<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



電車に乗っていると、ほとんどの人がスマホを手にして画面を見つめているという光景に出くわす。
ほとんどの人がゲームあるいはメールやSNSに精出しているのだが、その一方で書籍や新聞雑誌を読んでいる人の姿をとんと見かけなくなってしまった。
これって、いいのだろうか?

社会人になって30年弱。
通勤はだいたいが電車だった。
今はたまたま自動車通勤だが、今でも三分の一ぐらいは電車で自分のオフィスのあるところとは別のところへ向かうため電車に乗る事が多い。
それで朝の車内の光景を目にすると、冒頭のように誰もかしこもスマホ、スマホ。
書籍を読んでいる人はほとんどなく、新聞さえ少ない。

新聞についても書籍についてもスマホでよく事ができるので、みんなそれをみているおかな、と思うとそうではない。
みんなゲームかメールかSNS。
「おはよー」
だとか、
「いいね」
だとか、
「😃」
とかで、遊んでいる。

私もiPhoneを取り出し新聞社のサイトでニュースを見る事がすくなくないが、電車の中では文庫や単行本を読むのが習慣である。
新聞は読まない。
ぐちゃぐちゃになるから。
電車の中というのは不思議なもので、読書や考え事に集中できるところだ。
そ、トイレと似通ったところがある、開けているが、限定された個人の空間を楽しめる場所でもある。
以前勤めていた建築設備工事の会社では、現場までの距離が長く、通勤時間が片道2時間という事が少なくなく、一週間に2册ぐらいは電車の中で読んでしまうというような読書三昧にな毎日だった。
最も大量に読んだのは、大阪の堺市から神戸の三宮まで通っていた時の事で、電車の中だけで3日間で5册を読むという、記録も打ち立てた。

これほどまでに読書に固執したのは昔はスマホなんか無かったので電車内の時間つぶしは読書かウォークマンだったのだが、私の場合は日経だったかテレビだったかで、
「優秀な経営者は月に最低4册は書籍を読みます」
と言っていたのを真に受けていたからだ。

で、今その言葉を思い出して考えるに、電車の中でスマホをいじくり回しているのと、文庫でも雑誌でもエロ本でも読んでいるのと、どっちが時間的に有効な使い方なのだろうか、ということだ。
ネットで書籍を読む。新聞を読むということであれば、書籍を読むのと似ていなくはないが、メールをする、SNSでしょーむない情報をやりとりする。
では、きっと時間の無駄難じゃないかと思ったりするのだ。

電車内での書籍を読むビジネスマン。
電車内でスマホでSNSのビジネスマン。

どっちが上になるか、なかなか難しい課題かもしれない。

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日経の記事を読んでいると、全国的にガソリン価格がじりじりと下がってきているのだという。

私は普段は自動車通勤で自宅からオフィスのある場所までは片道約10km。
ラッシュ時間の通勤なら、所要時間は20粉から30分というところ。
実際10km程度だと自転車で通勤したいくらいだが、

「自転車で通勤しても良い?」

とカミさんに訊ねたら、

「そんなん。危ないからあきません!」

と静止された。
子供じゃあるまいし、むかつくな、と思っていたら。

「スーツが汚れるでしょ。ほんで痛むのがはやい。」

なんという「危なさ」だ。
危ないというのは私の事ではなくて。スーツの事なのかもしれない、と思った。

正直、私の車は義父のものを引き継いだもので排気量が2300ccもあり、燃費がすこぶる良くない。
この車の前はトヨタのファンカーゴ。
その前はホンダのシビックに乗っていたのだが、その燃費は現在の車の倍以上。
今はリッターあたり7km程度しか走れない事も多く、リッターあたり12km以上走っていたシビックが懐かしいところだ。
高速道路を巡航速度で走ったらリッター17kmまでのびた事があった。

そういう考えになるもの、ガソリンが非常に高価で、旅行もした8月なんかは月額のガソリン代が5万円もやってきたのには、思わず泣きそうになってしまったのであった。

最高でリッターあたり180円近くまであがったガソリンも全国平均で161.8円になったと、日経が伝えいた。

このガソリンの価格というのはどういうルールで決められるのだろう。
少なくとも、うちの近所では160円代の価格表示は見た事が無く、たいてい150円代。
大阪のガソリンは全国平均よりかなり安いらしい。
私の購入しているスタンドでは表示価格は151円で、メンバーカードなら148円。
でもって、携帯メールで送ってくるメールマガジンの「コード番号」を給油機のパネルに入力すると145円になる。
全国平均よりも15円以上も安いが、割安感なんか皆目ない。

ガソリン価格。
それこそ千差万別な価格だが、その決定は誰がどのタイミングで実施しているのか。
ちょっと知ってみたいと思っている今日この頃である。

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大阪府立大学は私の実家から徒歩わずかのところにあり、毎日多くの学生や私たちのような住民で賑わっている。
住宅地区にあるにも関わらず、キャンパスがフラットでだだっ広く、緑も豊かなのでジョギングコースにはうってつけ。
この私でも、何度か朝のランニングに使用したくらいだ。
だから、

「こんな広大なところが堺市のど真ん中にあっていいの?」

と思わずツッコミそうになるほど雰囲気が良い。

初めてここへ引っ越してきた時は、

「いいところに移ってきたね」

と家族で放したものだ。

この大阪府立大学は農業系の大学だったのだが、近年はバイオサイエンスのトップクラスで、とりわけ植物工場は東の千葉大と並んで世界最先端を走っている大学でもある。
キャンパス内はもちろん大学施設としては国内最大級の植物工場がある。
そこで収穫された作物はキャンパス内にある「サブウェイ」のサンドイッチ店で味わう事ができるという趣向である。
少なくとも阪大や東大のキャンパス内ではお目にかかれない「サブウェイ」があるのは、この大学の特長かもしれない。
尤も、東大や阪大にある「スタバ」がないのも、ここの特長だ。

この大阪府立大学では今週末に大学祭「白鷺祭」が開催される。

数年前。
まだ小学生だった娘を伴ってこの白鷺祭を訪れたことがある。
キャンパス内では周辺住民による広大なフリーマーケットや、学生による屋台やステージ、イベントがそこかしこに展開されており、非常に賑やかだった。
我が母校、大阪芸大の大学祭よりももしかすると盛り上がっているのではないか、と思えるほどの活況を呈している。
大阪芸大は優秀なものとアホとの格差が著しい大学で知られており、ユニークで有名だが、いかにせんキャンパスが大阪大学の吹田キャンパスを上回るど田舎の南河内にあり、学園祭をやっても見に来るものは少ない、というところなのだ。

それと比べて大阪府立大学は毎年お化け屋敷なんかも開催している。
私も娘と一緒にお化け屋敷を訪れ、娘だけを放り込んだことがあり、娘もその時は非常に喜んだのであった。

「めっちゃおもろい!」

と大はしゃぎの娘。
つづけて、

「なんかグニャってしたもん踏んだんやけど、『痛!』っていう大学生のお兄ちゃんの声が聞こえて安心した。
腕踏んだみたいやった。お化け屋敷やから、なんか変なもんふんだんかとおもったねん。よかった!」

と大学生のお兄ちゃんの腕を踏んで安心するほど、わけの分からない楽しさのある白鷺祭なのだ。
それこそ爆発的な楽しさの大学祭なのだが、そんな大学祭を前にして、今日、B5棟という建物で学生がマグネシウムを使った実験でミスをして、
「ドン!」
という爆発事故を起こし、消防車が殺到するという事件があったそうな。

マグネシウムという金属は大変危険な性質を持っていて、火がつくと猛烈な閃光を放って燃え上がる、というか爆発する特長がある。
なんといっても、かつてはカメラのストロボ代わりだった時代もあったくらいだ。
従って取扱いは要注意なのだ。
学生はどんな扱い方をしたのか知らないが、指導教官の先生はきっとしかられているんだろうな。

ちなみにナトリウムを燃やしても面白いので良い子の皆はまねをしないように。

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連携研究員をしている大学からのメールで、

「西アフリカなどエボラ出血熱が発生している地域へは極力出張を控えるようにしてください。」

とのお知らせがやってきたのは1ヶ月以上も前の事。
間違っても西アフリカなんかに出張する予定の無い私は、

「さすが大学やの~。西アフリカに出張する研究者がおろんかいな」

と感心したものであった。
ほとんど関係のない異国の出来事でしかなかった。

そこへきて、今夜衝撃を受けるニュースが駆け抜けた。

「羽田空港で発熱。エボラ出血熱の疑いの男性ジャーナリストを隔離」

この日本人男性は西アフリカを取材して帰国したところ発熱をしているということで、「エボラではないか」との疑いがかかり隔離されたようだ。
羽田空港に帰ってすrぐということは国際線ターミナルなのだろうが、ここで隔離されるとどこの病院に搬送されるのだろうか。

以前、羽田空港で詰まらないけがをしてしまった時に警備員の人に紹介してもらった空港内の病院は東邦大学関係の病院なのであった。
あの東邦大学の医療室にエボラ用の隔離スペースがあるとは思えず、どういう経路でどこへ運ばれたがかが多いに気になるところだ。

ところで、もし日本でエボラ出血熱が発生したらどうなるのだろう。
誰もが予想しているように、私も景気が思いっきり急ブレーキを踏むことになると思っている。
まず、飛行機や新幹線は敬遠される。
レストランも行かなくなる。
日本の良きのほほ~ん文化「銭湯」なんぞ、危なくて行けなくなる。
感染を恐れる町医者は休業する。
物流も麻痺する。

映画みたいな世界が広がるのではないかと、思われてならない。

2004年のSARS騒ぎはなぜか日本だけは感染者を出さずに、「どうなってんだこの国は」と逆の驚きをしたのだが、エボラはそうもいかないのかもしれない。

それはそうと、このジャーナリスト。
迷惑しごくな御人である。
日本はフランスのように臨機応変が効きにくいので、あの富士フィルムのお薬も処方していただけないかもしれないのに。

明日の朝のニュースを聞くのが、少々怖い今夜なのであった。

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芸能界の世界というのは節操がないというか、倫理が存在していないというのか。
どうしてこういう世界がちやほやされて、牛丼屋の店員さん中小ゼネコンで休みもなく、安月給で働き続ける縁の下のちから持ちチヤホヤされないのか。
職業というものは忙しくて頑張る人は敬遠されて、面白くて遊びほうけている人々の方が注目される。
なんとも納得しがたいものがあるけれども、芸能界はその最たるものなのかもしれない。

それにしても、普通の感覚でいくと、
「よくもまあ、人前に顔を出せたもんだ。恥とうのが存在しないんじゃないか、この人は」
というのが元モーニング娘。の矢口真里。
テレビに復活したのを一般紙までが取り上げて報道していたけれども、こういう人をテレビに戻しては子供の教育に良くないことこの上なし。

家族の倫理に反することをやっても社会は許してくれんだ。

という誤った考えを植え付けることになりかねず、できれば一部のイスラム文化圏のように、
不義密通。
イコール。
死罪。
というぐらいが適切ではないかと、正直、冗談抜きに思ったりしている。

この不義密通は死罪というのは、実は何もイスラム文化圏に限った話ではなく、江戸時代まで武家の世界では不義密通は死罪なのであった。
市井の人たちは死罪にならなかったが、恥ずかしい思いをしたことは間違いない。

こういう感覚を持っていると、
「あんたがやばいんじゃない」
と笑いながら言われることもあるが、芸能界がオカシイのは世間がそれに注目をするので、真似をして倫理観が下がってしまうおそれがある。

で、どれほど倫理観が酷いかというと、彼女の仕事仲間の旦那はヤクザな因業商売に手を染めていたことが明らかになったことだ。
この因業商売で逮捕されたというニュースと、復帰のニュースが重なったのは、偶然ではないような気がする。
公安関係者の、せめてもの世間への抵抗なのかもわからない、と思ったのであった。

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怒涛の4連勝で巨人を叩きのめし、我らが阪神タイガースが9年ぶりの日本シリーズ出場を決めたのは、先週土曜日。

「ほんまにええんかいな」

というのが、わたしの感想ではある。
嬉しいようで、嬉しくない。
ペナントレースで首位にゲームも差を付けられて2位になったチームが日本シリーズに出場していいいのか。
そんな感覚が漂うのだ。

そんな感覚でいよいよ日本シリーズが開幕する。
なんとなく複雑な気分だ。
周囲では甲子園のチケットを買い求めるためにあれやこれや努力をしている人たちの話が耳に入ってくるのが、結構うっとうしい。
こういう盛り上がっている人々は案外「えせタイガースファン」ではないかと勘ぐってしまうのだ。
たまたま日本シリーズに出場することになったし、阪神と言えばお祭り騒ぎ出し、それぐらい派手に盛り上がってもいいんじゃないか。

私はタイガースのファンだが、今回のシリーズは日本のプロ野球を考えるきっかけになりそうだ。
これでいいのか、と。





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先週の10月1日。
東海道新幹線が開業50周年をむかえた。
御嶽山の災害ニュースの方が大きな話題となっているためか、式典の様子などはひっそりと伝えられた感があった。
ちょうど九州新幹線の開業の時に似ているな、と思った。

東海道新幹線の偉業はニュースで伝えられる通りで、マレーシアのマハティール元首相風に言うと「新幹線なかりせば」というのが新幹線の歴史上の立ち位置というところだろう。

私が初めて東海道新幹線に乗ったのは幼稚園に通っていた時の1968年。
父が大阪から愛知県の豊橋に出張へ行くのになぜか息子の私を伴って出かけた時で、父の仕事の内容はまったく覚えていないのだが、その時、新幹線の中で食べさせてくれたカレーライスと、景色がやたらと傾いていたことははっきりと覚えているのだ。
ついでながら新幹線に乗せてもらった事を方々で自慢しまくったのも覚えており、ガキだった私には新幹線は特別な存在なのであった。

江戸時代、江戸日本橋から京都の三条大橋まで所要時間は約2週間。
徒歩出トコトコ歩いていたので赤穂浪士の殿中松の廊下事件発生を伝える早駕籠や幕末の志士達の移動スピードを除外すると、だいたいそれくらいかかっていたのであった。
それが大阪までで今や新幹線を使うと2時間25分。
日帰りなんか当たり前で、一日に2往復する強者もいるのは間違いない。
私はせっかちなので。、この2時間半も我慢できなくなってきて、東京と大阪の間は主に飛行機で移動することにしている。
50年間に新幹線はスピードアップと絶対安全でよりスマートになってきているが、私の方はというと、次第にグータラになっているのがなんとも対照的だ。

新幹線。
もう食べられないあの日のカレーライスの味が目に浮かんでくるのであった。



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