<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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新車を買うと、新車の匂いというのがやけに印象的で、この香りを嗅ぎたいがために新車を買い求める人がいるという。
私は生涯で一度だけしか新車を買ったことがないが、確かに工場出荷したての独特の香りはたまらないものがある。
「おおおおお~。ついに買ったで~~」
という満足感と、誰にも触られていないという、独占欲が満たされる。
それはある意味新築の家に入るよりも満足感があり、ワクワクする。

飛行機はどうなのだろうか。

これまでも時々、見るからに真新しい機体の飛行機に出会うことが何度かあった。
シンガポール航空のB777-200。
エアーニッポンのB737-800。
ピーチエアのA320。
どれもこれもインテリアのプラスチック部分が妙に明るく、しかも清潔。
なんとなく「しんぴ~~~ん!」という香りも漂っていた。

これとは反対に古い飛行機も独特の雰囲気があった。
タイ航空のA300。
エアーバガンのHopper100。
座席に封をされた灰皿が付いていて、ところどこに凹みがある。
窓は細かい擦り傷がたっぷりついて、すりガラスみたいになっている。
なかなか味がある。
とりわけエアマンダレーのデ・ハビラント・カナダのDHC-8型機は座った席の足下の壁面が「ボコッ」と凹んでいて、
「んんんー、大丈夫か、この飛行機は」
と離陸前から心配になるものであったが、
「プロペラ機だから万が一でも助かる確率は高いはず」
と訳の分からない言い聞かせを自分自身の中で展開し、旅行したものであった。

さてさて。
最新のB787-8はというと......。

当然ながら新品のB777-200に乗った時と似たような空気を感じたのであった。
いや、それよりもなんとなく違った雰囲気がある。
なんだろ.....と思いながら通路を歩いた。
機内はほとんど満席だった。
B767と似たような中型機でありながら、なんとなくB777ぐらいの広さを感じる。
でも、なにか違うぞ、と思ったのであった。

やがて自分の席を発見し、腰をかけた。
窓際なのでさっそくシートベルトをして、窓の外を見た。
その瞬間、目の前に広がる景色を見て、ものすごく新鮮な空気を感じることとなった。
視界が広い。
ものすごく広いのだった。
従来の飛行機の1.6倍あるというB787の窓は縦長丸の形をしているのだが、地上から空まで、窓に顔を近づけずに普通に座ったままの姿勢で眺めることができる。
新幹線の窓が0系からN700系に至る過程でだんだんと小さくなってきたのとは正反対に、B787の窓は、戦後すぐのころに就航した旅客機の一部機種を除いて、従来よりも大きくなっているのだ。

思わず事前に用意していたコンデジを取り出し、シャッターを押した。
窓が大きいので、全体を入れようとすると、思いっきりシートにのけぞらなければフレームに収まりきれない。
なんとも嬉しい苦労なのだ。
シャッターを押してから周囲を見渡す。
するとなんと、反対側の窓からもはっきりと外の景色が見えるではないか。
人が邪魔してなかなか見えない反対側、ではなく、電車の窓のように反対側の座席の窓からも景色が見える。

飛行機の中が広いだけではない、何かを感じたというのは、この広い窓による密室感の大きな緩和にあったことに気づいた瞬間であった。

つづく

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久しぶりに午後から東京に行く事が決まった私は、すかさず伊丹発羽田空港行を予約した。
お目当ては、B787に乗ること。

どういうわけか、大阪~東京のフライトは関西空港からはB787が飛んでおらず、いつも関空を利用している私としては大変不満な毎日が続いていた。
青い翼のANAの場合、関空からはB777かB737または、コードシェアのスターフライヤーのA320しか飛んでおらず、B787を体験したい私としてはいささか欲求不満状態になっていたのだ。
そこへ午後からの東京での会議が発生し、私はさっそくB787の「窓側席」を予約したのであった。
「新幹線で行け!」
と云われやしないかと、ドキドキしたが、文句を言われる前にチケットを購入した。
もちろん機首に向かって左側のA席を予約することも忘れなかった。
なぜなら反対側だと富士山が見えないからなのであった。

今年は大阪の空港にとっては歴史的な年となった。
大阪空港と関西空港が経営統合されたのだ。
これによりサービスが格段にアップする、ということもないが、首都圏より民間空港の多い関西圏としては財政問題などとからみ、言いたいけど言えなかった事案として橋下徹の経営政策で完結し、順調な滑り出しを見せているようだ。
ところが、私はこの大阪空港が少しばかり苦手なのだ。
それはターミナルビルが古いことが原因ではない。
私の住んでいる大阪南部からはかなり遠いことも原因ではない。
ではなぜ苦手なのかというと、街の真ん中にあって「もし万が一の場合」確実に悲惨な結果がまっているように思えて仕方がない空港だからだ。
できることなら関空完成と同時に廃港にするか、周囲10kmを無人の更地にもどしていただきたいくらい、ドキドキする空港なのである。

「香港の啓徳空港に比べると、なんでもないよ」
と言う人も過去にはいたのだが、どうしてもとりわけ南から着陸する時は、大阪市内の高層ビル群にぶつかりはしないかと、余計な心配をすることが少なくない、

尤も、今回は出発するだけなので大阪市内の高層ビル群を心配する必要はない。

で、空港へ着いた私は意気揚々とB787に搭乗すべく10番ゲートに向かった。
出発時間より1時間少しばかり早く着いてしまったので、乗るはずの機体はまだ到着していない。
こういう時は仕事タイム。
ノマドワーカーの私はさっそく鞄からMacbookを取り出し仕事に励みだした。
待つこと20分ほど、前方の窓の外を見渡すと、ボディに「787」と書かれた羽田行きのB787がゆっくりと私の方に向かってくる。
なかなかいい眺めだ。

B787を初めて見た時から、
「この飛行機は鳥みたいや」
と思っていたのだが、いざ自分が乗るとなると、益々その鳥みたいな印象のフォルムが気にかかる。
機体のほとんどがジュラルミンではなくカーボンファイバーで作られた民間機はこれがほとんど初めてであり、それを作る技術を持っているのも日本のメーカーだけという、ボーイングの名前を冠った準国産機であるために期待はどんどん膨らむのだ。

これで、
「乗ってみたら、やっぱり他の普通の飛行機と変わらなかった」
では意味が無い。
何かしらの期待を抱きつつ私は出発の時間を待っていたのであった。

つづく

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今から10年前。
営業職だった私は出張と言えば沖縄県か鳥取県。
なぜか担当している客先がどちらの地区もその大阪本社が面倒をみていたので、必然的に私も同じ地区の面倒見ていたのだ。

従って首都圏はほとんど訪れることはなく、最も多くの回数訪れたことのある「首都」は圧倒的にタイのバンコクであった。
それが7年前に「企画へ行け」と言われてから生活が激変し、主な出張先は沖縄県、鳥取県から東京都に変わった。
別に仕事じゃなくてプライベートでも行きたい時に行ける鳥取県はともかく沖縄県がレギュラーな出張先から外れたのはショックだった。
青い空。
エメラルドグリーンに煌く海。
空港を降りた途端に始まるトロピカルな雰囲気。
仕事で来ている、という気分を忘れさせるに十分なスローな時間展開。
沖縄大好きな私には、会社の経費で沖縄へ行ける特典を無くしてしまったことが、大きなショックなのであった。

以後、東京へ出張先が変わったものの沖縄の穴を埋めることはできなかった。
渋谷も新宿も、原宿も、沖縄ののほほ~んとした雰囲気にはとうてい太刀打ちできないし、似たような繁華街なら大阪にもあるのの大都会のありがたみは全くなかった。
おまけに、出張しているのか短期滞在しているかわけがわからないほど多くの回数、大阪と東京の間を行き来するようになった。
統計はとったことがないのだが、少なくとも一年間のうち2ヶ月近くを東京で過ごしている計算になる。
なんといってもホテルの無料宿泊特典を年に数回受けるだけ行っているので、もう一ヶ月滞在期間が増えると、
「転勤せよ」
と言われかねないので注意が必要だ。

もともと東京方面はあまり好きではない典型的な関西人の私は、この出張の繰り返しに最初のうちは辟易としていた。
しかし恐ろしいもので、回数を重ねているうちに「東京も大阪と変わらんやん」という気分が芽生え始めた。
それには様々な原因があるにはある。
例えば「慣れ」である。
何処へ行っても難波か梅田状態の東京は人ごみの嫌いな私には苦手の一因になっているのだが、その混雑にも渋谷や新宿、秋葉原などをウロウロしていると次第に慣れてしまったというポイントがある。
加えて「関西人が多い」というのも重要な要素だ。

かつて東京を歩いていると関西弁を聞ことはなかなか無かったのだが、今や東京都内は関西人に席巻されているというか、江戸開闢以来の関西人の流入がおこなれているというのか、何処へ行っても関西弁の聞こえない日はないのであって、うっかりしていると東京にいることを忘れてしまうそうなくらいなのだ。
これは関西の大手企業が横山ノック、太田府政時代に本社の建物だけを大阪に残してスタッフが大挙して東京に移り住んだことが原因ではないかと密かに思っている。
しかも以前書いたように関西人は声が大きい。
丸の内や汐留エリアはもちろんのこと秋葉原、代官山、本郷、恵比寿、どこでもかしこでも関西弁がこだまする。
これでは天王寺、天下茶屋、鶴橋と変わらないのだ。
どおりで、大阪阿倍野にSHIBUYA109が開業するわけだ。

そんな東京出張を繰り返す私だが、殆ど行かないエリアが「銀座」である。

「銀座」
以前務めていた会社では東京営業所が月島にあった関係で、よく有楽町からバスに乗って「銀座」を通過したものだった。
東京営業所の部長はいい人だったのだが、
「飲みに行くかい?」
と連れて行ってくれるところは「銀座」ではなく、「門前仲町」で、豪華絢爛「江戸前にぎり寿司」をごちそうになることは一切無く、下町の味「深川めし」をごちそうになるのであった。
ちなみに「深川めし」は今も数少ない私の好きな東京の料理である。

自分からすすんで「銀座」を訪れたのはずっと年齢を重ねてからで、なんとアップルストア銀座がオープンした時なのであった。
「アップルの直営店って一体どんなんや」
という好奇心からの訪問であった。
初めての銀座はまず降りる駅から調べなければならなかった。
「銀座」と名のつく駅の多いことに驚いたが、土地勘がないために、どの銀座で降りるのが適当かどうか、判断しにくい。
できればJRの駅が東京人でない私にはわかりやすいのだが、地下鉄の駅しかないことを知り、
「心斎橋みたいやんけ」
と変に対抗意識をもちつつアップルストアに向かったのであった。
この「心斎橋みたいやんけ」という少々汚い響きのある河内弁風大阪弁が効力を発揮したのかどうか分からないが、次にできたアップルストアは大阪の心斎橋であった。

今でも「銀座」は年に1度行くかどうか。
食事をするのなら人形町のほうがお気に入りだし、つきあいのある某T大学教授のX先生は新橋烏森の安もんフィリピンバーのほうがお気に入りらしく、せっかく会社の経費で飲めるのに「銀座」は縁遠い存在だ。

新潮文庫「私の銀座 銀座百点編集部」は、地域誌「銀座百点」に掲載されてきた様々な著名人が書いた「銀座」にまつわるエッセイ集だ。
その著者の名前を読んだだけで、豪華絢爛。
「銀座」の何相応しいものがある。
司馬遼太郎。
藤沢周平。
吉村昭。
沢木耕太郎。
小椋佳。
阿久悠。
戸田奈津子。
森田芳光。
有吉佐和子。
林真理子。
などなどなど。
それぞれに「銀座」への思いを書き記していて実に面白い。
とりわけ司馬遼太郎のような大阪の作家と銀座の関わりなどを読むと賜らなく「同意」してしまうところがあるのだが、それは読んでからのお楽しみ。

読みやすいライトな一冊であった。

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中国の反日デモを見ていると未だに毛沢東の肖像画を掲げて行進している奇特な人が大勢いることに驚かさせられる。
なぜなら、毛沢東は20世紀に於けるヒトラーに並ぶ独裁者であり、虐殺者だからだ。

毛沢東は共産党を率いて日本軍と戦ったことになっている。
少なくとも中国の歴史書や映画を見ている限り、こっちもそう信じてしまうようなところがある。
ところが日本軍は第二次世界大戦中は蒋介石率いる国民党政府と戦っていたのであって、毛沢東率いる共産党ではなかった。
もっと言えば、当時中国には政府らしいい政府もなく、群雄割拠。
軍閥と山賊の入り乱れる謂わば戦国時代のような様相だったのだ。
国民党も共産党もその無頼の徒の1グループに過ぎず、ちょうど国連軍が軍閥相手に苦戦しているソマリアに似ている。

この混沌とした中国で毛沢東は何をやっていたかというと、人殺しをやっていた。
仲間を募って徒党を組む。
組んで反逆すれば粛清する。
仲間は粛清を恐れて毛沢東に跪き、その関係は毛が死ぬまで続けられた。
例えば戦後直ぐ。
腹心の仲間であった林彪を暗殺し、その暗殺を恐れた周恩来は犬のうように生涯を通りして毛に対して媚へつらった。

腹心に対してこうなのだから、国民に対しても容赦はない。

1950年代。
大躍進と称して計画経済を実行して大失敗。
メチャクチャな計画で農業が頓挫し、大規模な不作に至った。
その結果餓死者と粛清された物の数は5000万人に及んでいると言われている。
その大躍進に反省したかというと、そうではなかった。
1970年代。
文化大革命という文化破壊を実行し、大躍進政策を上回る国民を死に追いやった。

このあたりの歴史は「毛沢東の私生活」(文春文庫)、「周恩来秘録」(文春文庫)に詳しい。

古今東西、独裁者や虐殺者は少なくない。
ヒトラー、ムッソリーニ、ナポレオン、スターリン、毛沢東、ポルポト、金日成などなど。
しかし、自分と同じ国民で同じ民族を大量虐殺したのは毛沢東、ポルポト、金日成だ。
そしてこの三人の共通点は、といえば毛沢東その人と毛沢東主義者であるということだ。

毛の思想は民族粛清にあり、しかも自らの民族を死に追いやる危険性を秘めている。

翻って反日デモ。
中国を主張するのに毛沢東の肖像画を掲げるということは、どいうことか。
「日本を毛沢東主義で粉砕するぞ!」
ということなのか、
「デモに参加しない良識ある中国人は粛清するぞ!」
ということなのか。

いずれにしても大国の国民のすることではないわけで、
「なんなの、あの人たち?」
と世界に疑問符を抱かせたことは間違いない。

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第二次世界大戦中、日本は必死のパッチで米国、英国と戦った。
国家総動員。
子どもも大人も、男も女も、
「欲しがりません、勝つまでは」
ということで、鉢巻巻いて頑張った、というようなことを父母や祖父母から耳にする。
軟弱な映画や出版物は禁止され、西欧の音楽も禁止。
なぜか、盟友ドイツのクラシック音楽もどさくさに紛れてというか、他の西欧の音楽と当時の日本人には区別がつかなかったから敬遠する傾向があったという。

一方、イギリスはともかくアメリカはというと、ハリウッドやブルードウェイは相変わらずの娯楽主義でディズニーなんかは「ダンボ」みたいな映画を作って余裕のシャクシャク。
「イギリスやアメリカに行って煙突の数でも数えてきてはどうなんだ」
とは、戦争反対派の連合艦隊司令長官だった山本五十六の言葉。
それだけ国力に差があったということで、現代の私たちには笑っていのか泣いていいのか、歴史のひとコマとして反省もし、誇りにも思う部分だ。

時代は半世紀以上流れて現代。

日本の尖閣諸島の領有権を主張する中国は、まさに現代の漢民族の品格を表す暴力で訴えた。
国民総暴力。
共産党の人民軍は「日本に宣戦布告せよ」と政府中央に迫っているらしい。
日本の海上自衛隊は大日本帝国海軍が名称を変更したままのオーシャンネイビーであることを知ってか知らずか、日本には平和ボケ憲法(©橋下徹)があるので、いくらいいもの持ってても使えないからそれでいいのか。
たとえポーズとはいえ、恐ろしい話で、大阪市の橋下市長の発言の通り、自衛権を発動するための法的準備を早急に進める必要があると思える。

随分前だが、故ハマコーは「核武装しなければなりません!」と大阪サンケイホールでの講演会で吠えていたのを思い出す。
核武装までは行かなくても、泥棒国家、暴力団国家には備えなければならない事実がここにある。

で、こんな非常事態の中で先週の大阪南部は岸和田のだんじり祭で大盛り上がり。
人口20万人の街にその倍ぐらいの見物客がやってくるというだけあって、市内の幹線道路は露店とだんじりと群集でごった返し。
太鼓と鐘と笛の音が鳴り響き、
場合によれば1000人の曳き手で重さ4トンのだんじりが街路を駆け抜ける。
テレビは中継するわ、ヘリコプターは取材で来るわ、
私はビールをへべれけになるほど終日飲み続けるわで、大変だった。

総動員は対敵でわいわいやるのではなく、祭りの大騒ぎなのであった。
来日、在日中国人への暴力や嫌がらせも聞くことはなかった。

半生記経って日本も変わった。

非常時下の「だんじり祭り」。
政治はダメだけど、日本の強さの証明を一つ見つけた感じがしたのだ。

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「好きやで」
と言わないとなかなか伝わらない恋心。
中高生の時はクラスやクラブに好きな娘ができても、なかなか「好きや」といえずに、そのまま「わかって欲しい」と心の中でつぶやき続けて終わってしまう、という経験をした人は多いことだろう。
かくいう私もそうした引っ込み思案の一人だった。
カミさんが聞くと、
「はははは、ウソやろ」
と言いそうだが、事実なのだ。

高橋留美子の名作コミック「めぞん一刻」の五代くんは、ある日酔っ払って、
「私、五代裕作は~、音無響子さんが好きであります~!」
と叫んだところから、このコミックは単なるコメディからラブコメに変身し、人々の心を引き付けるドラマに変わった。
響子さんはこれで五代のことが好きになるからのなのだ。

で、外交についても同じようなことが言える。
相手が失礼なら失礼と言わなければならないし、ありがとうと感謝したい時は、しっかり「ありがとう」と言わなければならない。
これは世界の常識なのだが、それが分からない人達がいる。
日本の政治家先生たちだ。

あれだけ中国人が傍若無人の限りを尽くしているのに「沈黙」しているバカがどこの世界にいるだろうか。
ここにいる。
日本にいる。
野田佳彦とその閣僚がいる。

そもそも相手は日本人がブチ切れるのを待っているのだから、「沈黙」が正しいように思うに違いない。
日本企業が焼き払われても、日系ショッピングモールが略奪にあっても「黙っていれば」わかってもらえる。
アホなのである。
そんなことで、相手に気持ちが通じるわけはなく、他の国でも同様である。
「あれだけのことをされても日本の指導者は何も言わない。何も足さない。だから何をやっても構わない」
という異常事態が発生するのだ。

日本の首相としては、ああいう行為に対抗するには、はっきりと物を言わなければならない。
それしか、対応策がない。
たまたま中国は長年に渡り自国民にウソを突き通してきたという実績があり、この際首相自ら、
「南京大虐殺は朝日新聞と中共は作り上げたお伽話。証拠はどこにもありはしない」
とか、
「反日運動で職を失うのは中国人。中共指導者は貧富の差を広げようとしてるのか」
「騙されているのは中国国民だ。中国共産党は指導者層で利権を独占しようとしているだけだ」
なんて言えばいいのだ。

そもそも中国人は声がでかい。
東南アジアを旅行すると、声がでかいのは中国人と相場が決まっている。
レストランや観光地、列車や船やバスの中。
大声で話すのは中国人で、あの勢いで反日活動をされるとたまらない。

但し、日本にも中国人に負けない大声の人達がいる。
関西人だ。
とりわけ京阪神の三大都市出身者は世界中どこへ行っても関西弁で話すという性質を持っている。
しかも大声で。
橋下市長がやんや注目を浴びるのも、まずは声がでかいから。

ということで、関西人である私からもお願い。
ぼそぼそ話すな野田首相。
言いたいことがあれば大きな声で!
しっかり、はっきり、くっきりと。
この期に及んで黙り続けは、戦う前から敗れたり。

多分、日本国民は中国人以上に首相の顔も見たくないと思っているに違いない。


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タイミングがいいというか、なんというか週刊文春先週号の阿川佐和子インタビュー"この人に会いたい”は、台湾の李登輝先生なのであった。

「日本人は何一つ自信を失うことはない」
というその言葉が、台湾史上に名を残すだけではなく、台湾から日本に対して最も影響力のあった政治家として頼もしい限りなのだ。
しかも、
「尖閣諸島は日本ですよ。中国は1972年に周囲に石油ができることがわかって自分の領土とか言い出した」
ともおっしゃっているのだ。

台湾では強い意志を持って人々のためになることを貫くことを「日本精神」といって尊ぶ風土があると聞く。
私はもしかすると日本人の精神、つまり大和魂は戦後半生記の間、日本人は徐々にそのエッセンスを失っていったのだが、その日本魂は台湾という中国国民党によって弾圧された島で缶詰のように脈々と生き続け、ついには李登輝先生のような日本人よりも日本人らしい台湾人が誕生したのだと思うことがある。

中国出身の台湾居住者が尖閣諸島は台湾だとか中国だ、とかいう人がいるようだが、多くの台湾人はそではない。
なぜなら台湾は日本領であった時代を通じて紛れもなく、海外で日本のアイデンティティの基本部分を持ち続けてきた唯一の隣人だからだ。

とうことで、先週の週刊文春は必読。
前田敦子のスキャンダルなんか読んでいる場合ではないのだ。

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今日の夕方、近所のスパーマケットに出かけたら中国産のウナギが1匹980円の特価にも関わらず、大量に売れ残っていた。
売れ残っていた、というような生易しいものではなかった。
売れている気配がまったく感じられていなかったのだ。

今この時期、中国産の食材を買う気は消費者には起きない。
たとえそれが反日デモ発生以前に出荷されたものであったとしてもだ。
毒入り餃子事件以来、中国で生産された食材に対する信頼性は地に落ちたままだが、それが回復する前に今回のようなデモに至ったのは、中国から食材を輸入している企業にとっては致命傷になるかもしれない。

なぜなら、対日輸出商品となれば、どのようなことがされているのか、日本人としては中国人を全く信用出来ないからだ。
「小日本」
「鬼日本」
などと書かれたプラカードを数万人という市民が無知とはいえ掲げて、暴力に訴える。
あるものは大使館を襲い、
あるものは飲食店を襲い、
あるものは生産工場を襲って再起不能なまでに破壊しつくした。

日本人は感情を爆発させず、耐えることを知っている民族である。
3.11の大惨事に遭っても、人々は冷静に対処し略奪、暴力、破壊などを行わず、逆に助け合うことに対して社会のトップから底辺までが力を合わせる人々で構成されている。
「いずれ中国も目覚めるだろう」
と思って待っていたが、それももう限界かもしれない。

ウナギの売れ残り単に中国産品に対する信頼性の欠如にとどまるものではない。
これの意味するところは、
「中国とのお付き合いは民間レベルでは終わりですよ。少なくとも当面は」
というメッセージだ。

生産工場を潰された自動車、弱電、その他メーカーはMade in Chinaの日本製品を出荷しなくなるかもしれない。
多くの日本人は、それは正しいことだと思うだろう。
別に中国でなくっていいじゃないか、という意味だ。

多くの中国人失業者が中国人自らの手によって生み出されている。

ウナギは中国以外でも採れる。
工業製品もしかり。
20年前までは中国市場なんてものも無かった。
だから中国が無くても消費サイクルは確保できるに違いない。

でも中国人の労働生産は中国でしか生み出せない。
中国人の労働力がウナギのように売れ残るのも時間の問題だ。

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昨日のブログが英文で書かれていたので、

「お、ついにこのブログもハッカーのターゲットになってしまったのか」

と、思った人もいたかもしれない。
いなかったかかも知れない。
そんなこっちゃどうでもいいけど部分部分間違えてまっせ、という意見もあるかもしれない。

そう、私は昨日、久しぶりにブログを英語で書いてみたのであった。
日本語で書くよりも三倍も手間がかかってしまったのは言うまでもない。
これは英語の能力が充分でない上に、だんじり祭りでたらふくビールを飲んでしまい、ヘベレケ加減で書いたことにも一因がある。

でもそんな私がなんで英語のブログを書いたのか。
それは英語で書くと、ひょっとしたら中国人が読むかもしれないと思ったからなのであった。

今の中国は正直クレージーとしか言いようがない。
なぜ、彼は人の領土を何の証拠もないのに「わしらのもんや」と主張することができるのか。
意味不明なのである。
長年の反日教育の結果、日本企業や在留邦人、さらに日本とつながりの深い中国人たちが大きな被害を受けているとしたら、その原因の9割は中国共産党政府にああるのであって、残り1割は日本を小馬鹿にしたインチキ歴史教育に対して厳重抗議をしてこなかった日本政府の責任といえる。
中国共産党は自分たちの立場を守るために仮想敵国として日本を選び、「小日本」だとか「鬼日本」だとか言い続け、国歌にも日本との闘いを謳い、鼓舞してきたわけだから、その長年の嘘偽りに対して生産するときが来ていることを彼らは真摯に受け止めて、アラブ諸国やミャンマーのように真の民主主義に移行しなければならないはずだ。

ところで、昨日英文のブログをアップしてから気がついたのだが、英語を読めるような中国人であれば、今回の全国規模の反日運動に、
「恥ずかしさ」

「後ろめたさ」
を感じてる人たちは少なくないはずで、ほとんど意味が無いのではと気づいたのだ。
だから中国人宛のメッセージのつもりなら中国語で開くのが本筋であるのだが、残念ながら、私は中国語はまったく分からず書くことができない。
百歩譲って英文より苦労して漢文で書く、という手もあるのだが、現代の中国人は漢字が読めないのでほとんど無駄。
漢字の読める中国人は教養あるクラスの人々なので英語と同様に無駄なのである。
漢文を書いても日本人と台湾人にしか読めないのも、また中国人の悲しさであろう。

さて、昨日の英文では中国人の問題をどう書けば良いのか。
私なりに非常に苦労したのであった。
差別はいけない。
偏見もだめ。
日本人らしく、丁寧に似非歴史教育問題に踏み込んだつもりなのであった。

ホントは、
「What a stupid! Chinese!」
とか、
「No Educated. Chinese」
とか、
「Chinese are as silly as Ferengis of STAR TREK」
とか書きたかったのだが、いかにも馬鹿にしているように思われてもなんだったので、ごく紳士的な文章を書くように努めたのであった。

それにしてもこれを契機に日本企業は中国市場から暫し撤退すべきなのかもわからない。
知的財産は理解できない守れない。
ウソの教育で洗脳されている。
大人の国どころか野蛮の国。
そんな国と付き合っても国益に全くつながらない。
さらに海外の生産工場としてはタイやインドネシア、マレーシア、ベトナム、そして注目のミャンマーなど親日で、かつ長年中国人には迷惑を受け続けた国々があるわけで困らない。
困るのは、中国だ。

自分のやっていることが正しいと思っている中国はホントにお気の毒としか言いようがない。


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Chinese people are demonstrating to Japan in their whole country.
Some people resorted to violence against Japanese residents or tourists in the big city such as Shanghai and Beijing.
These are evidences that Chinese common people lack good taste.
They appeal to Japanese government and the other countries, JAPAN's SENKAKU-Isles are Chinese territory.
But it's a wrong notion.
SENKAKU-Isles are definitely Japanese territory according to all official documents including outside Japan.

Why they believe in such a wrong notion that thier government appeals.
There are a couple of reasons.
First, they are always thinking about only their profits even though the other people are got annoyed.
Second, some of them can not understand the concept of territory.
Third, Chinese didn't have to know its true history, in order to protect the Communist Party .
If they knew the truth,what will happen?
It might be a beginning of collapse of their nation and community.

Chinese government (Communist Party) have been releasing convenient informations to own citizens for long time.
These informations are including fake ones in high percentage. Especially in the modern history and economy.
In the kids education they've been teaching kids, Japan is the country of barbarous ethnic or demons.
They sometimes call Japan as a small devil in their elemental school formally.
Some of them believe in it after they grow up.

China is the one of the largest country in the world today.
Sometime they need to lead other countries in international activities.
Leader of the international society is required its dignity,calmness,intelligence,moral tone and economy power and political power.
However according to news on TV or newspaper or internet, China never have such dispositions at all now.

Before they try to make a protest against Japan.
They must learn about the truth.
After that , they will understand why they have many international issues against other countries such as Japan,Vietnum,Phillippine,Thailand,Myammar,India,Chibet and United States so on.
If they don't want to know the truth,they must be expelled from international society.


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