<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



昨日は福島でガス爆発があったり全国で1300人を越える新型コロナウィルスの感染者が確認されたというニュースが流れたが、最も大きなニュースは台湾の元総統・李登輝先生が亡くなったというものだった。

李登輝先生は現代日本人よりも日本人らしい方であった。
戦中京都大学農学部に入学しその後戦後は台湾に戻って台湾大学に編入。
卒業後は大学助手からキャリアをスタートしたという。
日本語が堪能で、というよりも日本語が思考するための言語であり、婦人と家で話すための言葉であり、著書を著す言葉でもあった。

台湾を中国から切り離して台湾というアイデンティティを認めた人でもあるのだろう。
台湾国の民主化には非常に尽力され、今の自由で日本とイデオロギーや文化歴史も親しい台湾を育てた。
台湾と日本という2つの祖国を持っていたといっても過言ではなく両国の国民、とりわけ私のような昭和30年代40年代生まれ以降に及ぼした影響は小さくないのだ。

総統に就任したあとの改革は印象深い。
私自身で調べたわけではないのだが、当時最初に実施したのは台湾行政区を日本統治時代に戻したという。
その方が合理的というような理由だった。
言論の自由を認め蒋介石、蒋経国時代を終焉させ自由主義で台湾で経済や文化を発展させた。
今や台湾は先進国であり日本にとっての重要なパートナーであり唯一の兄弟国と言えるのかも知れない。

李登輝元総統。
肉体は死しても思想と生き様は台湾、日本両国に生き続けることだろう。



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カラー映画草創期の大作「風と共に去りぬ」。
私はこの映画を一度だけリバイバル上映の映画館で鑑賞したことがある。
もう二度と製作できないであろう巨費を投じた映画ということで期待に胸を弾ませてでかけたのだ。
しかし当日は疲れていたのか、結局は古い映画でついていくのが難しかったのか、よく寝たことを思い出した。
主演のクラーク・ゲーブルは嫌いな俳優ではなく例えば風と共に去りぬと同じぐらい古い映画「或る夜の出来事」は大好きな作品の一つでもある。
ビビアン・リーは他の作品を全く知らないのでこの映画でしか見たことがないので有名な女優さんだがあまり知らないのだ。

新聞報道によると「風と共に去りぬ」に出演していた主要な俳優の唯一の存命者であった女優オリビ・デ・ハビランドが亡くなったのだという。
享年104歳。
大往生なのだ。
この人、なんと日本生まれなのだという。
妹も同じく日本生まれ。
子供の時に米国へ移住したというのだからイギリス人であるご両親はどんな職業についていたのだろう。
一説では父親が東京帝大の講師であったという。
なんといっても大正時代なので今のように日本に住む外国人もそんなに多くなかったに違いないのだから。

ビビアン・リー同様にこの女優さんも名前は知っていても実際の映画は「風と共に去りぬ」以外に見たことがないのではないかと調べてみたら、ありました。

「エアポート77」

「エアポート77」は今はなき天王寺ステーションシネマで鑑賞料500円で見た映画なのであった。
ハイジャックされたB747が海に墜落。
機体は壊れないまま海に沈んでしまい、乗客はいかに脱出するのかというのがストーリーの流れであったと記憶する。
所謂「大空港」シリーズなのだが、私が覚えているのは「飛行機が海に沈んで、そこから乗客が助け出される映画」というだけで、他は殆ど覚えていない映画なのだ。
ちなみにこの映画で寝ることはなかった。

このパニック映画にオリビア・デ・ハビラントが出演していた。
もちろん私は記憶にないのだが、多分見たら思い出すであろう。

晩年は2009年にドキュメンタリー映画のナレーションを務めたようで、それが事実上の遺作となったらしい。

「銀幕時代のスター」時代がまた一つ遠くなった。


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「そこのみたらし団子は絶品なんです。是非食べてみてくださいね」

と10年近く前に教えてもらったのは京都祇園にある「みたらし団子」の某お店。
夕方そのみたらし団子を求めて京都祇園にあるみたらし団子屋さんへでかけた。
夜の街の人々御用達ということでここは昼間は営業しておらず、茶屋や置屋が店開きをする時間帯に開店する。
店は南座からさほど離れていない四条通沿いにあった。

小さな店構え。
商品はみたらし団子だけ。

「すいません。10本、くれます?」
「はーい」

ということで買い求めたみたらし団子。
他のものとどこがどう違うのか。
京都の花街のど真ん中のみたらし団子だけに期待は大きかった。
ワクワクしながら大阪に帰宅してから食べてみると、そのみたらしの蜜がすごい。
その粘着力。
ドロっとさ。
そしてしつこくない甘さ。
それでいて、すごく濃い味。
団子はほんのりと焼き目がついていて粘着力のある蜜にどっぷりと浸かっているので1本だけ引き剥がすのが難しいくらいであった。
蜜を垂らして衣類を汚さないように口中へ運ぶ。

「.......んんんん〜......美味い! でも.....食べにくい」

という感想が口から出た。
ともかく四条河原町で夕方まで時間を潰して開店するのを待ってよかったと思えるだけの価値あるみたらし団子だった。

先日所用で岐阜県の高山市へ行ってきた。
一般に飛騨高山と言われるところだが飛騨市と高山市は別の街であることを今回始めて知った。
いわゆる飛騨高山は高山市の方で飛騨市ではない。
この高山市。
岐阜県という滋賀県の隣の県にあるにも関わらず、大阪からはかなり遠いところなのであった。
滋賀の隣というと大津の隣という感覚があるので「快速電車ですぐ」「大阪の通勤圏」という感覚があり、滋賀県の大垣市などは昔は近鉄電車も走っていて岐阜と聞けば中京圏ではなく関西圏、という感覚があった。
ところが高山となるとそうはいかず、めちゃくちゃ遠い。
よくよく考えてみると高山はほとんど富山なのであった。

大阪から5時間ほどのドライブで到着。
街は新型コロナの影響だろう。
観光客が少なく少しく寂しい感じがする。
しかしそこは伝統文化が輝いている飛騨高山。
古い町家の風景を楽しみながら約束の時間がくるまでぶらぶらすることとした。

街のあちこちにはおしゃれなカフェやレストラン、和菓子屋、飛騨家具を扱うお店など、バラエティに飛んでいて実に面白い。
観光客だけではなく、地元の生活感もありなかなか素敵だ。
関東や関西からの大資本のチェーン店はほとんどみかけないのがまたいい。
マックカフェやスターバックスは旧市街にはなく、JR高山駅を挟んで反対側に展開しており、どこへ行ってもスタバがある、という京都や東京のような感じではない。

ふと見ると街角のあちらこちらに電話ボックスぐらいの大きさの屋台があって、
「みたらし団子」
「五平餅」
の看板を出している。

五平餅は飛騨や木曽、信州の方では一般的な餅菓子だ。
そこへ「みたらし団子」が登場して少しく気になる。
価格を見ると1本80円とある。
安い。
奈良の有名なだんご庄の団子と同じ値段である。
これは、食べてみなかれば。

ということで、
「2本ください」
と買い求めた。
1本ではないのは私が食いしん坊だからだ。

暫く待っていると団子を焼いて蜜を浸けてビニールにくるんでそのままくれた。

「はい、160円。丁度ね」

手に持つ団子が温かい。

「コロナの心配はないな、焼いてウィルスは死んでるやろし。」

と勝手なことを思いながら蜜がたれてこないように慎重に包を開いてみた。

「?」

なにか、違う。

「...蜜......ないやん」

そう。
飛騨高山のみたらし団子は蜜ではなく醤油を絡めた団子なのであった。
関西ではこういう団子は「みたらし団子」とは呼ばず単に「団子」という。
飛騨高山は祭りの山車のスタイルを見てもわかるように完璧に京都の影響を受けている。
街の雰囲気も京都そのもの。
でも、なぜに。

私はあの祇園で買った「ドロドロで粘着質の甘い蜜」のみたらし団子を思い出し、暫しその謎について考察したのであった。

「これは、もしかすると小型の五平餅かもしれない」

そう思い至ったのであった。
五平餅も醤油ベース。
所変われば品変わる。
文化と歴史がその街のお菓子にも大きく影響し、都のものもアレンジされて同化するに違いない。

関西とは違ったみたらし団子のスタイルに、大いに遠くへ来たもんだと旅愁を感じた飛騨高山の一時であった。


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東京のコロナ感染者数を他人事のように思っていたら、大阪の感染者数も昨日100人を突破。
いよいよ第二波がやっていた、と吉村知事も言っているようだ。

この第二波コロナ。
春の第一波よりも人数が多くなりそうな気配だ。
経済活動を止めず、移動も抑制せず、控えめにとはいいながらも政府も自治体も保障するべき財源がないので経済ありきの動きといえるだろう。
もう1つ、第二波に特徴的なのが大阪だけを見ていると30代20代が罹患者の中心であるわけだけど、もっと特筆すべき特徴は、「軽症者か無症状者」しかいないこと。
第一波のように有名人を含めて死者、重傷者がいない、というところがかなり違う。
少ないのではなくていない。
少なくとも大阪府の発表するリストを見る限り症状の欄は「軽症者」「無症状」の2項目しか見当たらない。

コロナが拡散すれども、もしかすると京都大学の山中伸弥先生が指摘するように「ファクターX」がすでに国民の殆どに行き渡っていて感染しても「普通の風邪」レベルになっているのかも。

マスメディア、政府、自治体は感染と発症状況の傾向を分析して報道・発表していただきたいところだ。


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朝テレビをみていたら衝撃的なニュースが流れた。

そのニュースは日本航空の赤坂祐二社長のインタビューだった。
なんでも「国内線の回復には1年、国際線には3年はかかると思います。だから来年4月入社の新卒採用は中止します。入社してもらっても仕事がないからです。」とのこと。
かなり衝撃的なコメントだった。
でも、それより衝撃的だったのは、

「国際線はもう元に戻らないかもしれません」

という一言なのであった。

もう国際線の飛行機に乗って世界中を飛び回るというような楽しみを気軽に享受できる時代は再び戻ってこないというのだ。
確かに、国境を超えるごとに感染症にかかていないかどうかなどを検査する必要があるとすれば3泊4日の安・近・短ツアーも、一年間の豪華客船を使う世界旅行もありえなくなってしまう。

世界は変わってしまっている。
その現実を突きつけられた衝撃的な一言なのであった。


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「風の谷のナウシカ」に引き続き緊急リバイバル公開中のジブリ映画「もののけ姫」を見てきた。

この「もののけ姫」。
ロードショー公開のときは期待に胸膨らませて劇場へ足を運んだのだが、日頃の激務の関係なのか睡魔が襲いかかり映画の三分の一は居眠りをかましていた映画なのだ。
起きている時に「祟り神」や美輪明宏が声優を務める狼だとかのシーンになっていて、
「ンンン......おもろない映画」
という記憶になってしまっていたのだ。

なお、同様の居眠り映画にスタローンの「クリフハンガー」と「ハリーポッター」がある。

今回は娘がまだ見たことがないということで気分転換を兼ねて家族で観に行ったのだった。
前回「つまんない映画」という印象があるだけにちっとも期待していない。
だいたい寝ていたとはいえストーリーはだいたい覚えている。
だから今回は寝ないようにだけはしておけばいい、ぐらいに考えていたのだ。

ところが改めて見てみると、これが結構面白い。
さすが宮崎駿の作品である。
「ポニョ」
よりは遥かに大人の作品に仕上がっていて魅せるのだ。

日本を舞台にしていて東の国の人がやってきて西の国で繰り広げられている自然破壊から守るという、なんとなく左巻き的思想に取り憑かれている作品ではないか、と思ったりしたが最後に至ってそんな作品ではなく見るものによって捉え方の異なるであろう哲学的な作品であると思った。
つまり前回と異なり楽しんでいたのだ。

それにしてもナウシカに比べると遥かに技術が上がっていた。
背景画の芸術性も素晴らしい。
ところどこCGも駆使されていて技術の新しさも感じる。

もう一度見てもいいかな、と思うようになっていたのだ。

それはともかく、なぜタイトルは「もののけ姫」なんだろうか?
もののけ姫は脇役ではないか。
と。
「アシタカ」では客が入らないという結論だったのだろうか。


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4月ごろ。
カミュの「ペスト」が注目を浴びているということを耳にしたカミさんが文庫本を買ってきた。
なんでも書店では売り切れ続出で増版しているところなのだという。
「読む?」
と訊かれたもののフランス文学は正直言って苦手なので読むことを少し躊躇していた。

学生の頃にサン・テクジュペリの「夜間飛行」を読んで悪戦苦闘したことがある。
当時「イリュージョン」という作品がベストセラーになっていたリチャード・バックのエッセイに「夜間飛行が面白い」というようなことが書かれていたのだ。
「リチャード・バックが推奨するのであれば、きっと魅力的な作品に違いない」と思い買って読んだのだ。
それが間違いなのであった・
読み始めてすぐに後悔。
複雑怪奇な文章でイマジネーションがついていかずリチャード・バックの描くのに似た飛ぶことへの魅力を期待していただけに失望は大きく読了するのにかなりの能力を要してしまったのであった。
以来サンテグジュペリはもちろんのこと「フランス」と聞くだけで読むに値しない代物として扱うことになったのである。

そんな私に新型コロナウィルス禍でカミュの「ペスト」。
読み始めるのに随分と初動パワーが必要なのであった。
フランス生活の経験もあるカミさんはアマゾンで原文の小説を取り寄せ日本語訳と比較しながら楽しんでいる。
私にそんなことは不可能である。

ともかく話題の小説ということで読んでおくのも仕事のうちと考えカミさんから借りて読み始めた。
やはりフランス文学らしく抽象的な表現が随所に登場してなかなか読みすすめるのが難しかった。
何時代に話なのか、登場人物にはどんな人が、舞台はどこ?
と基礎的な知識を全く持たないままで読み始めた。

当初は「ペスト」というだけに中世の話かと思ったりしていたが、読み始めて早いうちに、それは「現代」であり、場所も「仏領のどこかの街」であることがわかった。
現代といっても1940年代に書かれているので「今」とは異なるのだが、当時の時代背景はあまり書かれていないので「今」に当てはめて読みすすめることができた。

最初は少々退屈していたものの「ロックダウン」が始まってからはストーリーにぐぐぐっと惹きつけられた。
但し惹きつけられはするものと、時々訳のわからない抽象的な表現が出てくるのでその都度、
「ここはどういう意味だったんだろうか」
と読み返すこと1度や2度ではない。
3歩行っては2歩戻る、という365歩のマーチのような読み方をする部分が少なくない。

「訳が古いからだろうか」
とも思った。

昭和40年代に出された文庫だけに日本語が多少古いことも原因になっているのか。
確かに黒人のことを「クロンボ」と訳したりしていて「ええんかいな、こんなワード」と読んでいる方が心配になる部分もなくはなかった。
カミさんも「ちょっと古いね」と言ってたものの、古いだけではなくフランス文学としての表現のしかたにとっつきにくさがあるというのが根本的な問題だと思った。

物語が進むと、ペストとそれに関係する登場人物個々の物語が凄味を増してくる。
恐らく「ペスト」の魅力はここにあるのだろう。
私は牧師という聖職者が感染してから死に至る過程で、聖職者としての精神と病に侵されたごく普通の人の病を与え給うた者に対する怒りの双方に心を揺さぶられ葛藤するところが最も印象に残った。

ともかく読み終わったときは「やったー!」という気持ちと、「すごい、でも2度は読めない」という気持ちが錯綜して不思議な達成感を味わった。

ともかくカミュの「ペスト」は凄いが読みにくい小説で、多分多くの人が途中で挫折しているんじゃないかと思っている。




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宮崎駿の「風の谷のナウシカ」を劇場で見てきた。
これまでビデオやテレビで何度か見ていて初観ではないのだが劇場で見ることになったのは今回が初めて。
で、同じく初めて知ることになったのが映画は音声がモノラルサウンドだったということなのであった。
正直かなりびっくりした。
あの宮崎駿の作品であっても、このころはまだステレオサウンドにするだけの予算がなかったのか、それともモノラルで良いと判断されたのか。
なにかこう、ものすごく物足りない感覚に陥ってしまったのだった。

「風の谷のナウシカ」は私が大学生の時に公開された作品だ。
当時の私は宮崎駿だからといってとりわけ見に行きたい、と思うことはなかった。
というよりも当時の私は日本映画はアニメであろうがドラマであろうが見たい、などと思うことは決してなかった。
「な〜に?日本映画〜〜〜........見たくない。お金、捨てたくない」
という感覚なのであった。
大学ではかの依田義賢先生、宮川一夫先生、森田富士郎先生方の指導を受けていたにも関わらずだ。
いかにアホな学生であったかは理解できよう。
実にワンオブゼム的な学生なのであった。

でも、これには大きな理由がある。

私は高校時代から日本映画を見に行っては連続的に期待を裏切られるということを経験していた。
高校に進学した1978年はSF映画ブームだった。
このブームは前年に米国で大ヒットした「スターウォーズ」に始まる世界的な潮流だったのだが、このブームに乗っかって日本でもSF映画が作られた。
それが最低なのであった。
記憶に残る恐ろしい映画は2本。
現千葉県知事の森田健作が主演していた「惑星大戦争」。
志穂美悦子がウェディングドレスをまとってアクションしていた「宇宙からのメッセージ」。
当時どちらもCMが盛んだったので期待して見に行ったのだが「バカにしてんのか!」と言いたくなるような作品だった。
惑星大戦争はいたるところスターウォーズの焼き直しシーンがありどっちらけ。
宇宙からのメッセージは一箇所だけ見せる特撮があるものの、その他は学芸会。
ほんとにひどいものなのであった。
この年に楽しめた映画は「柳生一族の陰謀」と「赤穂城断絶」ぐらいだった。
その後、日本映画には足を運んだのだが、どれもこれもつまらない。
究極は1983年の「南極物語」。
健さん主演の映画ということで期待して見に行ったにも関わらず、その映画は単なる動物映画を下回る品質の犬の芸オンパレードだった。
もう「犬がそんなことするかい!」というようなシーン満載なのだった。
「なんで高倉健がこんな映画にでるねんな」
と毒ついたのは言うまでもない。

「風の谷のナウシカ」は丁度このころ公開された。
見るわけがないのである。

よってポスターはよく目にしていたにも関わらず見たいということにはならなかった。

この映画を見たのは社会人になってから。
テレビの映画劇場で放送されているのを見て「風の谷のナウシカ」がただものではないことを知ったのであった。

今回コロナウィルス禍による映画館の苦境を救うべく、ジブリやディズニーの過去の作品が緊急リバイバル上映されていて、この中に「風の谷のナウシカ」が含まれていたのだ。
劇場の大画面と立体音響で同作品を楽しめるめったに無いチャンスだと思った。
料金も大人1100円で安いではないか。

ということでいざ劇場へ入って見てみて驚いたのは大画面だが立体音響でなかった、ということだ。
画面もなにやらワイドスクリーンにしては幅が狭い。
テレビを意識したサイズであることを知った。
絵も少々雑な部分があり、
「予算かな」
と思わせるものがあった。
翌々日に「千と千尋の神隠し」を見に行ったので、その差を歴然と体験することにもなった。

それにしても劇場でのリバイバル公開というものは、なにか新しい発見があるものだ。


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あまり大きく扱われていないようだが新型コロナウィルスの影響で無印良品の米国法人が日本で言うところの民事再生法の適応を申請した。
つまり倒産してしまったのだ。

このニュースは日本の本家無印良品に遠慮してかどうかわからないが、どのマスメディアも取り扱いが小さい。
米国のブランドが同様の事態に陥ったら大声で報道するのに扱いが随分と違うものだ。

尤も無印良品の米国法人は倒産はさせるものの事業は継続するということなので、本体が資金を投入するのか、はたまた現地資本を注入するのは詳しいことは知らないが店舗の閉鎖や人員削減はあるけれどもなくなりはしないのだという。

それにしてもコロナで順調だと思っていた会社が経営危機に陥り、最悪は倒産してしまうということが発生している。

首都圏での感染者激増は新たな非常事態を招きかねないのだが、感染者の全部が軽症あるいは無症状であることを考えると、なにかもっと詳しい情報をリリースしてもいいのではないかとも思ってしまう。

無印良品米国のニュースにしろコロナの感染者数のニュースにしろマスメディアの忖度および煽り屋根性は世の中の利益にならないんじゃないか。
思わず達観してしまう今日のニュースの一コマなのである。


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自動車ででかけると交通情報はどこから得るのかを迷うことがある。
JARTICの道路交通情報サイトか、Google Mapの渋滞状況か。

JARTICの交通情報は全国の高速道路の情報が網羅されていて事故、通行止めなどを知るにはぴったりだ。
しかしそれに伴う渋滞状況や自然渋滞はあまり詳細な情報が表示されることがないので、そちらの方はGoogle Mapの渋滞状況を確認することになる。
一般道の情報となるとJARTICの出番はほとんどなくなる。
2つのアプリをあっちを見てこっちを見るということになるので運転している時は危険なので当然操作をすることができない。

この道路交通情報のチェックは遠距離を走るときほど重要になる。

一昨日。
私は所用で未明から大阪から名神高速道路を長野県に向かって走っていた。
おりからの梅雨末期の豪雨で熊本では球磨川の氾濫が伝えられる中、午前の早い時間に到着する必要があり車を飛ばしていたのだ。
大阪を出発したときから雨脚は強かったのだが、京都の山科を走っている頃に雨が土砂降りに変わりセンターラインもよく見えない状況になった。

「おお、これで中央道は大丈夫か」

と不安がよぎった。
長野県に入るには中央道の木曽山系を貫く恵那トンネルを通る必要がある。
この大雨の中、あの山深い木曽の山を通り抜けることができるのか。
大いに心配になったのであった。

そこで途中、滋賀県の黒丸PAでトイレ休憩も兼ねて停車。
道路交通情報をチェック。
東海北陸道には通行止め箇所があるようだが中央道にはその心配は今のところない。
しかしJARTICの情報からは車が順調に流れているのかどうかの判断はしにくい。
当然Google Mapも確認。
小牧付近の渋滞状況をチェックして名古屋のラッシュに巻き込まれないように急ぎ東へ向かったのであった。

結果的に途中なんども豪雨に見舞われたが無事に目的地に到着。
事なきを得て、帰る頃には少し晴れ間も出ていたほどなのであった。

で、ここで感じたのはカーナビって何?ということだ。
カーナビにも渋滞情報キャッチのシステムは装備されているが目的地に向かってかなり先の情報を表示したり告知したりするのは得意ではないらしい。
しかもGoogle Mapとは連動していないので各所に発生している渋滞にはほぼ無防備でもある。

JARTOCとGoogle Mapというタイトルにしたが、カーナビって何なん?というのがこのブログの正確なタイトルだったかもしれない。


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