なかった。
当時の建築設備の仕事は忙しく、平日は新築現場を任されるのだが日曜日や夜間は客先が休んでいるときしか出来ない設備工事なんかもあり、そういうところと掛け持ちすると休めないことになる。
私は最長1ヶ月間働きっぱなしということがあったが、同僚には3ヶ月連続勤務という強者もいた。
こうなると、たまに休んだりすると風邪を引いたりするので注意が必要だ。

ここ数日、国会の中継放送をラジオで聞く機会がって耳を傾けてると、電通の事件などを例に上げて労働環境の議論が飛び込んでくる。
「勤務超過で心の病で斃れる人がいるのでなんとかするのが政府の仕事だ」みたいなことをぎゃあぎゃあ言い合っているのだ。

そんなとき思い出すのは30年前の20代の日々。
毎日毎日仕事ばかりしていたあの頃を思い出す。
同じ現場で働いていた同い年の元請け会社のエンジニアは、
「大学出てから半年で200万円ほど溜まりました。でも、使う間ないんですよね。」
と言っていた。
東工大を卒業したエリートだったが気のいいヤツで私のような芸大卒のヘンなやつにも対等に付き合ってくれたのが今も思い出される。
遅くなったらビールを飲んで仕事をしたこともあった。
現場所長が飲みに連れて行ってくれたことも多々あった。
職人の親方連中からは仕事の仕方を教えてもらうこともあった。
事務所では真剣な仕事をしていたが笑いもすくなくなかった。
休みは無いが、それなりに充実していたと思っている。

今の20代の務める会社はほとんどが週休二日制。
長期休暇を取れる会社も少なくない。
でも、残業が50時間、100時間と増えると斃れる人が出てくる。

思うに、これはもしかすると残業時間の問題ではないのではないか。
私の20代の頃と今を比較すると土曜日の仕事だけでも少なくとも労働時間は32時間も多い。
でも20代で倒れました、というのは聞かなかった。
これは若い人の体力や気力が失われているからこんことになるのではなく、社会が硬直化して陰険になっているからではないだろうかと思えてしかたがない。
つまり「楽しく残業」できない雰囲気が蔓延しているのではないか。

ルール遵守。
労基も煩い。
サービス残業させるくらないら家に帰って仕事してくれたほうが総務や労務は責任を取らずに済む。
形式に厳しくなって人間性を失って、管理職はまさに管理だけやってて感情無視。
畢竟「楽しくない」環境が完成するということだろう。

国会中継の中身そのものがなんとなく陰険なので、労働環境も同じではないかと思うことしきりなのであった。


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北朝鮮という国はマンガのような国家としか言いようがない。
その昔、偽造パスポートで日本に入国してディズニーランドで遊んで逮捕され国外追放された金正男。
こんなことをしてるといつか殺されるかも知れないな、と思っていた。
で、本当に暗殺されてしまったのだ。

金ファミリー。
北朝鮮の独裁一家。
繁栄するのは将軍様ご一家だけで、分家や親戚は関係ない。
少しでも楯突いたり、将軍様の障害になるようであれば、抹殺する。
しかも公衆の面前で。
特殊な方法を使って。

あたかも冷戦時代たけなわのスパイ映画かサンデー、マガジンのマンガの中で展開されるシーンのような衝撃さなのだ。
そんな非現実的なことが実際に発生してしまったのだ。
ある意味、非常にわかりやすいともいえる。

それにしても朝鮮という国は南北ともにどうなっているんだろう。
国家の形。
人民の考え方。
どれもこれもかなり特殊で、身勝手で、あまりに未熟だ。

南北朝鮮が統一したら北朝鮮がどのようにして人民を統治し、どういう残酷なことが繰り返されていたのかが顕になって、ものすごく話題になるだろうなと時々考えることがある。
でもよくよく考えると、こういう無責任で異常な国が統一されてもメリットはない。
異常さが増幅されるだけで日本や米国、そして中国は別の形の面倒を抱えることになるような気がするのだ。

今時の暗殺。
あの慰安婦像と狂気とどこかで朝鮮という国家の性質を糸にして繋がっているように思えるのは私だけではないだろう。

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今日はバレンタインデーだ。
朝からカミさんと娘から共同で「はい、お父さん」と手渡されたのはスターバックスの紙袋。
中を開けてみるとココナツ+シュガーのふりかけのようなものだったので、
「ん? なにこれ?」
と一瞬戸惑ったのであった。
バレンタイデーのチョコレートにしてはかなり変形で、
「これ、ご飯に掛けて食べるん?」
と訊いたところ、
「食べられるもんやったら食べてみ〜」
とカミさん。
「コーヒーとかミルクに入れて飲むんやで」
と娘。
ありがたく頂戴したのであった。

ところで、バレンタインデーが近づいてくるとラジオから頻繁に流れてくるのが国生さゆりとおニャン子クラブの「バレンタイデーキッス」。
もう30年も前の歌なのだが、バレンタインデーになると毎年のように聴くことになる歌になっている。

「おニャン子クラブって何?」

と云うのは高校生の娘。

「昔のAKBや」

との説明に、

「ふーん」

と関心なさそうなそぶり。

ま、いずれにせよ「バレンタインデー・キッス」はクリスマスにおける山下達郎の「クリスマスイブ」の役割を達成しつつあるようだ。
と、いうようなことを聞くと山下達郎ファンは怒るかもしれない。

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「修身」は戦前の道徳教育の本幹を成した教科だった。
人としてどのように行きなければならないのか。
社会に貢献するにはどう律するべきなのか・
というようなことが当時の価値観をベースにして書かれているのだ。

今日この教科書は小学館他から復刻版が出版されているので気軽に買い求めることができる。
で、読んでみるとこの教科がどうして廃止されたのかよくわかなくなる。
「テンノウヘイカバンザイ」
なんて書かれていたので占領軍だった米国のお気に召さなかったのか。
米国が単に日本人の価値観と文化をぶち壊したかったからなのか。
はたまた突然合法化されて勢力を得た左巻きの人たちが働いた陰謀なのか。

戦争は負けてはいけないし、そもそもやってはならないということがよく分かる教育改革の象徴なのであった。

で、この修身の教科書。
先人の努力や仕事に対する取り組み方、考え方などがエピソードや教訓と共に具体的に紹介されている。
礼儀の大切さ。
父母の大切さ。
真面目に働くことの大切さ。
正直たるべきこと。
勇ましく、そして優しくあること。
などが語られている。
いたって正常な内容なのだ。
ただし、戦時にはどのように身を律すべきなのかということも書かれているので、現代の一部には不快感を抱く人もいるかもしれない。
しかしそういう先人があったればこそ現在の日本の繁栄があるのだと考えると殆どの人には私同様に歴史の一コマとして受け取られまったく抵抗はないのではないだろうか。

この修身の内容には驚くべきことも含まれていた。
今の日本社会にこそふさわしいという内容だ。
この修身の教科書には、
「怪しげな宗教に騙されないように」
ということも書かれている。
人の心の弱みにつけ込み誤った教えを説いて世間に混乱をもたらすカルトは信じるな、と国を上げて教えているのだ。
「あなたの前世が現在に不幸をもたらせている」
とか、
「助かりたければお布施をせよ。」
とか、
「○○法主は釈迦やキリストの生まれ変わり」
などと宣うカルトは信じてはいけないと国を上げて教育している。

今、この教育ができない。
小学生に、
「○○の科学や○○学会、○○教を信じてはいけません」
と言えないのだ。

なぜなら憲法20条があるから。

憲法論争には憲法9条が改憲の中心になっているが、実は日本国憲法は欠陥だらけでこの憲法20条も欠陥憲法なのだ。
憲法20条は信仰の自由を謳っているのだが、同時にあらゆる宗教に対して国は関与してはならないとも記されており、「宗教」の名を借りればオウム真理教のようなテロ集団でも大量殺戮を行うまでになんら手立てを打つことができない。
選挙が始まると「○○さんのご紹介でお邪魔しました。△△をよろしくお願いします」と個人情報もなにもないような与党系カルト集団も野放しだ。

タレントで女優の清水富美加がタレント活動を引退したうえ出家して幸福の科学に身を捧げるのだという。

こういう気の毒な人を一人でも減らさなければならないだろう。
よって憲法20条の改正と現代版修身教科の復活は必要ではないだろうか。







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