<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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「なんか、5月1日は『あけましておめでとう』って言ってしまいそうやわ」

と昨日言ったのはカミさんなのであった。

世の中が天皇陛下の譲位と改元で祝賀ムードが漂っているうえにテレビでは「平成を振り返って」みたいな番組ばかりが流れている。
NHKでは平成の紅白歌合戦の名場面を振り返る番組が流されていたが、これではまるで大晦日なのだ。

「5月1日は初日の出を拝みに行きます」

と言っていたのは先日のラジオのリスナーからの投稿。
確かに改元して最初の人のではある意味ホントに初日の出でもあり、太陽を拝む習慣のある日本人にはごく自然のように感ぜられるので不思議なものだ。


ということで平成の大晦日。

みなさんはどんな一日を過ごしますか?

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今年のGWは皇位継承があって改元のお祝いムードも伴って10連休。
とある調査によると4割以上の人々がありがた迷惑だと思っているという。
長い休みは結構だが、本当は休めない多忙な人、世間が連休のために自分は休めなくなるというサービス業の人はまだいいとして、日給月給で働いているように職人さんや職工さんには大いに迷惑な連休ということも言える。

私は自衛なので正直いって連休なんかどうでもいいのだが、この10連休について言えば休めない。
連休明けに設置しなければならない研究施設の装置の設計と製造指揮をやっていた関係で連休は協力会社さんにお願いして出勤していただいており、休むわけにはいかないのだ。

しかも、家族も忙しい。

関西空港でアルバイトをしているカミさんは重要インフラである関空が職場のため連休なんか関係ない。
なんといって1年365日、1日24時間稼働している国際空港なので設備が寝ている時間はないのだ。

一人娘は学校は休みだがTOEIC試験の高得点獲得を目指した勉強中のため、こちらも休めない。
大学にはいかなくても英会話学校には行かなければならず、家にいても何やら勉強。

双方ともかなり忙しそうだ。

友人にしても医者をやっている友人は10連休の中間の2日ほど開業して急患に対応しているし、建築士の友人は設計の仕事があるそうで、ウェブデザインアーの友人も山のように仕事を抱えていて休めないという。

こう考えてみるとこのような自営業者の面々やバイトに精出している面々、学生などは連休なんか関係ないのかも知れないと思えて仕方がない。

10連休、可能なようで可能でないありがた迷惑なシーズンだ。

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ネットでニュースを見ていると東京都北区の区長選挙で若い候補者が現職に破れたことが書かれていたのが目に止まった。

「組織票が一切なかった」

とは敗戦の弁のよう。

若い候補者・音喜多氏は34歳。
なんでもブロガー議員と自称していて、ネットで支援者も募り、高齢者優先の政策から未来を見つめた政策への転換を図ったが破れてしまったということらしい。

で、当選した現職区長はいくつなんだと検索したら、なんと84歳。

84歳でも自転車に乗って選挙活動に走り回ったというのだから、素晴らしい元気さと褒め称えられるべきだろう。
でも、その年令で地域のトップをしたいという感覚は正直のところ正しいとは思えない。
政治家に定年はないとは言いながら、政治は未来を計画して構築する仕事でもある。

若い人に任せられない人は元気であってもいかがとも思うのだが。

で、もうひとり、老齢の政治家といえば引退しているとはいえ中曽根康人元首相はどうしているかが気になって調べてみた。
亡くなったというニュースをきいたことがないので元気なんだろうと思って検索したら、びっくり1

中曽根さん。
来月5月で101歳。
大正、昭和、平成、令和と4時台を生きた政治家。
それはそれでなんとなく貴重な存在に思えるのが面白いところだ。

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介護施設に入所している母を見舞いに従兄弟の一人が来てくれたときのこと。
この従兄弟は私よりも20歳近く年上で、従兄弟の中では最年長。
もちろん定年を迎えており現在は隠居生活。
先年すこしばかり大きな病気をしたこともあって無理をせず、三人いる息子の一人とカミさんと一緒に生活をしている。
親子ほど年の離れたこの従兄弟を私は物心付く前から「お兄ちゃん」と呼んでいて、どちらも一人っ子であることから、いろいろなことを相談をしたり教えてもらったりしている。
私にとっては大切な身内である。

このお兄ちゃんが母を見舞ってくれたあとに実家に寄ったとき、よもやまの話から自分が勤めていた会社の話を始めた。

お兄ちゃんは四国の国立大学を卒業したあと、外資系の製薬会社に就職。
世界的な会社でプロパーをしていた。
私の身内にしては優秀な人なのであった。
実家のアルバムには就職が決まって家に来た時に一緒に撮った写真が今も残っている。
方や大学卒業のニューフェイスで凛々しく、かたやおもちゃの自動車を持ってアスファルトの道路の上を転がして遊んでいる幼児=私。
その風景の面白いこと。

それはともかく、入った外資系を定年まで勤め上げたのだ。
で、お茶を飲みながらここんところ政治的話が話題に上がると、一緒にいた私の父に自分の経験を語り始めた。

「そりゃ、おじさん。外資系なんかに『忖度』なんかないよ。そんな文化はありゃあせん。何かあればはっきりものをいう。賛成ばかりじゃなく、相手が誰であっても反対もする。」

お兄ちゃんは戦中に岡山で生まれで戦後広島と大阪堺で育ち、愛媛で学生生活を送って、長らく所沢で居を定めて新宿に通っていたという人で今は大阪に住んでいるのだが、未だに話すと中国地方の方言と関西弁の中間である。

「ほー」
「でもね、反対を表明したらその理由と、その反対に対してどうすればいいのかという考えもきっちりと説明できんと、これだからね」

と人差し指でもって自分の首を掻っ切るジェスチャーをした。

「退職してから2社ほど日本の会社で働いたけど、ありゃなんじゃ、というようなシーンに何度も出会うたんよ。偉い人が阿呆なことを言う取るのに反論もせずにニコニコ笑って拍手しとる。呆れ返って物も言えんかった。こっちは付き合いでおるからもうなにも言わんかった。」

外資系で働いた親しい身内から聞くこの一言は痛烈に私の心を打ったのであった。

そう言えば私が働いていた会社は超内向きで「忖度」の塊だった。
忖度しないと叱られるくらいのレベルだった。

代表的なのは社内会議。
議事の大半は部長級以上の人のワンマンショー。
会議にいる人で最も役職の高い人が話題をリードして、それに対する反対意見は普通誰も言わない。
「何か意見のある人は?」
との質問がでると、誰も挙手しないのがいわば文化になっていた。
その中で私のようなはみ出しものが、意見を述べて提案するとどういうことになるか。
推して知るべし、というところだろう。

もちろん外資系が必ずしも良いとは言えず、私の得意先の大手企業にはじゃんじゃん意見を言い合う会社もある。
そのかわりその会社は会議の冒頭、
「今日は2時間でまとめられるようにしましょう」
と時間を区切ってじゃんじゃんやる。
私が会社員だったころからの得先だが、そこの会社でお客さん相手に議論をするとスムーズにいくのに自分の会社ではそうはいかない、というジレンマがあった。

従兄弟の体験談で日本の組織の硬直性を思い出したひとときなのであった。

そりゃ既存政党が選挙で負けるわ。




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ふつう、泥棒が、
「私はドロボウです」
という事はない。

私はドロボウです、と言った泥棒は私の記憶ではたったの2例。

1例目は映画「ルパン三世 カリオストロの城」の中でルパンがクラリスに言うセリフ。

暗がりの幽閉部屋で、
「誰?」とクラリス。
「ドロボウです。」とルパン。
「ドロボウ....さん?」とクラリスが返す。
なかなか印象深いシーンなのだ。

で2例目は井上ひさしがてんぷくトリオのために描き下ろしたコント集に載っていたケチ比べのコントで、
「私は極力、値切って物を買っています。無駄なお金は使いません」と1人目。
「私は物を買ったことがありません。いつも誰かにお願いして譲ってもらっています」と2人目。
で、3人目が
「私はドロボウです。必要なものはいつも盗んでいます。」
表現は違うと思うのだが中学生の時に読んだ内容はこんな感じなのであった。

だからカルロス・ゴーンが、
「私は無罪です。」
というのは至極当然。
「私が背任行為をして儲けたゴーンです。」
とは絶対に言わない。

この人「日本を愛しています」と言っている一方、己のカミさんは危険を感じて一時的に国外逃亡。
流石にこれはイケナイと思ったのか弁護士チームが説得したのか、たった5日で日本に戻ってきたが愛しているのなら信じても要るはずで二枚舌もいいところだ。
しかも、メッセージ後半では経営の集中化。つまり独裁的権限でのリーダシップは必要なのだと主張する。
もちろん会社はその規模に関係なく、経営層の強力なリーダーシップが必要だ。
だが、リーダーシップと独裁は違うわけで、しかも巨額のお金を動かすのを一人の人間の裁量で行いうことは許されるものではない。

だから、
「私は無罪だ」
は、
「やってるけどお前らにはカンケーねえよ」
という意味に受け取られる犯罪者の常套句なのだ。




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5月の大相撲で米国トランプ大統領が土俵に上がって優勝力士にトロフィーを渡したいという。

いろいろ物議のある大統領だが、かつての敵国を経たの大切な友好国・隣国アメリカの元首であることには間違いない。
そういう人が力士を表彰するのだから、断る理由もなかろう。

それにトランプ大統領があの、

「ヒョーショージョー!」

を復活させる期待もあるんじゃないだろうか。

最近の詰まらない相撲の中ではなかなか面白い話題だと思う。
是非、パンアメリカン航空にスポンサーになっていただきたいところだ。

なお、パンナムという会社は現在存在していないが、パンナムの商標はなんと青い翼のANAが権利持っているのだという。

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今朝からのニュースによると近々に1万円、5千円、千円の紙幣のデザインがわかるという。

「なんで明治とか大正とか昔のひとばっかりなん?昭和の人でもすごい人おるんちゃうの?」

と福沢諭吉の1万円札しか知らない世代の娘が訊いたので、

「いや、歴史上の著名人をあているということもあるが、それよりも偽装しにくい『顔』が選ばれるって前に聞いたことがある」

と答えた。

「偽造しにくい顔?」
「そう。真似して描きにくい顔やね。へのへのもへじやったらあかんワケや」
「へー」

我々昭和世代には1万円札といえば聖徳太子であったわけだが、あの法隆寺に保管されている唐本御影が選ばれたのは真似をするのが難しい図柄だという。
もちろん聖徳太子は日本史上の偉人で高貴な方でもあるわけで最高額面に描かれる肖像のモデルとしてはぴったりだったわけだ。
もちろん千円の伊藤博文もホクロがあったりひげをはやしていたり、5百円の岩倉具視の何か苦いものでも噛み潰したんではないかというような小難しい顔も、へんちょこりんなヒゲを生やしている百円札の板垣退助も非常に覚えやすいが描きにくそうなかおなのであった。

今度新しく紙幣に採用されるのは1万円が渋沢栄一、5千円が津田梅子、千円が北里柴三郎ということなのだが、関西人の私からすると渋沢栄一を選ぶのであれば五代友厚を選んでいただきたいところであるし、津田梅子な楠本いね、北里柴三郎なら華岡青洲ぐらいを選んでいただきたいところなのであった。
五代友厚は初代大阪商工会議所会頭で渋沢栄一がキリンビールを作ったのであれば五代はアサヒビールを作った。
津田梅子が女性初の海外留学女学生で教育者ということであれば楠本イネはドイツ人シーボルトを父に持つ日本初の女性西洋医学者である。
また北里柴三郎が細菌学の父であるのなら華岡青洲は世界初の麻酔開発者。

ともかく大阪万博の頃に新札が登場するわけで、なんだか世の中活気ある方向へ向かっているような風を感じるのは私だけだろうか。
元号変わってお金も変わる。

ちなみに2千円札は変更されないということだが、

「そんなん見たこと無い」

というのが、私の娘の一言なのであった。

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私の祖父も祖母も明治生まれ。
母方の祖父母は私が生まれる前に亡くなっているのでわたしにとってのお爺ちゃんお婆ちゃんは通常父方の祖父母を指す。

お爺ちゃんは私が幼稚園児の時、大阪万博の前年に亡くなったがお婆ちゃんは平成元年まで長命したので「明治、大正、昭和、平成と生き抜いた」なんてよく言われたものだ。

早くして亡くなったお爺ちゃんも明治生まれだったので、当時は爺さん盤さんといえば明治・大正・昭和を生きた大ベテランというイメージがあった。

そういうこともあり来月に元号が令和に変わるに際して、私やカミさん、友達連中なんかも「昭和・平成・令和」と生きていることになるので、これから生まれてくる子どもたちから見ると「三時代を生きてきたお爺ちゃん、お婆ちゃん」というイメージになるのかも知れない。

ということで、来月からはあなたも私も、昭和生まれのお爺ちゃん、お婆ちゃん。
30代でも、そういうイメージが植え付けられます。



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新元号が決定した。

最初にWEBで報道したのは読売新聞。
WEBでの生中継を除いてトップなのであった。

で、「令和」。

万葉集からというこということで、慣れるとそれなりに良いのかも知れない。

ところで頭文字は「R」それとも「L」?

次はそれが多少気になる新元号なのであった。

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