<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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優生保護法が憲法の人権侵害に当たるのかどうかが今日、東京地裁で判決がでる。

「不良な子孫を残さない」という考え方で立法化された優生保護法だが、誰がこんな法律をだしたのかというと日本社会党なのであった。
当時、日本社会党は占領軍の方策もあって好き勝手なことを展開したのだが、その好き勝手な2つのうちの一つが優生保護法だったといってもいい。
ちなみにもう1つは農地開放。
遺伝的に欠陥があると思われる不良な子孫を残さないようにするために不妊手術や中絶をする。
そんな無茶な考えはないのであって「日本人は減っても構わない」という占領軍の法律とも合致して立法化されたのだろう。

それにしても大に嗤えるのはこのことだ。
いつもはこの手の裁判には被害者支援を叫ぶ社民党は全くだんまりを決め込んでいる。
その理由はこういうところに原因がある。

パチンコ屋。
北朝鮮拉致問題。

モリカケやサクラには大声を挙げて糾弾するのだが臭いものには蓋をするのがこの人達のやり方だ。
ちなみに消費税も社会党政権下で税率3%が4%に増税された。
そもそも導入に反対していた消費税に便乗しての増税だった。

何をやってもろくな事はない。
中国共産党もその一つ。
恥を知らない政党は社会に負の遺産を残していく。


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米国の白人警官による黒人死亡の事件以来、米国を中心に人種差別反対運動が極論化している。
差別に反対する運動であれば暴力を振るっても問題ないかのような状態を異常としてとらえず「これが社会の流れ」と捉えるマスメディアの異常さもあいまって強い違和感を感じている人は少なくないはずだ。
私もその一人。

差別反対のデモンストレーションに乗っかって商店を破壊し略奪行為を働く。
車道に止められている自動車に火を付ける。
これらはほんの序の口でやがて歴史上の人物批判にもその矛先は向けられ始め町のシンボル扱いだった英雄たちの銅像は傷つけられ、引きずり降ろされ、記念館の名前は変更を強いられる。
これらは差別反対を叫ぶ人たちからの一方通行の思想の押しつけではないかとも思うのだが、そういうことを言う雰囲気すら漂っている。
それが日本のことではなくて米国のことなので事態は深刻だ。

そもそも亡くなった黒人はなぜ警察によって拘束される事態になったのか。
その部分はほとんど報道されることさえなくなってしまった。
今や彼は英雄のような扱いを受け、その弟は反差別の運動スターなのだ。
偽札所持の容疑で拘束された亡くなった黒人は果たして無辜の市民なのか。
大いに考えてみる必要がありそうだ。

この米国の反差別主義運動に異常さと背景になにかあるのかと疑ってしまうことがある。
というのも彼らは自身の国のことについては大きな声で叫ぶのだが、香港や中国ウィグルの人権弾圧や言論の封じ込め、政治犯の大量拘束についてはあまり述べない。
外国のことだからかもしれないが、それだけでは説明がつかないのは明らかだ。

反差別運動を主導する人々が米国の歴史を捏造するまでもないが、そもそもこのような行動には手本がある。
それは中国と韓国が行ってきた日本に対する歴史捏造と言論誘導とパターン。
この流れや主張の仕方が全く同じなのだ。

今回の反差別に基づく暴力行為を含む運動の背景には中国共産党の存在がある。
そう思いながらニュースを見ているとスッキリと合点がいくのが恐ろしい。


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一昔前のわたしの大好きなアメリカンジョークに、

「ジョージ・ブッシュはバカ野郎だ!」
とホワイトハウス前で叫んだ男が「国家機密漏洩罪」で逮捕された。

というのがある。
実にアメリカらしいジョークで、たとえばこれを日本におきかえ、

「安倍晋三は大ばか野郎だ!」
とすると雰囲気がちっとも面白くなく、かといって、
「枝野幸男は大ばか野郎だ!」
とすると、事実だけにちっとも笑えず、
「福島瑞穂は大ばか野郎だ!」
とすると、
「あれでも野郎ではない」と言われそうでジョークにならないのだ。

かと言って、今話題の全大統領補佐官ボルトン氏が出した暴露本「The Room Where it Happened(勝手に邦訳「えらいこっちゃの執務室」.......タイトルからするとビル・クリントンと女子大生の話かと思った)」はジョークにもならない笑えない一冊だと思う。
たとえそれが事実であったとしても、だ。
大統領の補佐をやっていた人間がいかに大統領の質が低レベルといえど、それを公にさらしてもいいのか。
わたしはそのような権限はないと思っている。
これでは芸能人の性癖を暴露する超低レベルの娼婦よりさらに低レベルだ。

このようにたとえば「?」な大統領であっても国のトップに変わりなく、その人物の傍らに居たものがホントかどうかは別にして欠点をあげつらい貶める内容を本にして公にするなどモラルとしていかがなものかと思うのである。

まあ大統領が大統領なら補佐官も補佐官だったと考えれば納得ができないことはない。


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緊急事態宣言も解除されたので、まずは仕事で名古屋へ向かうことにした。
もちろん日帰り。
もちろん経費節約で新幹線じゃなくて近鉄特急。

この日、私はいつものように大阪鶴橋から近鉄名古屋までの名阪特急の座席指定券を求めるべく近鉄のサイトにアクセスした。
そしてログイン。
取引先の訪問時間にマッチする特急電車を検索した。

「おや?......以前と違うぞ」

検索結果を見た私は思わずつぶやいていた。
その画面には直通特急の多くが新型の「ひのとり」になっていて従来のアーバンライナーが少なくなっていたからであった。

昨年のある日。
知人と飲もうということで近鉄あべの橋駅で待ち合わせをしていると新型特急の座席のモックアップが展示されていた。
いかにも豪華そうな座席。
コンセント装備。
リクライニングも使いやすそう。
紛れもない。「ひのとり」の座席サンプルなのであった。

「ほー、ついに名阪特急に新型かな」

と暫し見とれていたのであった。
その新型特急がこのコロナ禍の大変な時期に大阪〜名古屋間に投入されていたようで、私はいきなり「ひのとり」を体験することになった。

で、移動日当日。
実際に乗ってみると、これまで利用してきたアーバンライナーがすっかりお年を召してしまったような印象になるほど車内インテリアと装備が洗練された車両なのであった。
全座席にはAC100Vコンセントを装備。
座席前のテーブルは大きくてノートPCを置いてもスペースが余るくらいに広く丈夫だ。
テーブルにPCを載せている時に飲み物をどうするかというと、ちゃんとその横にドリンクホルダーに装備されている。
PCが使えるということは当然車内Wifiが飛んでいる。
私のMacBookAirをつないでみると、ストレスのないサクサクとしたWifi環境が整えられていることがすぐに確認できた。
新幹線のあのモチモチした繋がるのか繋がらないのかわからないクオリティとは随分と異なるのであった。
足元のフットレストはアーバンライナーの3倍はあるかと思える広さとフカフカさ。
そして最高の特徴はセル方式になったリクライニングシートで、後ろに倒しても後部座席の人に圧迫感を与えることがまったくない構造のシートが採用されていたのだ。
このセル式シートは座っている人の体を包み込むような感覚があり、広いフットレストと個別の窓と上下スライドウィンドウシェードを組み合わせると、個室に居るような感覚にさえなることのできる快適さなのであった。
これでレギュラーシートなのだから、もしデラックスシートを利用していたらどのようなアドバンテージを体験できたか大いに気になるところだ。

尤も、従来のアーバンライナーと比較して200円ほど指定料金が上がっており、微妙に儲けようという近鉄のセコイ感覚がにじみ出ているのが玉に瑕なのであった。
でも、もうアーバンライナーよりひのとりがいい。

もう、大阪〜名古屋は新幹線に戻ることはあるまいと思ってしまう、ますます魅力的になる近鉄特急なのであった。


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東京都知事選が始まって全国から注目が集まっているが、大方の予想では現職小池知事の再当選とされている。
小池知事はそれなりの対応をしてきたようだが、週刊誌や月刊誌を読んでみると果たせた公約は何もなくてコロナで使ったお金は9500億円。
都の貯金も残り500億円しかないというのだから、かなり深刻だ。

その中には自らの判断で中国へ無償提供した医療物資も含まれているわけで、コロナ禍に苦しむ都民がいながら中国にいい顔していた事実も、なぜかあまりメインのメディアでは報道されていない。

築地市場の豊洲移転も騒いだだけ。
都民ファーストの会はれいわ新選組より影が薄い。グーグルで「都民ファースト」と検索したら「都民ファースト 今」と自動で検索ワードが出てくるぐらい「あの人は今」状態だ。
「待機児童ゼロ」
「満員電車ゼロ」
「都知事の任期は三年半」
色んな公約をだしていたが、実現できたものは1つもない。

それにしても他人の財布と思ったのか2〜3ヶ月で1兆円近くもばらまくとは。
面堂終太郎でもできない荒業なのであった。


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大阪府民のわたしからお願いするのはなんだけど、東京都知事選は真面目に投票していただきたいというのがわたしの希望なのだ。

とはいえ、私もかつて大阪府知事選では不真面目な投票をしてしまったことがある。
最初は横山ノックで、その次は橋下徹。
前者はホントに後悔している。
ノックさんはやはり単なる漫才師でテレビタレントのおっちゃんなのであった。
大阪府を切り盛りするにはかなり人間性が足りなかった。
結末を見れば誰かに嵌められのかも知れないが、ノックさんの退陣は情けなく恥ずかしい幕引きで大阪府の歴史に大きな「恥」を残したことは事実であろう。
有権者としても大いに反省すべきところである。

後者はノックさんの前例があるにも関わらず、またまた面白がって投票してしまったというのが真相ではあった。
しかし、これは宝くじの1等を引き当てたくらいの大ヒットなのであった。
もしこの時、彼に投票しなければ今の大阪はない。
コロナの対応など大阪自民党と公明党が選んだ候補なんかでは対応できなかったはずだ。
1200億円の貯金どころか府債を返金するために貯金していた5000億円にも手をつけていたに違いない。
隣の府県のことなど嗤ってはいられなかった。

今回我々は選挙というものがいかに大切かを切実に感じたのであった。

で、今回の都知事選。
なんといっても東京都知事というのは首都の首長だけに東京都民だけでなく日本全国に影響する存在であることを忘れてはいけないのです。
何の実績も作れなかった目立ちたがり屋の現知事がいいのか。
なんで議員に選ばれてしまったのか奇々怪々の太郎君でいいのか。
受信料不払い運動と都政の関係がどれほどあると思っているのか。
などなどなど。

江戸っ子のみなさん、熟考の上よろしく札入れお願いいたします。


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大阪の難波をひさしぶりに訪れた。
正確には訪れたのではなく難波の地下街を通過したのだ。
この日、神戸の打ち合わせの帰り道に三宮から近鉄奈良行きの阪神電車に乗って難波へ到着。そこで南海高野線に乗り換えた関係で近鉄難波から南海なんば駅まで歩いたのであった。
その歩いている最中に思わずつぶやいたのが、

「懐かしい〜」

の一言。
近鉄大阪難波駅から南海なんば駅までは300mほどの距離があり地上でも地下街でも連絡することができる。
私は地下鉄御堂筋線のコンコースでもある地下通路の方を歩いていたが、その光景を見た途端、急に懐かしさがこみ上げてきたのだ。
ここを通ったのは久しぶりだったがそれでも昨年は何度か道頓堀松竹座へ歌舞伎を見に行ったりしたので、そんなに昔ではない。

「なんでだろう?」

と考えてみた。
通路眺めるとスーツケースをコロコロ転がして歩く観光客の姿がまったくない。
さらにグループで大声を上げながら歩く中国人観光客がまったくいない、ということに気がついた。
つまり、昔の難波の姿に戻っていたのだ。

そもそも私が芝居見物以外に難波に行かなくなった理由は南海なんば駅近くに事務所のあった会社を退職したことが大きい。
しかしそれ以上に外国人があまりに多くてそのマナーの無さに嫌気がさしてしまっていたから、というのが大きな理由だった。
会話の声も聞こえない騒音けたたましい居酒屋。
路地に溢れる外国人。
外国語の看板に張り紙。
そんな場所、訪れる気力が消失するのは当たり前だ。
道頓堀や心斎橋筋なんか絶対に行きたくない場所になっていて、よく通った法善寺の飲み屋さんにも足を向けなくなってしまっていたのだ。

観光業界は新型コロナで観光客が消えてしまい深刻な打撃を受けている。
気の毒なくらい仕事が無くなっているのだ。
かといって外国人観光客があまりに増えると行く気が失せて自分の街ではないような感覚に囚われていたことも、これまた事実。
だから今の難波は安心してぶらぶら買い物や食事のできる雰囲気が戻っていることに、懐かしさを感じたのだ。

インバウンドの無い大阪難波。
全国一の売上を誇った高島屋大阪本店も今はどうなのだろう。
新しい生活はインバウンドに頼らない商業、観光を求めている。
それにはインバウンド以前の活気を取り戻せるのかどうかが経済復興の大きなカギなんだろうな、と思う難波なのであった。



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東京都が新型コロナウィルスの休業要請などに基づくバラマキ助成金などのため資産を使いすぎて都の財政に黄信号が灯ったという。
なにかの経済の本に書いていたのだが東京都を一つの国家と仮定すると先進国中第12位の経済力なのだという。
ヨーロッパのちょっとした国と同等、あるいはそれを行くパワーを持っているのだ。
ところが今回のような緊急事態に対して、財政豊かとばかりに他の道府県ではできないバラマキを実施するとさすがの豊かな財政も危機を迎えるということが明らかになったわけだ。

私の住む大阪府は今回は早い段階で、
「大阪府はこの10年間でなんとか1200億円の貯金ができています。それを財源に助成をしますが、それを越えるお金は出せません。」
と言い切っており、そうなると、
「おぉ、吉村知事がそういうんだからなんとか協力せんとあかんな」
ということになり、無理をしないようになる。
全国から不思議がられている大阪府の先進的なコロナウィルス対策は実は大阪府民が持つ伝統的な商人精神に触れる大阪をよく知る指導部による作戦勝ちなのではないかと私は思っている。
つまりコロナウィルス相手にアホなことをしていると銭勘定が合わんということが、知事の的確な指導力と相まっていい結果をだしているのだろうと思えるのだ。

大阪府は1200億の貯金があったからまだいい。
他の道府県は財政豊かなところなど一つもない。
大阪府の隣の京都府は財政破綻寸前であることを私は今回初めて知ったのであった。
京都がそうなので兵庫県や奈良県は推して知るべし。
さらに地方の県となると、いつもは中央省庁に予算要請をしているほどだけに同しようもない、と言った具合だろう。

この東京一極集中の結果による緊急事態の対応の違いは正直国家の責任でもある。
なんでもかんでも東京に集中させてしまったために地方の予算は無い、対応もできにくい、人材も集めにくいという状況を作りだしたのだ。
で、今回のようなパンデミックが発生すると東京のように人口過密で行政の指示にも従わない人が多くなると経済に与えるダメージも小さくない。
しかも財政が豊かであるがため、金のバラマキ方が半端ではなく、結局やるだけやって今回のように慌てる必要が出てくるような事態に至るわけだ。

そこへいくと江戸時代は素晴らしい。
地方は独自に財源を確保して藩を運営しなければならないので、人材の確保や情報の収拾、経済運営など今よりよっぽどしっかりしていないと切腹ということになってしまう。
今のように中央から予算をつけてもらうことなどありえず、むしろ中央の幕府からは、
「江戸のどこそこの堤防を修理するので、今回は四国のどこそこ藩がそれを請け負うこと。なお、工事費および諸費用はその藩が全額負担すること」
ということが日常茶飯事であったためアホでは行政の運営に支障が出るような時代だったのだ。

だから各地では藩校や剣術道場などを設け、藩士および市井の教育に力を注いだ。
もちろん各藩の予算で。
その結果、地方からは優位の人材が沢山でてきて幕末の国家的危機はその地方の有能な人材が国を動かし救ったのだ。

ということで廃県置藩をススメたい。
地方に権限をもたせ、独自財政を確保させ、人材を育て、魅力的な個性を地方ごと育てる。
国は教育の基本と防衛などを請け負う存在だ。

生活のスタイルを変えるということは、それぐらいするということも必要ではなかろうか。




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某新聞のWEB版を見ていたら偶然にも「野球盤」の広告を発見した。
「おお!野球盤ってまだあるんや!」
と暫し感動に包まれ、そのまま広告をクリックしてしまったのだ。
で、その広告はヨドバシカメラのネット販売のページなのだったのだが、野球盤は私が子供の頃に遊んだものと基本は変わらないのだが、値段がかなり豪華になっていることに驚いたのであった。

そもそもビデオゲームの普及ですっかり姿を消したんじゃないかと思っていたアナログゲーム。
学生時代に玩具店で3年間バイトをしていた経験から、私は玩具にはコレクターとは違った愛着を持っていると思う。
私が玩具店でアルバイトしていたのは玩具市場では大きな変革を迎えているときなのであった。
それは「ファミリコンピュータ」の登場という巨大な海練が全国の玩具店を襲い、それまで普通に売れていた玩具が全く売れなくなるという恐ろしい事態に襲われたのだ。
まさに「ファミリーコンピュータ」のパンデミックが玩具市場を襲った状態だった。

そんななかで消えていきそうになった玩具にアナログゲームがあった。

「レーダー作戦ゲーム」
「魚雷戦ゲーム」
「レーダーサーチゲーム」
「ダイヤモンドゲーム」
「人生ゲーム」
「モノポリー」
「黒ひげ危機一発」
「パーゴルフ」
「ボウリングゲーム」
「テーブルサッカー」
「光線銃SP」
などなど。
多くはファミコンに駆逐され消えていった。

エポック社の野球盤はアナログゲームでもその代表に位置するものであったことは間違いない。
そしてそれは現在もなお生き残っていたのだ。

私が遊んだ頃の野球盤には「巨人の星」の影響で「消える魔球」という機能がついていた。
ピッチャーは投球のあと消える魔球のレバーを引くとホームベースの部分が「ペコッ」と下がってボールが下に転がり、バッターはバットを振っても空振りしてしまう仕組みになっていたのだ。
この消える魔球を使うとヒットが打てないという致命的機能のため、野球盤がつまらなくなり遊ばなくなってしまった記憶は消すことができない。

その他、ヒットを打つと入った穴に応じて底に磁石のついたランナーが自動的に走るという電動式の野球盤もあったが、それはそれでランナーをセットしたり、実際に走るのはヒットを打って穴に入ったときだけということにあっという間に飽きてしまったことも思い出深い内容となっている。

現在の野球盤がどのようになっているのか不明だが、図を見るとボールである銀玉は投球すると本当に投げられるようなのだ。
高級機種は電光スコア板も搭載されているようで、価格はなんと1万円を超える。

野球盤は今もアナログゲームの王者なのかもしれない。
で、私が買うとしたら当然タイガースバージョン。甲子園球場のデザインの野球盤なのはいうまでもない。




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一般的にスーパーヒーローはその正体を隠しているものだ。
ウルトラマン然り、レインボーマンしかり、そしてスーパーマンしかりだ。

ところがTVシリーズ「スーパーガール」は第一シーズンの第一回目で一部の人が新聞社で働くカーラが実はスーパーガールであることを知らされるのだ。
知っている人と知らない人がないまぜになっているところが従来のスーパーヒーローものと大きく異るところだろう。
この異なるところがドラマを面白くしているエッセンスの一つなのだ。

そもそも「スーパーガール」なんてTVシリーズが面白いなんてちっとも予測していなかった。
新型コロナウィルスで家に籠もることがなければ見ることはなかった番組なのだ。
私はスーパーガールよりも往年のコメディ「アメリカンヒーロー」のほうを見たいぐらいだった。
どうせ面白くないだろうか、ちょっとくらい見ていてもいいかな、とアクセスしたのがいけなかった。
最初はスーパーガールを演じるメリッサ・ベノイストのチャーミングさに魅了され、そのまま特殊撮影の物凄さに引き込まれてしまったのだ。

1978年作・クリストファー・リーブ主演の「スーパーマン ザ・ムービー」では、スーパーマンの飛行シーンがいかに自然で素晴らしいものであるかを映画雑誌は盛んに取り上げていたものだが、もはやその域ではない凄まじい特殊効果だった。
映像技術の賜物だろう。
この40年間にエリアル合成からCGに変わった特撮はスーパーマンを遥かに超えるスーパーヒーローの世界をテレビ番組で実現していたのだ。

ということで墜落しそうな飛行機を助けるところから樹から下りられなくなってしまった猫ちゃんを助けるお決まりのシーンまで。
津津浦浦まで楽しめる特撮TVシリーズなのであった。
ま、最大の売りはコメディタッチであるということかも知れない。


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