<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



ここで旅は一休み

先日、いよいよロードショー公開が終わりだというので慌てて観に行ってきたのが「スターウォーズ 最後のジェダイ」。

結論から言って、今までで最も詰まらないスターウォーズなのであった。
心はときめかないし、驚きも無ければワクワク感もなし。
見せ場ゼロの状態は、
「一体全体どうしたんだ!」
という嘆きさえ生まれてこない徹底した退屈ぶり。

正直言って見ていて寂しくなってくる映画なのであった。

前作でハン・ソロ船長が死に、今作でルークが亡くなった。
そして映画とは全く関係ないところでレイア姫が本当に死んでしまうという三連チャンはファンにとっては嘆かわしい限りだ。

人は歳をとる。
映画俳優だって当然そうなるので演じるキャラクターも歳をとるのは致し方ない。
見ている方も歳をとる。
実にリアルで気が滅入る。

スターウォーズがスペースファンタジー作品ではなくなってドキュメンタリーになってしまった瞬間なのであった。

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結局のところ駿河湾沼津サービスエリアからは富士山を望むことはできなかった。
ちなみに帰りにも寄ってみたが下り線のサービスエリアからも望むことはできなった。
ここは高台になっていて見晴らしはものすごく良かったのだが、やはり北側に大きな山があり、それが壁になって富士山を見ることはできなかったのだ。

ここで娘が私とカミさんが浜松でうどんを食べたことに感づいた。
カミさんがiPhoneで撮影した写真を共有で見つけたのだ。

「え、こんなんいつ食べたん?」

と愕然。

「起こしても『寝てる』と言うからお母さんと二人で食べた」
「ガーーーン」

ということで娘はこの駿河湾沼津で何かを食べることになった。
時間はすでに午前8時前。
もたもたしていると東京への到着が遅くなってしまうので簡単なものを食べるように勧めた。
もちろん本人も食っちゃ寝てるという状況に陥ることを大いに警戒しているので簡単なお菓子と珈琲ぐらいと判断したのだった。

この駿河湾沼津SAにはスターバックスがあった。
まもなく8時には開店するという。
そこでスタバの開店に併せてSA内の店を物色することにした。

ここには地元名産の生わさびやケーキ、お茶など。静岡らしいものが土産物として並んでいた。
ちょうどバレンタインデーの季節ということもあり、そっち系のプレゼント用としてもいろいろなお菓子がならんでいた。
ひとつひとつに様々なポップが飾られていた。
が、我が家族の注目を集めたのは断然「寿太郎みかんサンドクッキー」なのであった。
見た目は大変美味しそうで、実際に買い求めて食べてみたところなかなかイケる味なのだが、我々の注目を惹いたのは味ではなかった。
このお菓子には箱詰めタイプと袋詰タイプが有り、袋詰の方にはなんと、

「HAPPY VALENTINE! 大人数の方へ ばらまき用にオススメ!」

と書かれてあったのだ。

「露骨やわ」
「これだけストレートに書かれると、なにかこう吹っ切れているというか」
「それにしても『ばら撒き用』って」
「おもろいな」

ということなのであった。

確かの世の中バレンタインの義理チョコはバラマキなのかもわからない。

このばら撒き用みかんサンドクッキーとスターバックスでラテなどを買い求めていざ終着点目指して出発。
暫く走ると新東名と東名高速が合流した。
制限速度110km/hというのも、結局はほとんど意味はなく、殆どの車は制限速度など守ってもいなかったのであった。
で、首都圏ということもあり交通量も各段にアップ。
ラジオもすでに大阪には無いJ-WAVEや文化放送などの電波が届いていた。

まもなく、東京に到着だ。

私たちが予約していた宿は日暮里近くのインバウンド宿なのであった。
日暮里にしたのは下町ということもあり宿泊費が安く、かつ近くにあるコインパーキングも安かったからというのが第一の理由だ。
山手線だとどこへ行くのも便利でもある。
それと私は仕事で宿泊する時は浅草エリアに滞在することにしているのだが、日暮里からはそこらも近く私自身に土地勘があることも大きな理由になっていた。

ここで1つ不安な要素があった。

いつもは飛行機と電車で移動しているために「道路の土地勘」が少々頼りないところがあった。
それもこと「首都高」となるとほとんど自力で走ったことはない。
直近で走ったのは3年ほど前、筑波山の北側にある某大学の研究施設に行くために勤めていた会社の東京事務所の自動車を運転して出かけた時だった。
この時は往路は良かったが復路が難儀した。
なんといってもどこで混雑するのかよくわからないためカーナビゲーションの指図するまま進んだところ、箱崎なるインターからの渋滞に巻き込まれ、筑波から吾妻橋のアサヒビールの雲みたいなビルが見えるまでの所要時間と、そこから馬喰町にある東京事務所までの所用時間がほとんど同じというひどい目に遭った。
浅草橋の上あたりを走っていた時は、正直ここで飛びおられればよものをと思ったぐらいだった。
聞きしに勝る首都高の渋滞を体験したのだが、今回はそんなことにならないことを祈るばかり早朝に移動していたのだ。

ところがさらに、ここに1つ大きな問題があった。
私んちの車のカーナビゲーションはかなり古く、新東名高速道路がデータに無い。
このため駿河湾沼津を出発する時に目的地を入力したらカーナビが道を探し煩いのでセッテングしなかったのだ。
海老名SAにでも入ってセッティングすればよかったのだが、もう時間が勿体なく感じられそのまま東京料金所を通過して首都高に入った。
目指す出口は入谷出口だった。

そんなわけで結論から言うときっちりと経路を間違えてしまったのであった。

曲がらなくていいジャンクションを曲がり、現在位置もさっぱりわからないという状況に陥ったのだ。
道路は地下に向かって続いていた。
しかもクネクネと曲がりまくっているために益々方向がわからない。
行先には「東北道」と書かれていた。
「これはいかん。このまま走ると仙台へ行ってしまう。」
などと冗談を言う余裕はあった。
さらに、
「昔、ソビエトの映画で「惑星ソラリス」というのがあって、その映画では未来都市の風景は東京の首都高で撮影されたんやで」
と解説する余裕もあった。
しかし冗談抜きにこのまま走るとどこへ出るのかさっぱりわからないのでなんとかしなければと思い始めていた。
こんなところでモタモタ遊んでいては肝心の美術館巡りの時間に支障がでる。

そうこう走っているうちに「初台南」という出口を見つけた。

「ラッキー!」

初台なら私もどのあたりか見当がつく。
初台には東京オペラシティがあり、そこのNTTのミュージアムには時々足を運ぶのだ。
しかも京王線ひと駅をケチってたいがいは新宿から歩いていくので景色を見ればどこだかだいたいは見当がつく。

初台南を出るとすぐに場所がわかったので、あとは新宿から靖国通りに出て東へ進路を取り、昭和通りまで来たらなんとかなるだろう、と思った。

つづく





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今回の旅のハイライトの1つは富士山。
私の娘はまだ生の富士山を見たことがなかった。
昨年の夏に東京へ二人で出かけた時はLCCを利用したために富士山を見ることができなかったのだ。
まさかLCCの関空発成田行があんな沖合の太平洋上空を遠回りして千葉まで飛んで行くとは予想しなかった。
窓から見る景色はまるで国際線の無味乾燥な風景だったのでがっかりしたものだ。
そういうことなので今回が富士山初体験となる。

元々東京へは午前8時過ぎに到着するつもりだったので夜明けの富士山を見ることができるかどうか微妙なのであった。
しかし途中休憩を多く取ったために夜明けの富士山に向かって突っ走ることとなった。
天気は快晴。
朝の空には雲はない。
これは素晴らしい富士山を眺めることができると期待に胸膨らませて新東名高速を一路東へ。
制限速度は110km/hの区間に入っていたが、あまり飛ばすと叱られるので100km/h弱でマイカーを飛ばしたのだった。

ところである。
新東名高速道路は山の中を走っているため富士山がなかなか見えないのだ。
トンネルの中では当然見えず、トンネルを抜けても両側と正面には山が壁のように迫っており富士山は見えない。
大井川を渡る時にでも見えるだろう、と思っていたのだが、この予想もハズレ。
橋梁の両側は山になっていてその間に川を渡る橋梁がかかっているという構造になっている。
「箱根八里は避けて通るが富士山見えない新東名」
という一句が浮かんだ。
静岡を越えても富士山が見えないので、
「もしかすると新東名高速道路からは富士山は見えないのかもしれない」
と思った。
これだけ山また山。
トンネルばかりの高速道路である。
富士山は見えても一瞬か、それとも東名高速と合流する御殿場のあたりまで我慢しなければならないのか。
またもや娘に富士山を見せることができないかも。

そんなことを考えていると、やがてトンネルの出口が見えてきた。
そしてトンネルを抜けると、そこは雪国ではなく山の向こうに雪を被り朝日を受けて輝くデッカイ富士山の頂きが見えた。
「起きろ!富士山やで!」
カミさんと娘は何事かとビックリして跳ね起きた。
普通であれば「お父さん、びっくりするやん!」と叱られることもあるのだが、このタイミングは違ったのだ。

「富士山や!」

娘とカミさんはほぼ同時に声を挙げた。
なぜなら雪を被り斜め右から朝日を受けたその姿はあまりに美しかったからなのだ。
娘にとっては初富士山。
カミさんにとっても久しぶりの生富士山なのであった。
で、慌ててiPhoneのカメラを構えた瞬間、またトンネル。
しかし今度はトンネルを抜けるとちぇんと富士山が見えた。
「きれいやな〜〜〜」
と娘。
「さすが日本の富士山や」
このトンネル、富士山を何度か繰り返していくとやがて新東名は広い富士川を渡る橋にさしかかった。
ここで富士山の全景が広がった。

「すっごい景色。絶景やな。ここのサービスエリアがあったらな〜」
と私が言うと、
「ちゃんと前見て運転してね。でも、ここにサービスエリアができたらみんなここで満足して観光客が減るかもね」
と珍しくカミさんが現実的な話をしたのでビックリした。

それにしてもこの日の朝の富士山は美しい。
空には雲がほとんど無く、富士山の東側上空に富士山でできた気流が作り出す雲が見られるだけであった。
後でカミさんが調べたところ、この雲のことを「つるし雲」といって、この雲が出ると天候は崩れるのだという。
たしかにこの日の天気予報は晴れのち雨。
実際に夜には雨が降ってくるのであった。

この絶景のあと、SA駿河湾沼津で最後の休憩を取ることにした。
もしかするとそこから富士山が見えるのではないかと期待もしていた。

ところで、あとでよくよく考えてみると娘が生の富士山を見るのはこれが初めではなかった。
5年ほど前。
まだ中学生だった時に、正月に伊勢神宮に家族で初詣に出かけたことがあった。
この時、宿泊したホテルの窓から伊勢湾を挟んで遥か向こうに小さな富士山が見えたのであった。

「お、富士山が見える」
「ほんまや!」

というやり取りをしたのだが、その富士山はゴマ粒ほどの大きさでしかなく、しかも200km以上向こうなのでかなり霞んでもいた。
今回、拝んだ富士山の姿とは全く異なるものであった。

つづく





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最近のSAはよくできている。
昔みたいに「ちょっとマシなドライブイン」というような「ちゃち」なものではない。
ちょっとマシ程度なら一般道にある「道の駅」に勝てなくなってしまう。
仮にも有料で走る高速道路のSAである。
道の駅以上のクオリティが求められるのは当然だ。
御在所のSAは深夜ということもあって店は全部閉まっていたのだが、閉まっている店の中にはスターバックスカフェもあり、そのグレードの高さが伺えた。
ベビースターラーメンの特設ブースもデザインに凝っていた。
ここ浜松はどうなのだろう。

娘はすっかり自動車で居眠りをしていて、
「浜松に着いたで。ちょっと休憩に降りるかぁ?」
と訊いてみたが、
「ううううう……………、寝てる」
という。
仕方がないのでそのまま放っておいてかみさんと一緒に外に出たのであった。
娘が小学生か未就学児であれば問題であろうが、なんといっても大学1年生である。
一人車に取り残さたからといって泣き出したり、冬なので熱射にやられるということもないだろう。
ただ、この時は起こす私のセリフに問題があったことも確かだ。
このときに、
「浜松に着いたで。何か美味しいものを食べようか?」
と訊いていたらきっとすかさず起きていたに違いない。
なんといっても食に関する探究心は誰よりも強いのが我が娘の特徴だ。
いつも味覚への飽くことなき欲求が、成人式にはスマートな体型でいたいというダイエットへの義務感とぶつかり合っている今日このごろである。
食には悩ましい年代といえるのだろう。

ということで、娘をほっておいてカミさん二人だけでSAの中に入った。
そして私は驚いた。
浜松SAはさすが楽器の街、もっと言うとヤマハの街。
内装のあちらこちらに楽器をモチーフにしたタイルやサインが埋め込まれていて浜松の街の文化的高さをアピールしているのだ。
というか、ここはヤマハの街でっせ、ということを強く主張しているのだ。
当然のことのようにSAにも関わらずヤマハのショールームがあった。
生憎時間が早すぎるので営業はしていなかったのだが、ヤマハの各種製品を体験できたり、音楽に関する知識を吸収したりできるようになってたのだ。
音楽イベントも頻繁に開催されているらしく、生演奏の予定などが掲示されていた。
素晴らしい。

朝が早いこともありフードコートの飲食店で営業していたのは1軒だけ。
肉つけうどん&丼ぶりはまきた食堂であった。
腹が減っては戦ができない。
というか運転できない。
ともかくここで何かを買い求めて食べることにした。
メニューを見ると「遠州夢の夢ポーク」というのが最も美味そうなのだが数量限定で品切れとのこと。
こんな時間には無いのであろう。
少し残念に思いながらキノコとアサリのつけうどんを食べた。

ここのうどんは讃岐うどんのように太く腰があり、かといって讃岐うどんと違って少しばかり断面が角ばっている。
この形状のためか出汁の絡み方が非常によくアサリとキノコの美味しさも相まってなかなかイケるうどんであった。
ただ名古屋以東のうどんということもあるが出汁が少し関西人の私には塩っぱく感じられた。
しかしそれもまた関東に近づいているという実感として長距離ドライブの楽しみでもあった。

お腹を満たし外に出ると東の空が明るくなって周囲の景色も見え始めていた。
「浜松」と書かれた電飾入りのサインも消灯していた。
よくよく見るとSAの建物はグランドピアノを模していることわかった。
正面側面には鍵盤のデザインも入っていて、ホントにこのあたりは楽器の街なのだと感じた。

さて、休憩に時間を取りすぎてはいけない。
カミさんと二人、娘がぐっすり眠っている車に戻り東に向かって出発したのであった。

つづく

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普段大阪と東京の間の移動は飛行機または新幹線を利用している。
関西空港が自宅から近く、逆に新大阪駅が自宅から1時間以上もかかる関係でどちらかというと飛行機を利用するほうが圧倒的に多い。
このため今回ドライブをしている付近というのはいつも上空から眺めていた場所でもある。

数年前、北窓側の座席を確保したときに地上を眺めていると、山の中に道路が建設されているのが目に留まった。
「どこを結ぶ道路なんやろ」
と考えながら眺めていた。
ところどころ海岸付近を走る東名高速道路と思われる筋から北に延びる分岐線が見えたりしたので、
「山梨とか長野と太平洋側を結ぶ山岳ドライブウェイなのかな」
と考えたりした。

この山の中を走るドライブウェイと思っていた道路が実は新東名高速道路なのであった。

伊勢湾岸道から新東名高速道路に入ると周囲の景色が真っ暗になった。
明らかに山の中である。
時折通り抜けるトンネルも半端な長さではない。
中にはいつ抜けられるのかわからないような長さのトンネルもあり、未明とはいえ実に詰まらない景色なのだ。
トンネルは最新のドライビング工学に則って設計されているのだろう。
やたらでかく大型車やトレーラーだけではなくタイムボカンやスターウォーズに出てくるジャワ族のサンドクローラー、モスラの幼虫でも通り抜けられそうな大きさである。

設計速度が120km/hとかで日本のアウトバーンを目指す道路ということで斜線幅が広く、時速80km/h程度の速度で走っていると、体感速度は時速40km/h程度といったところだ。

ここ20、30年のあいだに作られた高速自動車道はこのような道が多く、私の父の故郷・岡山(おきゃーま)へ向かう山陽自動車道もこういうトンネルばかりの山陽新幹線のような道なのだ。

大阪の自宅を出発して4時間ほどが経過しようとしていた。
車は愛知県の岡崎付近を走っていた、と思う。
ちょっと疲れも出てきたところで、この退屈な新東名高速道路に突入してしまったためだろうか、俄に睡魔が兆し始めた。
これはいかん。
私としては昨夕は早く寝て自分自身を6時間の時差ボケ状態にして今回の未明ドライブに備えたつもりになっていた。
が、当たり前だがたった一日ぐらいでそんな調整ができるわけがなく、体は正直だったというわけだ。
高速バスや長距離トラックの運転手のみなさんはどうやって調整しているのだろうか。
にわかにそういう仕事をしている人たちに尊敬の気持ちが生まれたのであった。

ともかく浜松ぐらいまでは走らなければ、都内に入るのが遅くなってしまう。
渋滞もあるかもしれないし、見て回る予定のスポットを削減しなければならなくなってしまうかもしれない。
数年前に仕事で大阪から浜名湖まで自動車で移動したことがあるが、あのときはたった3時間しかかからないのでビックリしたものだ。
浜松は浜名湖の少し東側のはずだし新東名は浜名湖を通らずにはるか北側をすり抜ける。
もう浜松に着いても良さそうなものだ。

そんなことを考えているうちに眠気が少しマシになってきた。
時刻も午前5時を過ぎた。
腹が減ってきたのであった。

そんなこんなで眠くなったり腹が減ったりしているうちに我がマイカー・マツダMPVは浜松SAに滑り込んだのであった。

つづく



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最近は高速道路の料金をネット検索すると金額だけではなく、おおよその所要時間も知ることができる。
しかも渋滞予測や工事情報も考慮しての時間なのが素晴らしい。

ちなみに我が家の最寄りの高速道路の入口は阪和自動車道堺IC。
ここから東名高速道路の東京ICまでを検索すると3つのルートが選定されるがだいたいが6時間ちょっとなのであった。

学生時代にアルバイトで大阪から宇都宮まで日帰りで出かけたことがあった。
このとき名神高速道路の吹田ICを入ってから首都高の渋谷の看板が見えるまで五時間半ぐらいだった。
途中休憩もほとんどとらずにスピードもそこそこで爆走すると東京大阪間は6時間を切る。
これは以前LCCを使って関空から成田へ飛んで京成電車で都内へ出たときに、あまり変わらない所要時間だと思った。
これを見る限り自動車移動も捨てたものではないといえるかもしれない。

とはいえ家族で移動は爆走するわけにもいかない。
爆走するとカミさんに叱られるからだ。
東京大阪間は高速道路はおおよそ500kmなので100km平均で走ると確かに5時間。
しかしこれをいま実現するのは難しい。
前回のアルバイトは学生時代の30数年前。
まだ大学の一年生だったので18歳。
今のオッサンモードでの体力で6時間を切る移動が可能かどうか。
果たして無理なのであった。

移動は交通量の少ない深夜早朝に開始することにした。
午前0時から4時までの間に料金所を通ると深夜割引も適応される。
出発の日の前日。
私は午後7時過ぎに寝床に潜り込んだ。
「お前たちは車で寝てたらええからね」
と娘に一言。
カミさんは仕事からまだ戻っていない時間なのであった。

午前1時前に起き出して戸締まり点検などをしてから家族をマイカーに押し込んだ。
出発したのは午前2時少し前。
外は寒気が激しく、途中雪などに巻き込まれないか心配されたが、とりあえず無視することにした。
実際のところタイヤチェーンを買っていなかったので無視することなどできないのだが、堅苦しい事を言っても言わなくても雪は降るだろうから運を天に任せればいいやというお軽い気持ちでアクセルを踏み出したのだ。

おお、危な〜。

一般道を少し走り堺泉北道から阪和道へ。
この日、深夜2時過ぎというのに交通量が少なくない。
松原JCTを西名阪道へ入ると大型トラックが増えた。
大阪と名古屋の間の高速道路は名神高速か新名神高速道路がコンディションもよくスピードアップが図れるのだが、それよりも西名阪道から名阪道、東名阪道へのルートをたどるのが一般的だ。
なんといってもこのルートは安い。
料金のかかるのが西側の名阪道の天理までと、東名阪の亀山以東だけ。間の名阪道は立派な高速道路なのに一般道扱い。
無料なのだ。
従って高速料金を大幅に削減できる。
だからトラックなどの業務用車両が多いのだろう。

深夜割引を受けるために途中休憩を一切入れず、東名阪の亀山料金所を午前3時半ごろに通過。
4時前に最初の休憩所である御在所SAエリアに到着した。

御在所は三重県四日市市にある。
朝が早いからかSAエリアに駐車している車の数はまだ少ない。
駐車している車も私のように関西から来たのが多いらしく、神戸ナンバーや京都ナンバー、奈良ナンバーが目立つ。
SAの売店前には「おやつカンパニー」の特設ブースが設置されていた。
ベビースターラーメンのキャラクターを彩って、
「三重県で作り続けて70年」というキャッチが書かれている。
ベビースターラーメンの故郷は三重県なのであった。

30分ほど休憩して出発。
10分もかからないうちに伊勢湾岸道との分岐点にやってきた。
この伊勢湾岸道が完成してから大阪から東京へ向かうのに名古屋中心部を通らずに済むようになった。
しかも距離が名神高速で小牧を通る北回りコースよりも大幅に短縮。
快適な移動が可能になった。
しかも今回始めて知ったのだが、この伊勢湾岸道をそのまま真っすぐ進んで行くと車は自然と新東名高速道路へ入っていくようにできているのであった。

つづく

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たまに冗談で言ったことが本当になることがある。
今回の旅行はまさにそういうリアルになってしまった冗談であった。

「東京へ家族で行くなら自動車やな」

家族三人で大阪から東京まではマイカーを運転して走ったほうが絶対に安いという安易なことを以前から話していた。
たとえLCCでも、高速バスでもマイカー移動に勝るものはないという考えだ。
でも片道500kmはそう安穏に決めていいドライブでもない。
それに私はロングドライブがあまり好きではない。

そもそも昨年までの勤め人であった私は毎週のように東京に出張していた。
このため家族からは、
「ええな、色々見られて」
と言われることが少なくなかった。
そのたびに、
「仕事やがな」
と説明をしていたのだが、仕事に絡めてアート・イベントを頻繁に見ていたのも事実だ。
これを家族は指摘する。
「いずれ家族みんなで東京のアートイベントへ」
という要求が出されたのも必然なのであった。

家族で行くとなると問題になるのが交通費。
「仕事なら交通費が会社からでるやん。個人で行くとみんなの分出さなあかん。一人往復3万円はかかるからな。」
そう。
1人3万円。
家族3人で9万円もかかってしまう。
これをLCCを使って1人往復2万円としても6万円。
かなりの金額だ。
そこで解決策として、
「うちの車で行ったら1人分で行けるん違うか」
と話していた。
確かに高速道路は往復1万6千円程度。それにガソリン代。
往復3万円を切りそうだ。

で、なんでマイカーで東京に行くことになったかというと先月、仕事で東京に行った時に千代田区立日比谷文化館へ立ち寄ったことがきっかけだった。

日比谷文化館は図書館にも関わらず立地のためか1階がギャラリーになっていて美術展が開かれている。
私は東京滞在の時はここで調べ物をするのに利用するのだが、ギャラリーも楽しみの1つなのだ。
この日、1階のギャラリーでは「DOMANI 明日展PLUS」という展覧会が開かれていた。
なんでも文化庁が主催する若手現代美術家の支援事業の結果を評価するのがこの展覧会だということでなかなか力が入っていた。
ちっとも知らない官製アートプロジェクトなのだが1967年から続く歴史ある事業なのだという。
実のところたまたま見たこの展覧会での若手の作品が面白く、かつ衝撃的なのであった。
若い、といっても30代、40代もいるのだがそういう実力派が競う新鮮なアートはビッグネームが繰り広げるイベントとは違うパワーを感じることができる。

しかも本展が2週間後から六本木の国立新美術館で開催されるということを係の人に教えてもらうと、
「これは、大学生の娘に見せてやりたい。」
と自然に感じたのだった。

とは言え年度末の忙しいシーズンに、しかも脱サラしてやっと仕事が軌道に乗ったものの、まだまだ物入りで節約も大事だ。
ということは飛行機や新幹線は論外。

マイカーで行くことに決定したのであった。

つづく

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人名の読み方というのは難しい。

「羽生、負けたんやて。」
と私。
「羽生、勝っとるぞ。今、一位じゃ」
とは父。
「いや、羽生が中学生の藤井5段に負けたんやて」
「羽生、おおお!」

将棋が好きな父に羽生善治竜王に中学生棋士・藤井段が勝ったというニュースが伝えたところ、オリンピックの男子フィギュアの結果直前。
羽生結弦選手が金メダルを獲得する瞬間と重なったため、我が家の父は大いに混乱したのであった。

読み方違うでしょ。おやじ!

87歳の父は認知症ではないないわけだが、父にとってはややこしい読み方違い。
でもいずれもビッグニュース!
宇野昌磨選手の銀メダルも相まって、日本は今日も元気に動いていると実感した瞬間なのであった。

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京都での仕事が終了したので帰ろうと思って電車に乗るべく阪急電車の西院の駅に行った。

次の電車を見ると14:10梅田行準急とある。

ああ、そういえばこの時間帯は西院は各停か準急しか止まらなかったんだ、と梅田への道のりに多少の時間を要することに気がついた。

で、しばらくしてもう一つ気がついたのは14:10はとうに過ぎていたということ。

 

その昔。

タイのアユタヤからバンコクに戻ろうとアユタヤ駅で切符を買ったた 、正午初の列車の切符だった。

その時時間はすでに12:30。 「あの、すいません。この切符すでに時間が過ぎてるんですけど」 と英語で言ったみたが通じない。 普通、タイは日本と同じで英語が通じない。

なんとなく駅員が待ってろというジェスチャーをしたので正午初の列車の切符を待つことさらに一時間。 13:30にバンコク行の快速列車がやってきた。

要はダイヤ通りになんか走っていないということなのであった。

 

でもここは日本。

なんでやねん、と思っていたら駅アナウンスが。

「摂津市駅で車両故障が発生いたしました。このため京都線の電車はすべて止まっています。現在JR、京阪などへの振替輸送を開始いたしました。」 という。

なんのことはない。 電車が不通になったばかりなのであった。

仕方がないので地上へ出て改札から出てバスで四条河原町に向かうことにした。

祇園四条から京阪電車に乗ろうと思ったのだ。 通常であれば電車で5分ほどの西院から河原町の距離。

ここを市バスに乗るとどのくらい時間がかかるのか。

京都の道路事情を改めて確認してヘトヘトになってしまった。

なんと、西院から河原町まで40分。 とりわけ烏丸通を過ぎてからのたった数百メートルが進まない。

どどっと疲れが出たのでそのまま降りずに河原町通を北進して今出川通へ。

京阪電車の始発駅「出町柳駅」まで足を延ばしてそのまま京阪電車の特急に飛び乗った。

 

阪急の運休は振替輸送では振替にならないことがよくわかったのであった。



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10年ほど前の何年間というもの数ヶ月に一度と言う割合でタイのバンコクに遊びにでかけていた。
バンコクに遊びにと言っても「あっち系」の遊びではない。

日頃の仕事の疲れを癒やすため。
会社とは一切縁を断ち切るため。
全く違う環境に身を置いてリラックスしたいため。
などなどなど。

これらの目的を達成するため私はなんちゃってバックパッカーとして週末に行って戻ってこれる場所としてのバンコクがお気に入りなのであった。

バンコクではだいたいサトーン地区という場所にあるサービスアパートに滞在。
昼間はバンコク都内をほっつき歩き、夜はシーロム通りの屋台やルンピニー公園そばにナイトバザールの屋台街でタイ料理をつまみにアサヒビールかシンハビールを飲むというような至って健康な余暇なのであった。

この中で、バンコク都内のほっつき歩きで最も面白いのが路線バスツアーだった。

伊勢丹の中にある紀伊國屋書店やあちらこちらに点在する東京堂書店へ行くと「バンコクバスマップ」というバンコクの路線バスの日本語案内書が売られている。
これを使う。
ここに書かれている地図を見て目的地を色々定めて出かけるのだが、タイ語が満足にできないことに加えてタイ語の文字が全く読めないために非常に面白い旅が楽しめるのだ。

どういうことかというと、どこにたどり着くのか最後まで目が離せないのが楽しい。

たとえば、
「これや!」
と目星をつけたバスに乗り込む。
すると予想とは全く違う場所に向かって走る。
「これ○○行きます?」
とガイドブックや指差し会話帳を使ったり、数少ないタイ語の単語を並べたりして車掌さんに訊ねる。
すると、
「次で降りて、○○番のバスに乗ってね」
と教えてくれる。
で、にこやかな車掌さんの指示に従って乗り換えたところ、また見ず知らずの地区に走っていってしまうということが少なからずあった。

私はこれをタイ・バンコクのミステリーツアーと密かに呼んで楽しんでいた。

タイの物価は日本に比べると恐ろしく安く、路線バスに乗っても日本円で10円から50円程度の運賃のため、間違っても気にならない。
路線バスは地元の雰囲気を楽しめることが何よりで、ツアーバスなどに乗れるか!という気分になるまで時間はかからなかった。
しかも、どこかわからなくなって、
「しゃあない、都心までタクシーで帰ろう」
ということになっても日本円で1000円も出せば、かなりの距離でも戻ってくることができた。

ああ、またバンコクで路線バスを楽しみたい。
そんな年度末の忙しい近頃なのである。

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