<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



友人や取引先の人に、
「今度、ミャンマーへ行くんですよ」
と言うと、かえってくる言葉は大抵、
「危なくないの?」
とか、
「それ、どこ?」
という質問だ。

ミャンマーは危ない。

明らかに間違っているのだが、この言葉はきっと、
「ミャンマーは軍政で民主化運動のアウンサン・スーチー女史を監禁し、デモ隊に発砲、日本人ジャーナリストを射殺した、恐ろしいところ」
という考えに基づいているのだと思う。
日本での報道を知っている人たちのセリフだ。
どちらかというと、いつテロや強盗事件に巻き込まれるのかわからないアメリカやイギリスのほうがよっぽど危険なのだが、そういうことはだいたいにおいて無視されるようになっている。

どこ、それ?

と言う人は、
「ミャンマーってビルマのことだよ」
というと理解できる人と、
「タイとインドの間にある国」
とまで説明しないと分からない人に分かれる。
ただしこれも「ビルマのことだよ」と話すと、今度は「ビルマってどこ?」と聞いてくる人がいるので注意が必要だ。

で、実際にミャンマーへ出かけてみると、ほとんど多くの日本人が同じ感想を持つと私は思っている。

なんて平和で穏やかなんだ。
それに、なんて性格が日本人にそっくりなんだ。
という印象だ。

ミャンマーの素朴さ、ミャンマー人の人懐こさ。
金銭的には決して豊かではないけれども、精神面では日本人よりよっぽど豊かではないかと、思える場所。
それがミャンマーなのであった。

ミャンマーにほれ込んでしまった人のことを日本ミャンマー友好協会の人の言葉を借りると「ビルメロ」と言うらしい。
ビルマに、つまりミャンマーにメロメロという意味だ。

私もそのビルメロの一人なのかもしれない。
ともかく、ミャンマーは一度訪れるとそれほど日本人を魅惑してしまう力を持っているところである。

及南アサ著「ミャンマー 失われ行くアジアのふるさと」はそういうミャンマーを訪れた現代日本人の感想、気持ち、印象を率直に伝えている。

ヤンゴンのミンガラドン国際空港のじとっとした空気。
薄暗い夜の街。
停電。
きらめく寺院。
勤勉な人々。
仏教を信じる心から来る信じられないくらいの暖かさ。
ゆったりと流れる時間。
などなど。

本書を読んでいると、初めてミャンマーを訪れた時に感じた印象が鮮明に甦ってきて、なんとく懐かしくなってきたのだった。

著者が本書の中で訪れた場所は私も訪れたことがある場所が少なくなかった。

例えばマンダレーからメイミョウー(ピンウーリン)へ向う国道沿いにある花屋さん。
豊富に鏤められたカラー写真を一目見て、私は「お。あそこや!」と小さく叫んでしまったのだった。
そこはアスファルト舗装された道路の両側にニッパヤシで立てられた「産地直販」の花屋さん。
こういう沿道の物売りはミャンマーだけではなく、お隣のタイや、さらにそのおとなりのベトナムでも珍しくないが、ここは観葉植物を中心とする花屋さんだったことが、私の目を引いたのだった。

またインレー湖にある首長族(カレン族)の村の写真を見てもっと驚くことになった。
なんと筆者が移していたカレン族の女の子は、私が撮影させてもらった女の子と同じ人物だったからだ。
私が訪問した時は確か彼女は17歳。
オリジナルのカレン族の村から出稼ぎに来ていると言っていた。
その時は同じ年の女の子がもう1人いて、
「あの子は結婚をしていて子供もいるんですって」
という通訳兼ガイドのTさんの話しを聞いてビックリしたものだ。



バガンでは私は筆者のように気球に乗ることはなかったが、数多くの仏教遺跡に度肝を抜かれ、観光スポットで走り寄ってくる土産物売りの子供たちに振り回されたことを思い出した。

さらに驚いたことに、ミャンマーでは親しくなると私たち日本人にミャンマーの人たちは自国の劣悪な政治状況も話だすところだ。
私も、ミャンマーに何度か足を向けているうちに、ミャンマーの人たちは寡黙だが、親しくなってくると「この国を何とかしたい。そのために日本に学びたい」と本音を話してくれるようになる。
日本がどんな情けない国なのか、事実を知ったらきっとがっかりすることだろうと、その都度考えてしまうのだ。
著者が若い僧侶から国の現状についての本音を聞かされるところでは、私はバガンへ向かう途中に乗った若い英語ガイドの青年が政府を揶揄するラップミュージックをウォークマンで聴いていたことを思い出した。

ミャンマーについてはとかくねじ曲がった報道が成されていて、どれが真実なのか判断しかねるところがなくはない。
しかし、決して旅行して「危ない」国ではないし、日本人に縁遠い国ではなく仏教と先の大戦で多くの日本人将兵が迷惑をかけ、お世話になったりしたことを考え合わせると、日本人であれば一度は訪れてみても言い国ではないかと思っている。

そういう意味で本書はミャンマーの観光スポットを旅行ガイドではなく紀行文として描いているので、素晴らしい情報書であり入門書ではないだろうか。

本書を読み終わっての私の感想は、
「ああ、今すぐ関空へ行って、第二のふるさとミャンマーへ旅立ちたい!」

~「ミャンマー 失われ行くアジアのふるさと」乃南アサ著 文藝春秋社刊~

写真:カックー遺跡(シャン州)



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インターネット新聞の芸能欄を見ると上方落語の露の五郎兵衛が亡くなったことが伝えられていた。
享年77歳。
上方落語協会の前会長だったと記憶する。

露の五郎といえば「怪談話」が有名だった。

テレビの寄席番組でも露の五郎が出てくると一頃は怪談話を始めるのでは、と期待したものだ。
露の五郎の話し方は子供の私にも理解しやすかった。
だから、どちらかというと好きな噺家の一人であったことは間違いない。
むしろ今は人間国宝の桂米朝のほうが、「ハイ土曜日です」などのワイドショーの司会をやっている、あまり面白くないおっちゃんぐらいに感じられたほどであった。

露の五郎の落語が実はあまり上手ではない、ということに気づいたのは大人になってからだった。
怪談話は確かに人を引き付けるものがあったが、普通の噺となると、これがいけない。
人物描写や説明がくどすぎて、面白くないのだ。

「露の五郎はテレビ向きの噺家なんだ」

ちょっとショックだった。

同じように、テレビで人気の噺家さん。
例えば桂三枝やきん枝、笑福亭仁鶴なども、生で聞くとちっとも、とまではいかなくても、あまり面白くない噺家さんたちだった。

二年ほど前にNHKの朝ドラで落語をテーマにした作品が放送された頃から落語、とりわけ上方落語の人気が高まってきたように記憶する。

露の五郎兵衛がなぜ落語人気が出てきたのに姿を見かけないのだおると思っていたら、病床に倒れていたということだった。

名人、ではなかったものの、印象に残る噺家さんなのであった。

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たとえば自分の会社が作った製品の値段を、政府が勝手に決めて「これで売れ」と言ったらどうなるのだろう。

高速道路の通行料金が今日から土日は一律1000円(普通車)になった。
高速道路はついこの間まで公団組織だったので政府の傘下。
政府が料金を決めるのももっともなことだったが、今は株式会社。

なんで勝手に決めるのよ。

と誰も思わない。
不思議だと思う。

この例を認めるとたとえばJRの運賃なんかも国が決めたりするのだろうか。

JRは元国鉄。
国家の持ち物だったのだから運賃は国家が決める。
とか言い出したら会社の経営が成り立たない。

高速道路1000円。
ありがたいけど、ありがたくない事例かもわからない。

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新潮社刊「中国臓器市場」を読んでいて、その途中から感じたのは、
「早くiPS細胞技術が完成され臓器移植の問題がこの世から無くなればいいのに」
というものだった。

最近の新聞報道を読むと、そういう時代がやってくるのもそう遠くはないと思われる。

だが、目下のところ、現実には病気に苦しみ臓器移植以外に命の助かる術のない人々は少なくない。
しかもそういう人たちが、実際に臓器移植の手術を受けられるのは宝くじに当選するようなものだというのだ。
そのわけは日本国内に臓器を提供できるドナーが極めて少ないからなのだそうだ。
その影響だでもないが、そういう国内で臓器移植を受けることの出来ない人々が、金次第でドナーを手配できる中国に最後ののぞみを託して臓器移植ツアーに出かけるのだという。

「中国臓器市場」はそういった中国における数々の問題と、その背後にある日本国内の臓器移植に関する深刻な医療状況という2つの問題を提起している。
とりわけ中国における拝金主義と貧困、そして死刑囚の臓器利用という中国独自とも言える倫理観の違いが衝撃的だ。

本書では中国での臓器移植を生業としている数人の日本人コーディネーターが登場するが、ある時は正義に見える彼らも、ある時には日本時である読者からすると倫理的には疑問点を持っている人に映ってしまうのだ。
それは彼らもまた、金次第で移植を行なうという中国の医師や役人と繋がっているため、たとえその「悪」を実行しなければ人命を助ける「善」にならないと分かっていても、私たちの基本的な倫理観と符合せず、どうしても抵抗感を感じてしまうからだろうか。
死刑囚の臓器を使った移植などは、まるでナチスが行なった人体実験のようなニオイさえ嗅ぎ取ってしまうのだ。

このいたたまれない現状に、終止符を打って欲しいという気持ちからか、読み進んでいるうちに頭をよぎってくるのはiPS細胞の実用化だ。
ある解説によるとiPS細胞はすでに特定の部位になった部分の細胞のDNAをビデオテープを巻き戻すように過去へ遡り、どんな細胞にも再生させることが出来るようになる技術なのだという。
日本の京都大学で開発されたこの技術は、今世界中で研究され医療技術という点では競争の最も著しい分野になっているのだという。

死刑囚の臓器が金で売買されることのない時代。
生体肝移植を名目に生きている人の臓器さえ売買の対象になってしまう不気味な時代。
そして金持ちは助かり、貧者は死を受け入れなければならないという、不公平。
これらを克服することを強く望んでしまう。

本書はそんなノンフィクションなのであった。

~「中国臓器市場 死体を見たら金と思え」城山英巳著 新潮社刊~



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突風にあおられたフェッデクスのMD-11が着陸に失敗して一日が経過した。

「航空機の運行には気をつけてください!」

と千葉県の知事が国交省に申し入れたそうだが、なんとなくおかしく感じるのは私だけか。
というのも、成田空港ぐらいの基幹空港になると横風用の滑走路があって当然。

その横風用滑走路がないのはかなりのパーセンテージで千葉県の責任だからだ。

「成田は風向が変わりやすいにも関わらず横風用の滑走路がない。着陸の難しい空港だ。」

と、ベテランパイロットも新聞記事の中で話している。
なんでも、着陸直後にラダーやフラップをパタパタしなければ危険なことも少なくないらしい。

ゲームとちゃうというのに。

横風滑走路は作らせない。
門限はある。
街からメチャ遠い。
空港の周りは過激派を警戒して東大紛争を髣髴させるバリケード。
乗り入れてる電車は一時間にほんの数本。

こんな空港「首都の国際空港」として恥ずかしい。

便利な羽田が拡張されれば国際線も羽田から、十歩譲って関空乗り継ぎ。
ちなみに羽田から関空へ飛ぶほうが東京駅から成田へ行くよりずっと快適。

成田空港なんて廃止をすればいいのだけれど、せっかく国の金で作った空港なので捨てるのは持ったいない。
ということで、成田空港は首都圏の八尾空港(大阪にあるコミューター専用空港)にすればよろしいのでは。

あ、でも、八尾空港にはちゃんと横風用滑走路があったかも。

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空港へ行くと必ず言う言葉。

「よーあんなでかい物体が空飛ぶなぁ」

B777やA300なんていう大型の旅客機が飛び立ちあるいは着陸する様を見ていると、本当にどうやってああいう大きな期待が宙に浮かんでいるのか、理屈はわかっていても不思議に思ってしまうことが今もある。

きっとヒューストンへ行ってスペースシャトルの打ち上げを生で見たら、その何倍もの不思議さを感じることになるだろう。

先月「絶対帰還」という本を読んでから、スペースシャトルの事故についての詳しい話を知りたくなってきた。
あの巨大な宇宙船が離陸時にどうして爆発したのか(チャレンジャー号)。
そして、どうして帰還時、バラバラに空中分解してしまったのか(コロンビア号)。
中災防新書「衝撃のスペースシャトル事故報告書」はそんな疑問に対する一つの回答を労働災害という立場から眺めたオも背負い一冊だった。

主旨はどうしてチャレンジャーの教訓がコロンビアに活かされなかったのか、ということ。

組織の馴れ合いや自分のご都合主義がどういう結末を招くことになるのか。
この二つの事故を通じてNASAという国家組織の性格的危険を指摘し、次の悲劇を招かないようにするにはどうればよいのか、ということを具体的に明記している。

技術者の忠告をどのように取り上げるのか。
より大きな上部組織からの指示に堪えつつ、決められた手順をどうやって守るのか。

ちょうど今、スペースシャトルが地球の周回軌道を飛行していて、本書を読んでいたからこそ面白いと思ったニュースが報道されていた。
日本人宇宙飛行士の若田さんがロボットアームを使って機体の耐熱タイルに致命的打撃が加わっている箇所はないのか、調べているニュースだった。
コロンビア号の空中分解は専門家から指摘されていたタイルの破損に関する忠告を無視した結果発生した。
私は本書を読むまで全く知らなかったのだが、あのとき、コロンビアの乗員を緊急に迎えに行くためエンデバー号の打ち上げ準備を急がしていたというのだ。

タイルの損傷は致命傷になる。
にもかかわらず、今回のロボットアームでの点検が、スペースシャトルの30年近い歴史の初めての点検なのだという。

ともかく、こういう世界が注目した事故を教訓に組織の性格的弱点を分析することは、自分の従事しているなんでもない普通の仕事にも通じる部分があるものだ、と感心した。

~「衝撃のスペースシャトル事故報告書」澤岡昭著 中災防新書~

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一回り以上の年上の従兄弟がまだ独身だった頃、そのお兄ちゃんの家の押し入れの中は少年マガジンで溢れていた。

「これ、勉強になるんや」

と、いくつかの漫画を引き合いに出し、自分のコレクションが正当なものであることを小学生の私に滔々と説いてくれたのだった。
そのコレクションが本当に正当なものであるのかどうかは、今となってはわからない。
というのも、そのお兄ちゃんが結婚する時にその膨大な数の漫画雑誌は伯母の手によって処分されてしまったからであった。

少年マガジンと少年サンデーが創刊50年を迎えた。読売新聞記事

私はどちらかいうと少年ジャンプで子供時代を過ごしたのでマガジンやサンデーにはあまり馴染みがない。
「あしたのジョー」より「トイレット博士」の方がお気に入りだったのだ。
やがて中学生になるとジャンプよりもチャンピオンが愛読誌となった。
さすがに「マタンキ」は卒業して「アッチョンブリケ」
「ブラックジャック」の世界に引き込まれたのだった。

子供同士の話題といえば漫画雑誌からの引用が少なくない時代で、初めての通信販売も漫画雑誌の裏表紙なんかに掲載されていた「切手で買える」猿の惑星の猿のマスクであったり、シーモンキーであったり、マルベル堂のブロマイドであったりしたのだ。

その漫画雑誌も最近は発行部数が伸び悩み、少年キングのように休刊してしまうものも現れだした。

子供たちの趣向の多様化によるものだそうだが、私には評論家先生のように割り切ることができずにいる。
漫画の質の低下が一番の原因ではないかと思えるのだ。
新人作家の不足。
よしんば新人が登場しても「一発屋」に終わってしまい、ひとつのシリーズを描き終わると次の作品はオオコケということも少なくない。

どうも最近の漫画雑誌を眺める限り、従兄弟のお兄ちゃんのようにお仕入れいっぱいにコレクションする価値のあるものがどれだけあるのか。
少年漫画雑誌50年。
ちょっと原点を振り返ってもらいたい区切りのイベントに思えたのであった。

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小学生のころ、私も他の男の子と同じように鉄道少年であった。

親から借りたポケットカメラを持って国鉄の天王寺駅や大阪駅、南海なんば駅などに出かけては電車や貨物列車の写真を写したものだ。
今も一部の写真が残っているが、何を撮っているのやらフィルムの無駄遣い以外の何ものでもない代物ばかり。
でも、一コマ一コマにおさめられたピンボケぼこぼけの特急列車や消え入りそうな蒸気機関車、木造の湘南型電車は人に見せるには躊躇するものの、なかなか味があるものでもある。

鉄道少年の私として最も乗ってみたかったのが、先週末にその最期を迎えたブルートレイン。

当時は特急富士が最長の営業距離数を誇っていて、それに是非とも乗ってみたいと思っていたのだった。
その営業区間は東京~西鹿児島。
一昼夜かけて走破するその長距離と、寝台のついた車両にあこがれていたが、ついに乗ることはなかった。

考えてみれば寝台列車に意味がなくなってずいぶんと時間が経過してしまっていたような気がする。

たとえば名物寝台急行だった銀河。
深夜前に東京または大阪を乗車して、明け方に大阪または東京に到着するのは、ほとんど意味がなくなっていた。
銀河を利用するのと朝一番の新幹線を利用するのと対して違いはなくなっていたからだった。

さらに長距離でも同じこと。
朝一番の飛行機を利用すれば、主要都市間は朝一番に到着することができるようになっていた。

「ブルートレインがなくなるのは寂しいですね」

と言う、鉄道ファン。
寂しい気持ちはわからなくはないが、勝手な言い分にも思える。
第一、その鉄道ファンが実際にブルートレインを利用したことがあったかどうだか。

なぜなら鉄道ファンの多くは私の小学生時代と同じ、乗ることもない車両を見て、遠い地方を思い描くことも楽しみにしているからだ。
夜行列車に乗りたければ大阪からはトワイライトエキスプレス。
上野からは北斗星。
どちらも豪華を競う寝台特急。
予約をとるのさえ難しい人気夜行列車が走っている。
ロマンを求めるにはこちらの方が数段上に違いない。

ということで、私も最初に利用した寝台列車はミャンマーのヤンゴンとマンダレーを結ぶダゴンマン列車になったのは、時代の必然性か。

ブルートレイン。
乗りたい人は、なんでも聞くところによるとタイへ行くと中古車両が走っているそうなので、それを利用してはいかがだろう。

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その日私は、千葉県八千代にある下請けさんの工場を訪れるために「東葉高速線」に乗っていた。

昼間ということもあり、車内はガラガラ。
でもこのガラガラは昼間といこと以外にも、運賃がクソ高い、ということも原因しているのではないかと思われてならなかった。

そもそも「高速線」とか「高速鉄道」というのは料金が一般の鉄道より高い場合が多い。
私の地元、大阪の堺市内を走る「泉北高速鉄道」もそのひとつ。
接続している南海電鉄よりも何割も割高。
もしかすると「高速」は「高額」の間違いではないかと思われてしかたがない。

東葉高速線もメトロ東西線の延長路線でしかないわけだから、もっと安くしてはいかがだろう。
西船橋から私は八千代中央というところまで乗車したのだが、所要時間が17分で運賃が550円。
距離にして12kmぐらいだろうから、もし私が自家用車を持っていたら絶対に電車を利用しない料金設定だ。

「アホ高やな~」
と呟いて車窓を眺めると、田園地帯に新興住宅街。
泉北高速鉄道からの景色とそっくりだ。

で、ぼんやりとドアの上のLED表示器を見るとそこには個人名が......。

「飯山満」

次はイイヤマミツルか。
千葉の大地主の名前かな。
阪急の小林駅に似ているな。

などと思っていたが、「イイヤマミツル」なんて駅あるんかいな。
と関西弁で突っ込んでいたのだった。
「次は飯山満」というのに違和感を覚え、注意してみると英語表記は「HASAMA」とある。

「はさま」駅。

これは読めん。

大阪にも放出だとか鴫野だとか天下茶屋なんていう難読な駅が数々あるが「いいやまみつる」を「はさま」と読むとは知らんかった。

なお西船橋の次の駅「東海神」駅もフリガナ無しでは読めなかった。
ひがしかいじん。

駅名の由来を知りたいと思ったのは言うまでもない。



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「阪急電車」を読んでからすっかり有川浩の作品が気に入ってしまった。

阪急今津線の宝塚~西宮北口間を舞台にした「阪急電車」はテンポよく、登場人物が生き生きとしていて、しかも小さなエピソードをいくつも絡めたその手法は、まるで魔法のように私の心を虜にしてくれたのだった。

「ラブコメ今昔」が出版された時も、是非読みたい、という気持ちがドドドっと出たのだったが、「ラブコメ」と言う言葉にオッサンである私はいささか気後れがして買うことを躊躇してしまっていたのだった。

あれから数ヶ月。
私は何か軽い読み物で、それでいてワクワク楽しめるものはないだろうかと、自宅の近所にあるTSUTAYAの書籍売り場をウロウロしていた。
で、ここで見つけたのが本書「ラブコメ今昔」なのであった。
今回は躊躇せずに買い求めることができた。
ちょうどこの本の帯に記されているように「オタクだって、オッサンだって、自衛官だって ベタ甘ラブで何が悪い!」と開き直っていたのであった。

それにしても自衛隊とラブコメ。
この取り合わせが何とも面白い。

かつて私が小学生中学生だった昭和40~50年代。自衛隊は子供心にもあまり尊敬している対象ではなかった。
というよりも、
「俺、自衛官になりたいねん」
などと言おうものならクラスの注目の的、ある意味、話のネタになっていたことは間違いない。
つまりラブコメの対象に自衛隊なんぞなり得るべくもなかったのだ。

かといって、自衛隊すなわち何やら格好悪い存在、でもなかった。
私のような昭和一桁生まれを父母に持つ世代には、自衛隊=憲法九条の敵対者、とはならず、どちらかというと尊敬すべき大日本帝国陸海軍の変わり果てたお姿、というイメージがすり込まれていた。
何といっても、今の日本があるのは、
「兵隊さんのおかげです」
と戦争も知らないのに教え込まれ、
「兵隊」
さんと
「隊員」
さんはどう違うのか、理解できないまま中途半端な自衛隊を少しばかり蔑んだ目で眺めていたのだったろう。

この私が持っていたような1億国民の標準的な自衛隊へのモノの見方が変わったのが、湾岸戦争の後処理に出かけた掃海艇の活躍と、それにつづくカンボジアでのPKO活動であったのは間違いない。

自衛隊は国際的な献身を捧げることの出来る国家組織。

という今考えれば当たり前のイメージがわきはじめたのだった。
そのイメージを後押ししたのが、文春のカメラマン宮嶋茂樹とそのゴーストライター勝谷誠彦であったことも、これまた間違いない。

そして1997年の阪神淡路大震災が自衛隊のイメージをすっかり逞しいものに変えたのだと私は思っている。
ゴジラに踏み荒らされたような神戸の街。
数万人の被災者。
その被災者の救出と援護にあったたのが、地震で破壊された自分の官舎を家族に任せ出動した伊丹駐屯地の陸上自衛隊の皆さんや全国各地から駆けつけてくれた自衛隊員はじめ警察、消防の人々なのであった。

今や自衛隊が平和のために活動している地域はイラク、ソマリア、インドネシアなどなどなど。
外務省もビックリの多岐に渡っている。

かなり遠回りしたが、そういう自衛隊の皆さんが恋に落ちたり、べたべたしたりすることも、当然あるだろう。
毎日毎日訓練に明け暮れてばかりいるイメージがどうしても旧軍のイメージの影響で、でき上がってしまうが、事実はこんなものかもわからない、というのが有川浩の「ラブコメ今昔」なのであった。

それにしても、この人のキャラクターの描き方は毎回魅力的だ。
一人一人にドラマが感ぜられるところがたまらない。

自衛隊についてもうわべだけを描いているのではなく、きっちり取材して書いているところが、これまた不自然さがなくてとてもいい。

アメリカのテレビドラマ「犯罪捜査官ネイビーファイル」とはちとちがうが、(本書は殺人事件モノではない)軍隊生活を普通に描けているのが「ラブコメ」と一緒になって、かなり楽しめるのであった。

~「ラブコメ今昔」有川浩著 角川書店刊~

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