<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



昨年第2巻を最初に買ってからすっかりはまってしまった文庫シリーズ。
それはなにかと言われれば、新潮文庫から出版されている「ストーリーセラー」のことだ。

昨年の秋、その第3弾が文芸書サイズで発売されているのを書店で見つけ、

「うううううううう、読みたい」

と思いつつ、

「うううううううう、でも、文庫になるまで待と」

と、より安価な文庫本が出るまで待っていた。

しょーもない我慢をしようとシブチンな私は往年のシュガーカットのCMのようことを言いながら待っていたのだ。
すると先月末についに出ました。
「ストーリーセラー 3」
文庫本で登場です。

このストーリーセラーシリーズ。
人気作家が競作している書き下ろし、かつ読み切りの短編集で、一篇一篇が実にスリリングで面白い。
どの作品も毎回想像以上にエキサイティングなので次がいつ発売されるのか大いに気になるシリーズ本だ。
しかも安い。
これだけ大勢の人気作家を集めて税込800円なんで、そのコストパフォーマンスでも優秀だ。

そもそも、昨年、初めて買ったきっかけは、そこに沢木耕太郎と有川浩の名前を認めたからであった。
沢木耕太郎は深夜特急の著者だということはもちろんのこと、私がノンフィクションの面白さにのめり込むことになるきっかけを作ってくれた作家だったので、その作品がたとえ短篇でも新作である限り、

「読まなければ」

というファンとしての責任感にかられて買ってしまう。
また、有川浩は数年前に「阪急電車」という作品を読んでから、すっかりその世界に魅了されてしまって、あのとんとん拍子で進む有川ワールドを楽しめるなら、と買わずにいられない衝動を抑えることができなくなっている。

そんな2つの感情が搦みあった結果として、めったに買わない小説の競作集を買い求め、ツボに嵌ってしまったのが本シリーズだ。

そしていよいよシリーズ「3」。
今回も冒頭は沢木耕太郎の作品で、有川浩の作品も収録されていた。
どちらも面白く、沢木作品には旅行気分を掻き立てられ、有川作品では作家と編集者のメールのやり取りを堪能し、飛行機の中で「あはっ!」と突然笑って隣にすわっているオッサンに怪訝な顔をされてしまうというハプニングまでついていた。

もちろん他にも常連の作家の方々が、それぞれシリーズものを掲載していおり、これがまた、どの作品も楽しめる。
そのなかでも今回はトリがさだまさしだったのが、かなり印象的だった。

さだまさし。

「精霊流し」や「雨宿り」「関白宣言」。
あのフォークシンガーのさだまさしが小説を書いていることは知っていた。
グレープ時代、ソロの時代を通じてさだまさしの歌は、心にしみる歌詞で気に入っている曲も少なくない。

が、こと小説となるとやはり言葉にし辛い抵抗感があって今まで一篇も読んだことがなかった。

つまり、「え~~~~、さだまさしの書いた小説う~~~~」という感じだったのだ。

今回「ストリーセラー3」を読み進み、一番懸念されたのは読んだことのないさだ作品で雰囲気ぶち壊しにならないか、ということであった。
もちろん、この作品集に選ばれた作家なので「駄作」ということは無いだろうが、なんといっても1作品も読んだことがないだけにかなり不安だった。

今回の作品の題名は「片恋」。
タイトルを見ただけで内容が想像できそうなところが、また抵抗感を増幅させたであった。

しかも、読み始めると、小説のクオリティ以外の部分が顔を出し、しばし小さな障害になった。
それは、物語を読んでいると、どうしてもその背景で「この物語を執筆しているさだまさしの情景」が頭に浮かんできてしまうことで、これには弱ってしまったのだった。
物語は面白い。
でもその想像の裏側で「100番、100番」「おしえて~、く~だ~さ~い~」というフレーズが浮かんできてどうにも困ってしまったのであった。

しかし、物語も最初の4分の1も読み進めると、そんな幻影は消え失せ、すっかり主人公と共に物語の世界に没頭することができたのであった。
スピード感があり、コンサートのMCのようにユニークで、リアル感も充実していた。

もっとも印象的だったのは実際に発生した事件とフィクションの世界をうまくつなぎあわせていることで、グイグイ惹きつけていくエネルギーは上質のエンタテイメントだった。
「片恋」は題名とは裏腹に、現代の都会に蔓延する「少し異質な物」をコミカルに、或いは暖かく見つめることにより本来、人のあるべき「生きる」ということの難しさと悲しさが、しみじみと感じられる物語なのであった。

笑いというオブラートに包み込こんだ物語で読者をホロッとさせてしまうところは、数々のヒット曲とまったく同じ魅力ある作品なのであった。

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ニュージーランドの地震被害をテレビのニュースで見ていると、海外旅行中に災害に遭遇したらどのように対処したら良いのか、はたまた日本の家族はどうしたらいいのか。
と、考えさせられる。

海外旅行をする時、私は掛捨て型の海外旅行保険をインターネットで申し込んでから出かけるようにしている。
クレジットカードでも旅行特約のついた、1ランク上のものを1枚だけ持っていて、それも所持して出かける。
実のところ、なんの役にも立たないように思うのだが、無いよりはマシで、私自身の安心のためというよりも、留守を預かる家族が多少とも安心するから契約するといっても間違いではない。

実際にいざ災害や事故に直面すると、それらの保険は気休めでしかなく、結局は自分で心して対応しならければならないのが旅先での災難であると思う。

私にはちょっとしたクセがある。
海外の空港に到着して空港から最寄りの市内に向うバスやタクシーの車窓から沿道の景色を眺めると、いつも建物の柱の大きさを観察するというクセなのだ。

建築中のビル。
1階が駐車場のビル。
無人のビル。
などなど。

知らない間に、「あの柱、細いな」などと考えているのだ。

これは大学を卒業してから暫くの間、建築関係の会社に勤めてヘルメットをかぶって現場仕事をしていたことが影響しているのかも知れないが、一番大きな要因はやはり阪神淡路大震災の経験がそういう目で街を観るクセを付けさせているのだろう。

あの日。
阪神大震災が発生した当時、私は大阪府堺市に住んでいた。
神戸から直線距離で40km程度離れているのだが、それでも本棚がひとつ倒れて書籍が散乱。
コレクションしていた模型や置物が壊れた。
大切にしていた宇宙船USSエンタープライズ号のプラモデルが映画と同じように致命的ダメージを受けたのもこの時なのであった。

公共交通が全てストップし、復旧がいつになるのかわからなかったので古い50ccのバイクに跨がり大阪市内の会社に向った。

途中、橋の付け根に段差ができていたり、交通渋滞のすさまじさに驚いたのだが、もっと驚いたのは連絡のつかなかった西宮市内の同僚の安否を確認するために、50ccのバイクで西へ向った時だった。
各所で家が傾き、潰れていた。
甲子園の前の高速道路は橋げたから橋りょうが落下していた。

「日本は地震に強い国であるはずなのに」

と、常識が通用しないことを痛感しながら西に走った。

海外、とりわけ東南アジアを旅していると、ビルディングの柱の細さが気にかかる。
細い柱で5階建て、6階建てといった建物が建設されていて、時折モルタルのはがれた壁面からは心材である赤レンガが見える時がある。

「地震が来たら、一巻の終わりやな」
と考えながら移動をする。

タイのような、地域の中の先進国でもそんな光景を目にするものだから、ミャンマーやベトナムなんかではもっと簡易な建築を目にして「もし」を考えることが多い。

私自身は海外で災害に遭遇したことはないけれども、事故に遭うかもしれないと思ったことは何度かある。
その都度、

「事故に遭ったら、あそこに連絡して、あの街の病院に運んでもらえるようにして、それでもだめならバンコクかシンガポールの日系の病院かに運んでもらって.....」

と順を追って想像するのだが、そんなことがイザと言う時に役立つとも思えないのが難しいところだと思う。

海外では日本なら手すりがついていると思えるような高地でも、手すりがなかったり、猛スピードで自動車が走ったり、バスの天井やトラックの荷台に乗ったりすることもままあるが、そんな状態で事故に遭っても保証はないし、どこでどう措置をしてもらったら良いのか判断に苦しむ時も少なくない。

「この国は地震がありません。」
と言われたり、
「地震ってなんです?」
と訊かれる国も中にはあったりする。

「へー、地震はほとんどないんですか?」
「ありませんよ」

と話していた後で訪れた遺跡に地震の跡があったりするので、やはり判断するのは自分次第。

宿泊するホテルは中級以上の頑丈な建物のホテルにするのか、モルタルボロボロの一泊1ドルのドミトリーにするのかも、自分の責任だ。

もし海外で災害に遭遇したら。
全て自己責任。
というのが、旅行する方も、留守を守るものも心にしなければならない決まりだと思う。

ついでながら、災害に遭ったからといって紛争地への救出任務でもないのに政府専用機を使う、使わせろという話しを持ち出すのは、大いなる筋違いだと思う。

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たまたま大阪難波のTOHOシネマズ難波では週替わりで朝一番に名画を上映するという企画が始まっている。
最初は確か「E.T」で、その次の週、つまり先週は「シザーハンズ」。
そして今週は「バック・トゥ・ザ・フューチャー」が上映されている、

この「バック・トゥ・ザ・フューチャー」ではM.J.フォックス演じる主人公が過去に旅立つことになってしまったキッカケがテロリストによる攻撃。
そのテロリストは「リビア」のトロリストという設定だった。

偶然というかなんというか、リビアは今や話題の国。
エジプトの民主化騒動に刺激された多くの市民が長年独裁を続けてきたカダフィ大佐に反発し、大規模な市街戦に発展。
いくつかの街では反カダフィの勢力が主導権を獲得したとか、カダフィの家族が国外逃亡を図り始めたとか伝えられている。
この先どのような展開を見せるのか目が離せない。

一説には東部の地域をアルカイダ関係者が抑えたのの情報もあるようで、これが事実ならカダフィがビンラディンに変わって、益々世界中の不安定さが増すばかりとなるだけだ。

考えて見れば「バック・トゥ・ザ・フューチャー」が公開された1985年、リビアの指導者はカダフィ大佐だった。
あれから26年も経過しているのにトップが変わらないということが、リビアの特殊性を表していると言えるだろう。

それにして独裁者の類に堂々とした人がいないことに驚きを感じる。
平素、武力を背景にした強権で以て人々を地獄に送り込むことを得意としている「強いはず」の人々は、結局弱虫。

追い詰められた独のヒトラーは愛人と自殺。
サダム・フセインは麻原彰晃みたいに穴蔵に隠れた。
ミャンマーのタンシェ議長はデモだけでビビってしまってバンコクへ逃走。部下が武力を使って鎮圧してからノコノコと戻る始末。

カダフィは最後まで戦うと宣っているけど、自国の市民を爆撃で無差別攻撃するような指導者。
支持率は菅直人も比べようがないほど低いはず。

「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のテロリストは最後は警察に逮捕されたかどうか忘れたけれど、カダフィ大佐はどうなることや。
中東、アフリカ情勢に注目だ。


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先週末、大阪府立体育館の前を通ったときのこと。
玄関先にには掲示板が設置されているのだが、そこに貼られているポスターを見た私は思わず立ち止まった。
正直ビックリしたのだ。
それはなにも、
「大相撲春場所中止に関するお断り」
の張り紙ではない。



そんな張り紙はすでにテレビのニュースで採り上げられているし、もう掲示されて随分経過するので珍しさも無くしている。
私が見て驚いたのは、

「緊急告知! 今、府立が熱い! 利用料半額」

のポスターなのであった。
相撲キャンセルの期間の利用料を半額で提供しようという前代未聞の公共施設利用料バーゲン予告なのであった。



大相撲春場所、別名大阪場所での大阪府立体育館の収入は年予算の4分の1を占めるとのことで、今回の不祥事に因を発する大相撲のイベントキャンセルは大きな痛手なのだと報道されていた。

一体どうるのか?

府民関心はあまり高くないかも知れないが、私の関心は高かった。
というのも今の大阪府の社長たる橋下知事はこと公共施設運営には口やかましく、不採算な施設は遠慮会釈なく切り捨てると公言しているからで、府立体育館とて例外ではない。
なんといっても大阪府立大学を売却すると本気で言っているような人ので油断ができないのだ。

そこで大阪府立体育館が今回のダメージをどのようにヘッジするのか興味が合ったのだが、まさか、バーゲンセールをぶつけてくるとは思わなかった。

これまた新聞報道によるのだが、大阪府は相撲協会に対して今回のキャンセル料のできれば全額を請求する腹積もりだというのだから、もしかすると本来相撲期間であった部分を半額で提供したら、その分が「売り上げ増」になるかも知れず、大阪府立体育館の「なにわの商人魂」に感服舌次第なのであった。

なお、大阪府立体育館は南海電鉄の関連会社が委託されて運営しているとのことだけども、今回のこの事実。
なかなか面白いと思う。




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新聞報道によるとシャープが計画していた中国の液晶テレビの工場建設に中国政府は許可を出さないことを決定。
その理由は、

「最新工場ではないから」

なのだという。
シャープが建設を計画していたのは第8世代という最新の堺工場と比べると2世代前の技術の工場で、その「遅れた技術」の受け取りを中国政府は拒否。
最新工場の「供出」を要求したのだという。

このニュースを読んで思い出したのが2年前の東京ビッグサイトでの展示会。
「建材展2008」を訪れた私は何かオモロイ材料はないかと物色していた。
新素材。
LED。
新工法。
などなどが展示されている中で、中国製のアルミのフレーム材を出展している商社があった。

このアルミフレームは規格化された断面を持っていて、好きな長さに切断し、少ないボルトでワゴンを作ったり、小さな部屋を作ったり、棚を作ったりできる優れもので日本でも国内メーカーやドイツのメーカーが数社類似品を製造販売している。
デザインもなかなか良くて組立も容易だが、ひとつだけ欠点がある。

価格がちょっぴり割高なのだ。

で、件の展示していた商社の製品は初めて観る断面の商品だったので、説明員のオッサンにちょっといくつか質問をして見みることにした。

「これ、アルミフレームですよね」
「そうですよ」
「国産ですか」
「中国の工場で作ってます」
「中国?」
「そうです。」
「価格、安いんですか?ふつう、結構高いですよね。この手の製品」
「国産の半分ですね」
「半分?」
「そうです。国産の製品に比べると約50%の価格で提供できます。」

価格が半分というのに驚いた。
でも中国製。
品質が心配だ。

「こういう製品は精度が必要と思うんですけど」
「品質は大丈夫です」
「大丈夫.....というと」
「うちの工場はもともとヨーロッパのメーカーの工場だったんですけど、契約が切れたのでそのまま機械設備をそのまま使っています。ヨーロッパ規格だから大丈夫です。」
「..........」
「ほら、まったく同じですよ。」

説明員の商社のオッサンは日本人なのか中国人なのか判別が難しかったが、それって、

「中国、技術も特許も関係ないアルヨ。契約切れて、タダでくれたもの文句言われる筋合いはないアルね」

と言っているのと同じではないか。
と思って、早々にそのブースから立ち去ったのだったが、ビッグサイトによくもまあそんあインチキメーカーを展示させたものだと、そっちのほうにも感心した。

ということで、技術の無料取りはドロボウの始まり。
つまり、中国はドロボウの始まり、という分けだ。

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綿花の価格が世界的な不作のために前年の2倍になっていて、タオル業界を直撃している。
というニュースを新聞で読んだのはつい先週のこと。

綿花に限らず、中東情勢の民主化運動の緊迫化で石油価格も上昇しており、生活に影響が出てくるのは間違いない。
それでも綿花の記事に目が止まったのは私の住んでいる大阪府南部はタオルの産地だからだ。
尤も、私はタオル産業に何の関係もなく、タオル産業に従事している知人こそいないものの、地元の伝統産業でもあるわけで否が応にでも記事が目に留まるというものだ。
ここらの地元自治体は関西空港の経営よりも、タオル産業の支援の方を重要視すべきとも思ってしまう。。
関西空港はいくら赤字でも国の基幹空港のひとつなので地元の自治体レベルで心配しなくても、大阪府全体、或いは関西全体、さらには日本全体が気にかけている。
こういうドでかすぎる分野はとりあえず、総理大臣よりも何十倍もバイタリティのある橋下知事以下お上に任せておけば良い。

タオル産業となると零細企業が多い割に関連会社も少なくない。
私の会社もどういう伝かは分からないが、数年前に会社の名入りタオルを頼まれて作ったことがある。
会社のロゴの入ったタオルの箱を受け取ったときは、どうやって配るのか一瞬悩んだものである。
数箱自宅にもって帰って使おうかと思ったのだが、残念ながらタオルにも会社のロゴが入っているので断念した。

とはいうものの、景品やおみやげの中でもタオルは地味な存在だが、不思議と喜んでもらえる製品でもある。

実用的であることに加え、デザインと肌触り次第では日々の生活を豊かにしてくれる製品だからかも知れない。

そんな大阪南部のタオル産業の国内ライバルが四国今治のタオル産業。
どちらも国内生産にこだわるメーカーが頑張っていて、素敵な製品を、国内はもちろんのこと、海外へも高級タオルとして輸出している。
ジャパンクオリティの一角だ。

ところが、今日のインターネットのニュースによると、その今治タオルにとんでもない被害が発生しているのだという。

中国で「今治タオル」の商標を勝手に登録した「中国人」がいたというのだ。
しかもその登録が認められ、本家今治タオルは自分のブランドで中国への出荷ができないのだという。

最近観たテレビ東京の「ガイアの夜明け」では、日本人タレントの名前を無断で商標登録して商売をしている中国企業が取り上げられ、見ているだけでむかっ腹がたったばかりだった。
安室奈美恵。
松田聖子。
山口百恵。
などなど時代もジャンルもめちゃくちゃなのだったが、日本人の有名タレント名を無断で使用し、勝手に屏風を広げれてあちらこちらに混乱を引き起こしている。
番組では『新手のコピー手法』として取り上げていたが、もはや国際的に単なる話し合いで交渉する段階は過ぎているように思った。

今回の今治タオルで思い出したのは「讃岐うどん」ブランドを勝手に登録している中国人がいるという記事も、たしか一昨年か読んだように記憶している。

前述のように、日本のタオルは外国製に比べると少々割高なものの品質はピカイチ。
肌触りも最高。
贈って喜ばれ、もらって「なんや、タオルかいな」と一瞬残念な気持ちが感ぜられなくもないが、知らないうちに自分の愛用品に使うところは、やっぱり愛らしいプロダクトといえる。
今回の中国の横暴はすでに許すとか話し合うとかいうレベルのものではない。

私の場合、すでにスーパーで「中国産」と書かれた生鮮食料品は餃子事件以前から買わないことにしており、家電製品も安物はできるかぎり「Made in China」ではなく「Made in Thailand」や「Made in Taiwan」とか「Made in Malaysia」などを買い求めるようにしているが、まだまだ努力は足りないようだ。

ということで、負けるな!という今治タオル。
中国だけが市場じゃない。
人様の名前を勝手につかうところひとつとっても、彼らにタオルの良さがわかるような繊細さはない。

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「チョコボールはうちの商標。勝手に使ってもらっては困ります」

インターネットのニュースを読んでいたら森永が名糖を訴えたとい記事に目が止まった。

そういえば、チョコボールという名称はごく身近で自然な存在。
確かに森永のチョコボールは有名だが、それが商標だとは思わなかった。

初めてアメリカに行ったとき、私は日系アメリカ人の親類の家にお世話になった。
ホテルに泊まるよりも安心だ、という家族の判断であったようだが、いかにせん親戚とは言いながら私に取っては随分とうい存在で、かなり気を使ったのを記憶している。
その時、私は紙をまとめてとめるのに、

「ホッチキス、あります?」

と訊いて、

「ホッチキス、ってななら?」

と逆質されたのに驚いた。
私は「ホッチキス」は英語だと思っていたのだ。

「ホッチキスです。あの、紙をパチンと止めるやつ」
「ああ、ステープラのこというとるんか」

ホッチキスは英語ではステープラ。
ホッチキスは日本のマックスという会社の商標だったのだ。
ちなみ、日系人の親類のおじさんは少年時代を岡山県で過ごしたため、話す日本語は岡山弁だった。

このように、その商品が商標であることに気づいている場合は少なくない。

セロテープ。
コーク。
ミスノン。
シャープペン。
などなど。

チョコボールもそのひとつであったわけで、そのカテゴリーの代名詞となった製品名称の扱いは、なかなか難しいと思った経済ニュースなのであった。

なお、70代後半になる私の母は、iPodのことをウォークマンと呼んでいる。


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東京大学の入試ももしかすると家柄や経済力に左右される八百長が存在するのかも。
相撲みたいに。

と、疑いたくなるのは前首相鳩山由紀夫の発言だ。

普天間基地の県外移設諦めの件で海兵隊の抑止力を持ち出したのは「方便だった」と発言。
かなり大きな波紋を広げている。

このお人。
もともと問題発言の多い人で、今もってそれが「分からない」というのだから、脳みその構造や品質、新鮮度などはどうなっているのか。
缶切りを使って一度開いて見てみたいところだ。

この「ちょっとオツムのお気の毒」な鳩山さん。
最終学歴は東京大学工学部で、オマケにスタンフォード大学の博士号も持っているのだという。

東京大学が少しく妙竹林な大学であることは、日頃お仕事でお付き合いさせていただいているのでなんとなく理解はできる。
しかし、鳩山さんほど何度も問題発言を繰り返し、それを学習できない人は、私の知人にはまずいない。
東大生の繰り出すシャレは笑えないものも少なくないが、それはそれ。
肝心なところは知恵が働き、しっかりしているものだ。

そう、東大へ行くような人は勉強はもちろんのこと「知恵」がある人が多いと思う。
時々、その先頭に「悪」というのがつくときもあるのだが、「知恵」があるからには自分を不利に持っていくようなヘマはしない。

ということで、この人を見ていると東京大学も大相撲よろしく入試や試験、論文作成に八百長が存在するのでは、と思われてならない。


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私が生まれ育った大阪は、一年間を通じて快適な日が数日しかないというとんでもない都市である。

夏は大阪湾から吹き込む湿った空気が北、東、南に連なる山に阻まれて、東南アジア並の蒸し暑さになる。
冬は大阪湾から吹き込んだ冷たい空気と、六甲山を飛び越えて流れこんくる乾いた凍った空気が北、東、南に連なる山に阻まれて、北海道並の寒さになる。
但し、気温は当然北海道のほうが寒いに違いない。

真冬の函館に行ったときに入ったホテル近くのラーメン屋のおばさんによると、

「大阪は寒いね~、こっちより肌寒いでしょ。」

と、温かい東北訛りで話しかけられたことがあるので間違いない。

こんな自然環境の厳しい、ついでながら景気も厳しい大阪にあって唯一ましなのが、

「雪が積もらない」

ということであった。
ところが今年はどういうわけか雪が降り、そしてよく積もる。
普段雪なんかに慣れていない大阪人は初めのうちは、

「お、雪合戦できるやないか」
とか、
「雪だるま、作ったろ。」

という具合に盛り上がるのだが、いざ積もってみると雪質はベチョベチョの最低、歩いているとズボンの裾はドロドロになってくるし、自動車はほとんどがノーマルタイヤなので危ない上に、超渋滞。
ろくな事はない。

ということで、今年は雪の当たり年。
コケないようにするだけでも大変。
大阪はコケるだけで「ウケ狙いか」と思われるから別の意味でも危険である、なんてことは絶対無いので地方の人は誤解しないように。



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なんと、この週末、アニメの実写化映画が好きでない私が映画「あしたのジョー」を観てきた。

私は10年前に「Red Shadow 赤影」を観て以来、その出来の悪さが強烈なトラウマとなっているために、日本のアニメ番組の映画化作品はなるべく観ないことに決めている。
このため「ヤッターマン」も「キューティーハニー」も「のだめ」も「宇宙戦艦ヤマト」も観ていない。
どれもこれも料金を払ってまで観る必要はないだろうと思ったのだ。

ところが映画「あしたのジョー」はどうしても観てみたいという欲求が生まれたのだ。
なぜか。

それは私がちばてつやのファンだから、という理由ではない。
少年マガジンに連載されていたオリジナルマンガのファンであった、ということでもない。

だいたい私はちばてつやのファンといえるほどその作品は読んでいないし、お気に入りの作品は「ハリスの風」や「オレは鉄兵」くらいであって、「あしたのジョー」はまともに読んだことがない。
それでは、そんな私がどうして映画「あしたのジョー」を観たいと思ったのか。

先々週のある日のこと。
私は嫁さんと一緒に深夜のテレビ番組を見ていた。
どのような番組だったのか覚えていない。
しかしその番組の途中で流れた「あしたのジョー」の予告編は鮮烈で刺激的で忘れることができなかったのだ。
何が刺激的であったかというと、トレーナー兼会長の丹下段平を演じている香川照之だったからであった。

NHKの大河ドラマ「龍馬伝」での岩崎弥太郎といい、大型ドラマ「坂の上の雲」の正岡子規といい、香川照之はすごい俳優さんだ。
ロバート・デ・ニーロも真っ青というくらいに役作りに励んでいるように思える位で、性格の違ういくつものキャラクターを演じるところは、びっくりするのを通り越して惚れ惚れするくらいだ。
さすが歌舞伎の血は侮れない。
とりわけこの2年間は岩崎弥太郎と正岡子規という似ても似つかない人物を演じきったところが、強烈な印象となって残っていた。
そこへ登場したのが丹下段平になった香川照之なのであった。

もともとアニメやマンガだから丹下のキャラクターは存在できると思っていた。

海賊様の片面バッチ。
傷だらけの坊主頭。
ヘンなヒゲ。

こんなオッサンはおらんやろ、というような風貌だ。
これを実写で描くにはかなりの勇気が必要になってくる。
その困難で危険なキャラクターを香川は特殊メイクと大胆な演技で実現していたのだった。

これを観ずしてなんとする。

調べてみると、この映画の監督は「ピンポン」の曽利文彦だった。
「ピンポン」は「赤影」以来、唯一観たことのあるマンガの映画化作品。
その独特の映像と、特殊効果とアクションの技、個性的な出演者たちにすっかり魅了されたのだった。
それで、なぜ、見ることになったかというと「ピンポン」がコミックを原作にする作品とは全く知らなかったのだ。

そういう訳で香川照之の演技と曽利文彦の演出を観たさに劇場に足を向けたのであった。

のっけからなかなか魅力触れる映像が流れる。
昔の山谷をイメージした光景はリアルで気を惹かれる。
そして、ジョーが泪橋を渡るところでタイトルとなり、期待を裏切らないテレビと同じ「あしたのジョーの」のテーマが始まるのだ。

スケール的には大きいとは言えないが、作品はアニメの映画化というよりも、ひとつのボクシング映画に仕上がっていたのだ。
「レイジング・ブル」
「メインイベント」
「シンデレラマン」
「ミリオンダラー・ベイビー」
と様々な拳闘映画を見てきたが、Vシリーズをじっくり見込んだファンの人には物足りなさがあるのかも知れないが、私のような「知っている」だけの観客には、映画として上手くまとまっている見ごたえのある作品になっていた。

もちろん香川照之の演技も、期待通り。
初めて登場するシーンには、やはり笑ってしまった。
が、そのマンガチックな風貌でダイナミックに演じている香川照之を見ていると、ボクシングの夢に熱く生きている丹下段平という男が本うにいるように思えてきて、知らず知らずのうちに感動していたのであった。

「立つんだ、ジョー!」

リングサイドで叫ぶ香川段平。
もうそれは「コミック」ではない「あしたのジョー」の叫びになっているのだった。

なお、この映画では力石徹を演じた伊勢谷友介の演技も見所だ。


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