<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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大阪市の橋下市長が交通局の大胆な給与削減を打ち出した。
その減額率はなんと40%。
かなりの物議を醸している。

年間600億円の赤字を垂れ流している大阪市交通局のバス事業。
その赤字分を税金で補填してもらっているのも、なんだかオカシイ話だし、その大赤字の事業者の運転手の賃金が739万円というのだから、市民感情としては橋下市長の大鉈に賛成してしまうのも宜なるかな。

「公共交通なんだから、赤字でも運営は国や自治体の義務」

という主張は尤もなようで尤もではない。
そんな屁理屈で20年前に潰れたのが国鉄だけに「赤字」でいいわけはないのだ。
多分、国鉄同様、大阪市交通局も民営化したら高額税金の優良企業に生まれ変わるに違いない。

ともかく、焦点が職員給与の割高さに集中しているが、私は交通局の大きな問題には、バスの路線設計とダイヤの組み方にあるように思える。
というのも、大阪市バスは不必要な路線が多いような気がしてならず、またあったとしても、なんで存在しているのか分からない路線もある。

例えば、大阪を代表するストリート、御堂筋と四ツ橋筋に路線バスが走っていることを知っている大阪市民はどのくらいいるんだろう。

御堂筋を走るバスは大阪駅前から南海難波まで。
途中、御堂筋の側道をゆっくり走り各バス停に停車する。
四ツ橋筋は反対に難波から大阪駅前へゆっくりと北上し、各バス停に停車する。
ダイヤは1時間に数本。

私はこの路線を見つけた時は、ある意味ショックだった。

御堂筋も四つ橋筋も道路の地下には地下鉄が走っていて、御堂筋線はギネスにも乗っている混雑路線で2~3分間隔で運転し、四つ橋線も5分間隔ぐらいで運転している。
そんな路線と並行してバスを1時間に数本走らせる意味があるのだろうか。

ものすごく、不思議だったのだ。

このような中途半端な路線は他にも数多く、1時間に1本も走っていない路線や朝夕しか走っていない路線も珍しくなく、だいたいそんなバス路線、誰がどれくらい利用するのか疑問に思わない職員がいることに、大きな問題があるのではないかと思うのだ。

ということで、スカイマークエアラインのパイロットの給与が803万円で、市バスの運転手の給与が739万円というのもおかしいが、路線とダイヤの組み方はもっとオカシイ大阪市交通局なのであった。

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たとえば、吉村昭の小説は戦記物も時代物も小説ながらドキュメンタリー的要素の輝きが最大の魅力だ。
その活き活きとした汗の香りも漂ってきそうなくらいリアルな描写は、作者の綿密な取材に裏付けられていたという。

あるエッセイの中で吉村昭は歴史小説の執筆の舞台裏を紹介していた。
それは幕末のリチャードソン事件を扱った「生麦事件」を書いていた時のことで、どうしても事件発生当日のその時の天候がどうしても気になって横浜市鶴見区の現地まで出かけたという。
リチャードソン一行が島津久光の行列に対して無礼を働いた、まさにその時の天気が小説を描写するためにどうしても必要で、資料を探しまわったという。
ようやく、当時、庄屋の主が書いていた緻密な日記を発見し、事件当日の天候を特定。
小説を先に書き進めることができたのだという。

このように、歴史を描くことは並大抵なことではない。
歴史の伝承が、時には人が創造したり、誇張した内容であることも少なくなく、何が真実で何が虚実なのか。
神話のように事実と空想がない混ぜになったものも事実として存在し、判断するのが極めて難しいからだ。

今話題の南京大虐殺などもその例の一つ。
終戦暫く何も言われなかったものが、時間の経過と共に事件が創りだされ、犠牲者の数も時間を追って増えていき、その数はやがて南京の総人口を突破し、ついには国際間の問題へと発展。
方や政権を維持するためのプロパガンダの材料とし、方や政治的タブーをわざわざ作り出し、敗戦後遺症を増幅させ革新政党の宣伝材料と化した。
結果的に事件の物理的証拠は何一つ無く、出てくるのは南京へ進駐した日本軍を大歓迎で迎え入れる南京市民の無頼漢・蒋介石の集団を追っ払ってくれたという安堵感漂う写真ばかりという有様だ。

歴史は作りだされ、アレンジされる。

セス・シュルマン著、吉田三知世訳「グラハム・ベル 空白の12日間の謎」(日経BP)は電話発明にまつわる歴史の謎を扱ったノンフィクション。
実は初めて電話を発明したのはグラハム・ベルではなかった、という衝撃的な事実を扱っている。
MITの研究員でジャーナリストだった著者はまるで探偵のように次々と新しい証拠を見つけ出す。
その過程はスリリングで目が離せない。
今の私たちはベルの特許に関する異議申立て訴訟が10年も続いたことは知らないし、その特許でベル個人はほとんど利益を得ず、婦人が株式の大部分を所持し、おまけにベルはこのあと電話関係の一切から身を引いていたことさえ知らない。
また、この電話発明に関する疑惑が21世紀になって初めて彫り出されたわけではないことも著者は紹介している。
1930年代、1960年代、世紀末にと、幾度も出てきた数々の真実は常に闇に葬られ、

「ワトソンくん、こちらに来てくれたまえ」

という、伝説だけが生き続けている。
その理由と背景は何なのかという疑問が読者の好奇心を捉えるのだ。
そして、このグラハム・ベルの発明物語そのものが、巨大な利権構造のもとに真実を多い隠しているというところに行き着くことに、歴史は利益のためにならウソも真実も創りだすものだということを痛感させてくれる。

ウソと真実の間で生み出される、それが歴史なのかもわからないと、思わせる実に面白いノンフィクションなのであった。

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「中国にある万里の長城は漢民族が北方の匈奴の侵入に備えて建築した建築物です」

というのは中学校の世界史の時間でみんなが等しく習うこと。
しかし、最近つとに『それって、違うんじゃないだろうか』と思うことが少なくない。
つまり、

「中国にある万里の長城は『漢民族が北方に押し寄せて、自分たちの文化を犯されるのを嫌った匈奴の人たちが、こちら側(北方)に漢民族が侵攻してこないように漢民族を欺いて構築させた建築物』」

ではないか、と思ってしまうのだ。
つまり万里の長城は漢民族が匈奴から自分たちを守ったのではなく、匈奴が自分たちを漢民族から守ったものではないかと。

昨年、中国との折衝に怒り心頭のグーグルは、その世界の人達とは価値観の違う「その長城内」から撤退。
大きなニュースとなった。
グーグルの次に中国の訳のわからない攻撃にさらされてる米国企業・アップル社も、もしかすると同じような経過を辿り、中国市場から撤退するんじゃないかと思うことが少なくない。
道理の通らない商標登録問題で既存の企業を困らせるやりかたは、中国ならでは。
他の国では通用しないルールだが、日本でも「さぬきうどん」や「今治タオル」が商標詐欺の犠牲になってるのと同様、彼の国ではまかり通るとんでもルールはもはや珍しくない。
いっそのことグーグルのように中国市場を捨てても構わないと思うことも、致し方ないというものだ。

アメリカに限らず日本も欧州も東南アジアも、自分たちの製品のコピーをこうも堂々と作られるとは思ってもいなかったのでないか。
来々週は東京ビッグサイトで建材展が開催されるが一昨年、この展示会で中国製のアルミ建材を展示しているブースで、

「この製品、品質は大丈夫ですか?
と訊ねたら。
「大丈夫です。ヨーロッパのメーカーの設備と仕様で作っています。」
「へー、じゃあ価格はそれなりにすんでしょうね」
「いいえ、安いです。」
「なんで?」
「ヨーロッパメーカーとの契約が切れていますから、私達が自由に生産して安く販売しています。」

まったくもって、天下の東京ビッグサイトになんたる企業を出展させているのかとあきれ果てたのは言うまでもない。

ともかく中国人はモラルも何もなく「カネカネカネ」の印象が強い。

で思い出すのは、スター・トレックに登場するフェリンギ星人という宇宙人で、ウィキペディアで「フェリンギ星人」
と検索してみると、

「嘘をつくこと・他人を騙すことに抵抗が無く、金儲けが全てに優先され、死ぬことよりも金儲けに失敗することに恐怖心を抱くほどである」(ウィキペディアより抜粋)

と書かれていた。

もしかすると中国人は宇宙人かもしれない。

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朝、新大阪駅近くの取引先で打ち合わせをして事務所に戻ろうとJRの改札口に行くと、なにやら騒々しい。

「地下鉄御堂筋線は梅田駅の火災のために全線で運転を見合わせています。JR線への振替輸送を実施しています。」

とのアナウンスが流れていた。

「なに?梅田の駅で火災やて? これは週刊誌あたりが『橋下市長に反発した勢力が反抗のために起こした事件だった』みたいな記事を流すかも。」

と思ったのは私だけだはないだろう。
ま、そういう悪い空想が頭に浮かぶのも今の大阪市の市長および維新の会対労働組合という対立構造が目立っているからで、当然ほとんどの市民は市長の味方だから市営の事業所で火事があったりすると要らぬ想像をしてしまうものなのだ。



それにしても大阪市営地下鉄梅田駅というと大阪では最も乗降客の多い場所。
ここで火災となると、当然大混乱が起こっているものと思っていたのだが、JR線で大阪駅まで異動して阪神百貨店の前に行くとご覧のとおり。
地下通路には防火シャッターが下ろされて行き場を失った何人かの通行人が困惑していた程度で、何事も無く冷静そのもの。

大阪人も大きく変わった。なんて大人しくなったものだ、と思った私も大阪人。
いい迷惑な事件なのでった。

で、こうして地下鉄梅田駅の火災でその周辺の地下街が閉鎖されると大きく困ることが今回はじめてわかった。

大阪梅田の地下街は、かつて日本一の規模と言われ、今も、地下でつながった様々な地下の集合体とすれば日本一。
各駅、ビル、百貨店を始めとするショッピングモール、公共施設はすべて地下街を通り抜けることで移動することができた。

ところが梅田駅のようなハブになる部分で通行止めを食らうと、東西南北、どこも行きづらくなることがわかったのだ。

まず、道路を渡ることが難しい。

大阪の場合、地下街が発達しすぎて都市を設計する方も、地上に横断歩道は要らないと思っているんか、いざとなると人の渡れる交差点がほとんどない。
従って車ビュンビュン行き交っているところを渡らなければならないのだ。
私もある交差点を渡るために横断歩道の無いところをガードレールを跨いで渡ることになったが、いつしかベトナムのサイゴンで幹線道路をビクビクしながら渡ったのを思い出し、
「大阪はアジアに一番近い街、っていうけど、アジアそのものやん」
と妙に納得することになったのであった。

私のように移動に困惑する人は少なくないと見えて、大人の男性はもちろん、綺麗に着飾った女性までがガードレールを跨いで歩いているところは、
「生きることに独特のパワーを発揮する大阪人」
を顕にしている見事な風景であった。

梅田の堂島地下街でランチを食べて四つ橋線に乗ろうとしたら、アナウンス。

「御堂筋線は全線で運転を再開しましたが、梅田駅は通過します。乗り降りできませんのでご注意ください。」

淀屋橋から乗って中津まで止まらない地下鉄御堂筋線を体験したい思ったのはいうまでもない。


(梅田駅通過を告知する看板)


(梅田阪急百貨店本店前に集まった消防車。野次馬のいないのが、なんとなく変ではある)

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面白い映画なのに、一般の劇場でロードショー公開しない作品がたまにある。
原因は様々。
宗教的に、価値観的に、日本人に受け入れられにくいとか、カルトな内容で一般受けしないかも、というのが理由だと思う。

ずっと以前にアカデミー賞を受賞した「炎のランナー」を見に行ったことがあるのだが、何が面白いのかちっとも分からず、トホホモードで帰ってきたことがあった。
詳しい人に訊くと、
「そら、日本人にはわかりにくい。あなたキリスト教徒やないでしょ」
と言われた。
何を隠そう、私の家は真言宗である。
従ってキリスト教を知っていなければ分からない映画は、当然よくわからない。
なにか、聖書でも読み込んでいないと分からないのだろうかと、思ったのだ。
が、あとでよくよく考えてみると退屈でほとんど寝てしまったのが原因だったような気がしないでもないのだった。

「炎のランナー」はメジャー公開されていたので、アカデミー作品賞を受賞するというのはそれなりに重要なことなのだと、つくづく感じたのであった。

これとは違って、出演陣もスタッフも、特殊効果もどう考えてみてもメジャー公開されなければならないのに、ミニシアター系で公開される映画がある。
このジャンルで密かにヒットした映画が数年前に公開された「ギャラクシー・クエスト」。
当然私も見て大好きになった映画だった。

脚本が良くできたSFコメディで、どこかで見たことのあるようなSFTVシリーズとそのドラマを真実のドキュメンタリーだと信じて疑わない異星人との物語なのであった。
主演はシガニー・ウィーバー、ティム・アレン、アラン・リックマン、トニー・シャルーブ等。
製作はスピルバーグのドリームワークス。
特殊効果はルーカスのILMという豪華さ。

最初から最後まで笑いと涙とアイデアが溢れていて、この年見た私の最もお気に入りの映画になったくらいなのであった。
つまり「スター・トレック」とその熱狂的なファンである「トレッキー」の関係をコミカルに、そして感動的に別の架空のテレビドラマに当てはめて描いたオマージュ作品なのだが、全編を通じて「スター・トレック」そのものも、その要素も、そのファンもまったく出てこない。
しかし、カルト的な映画であることに変わりはなく、社会現象としてのスター・トレックを知っている人には笑いと驚きが止まらないシーンが続くのだ。

「宇宙人ポール」はその「ギャラクシークエスト」を彷彿させる映画なのであった。

この映画でパロディ化されている映画はスター・トレックだけではない。
E.T、MIB、レイダース、未知との遭遇などなど。
往年のヒット作が目白押しだ。
あるE.Tの1シーンを彷彿させるシーンは感動していたら不意を突かれて大爆笑。
こんなカルトちっくな映画、大丈夫かな、と思っていたカミさんと娘も大爆笑していて一安心。

「ギャラクシークエスト」と比べると、いささか品に劣りはするが面白さはなかなかなのであった。

予告編をネットで見たら劇場へ足を向けたくなること請け合いだ。
なお、ミニシアター系に近い扱いの公開なので、大阪も2館で上映されているだけ。
近くで上映している映画館を探すのは、ちょいとばかり難しいかも分からない。



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時々テレビのニュース番組や新聞で広島の平和公園にある「過ちは二度と繰り返しませんから」という碑にペンキがかけられた、とか、碑が破損させられたという事件が報道されることがある。
その都度、
「ひどいことをするヤツがいるもんだ」
風に世間一般は感想を述べるのだが、実際のところ、
「犯人の気持ちが分からないでもないけどな」
という人もかなりの数になるのではないか、と私は思っている。

実は、私もそう感じている一人。

というのも「過ちは二度と繰りかしませんから」というセリフは日本人が言うものではなく、原爆を落としたアメリカ政府が誓わなければならない言葉だからだ。

第二次世界大戦以前は戦争というのは外交戦術の一つであった。これは愚かながらも人類の歴史の事実なのだ。
しかし戦争にもルールがあって、戦うのは兵士同士。
しかも健康な兵士同士の戦いで、白旗上げたりケガをしたり捕虜になったらお互いに保護する義務があったし、今もある。
ましてや民間人には手を出さないというちゃんとしたルールがあった。

ところがアメリカ政府は原子爆弾を広島と長崎に迷うこと無く投下。
白人が下した黄色人種に対する一種の人体実験だったと言っても過言ではないが、このたった一発の爆弾で広島市民の3分の1にあたる17万人がその年の12月まで即死、あるいは苦しみぬいて亡くなり、その後も数十万の市民が熱線と放射線で受けた障害に苦しんだ。
17万人の中には兵士もいたが大多数は赤ちゃんからお年寄りまでの一般市民だった。

だから戦争だったとは言いながら、
「原爆投下の過ちを繰り返さない、と誓うのはアメリカだ」
でペンキを投げつける気持ちも分からなくはないのだ。

そのアメリカは反省するどころかその後ベトナム、中東、アフガニスタンで似たようなことを繰り返している。
おまけに、
「どうだ、凄いだろ!」
とばかりに広島に原爆を投下した飛行機B29エノラ・ゲイを我が歴史の誇りのように首都ワシントンの博物館に展示している。
アメリカには武士道も騎士道も無いのでエノラ・ゲイが「恥ずかしい存在」であることが分からないのかも知れない。
ちょっと気の毒な話ではある。

とかく先の大戦の話になると謝ってばかりいる日本人だが、反対に謝って欲しいことが少なくとも3つある。
まず、この原爆投下を含む都市への無差別爆撃。
次に、ルール違反でしかもインチキも多い東京裁判。
そしてソ連による捕虜抑留だ。

ソ連がやったシベリア抑留については、昭和30年代40年代生まれの私のような世代には山口百恵と三浦友和が主演したテレビドラマ「赤い運命」で佐藤浩市の親父さん、三國連太郎が演じていた主人公のお父さんが思い出される。
日本が降伏の準備をしていると知りながら、終戦1週間前に条約を一方的に破棄して日本へ宣戦布告したソ連は終戦後も執拗に日本の軍人や民間人を捕虜にした。
男の多くをシベリアの集団農場へ送り込み、乏しい食料と極寒と絶望の世界での重労働を課したのであった。

「あの時のことを知っているのか」

というようなことを恨みつらみに憎ったらしくセリフを言う三國連太郎の演技は子供の目にも素晴らしく、
「百恵ちゃんを苛めるな」
とテレビに向かって心で叫んでいたことを今もうっすらと記憶している。

その地獄のシベリア強制収容所を脱出し、モンゴル、チベット、ヒマラヤと越え、ついにインドに達した人々がいた。
元ポーランド軍兵の記した実話がスラヴォミール・ラウィッツ著海津正彦訳「脱出記」(ヴィレッジブックス)だ。

このノンフィクションはスターリン指導下のソ連による弾圧行為を克明に描いているばかりではなく、その七割を占める徒歩による逃亡劇はまさしくサバイバルゲーム。
冒険という言葉だけでは表しきれない真実の過酷さが描かれている。

集団農場を脱出するのは七人。
途中一人が合流し八人となるが、インドにたどり着くのは果たして何人なのか。
ハラハラドキドキの連続で先が知りたくて知りたくて読み始めると止めることのできない面白さがある。

それにしてもソ連、社会主義ロシアという国は一体なんだったんだろう。
「社会主義は20世紀に行われた壮大な実験だ」
司馬遼太郎は語っていたそうだが、実験にしてはあまりに犠牲が多すぎた。
ロシア。
中国。
北朝鮮。
未だに脱出できない人々がたくさんいるのも、これまた事実だ。

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朝NHKラジオを聞いていたら今日が日本の映画産業始まりの日であることを知った。

明治30年のことなのであった。

ラジオでは単に「明治三十年の今日、シネマトグラフという大勢が一度に見ることのできる映画を大阪で初めて上映した日です」と言っていただけで、それがどこかは言わなかった。
それはどこかと尋ねれば、南海電車難波駅前、高島屋正面にある現在のTOHOシネマズなんばが日本の映画産業発祥の地なのだ。

こういうレアな歴史的イベントはあまり知られておらず、大阪人たる私も大学生になるまで大阪のなんばが映画産業というか映画興行発祥の場所であるなんてことは、ついぞ知らなかったのだ。

当時、南街劇場という東宝系劇場が入っていて、ロードショー映画が公開されていた。
私もここでスターウォーズやナイル殺人事件などを見たものだったが、シネマトグラフ以来の映画館であることを聞いた時はビックリしたものだった。

今では「映画発祥の地」なんて碑もなく、マルイが入っているファンション複合ビルに変化しているが、こういうときには最新の上映設備を持ったTOHOシネマズの劇場で「水撒き男」や「プラットホームへの列車の入線」など、フランス人ルミエール兄弟が開発した映画のフィルムを上映し、彼らを讃えてはいかがだろうと思う。

なお、映画を発明したのもエジソンではなくルミエール兄弟であることも大学へ入学する直前に知った次第なのであった。

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先月、写真フィルムの名門米国コダック社が倒産した。
最近のニュースによると、会社再生のためにデジタルカメラ部門も解散するようで、倒産後の処理も苦渋に満ちたものになっているようだ。

私は大学の時に映像を専攻していた関係でコダックのフィルムは馴染み深い。
もともと高校生になるまでは他の一般ユーザーと同様にフジのフィルムを使っていたのだが、私のゼミの先生が、

「フィルムはイーストマンです。(フジはダメです、の反語)」

とばかりに黄色のパッケージの信者だったので、必然的に実習、作品作りにコダックのエクタクロームだとかコダクロームといったフィルムを多用するようになった。
なお、プロはこのときに「コダック」とは呼ばずに「イーストマン」と呼ぶことを知った。
先生の影響は馬鹿に出来ず、単純にフジのファンだった私も、

「なるほど、フジより発色がいいですね」

などとと分かっているのか分かっていないのか、というようないっちょ前のセリフを私も吐いていたのだが、確かにコダックの仕上がりはフジとは一線を画していたように記憶する。

フジがそんなのだからサクラカラー(コニカミノルタ)のフィルムは論外で、買ったことも使ったこともなかった。
そういう無縁ユーザーが多かったと見えて、サクラカラーはコニカカラーとブランドを変えても販売向上に繋がらなかったと見えて、早々に姿を消してしまったのだった。

ちょうど「イーストマンがいいです」なんて先生がおっしゃっていた頃に、ソニーがマビカを発表した。
「マビカ」
それは3.5インチフロッピーディスクに記憶するという当時としてはビックリするようなデジカメなのであった。
当時のソニーは井深大さんも盛田昭夫さんも現役で、そらもう今日のアップルのように輝く会社だった。が、そのソニーはどこへ行ってしまんたんだろう、というのは余談。

「銀塩フィルムに使用する感光剤の主原料臭化銀の資源があと数年で枯渇します。その代用を開発しなければなりません。」

と、私の先生はよくおっしゃっていた。
そこにデジカメの登場は、感光剤資源の問題を一挙に解決するものだったが、当時は鈍感な私立芸大の私はそのことにちっとも気づかなかった。
気づかなかったばかりか、

「マビカなんてビデオカメラのマガイモンちゃうんかな」

と思ったくらいだった。

ともあれ、臭化銀が枯渇する前に写真フィルムは超マイナーな存在になり、コダック社もフィルムメーカーとしての姿に終焉を迎えたというわけだ。

コダック、サクラ、フジ。

残ったフジも「写真」を社名から削除したのは記憶に新しい。
写真フィルムは過去のものになっていたのに、それにこだわったノスタルジーが会社を潰した原因に違いない。

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先週、パナソニックがVHS方式のビデオデッキの生産を終了することを発表した。
ソニーのベータ方式に遅れること約10年。テープ式録画システムの勝者は、寿命でも勝利を収めたというわけだ。

ところで、今後VHS方式で録りためたコレクションはどうなってしまうのだろうか。
正直に告白すると、私はビデオデッキではベータ方式派で、初めて買った(正しくは買ってもらった)ビデオデッキはベータ方式で、追加の2台目も買い替えの3台目もベータマックス方式のソニーのデッキを購入した。
従ってコレクションの多くはベータ方式であり、今やかろうじて生き残っているベータプロのデッキが動かなくなると、これらのコレクションは一切合切見ることができなくなるのだ。

コレクションには貴重なものも少なくない。

朝日放送で放送されていた枝雀寄席。
NHK特集シルクロード。
日曜洋画劇場と月曜ロードショー。
谷啓とうつみ宮土理が吹き替えをしている「スヌーピーとチャーリー・ブラウン」
阪神タイガース21年ぶりの優勝決定試合(阪神vsヤクルト)
阪神タイガース初日本一決定試合(阪神vs西武)
スペースシャトル初飛行のニュース特番
マペット・ショー
などなど。

このうち日曜洋画劇場と月曜ロードショーは淀川長治と荻昌弘の解説部分だけをiMacに取り込みオリジナルDVDを作成。自分だけのコレクションにしている。
今や洋画劇場といえば解説も何もなく、味も無いが、当時の淀川節の魅力と、荻昌弘のアカデミックな解説には今聞いても勉強になる部分が少なくない。
またマペットショーは全話を日本語吹き替え版でDVDにダビングし、これもまた自分だけのコレクションにしている。
マペットショーはアメリカでは人気シリーズで何年も続いたが日本ではたった15話放送されただけ。それでもゲストは大物が多く、例えば第一回目はエルトン・ジョン、五回目はシャルル・アズナブール、何回目か忘れたがピーター・セラーズ、さらにポール・ウィリアムズやキャンディス・バーゲンなんかが登場していたのであった。
吹き替え陣も豪華絢爛。
山田康雄、天地総子、熊倉一雄、納谷悟朗、神山卓三、永井一郎、滝口順平、羽佐間道夫などが担当。
ちなみにゲストのエルトン・ジョンは富山敬、シャルル・アズナブールは藤村有弘と今は亡き人たちの声も楽しめる。

このように、貴重なコレクションはデッキが生産終了されると見ることができなくなり、いくらテープがあっても宝の持ち腐れと化してしまう。
ベータマックスでこれだけの被害なのだから、VHSだとその被害規模も大きく、対象となる人も少なくないに違いない。

私の場合はVHSデッキを購入してからというもの、大したものは録画しておらず、見られなくなると悲しいものにNHKドラマ「大地の子」があるものの、それとていざとなると近所のTSUTAYAでDVDを借りてきて見ることができる。
VHS生産終了のショックはベータマックスほどではないのだ。

ということで、VHSテープのコレクションを大量に所持されている方はDVDまたはHDDへのダビングを急がなければならないのだ。
パナソニックやソニーは自社のデッキをもっている人たちを対象に、ダビング用のDVD-Rくらい無償配布していただきたいと思う、今日この頃なのであった。

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朝のNHK連続テレビ小説の舞台となっている大阪府岸和田市は大阪府下では数少ない城下町の一つだ。
しかも復元されたものとはいえ天守閣があるのも珍しく、祭りと共に地元の人たちにとっては自慢のタネになっている。

私は同じ大阪でも堺市生まれの堺市育ちなので城下町にこだわりわない。
むしろ私にとっては「国際貿易で栄えた中世の自由都市」としての堺が自慢。
その特殊な歴史的位置が「城下町に対するこだわりに無感覚」な正確に影響を与えているのだろう。

とはえい、岸和田城のような立派な城郭を残しているのは府下では他に大阪城ぐらい。
同じ城下町でも高槻城や千早赤阪城はすでに書物の中の存在に過ぎなくなっていることを考えると、
「どうして岸和田にはあんな立派な城があるのか」
ということが疑問になってくる。

なお、地方の人には岸和田がどこにあるのか分からない人も多いかも知れないので、ロケーションを説明すると、大阪から和歌山へ電車に乗ると、その中間地点にあたるのが岸和田である。

この疑問を氷解させてくれそうな書籍を書店の歴史コーナーで発見した。
大阪の歴史研究の人たちが執筆編纂した「岸和田古城から城下町へ」(和泉書院)で、パラパラとめくると南北朝以来の大阪南部の歴史研究書としてなかなか面白そうだった。
さっそく購入しようと、裏を見たら価格がなんと¥3880もしていたのだ。
正直1冊4000円近くもするような本は、仕事で必要でもない限り購入することはめったにない。
こういう書籍は大学の図書館で借りてくるか、馴染みの大阪市立中央図書館か台東区立中央図書館で読むのが適当なのでそうしようと思っていたのだが、なんとなくどうしても読みたくなり、2ヶ月ほど悩んだり、新しい本を購入するのを控えたりして無理をして購入したのであった。

結果、買ってよかったと思うパーセンテージは70%なのであった。
なぜ30%後悔したかというと、やはり地元の歴史研究家の方が執筆者の中に多く、少しく文章が読みづらい、というか読む人のことを考えていないのではないか、と思える所が少なくなく、読むことそのものに苦心することも少なくなかったからなのであった。

それにしても内容自体はかなり良いもので、大阪の南部、いわゆる和泉国と呼ばれる地域の勢力争いについてよく知ることのできる貴重な本なのであった。
地名のいわれも面白く、岸和田が海岸にやってきた和田氏から来たという通説が間違いであるという話も面白いのはもちろんのこと、堺から和歌山にかけてのパワーバランスについても、私が地元のため結構楽しめるものなのであった。
中世以前は、岸和田ばかりではなく、堺から南部には数多くの要塞に該当する城が存在したことも注目に値するのだった。

私が最も興味を惹かれたのは、前述の岸和田城の存在だった。
江戸時代、岸和田藩は尼崎藩と共に大阪城を守護する役割を担っていたということを本書で初めて知り、あの立派な城郭の存在理由を納得することができた。
江戸時代の重要な行政および軍事的拠点なのであった。

なお、本書で示されていた大阪三国(摂津、河内、和泉)のうち、河内だけ城下町が無い事への解答はついに知ることができなかったのが、少し残念ではあった。
いずれにしろ貴重な郷土史研究本であることは間違いない。
ちょっと値段が高すぎますが。

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