<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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知らない間に始まった大相撲春場所は知らない間に幕を閉じ、今朝、大阪府立体育館の前を通ると大きなクレーン車が「春場所」のゲート看板を吊り上げようとしていた。

大相撲。
どうしてこうも魅力がなくなってしまったのだろう。

すでに気分的にはプロレスと大差ない(といえば、プロレスファンに申し訳ないけれども)イメージの格闘技になってしまった。
ある面から眺めると、そのプロレスよりさらに印象が悪時があり、すでに「盛が終わったスポーツ」という、春場所なのに秋風が吹いているような感じさせするのだ。

昔、私が子供の頃は大相撲は大人気で、大鵬,柏戸はもちろんのこと、その他大勢の力士の大戦を白黒テレビの前でドキドキしながら観戦したものだった。

子供同士でも互いに四股名をつけて、学校の休み時間なんかに廊下やグランドの隅で相撲をとった。
どういうわけか私につけられた四股名は「高見山」で、「なんで俺は格好悪い名前やねん」と少々拗ねたことを覚えている。
四股名は自分でつけるのではなく、みんなで付け合うというのが私たちのルールだった。

それで、現在。

相撲をとって遊び子供の姿は見かけなくなってしまった。
もちろん、「四股名を付けて」なんて子供もいるはずはなく、子供のスポーツといえばサッカーか野球。
伝統スポーツなら柔道か剣道。
格好良くなければならないのがスポーツの宿命だ。

では、相撲が格好悪いかといえば、そうではない。
ガッチリとした体格。
筋骨隆々。
自分より大きな男を土俵の外に投げ飛ばす、あの醍醐味はなかなか「カッコイイ」。

しかし、現在の相撲はそういうイメージからは程遠い存在になっている。

親方主導の暴力、殺人。
協会内での政治的ゴタゴタ。
外国人力士の身勝手。
巨大なお金が動く、マネーゲーム。
そして、ガチンコ勝負に見えないダンスのような対戦。

相撲をしようとする子どもがいないのも頷ける。
外国人ばかりの土俵を喜ぶ観客もそう多くはない。
気がつけば、相撲の観客は外国人旅行者や在留外国人が相当目立つばかり。

で、結局,プロの関取を目指す日本人の人口が小さくなってしまい関取のなり手が少ない。
まして日本の子供は「苦労」も「貧困」も経験したことがない。
そんな彼らが異様なチョンマゲ、褌姿でスポーツしたがるのか。
はなはだ疑問になってくる。

行き着くところは角界の人材不足。

そうなると頼りになるのはハングリーで多少の苦境は乗り越えられる外国人の採用ということになる。

これって、まるで過疎地域の嫁探しで外国人女性を呼んでくるのとどことなく似てないか?

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ウィリアム・カットが主演した凸凹スーパーマン的ヒーロー番組「アメリカン・ヒーロー」でFBI捜査官を演じていたロバート・カルプが亡くなった。

最近、芸能の世界は国内国外に関わらず、親しみのある名前が次々と鬼籍に入ってとっても寂しい思いをしている。
考えてみれば自分もそういうことを感じる年齢に達してしまっていたんだな、としみじみと感じているのだが、さらにつきつめて考えれば、そのうち自分自身が鬼籍に入ることも考えられ、ある意味、油断のできない世代になってしまっていたのだ。

ロバート・カルプはその死がかなり大きく扱われていたことから、かなり有名な俳優さんであったことが伺われる。
残念ながら、私は「アメリカン・ヒーロー」シリーズしか思い浮かばない想像力に乏しい面がある。
しかし、ひとりの俳優を知るには一作の有名シリーズを知るだけで十分といえ、それも自分が青春時代を送っていた頃に放送されていたドラマということになれば,ひとりの俳優を身近に感じるにはなに不足ない。

2~3年前にドラマ「犯罪捜査官ネイビーファイル」にゲスト出演していたウィリアム・カットを見たときは、
「エライおっさんになってしまったものんだ。あの若々しさはどこへ行ってしまったんだ」
と思ったものだ。
しかし、今回はさらに驚いた。
なんとカルプの享年は80才を過ぎていたのだった。
最近の様子を伝える写真はヨボヨボそう。

正直、見なきゃ良かった。
という感想を持ってしまったのであった。

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「白地に紅く~♪、日の丸染めて♪、嗚呼、美しい、日本の旗は~♪」

と、両手に日の丸の小旗を持って踊らさせられたのは1969年の秋、幼稚園の運動会でのことなのであった。

民主党が政権を奪取してサヨク教育者の多い今日のこと、「日の丸」の歌に合わせて幼稚園児を踊らせたりすると、きっとオツムが左巻きになったモンスター父兄の間から、

「うちの子供に、侵略の象徴『日の丸』を持たせて踊らすなんて言語道断!」

なんて声が出てくるかもわからない。

しかしそこは万博前の話。
昭和一桁生まれを両親に持つ私の世代は「日の丸」への抵抗感は一切なく、むしろホントに「嗚呼、美しい、日本の旗は」な気分でパタパタと旗を振って踊っていたのだった。

もちろん日の丸への愛着心は40年経過した今も変わらない。

ところで、卒業式,入学式のシーズンになると必ず出てくるのが「日の丸」と「君が代」論争。
国旗国歌法案が成立してから、国旗と国歌の悪口はあまり聞かれなくなったものの、それでも日教組が大好きな民主党政権のもと、国旗や国家の悪口がちらほらと聞かれる今日この頃だ。

だいたいオリンピックを見てもわかるように、ホントは国民の大多数が「日の丸」大好きであると、私は信じている。

他の国にはない、非常にシンプルなデザイン。
どちらが上か下か、
どちらが右か左なのか、
分からないくらい簡単なデザイン。
かといって地味かというと、究極の派手さと威厳を持ったデザイン。

それが日の丸だと思う。

この国旗に関する論議にはいささか辟易としていたものだが、よくよく考えてみると、その起源や成り立ち、具体的な歴史の位置づけなどの知識については、これまでほとんど持ち合わせていなかったというのが実情だ。

「幕末に島津斉彬が使ったんだって」

ということぐらい言うのはまだましで、

「あれは土人の戦闘の印だ」

という意見もあり、ほんとに無知なのだ。

吹浦忠正著「知っておきたい日の丸の話」は、そんな日の丸の成り立ちを分かりやすく教えてくれていると同時に、自国の国旗を尊重することは、同時に外国の国旗を尊重することにもつながるということを教えてくれている。
イデオロギーに左右されずに、「礼儀としての国旗の尊重」を優しく教えてくれているのが好ましい。

「日の丸」
ホントに知っておきたい国旗の話が一杯つまった一冊だった。

~「知っておきたい『日の丸』の話~国旗の常識」吹浦忠正著 学研新書~

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拝啓

昨日(3/15)の関西空港発、羽田空港行SF20便(ANAとのコードシェア便)D9の座席に座っていた女性客さんへ。

女性客さん、真っ黒な機体のスターフライヤーでの空の旅。
いかがでしたか?
曇り空でも巡航高度に達したA320からの眺めは雲海の上、すれすれを飛行する迫力ある快適な飛行だったに違いありません。

機内サービスも良かったですね。

今月で無料の機内サービスを終了するANAとは対照的に、スターフライヤーは今月のスープ(パンプキンスープ)はもちろんのことりんごジュースやタリーズコーヒーなんかもサービスで出てきます。
国際線でもないのに、パーソナル液晶モニタも付いていて、ニュースや映画など、好きなものをチョイスできるのも良いですね。

ホントの所、エアバス社のヒコーキはどことなく危険な設計がされているのではないかな(操縦桿の仕組みなど)と個人的には不安な要素を持っているのですが、A320は小型機ながら快適で、とりわけ着陸時のショックが大型機並に柔らかで、気に入っているところです。

女性客様もインフルエンザか花粉症のマスクをしていなければ、もっと快適さを堪能できたこととと思います。

ところで、大阪から東京へ行く手段は飛行機の他に新幹線もあるのをご存じですか?
実のところ、新幹線も飛行機も都心間では所要時間はほとんど変わりません。
新幹線は都心から都心を結んでいますが、飛行機は郊外と郊外を結んでいるからです。

私の場合、新幹線の駅から向かうよりも空港から向かう方が便利な訪問先にでかける時と、荷物の多いときに飛行機を利用します。
予定を確実にこなさなければならないときは、新幹線を利用します。

昨日はそのどちらもありました。
午前中に都内で2件訪問し、午後1時に3件目を訪問しなければならなかったのです。

関西空港の早朝便は、前日の深夜に関空に到着し、そのまま駐機した飛行機が使われます。
だからダイヤに正確で遅れることはほとんどありません。
だから私の場合、6:55発や8:00発の羽田行きをよく利用します。
どちらも出発時間が正確だからです。

昨日の便は、30分出発が遅れました。
これは機体に交換部品が発生したわけでも、機長が二日酔いだったからでも、チーフパーサーが風邪をひいていたからではありません。
女性客様が「危険物」を預り荷物で持ち込もうとしたからです。

あなた様以外の乗客は出発のアナウンスがあってから再び扉が開き、
「お預かりした荷物を再度セキュリティチェックにかけるためしばらくお待ちください」
のアナウンスから30分、機内で待ちました。

私の場合、これまで搭乗してから待たされた経験は二回だけ。

シンガポールのチャンギ国際空港で45分、空港混雑のため。
シカゴのオヘア国際空港で1時間、雪下ろしのため。
という二回です。

いずれも国際線だったので成田と関空への到着はそれぞれほぼ定刻。
イライラはしませんでした。

しかく大阪~東京の30分は取り返しがききません。
「すいません、約束に遅れたら困るので、上昇旋回は大阪湾上空ではなく、岸和田市上空で、着陸は木更津通らずに横須賀上空からストレートに着陸してください」
とお願いしても叶うわけがありません。

ということで、航空機で危険物に判断されるものを携帯されている場合は新幹線か高速バスをご利用ください。
どちらも利用できないくらい危険な場合は東海道五十三次、歩いてください。

二度と、飛行機を利用しないでくださいね。

女性客様を除く、全ての乗客からのお願いです。

敬具

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どこを切っても金太郎、は金太郎飴。
何を演じても長七郎は里見浩太朗。

またまたNHK大河ドラマ「龍馬伝」ネタで恐縮だが、私はこの大河ドラマ。大いなるバラエティショーだと思って楽しむことにしている。
歴史ドラマにしては史実に反している部分があまりにも多いし、時代考証もメッチャクチャ。
かといってちっとも面白くないかといえばそうではなく、例えば香川照之の岩崎弥太郎は壮絶すぎて笑ってしまう。
それに平井加尾の広末涼子は近年になく魅力的だし、桂小五郎の谷原章介は米倉斉加年が作ったイメージを吹き飛ばした。

中でも秀逸なのが里見浩太朗。

北辰一刀流道場の千葉定吉師匠を演じているのだが、どんな格好をしようが、「おい、龍馬」と話そうが、その姿形、話し方、なにからなにまで松平長七郎なのだ。

「長七郎天下御免」以来、里見浩太朗には介さんよりも、長七郎のイメージが固定してしまい、どんなドラマに出演しても、
「あ、長七郎が話している」
というイメージになってしまう。
つまり里見幸太郎は何をやっても長七郎状態になってしまうのだ。

こういう役者さんはほかにもいる。

何をやっても「暴れん坊将軍」な松平健。
何をやっても「寅さん」な故渥美清。
何をやっても「チーボーのパパ」の故石立鉄男。
何をやっても「本郷猛」の藤岡弘。
何をやっても「ダン」な森次浩司。

さらに、こうい役者さんは海外にもいて、

何をやっても「コロンボ」のピーター・フォーク。
何をやっても「ジェームズ・ボンド」のロジャー・ムーア。
何をやっても「ミスター・スポック」のレナード・ニモイ。
何をやっても「ミスター・ビーン」のローワン・アトキンソン。
何をやっても「ジョン・ウェイン」な故ジョン・ウェイン。

などなど。

一般的にスターが多いのだが、それにしても龍馬伝に長七郎。
里見浩太朗の声が「天に代わってこの長七郎が斬る!」と言っているとしかイメージできない。
そんな人、いませんか?

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食文化の違いというのは恐ろしいもので、その違いが差別と偏見に満ちたものになる。

昨日開催されたアカデミー賞授賞式で長編ドキュメンタリー映画賞を受賞した「ザ・コーヴ」はその最たるものだ。
日本人の捕鯨文化を避難して、鯨を食う私たちを野蛮人として扱うアメリカ人。
イラクやアフガニスタンで「誤射」だ「誤爆」だと称して女子供を殺しまくっているアメリカ人にそんなことを言われた筋合いは無いのだが、とどのつまり、アカデミー賞も民主党と同じで日本イジメが大好きなのに違いない。

変なところばかり寄せ集めたカットを駆使して「日本人は野蛮だ」なんていう表現の仕方は、ディズニー映画の「パールハーバー」もあっと驚く演出だ。
それこそドキュメンタリーに分類されるのもおかしいものであり、ましてやアカデミー賞という映画賞としては最も権威ある賞を受賞するなんてことは普通の感覚では許されるわけがない。

他人が成功したことを羨むことがあっても、それを避難したり難癖をつけたり、また、逆手に取って儲けようとすることなど日本文化では言語同断。
悔しくて羨ましいけど、「成功」はその人の、あるいはその団体の努力の賜物。
賞賛しなければならないところだ。

ところがアメリカではそうではないらしい。

ビジネスに成功し、文化的にもユニークで人気が出てきた「変なものを食う民族」は許せない。
自分たちより劣等民族と決めつけなければ納得できないに違いない。

自動車世界の王者トヨタにケチを付けるだけでは満足できない。
文化も否定しよう。
かわいいクジラやイルカを食べたり、いじめる日本人は許せない。
でも、僕はわんぱくフリッパーでイルカをこき使ってもかわない。
だって僕はアメリカ人なんだもん!

てなことが、あってはならない。

尤も、トヨタを支援するアメリカ人が少なくないように、コーブを否定するアメリカ人も少なくないことを期待したい。

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時代考証のメチャクチャな大河ドラマ「龍馬伝」。
その度合いが尋常ではないので、もう笑ってしまって面白い。
龍馬が吉田松陰に会ってしまうのも凄いが、そのうちリンカーンやナポレオン、エリザベス1世などに会ったりしたら、もうバラエティーショーだ。

ところで、先週の龍馬伝「命の値段」。

山本琢磨の命の値段はともかく、呆気に取られたのは千葉重太郎が龍馬に妹さな子をなんとか二人だけにしようとするシーンにひっくり返りそうになった。

場所は千葉家。
龍馬と重太郎、さな子が重太郎がしきりに龍馬とさな子を二人っきりにしようと下手な芝居をしている。
そして席を立つため突然、
「あ、お腹が痛い」
の、白々しい演技。

落語か、これは。

これは落語の「植木屋娘」そのまんま。
一人娘に婿を貰って、本人は早々に隠居を決めたいという親父が、隣のお寺で見習い中の商家の内気な青年を、なんとか娘に添わそうと努力する場面があって、今回の龍馬伝のシーンはそのまんま。
娘と青年がもじもじしているところで、親父がひと言。

「あ、思い出した。」

用事を思い出して席を立ち、青年に娘を襲わせて、
「あ、娘を手込めにしたな。手込めにしたら、うちに婿入りや」
とならせる作戦。
その白々しさがめちゃ面白いネタなのだ。

恐るべし龍馬伝。
ついに龍馬噺に進化した!


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