<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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「最近の歌は何を歌っているのかさっぱりわからん〜」
と老人のようにボヤいている私に、
「ジジイみたいやな」
とカミさんは容赦なく指摘した。
そう、私はジジイかもしれないが、歌の歌詞がなんて言っているのか理解できないのは歳のせいではない。

なんのことを話しているかというと、NHK朝ドラ「虎に翼」の主題歌「さよーならまたいつか!」のことだ。
歌っているのは米津玄師。
私はこの歌の7割の聞き取りができない。
何を言っているのか理解できる言葉を頼りに前後関係を照らし合わせて想像しても理解できないのだ。

「だからそれはあなたがジジイだから」

とカミさんは宣うのだが、私は決して年齢のせいではないと思う。
正直、英語歌詞の70年代、80年代の洋楽ポップスなら8割は聞き分けられるのに、なぜ日本語の歌が聞き取れないのか理解できないではないか。

私が高校生の時、世の中はニューミュージックブームだった。
変な歌い方をするグループやシンガーも少なくなかった。
吉川晃司やサザンの桑田佳祐、もんたよしのり、森進一と良く聞かないと何を言ってるのかわからないような歌い方や声の質の人も少なくなかったが、聞き取れないというのはほとんど泣かなったのだ。

これは一体どういうことか。

近々、社会人になって働いている娘が帰ってくるので、
「おい、あれなんて歌っているか、わかるか?」
と訊いてみたいと思っている。
私の意見に賛成か、カミさんに賛成か。
重要な世代モーメントが迫っているのだ。


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暴飲暴食をしなくなり、自転車での移動も最初は1ヶ月100kmも走れた!と喜んでいたのが、200kmを越え、300kmを越えると日常的に毎月300kmから500km走るようになった。
おまけに自転車で山も登ってみようと、かつての私なら絶対に考えないことにもチャレンジするようになったので、体重は徐々に、しかし確実に減っていたのであった。

ところが、ここに体重減だけではどうしようもない壁にぶつかった。
壁と言っていいのかどうか。
それはサラリーマン時代に築き上げた肥満体が残した後遺症。
いや。
労災認定していただきたいぐらいの身体的故障なのであった。

それは膝変形関節症なのであった。

ある時。
とある駅のコンコースをあるいていると、なんでもない瞬間に膝が「バキッ!」と音を立てた。
ちょうと指ポキポキの大きな感覚でそれが指ではなく膝で発生した、という感じだった。
その瞬間から膝に鈍痛が走るようになり、スムーズに歩けなくなってしまったのだ。
どこか引っかかる。
上りの階段は問題ないが降りるときに痛みが走り、スムーズに降りられない。
走ることは難しくなり、寝る時に足を伸ばすことさえままならず、また長時間座っていると立ち上がるときに膝が痛む。

なんじゃいこれ?

整形外科で診断してもらうと「変形性膝関節症」で完治させるには人工関節手術以外にないということだが、年齢が若いとおすすめできないそうで、まずは膝の負担軽減のために必要な筋肉のトレーニングだと言われた。

内臓が少々いかれると努力すれば治ることが多いが骨と関節については生半可ではいけないことがわかった。
これは117kgの体重に加えてパソコンや資料を持って歩き回ったための労働災害、と私は勝手に判断することにしたのだが、結局、体重が80kg程度までに収まればこんなことにはならなかったのかもしれないと思い、反省するしかなったのだ。

デブは関節を壊し、内臓を悪化させ、体力も奪うし、暴飲暴食でお金もかかる。
畢竟、国の医療費高騰を招き何にも良いことは無いのかもしれない。



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