<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



9年前に退職した会社では元常務の息子が工場長になって規律を徹底。
それもめちゃくちゃルール遵守を徹底。
それに加えて天賦の才とも言うべきマル暴的な威圧感を遺憾なく発揮して、突然の安全パトロール、清掃点検、ISOルールの質問、工程の守るべきポイントなどの質問を繰り返し、現場は一種独特の緊張感が漂っているという。

非常に気の毒な話だ。

元常務はすでに故人になっているが、現役時代は非常に有能で創業者の右腕として工場の発展と営業販路の拡大に向けて手腕を発揮していた。
私はこの元常務にはとってもお世話になって、数少ない信頼のできる役員なのであったが、この常務、事業を育てる手腕は確かだったが、息子の育て方にいささか課題があったようで、今は問題山積みのようだ。

「もう、工場の現場は恐怖が吹き荒れていて笑顔はありませんね」

と笑いながら言ったのは私の信頼している某部署の課長である。
彼はまた数少ない開発に関わるニュアンスを理解できる優秀な社員なのだ。
彼が言うからにはきっと嘘ではなかろう。
というか雰囲気は私も理解できるのである。

そんな話を聞いているうちに国政も理由のわからない漫画のキャラクターみたいな人が総理に就任。
そこそこ人気のある人だったのでもうちょっとマシな政権運営をするかと思っていたら、やっていることが無茶苦茶。
信念はすぐに180度転換するし、自分の党の他派閥に容赦なく役職も与えないばかりか、因縁つけて選挙では非公認にするという。
どうなっているんだろうか。
自民党内はすっかり恐怖政治が吹き荒れている様相で、今月末に予定されている選挙では嵐が吹きまくるのは間違いない。

立憲某だけが政権を取らないように神様に祈るばかりだ。

このように大阪の社員800人程度の中小企業に吹き荒れている恐怖政治は国政でも吹き荒れており、もしかするとこういう傾向は最近の世界の右傾化と同様に一種のブームなのかもわからない。

それにしても目つき悪いな。


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走行中の新幹線の連結器が外れたということで昨日の東北新幹線は半日以上麻痺。
最近は仙台に行くこともなく、東北新幹線を利用することもないけれど、もし仙台で仕事なんぞをしていたら大変な目にあったんだろうな、と思ったのは言うまでもない。

ところで、新幹線。
なんで行き先の違う2つの列車を1つに繋いで走らせる必要があるのか。
私は以前から不思議で仕方がなかったのだ。
そもそも東北新幹線は5〜10分おきに走っている東海道・山陽新幹線と違ってダイヤにゆとりがある。
だから別々に走った方が行き先間違いで乗ることもないし、やたら長い編成でホームを歩かせられることもない。
だいいち、連結器が外れるかも、という心配もない。
確か新幹線の連結器は普通はボルト止めではずれないようにできているはずだ。

そういう無理な運転が今回の技術過信のトラブルに繋がったんではないだろうか、と思っている。

それにしても赤いこまちに緑のはやぶさ。
カップうどんみたいなのを今回始めて気が付きました。


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「あんなのワガママですよ。トップが気に入らないからと言って反乱起こしているだけです。県民は皆、冷たい目で見ていますよ。テレビなんて誰も信じない」

と言ったのは神戸市北区に住んでいる私の得意先のAさん。
この人は業務上で役所とやり取りすることも少なくない分野の仕事についており、西日本を中心にあっちこっちの行政機関の現場の内情に精通しているので、よくうちわてき話を教えてくれる。

今、世の中を騒がせている兵庫県知事のパワハラ問題も、よくよく聞いてみるとそれがどうしたんだ、というような内容で、要は解りやすく批判もし易いテーマだし視聴率も稼げそうだし劇場的な展開だから見世物としてもいいからトップトピックに上がっているのだ。
その点、県民は冷静で、
「あんなの民間企業だったらなんでもないこと」
となっている。
要は前知事とあまりに違うやり方の新しい知事と反りが合わず、あれやこれやとしているうちに大事になってしまったというのが真相なのではないか。

もともと兵庫県は話し合いスキャンダルや警察の不祥事などが頻発しており、かつて芦屋市民だったうちのカミさんも、
「兵庫県職員の試験を受けたけど落ちてよかった」
というぐらい、なんとなく体たらくで騒ぎが多い。

しかもコロナ禍を経てDXが進んでいる自治体として注目もされ、在宅職員が4割にも達するということを耳にすると倫理は大丈夫なのか、と思えるし、今回のことを耳にすると、
「ホンマに知事と接した人がどれだけいるのか」
との疑問が大阪府民の私にも思えてくる。

今回も例えば、
「勤務外時間の深夜にメールを送ってくる」
との『証言』が職員から上がっているようだが、そんなこと民間企業で管理職ならほぼ当たり前の出来事だ。
しかも民間企業でなくても中央官庁の官僚の皆さんは国会や大臣とのやり取りのために深夜でも互いや担当大臣や局長級の方々と連絡を取り合い業務推進のために働いている。
これって官僚個人の成績にも影響するのだろうけど、もとはといえば国のために働いてくれているわけで「働きすぎだ!」と苦言を述べる前に感謝すべき事柄ではないかと思う。

「大臣を始め上の人に相談するには土日しかない場合もあり、休日と言っても出勤しなければ前へ進まないことが多い仕事でもあります」
と言っていたのは某省庁から地方自治体へ出向していた部長級の人の話だった。

「お客さんが土日しかだめ」
「提案したけど蹴られた」
「上司が陰険で仕事が怖い」
「ノルマの達成を迫られる」
「あの人ヤバいけど、うちのトップだし」
などというようなことはどこの世界でも普通にあることだ。
綺麗事を言うなという世界が現実でもある。

ただ公務員という職業には一つだけ融通の効きにくい部分がる。
それは「失敗したら取り返すのが難しい」というポイントだ。
民間企業でもそういう会社はなくはないが、失敗は成功の元。
左遷されようが降格されようがお客さんや社内外のキーパーソンを味方につけ業績を作ったり、様々な手段を駆使して逆転することのできるのも民間の特徴だ。
でも公務員は失敗したら逆転は難しい世界であることは間違いない。
文章の間違い一つが命取りになる世界でもある。
だから責任を取りたがらないし、自ら音頭をとって改革に突き進む人が少ない業界でもある。

問題になっている局長もそういうところに陥ったのではないか。
知事のグレーなインモラルを中途半端に取り上げて内部告発したが、証拠不十分のうえ感情的なエッセンスが含まれていたため、核心を突ききれず「失敗」。
だからのことだったのではないか、というのがことの全体の印象だ。
民間でも核心を突かず「あの人はお客さんから不正に贈り物をもらった」と告発したらしっぺ返しを食らうのは同じ。
私も仕事で行った訪問先でお土産をもらうこともあるし、手土産を持っていくこともある。
それに対して「なんで?」ということになったことはない。

ということで、百条委員会かなんだかわからないが、知事vs職員のバタバタ。
知事も知事なら職員も職員。

県民が呆れ返るのも宜なるものかも。


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岸田首相がついに「やーめた!」と言ってしまった。
自民党総裁。
つまりは日本の内閣総理大臣。
秋に予定されている総裁選に出ないとのことで、ではいったい誰がなるのか。
世界の注目が集まっている。

とはいえ、困ったもので昔みたいに、
次は絶対にこの人!
というのがおらず、混戦状態だ。
しかも候補になりたい人がかなりの人数になっており、総裁選というよりも地方市長村会議員の選挙みたいでこれはこれで面白い。
中には「あんた誰?」というような人もいて、ますます地方の市町村会議員の選挙みたいだ。

岸田首相が誕生したときも岸田さんって誰みたいな空気感がなくはなかったのだが、今回はさらにそれに拍車をかけたような状態になっている。
まさか都知事選のようにキャバクラや犬の写真で選挙をすることはないにしても、今の日本に突出して優れたリーダーがいないということの裏返しのうような、ちょっぴり危機感さえ感じてしまう。

私の希望としては公明党との連立解消を決断できる勇気ある候補者が希望だが、果たしているだろうか。
今や政治家も人気商売なので票を集めるシステムを持つ集団との連携は麻薬のようなものだから、手を出してしまった限り何もできない。

あんた誰?が首相になったときの心構えだけは必要な総裁選になりそうだ。


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南海トラフ地震への警戒のために各地でレジャーの自粛が発生。
「自粛」

それにしても日本は自粛が大好きだ。
何かあったらすぐ自粛。
これって一体なんなのか。

新型コロナが初めて広がったときは仕方がなかった。
未知の伝染病を食い止める方法は行動制限しかない。
しかも現行憲法下では非常事態であっても国民の行動に政府が制限を加える方法はないということで、苦肉の策が自粛だった。

飲食店は営業を自粛。
会社もリモートワークで出勤を自粛。
学校もリモート授業で通学を自粛。
唯一反旗を翻していたのがパチンコ店だが、もともと娯楽産業のパチンコは凋落傾向にあったのが、この反発営業でますます顰蹙を買って凋落に拍車がかかった。

しかし、今回のようないつ発生するの専門家でもわからない災害への対策として自粛するっていうのはなんだか変だ。

地震発生時に〇〇へ逃げ込む。
多くの人を誘導するのは困難だから人数制限をして営業を続ける。
海岸は泳ぐ範囲を制限する。
などなど。
やり方はいくらでもありそうで、自粛という選択肢は馬鹿げているのではないかと思われる。

自粛を打つのは普段何も考えていませんでした、の裏返しに過ぎない気がするのだ。
納税者としては自粛をしたから金をくれにならないようにお願いしたいところだ。


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「あいつは嫌いだから飲み会には呼ばない」

という感覚で長崎の原爆平和祈念式典にイスラエルの大使を呼ばなかったのが長崎市の鈴木史朗市長。
アホです。
このヒト。
イスラエルは呼ばないのにパレスチナを招待。
このヒトの正義はエセ正義。
今後このヒトの考え方と態度には注意が必要だ。

イスラエルとパレスチナの衝突問題についてはイスラエルの民間攻撃というあってはならいことも見逃すことはできないけれども、始まりはパレスチナのハマスによるテロ行為。
だから片方だけを非難するのはバランス感覚としてまずおかしい。

この両者、どっちもどっちの世界なのだ。
なのにパレスチナだけ呼んでイスラエルを呼ばないというのは、
「あいつは嫌いだから」
のレベルとしか言いようがない。

長崎の原爆平和祈念式典なんだから、国際的に説得力のある機会。
広島のそれと比べると知名度が少しばかり落ちるかもしれないが、それはそれ。
両者を呼んで横に並ばせ戦争することの無意味さを並み居る国家の代表の前で穏やかに諭し語る数少ない機会。
だからこそリーダーたるヒトはどういう行動をとって、どういう発言をすべきなのか。
中高生でもわかるレベル。
それが東大出身の市長がこんなレベル。
残念至極という感じだ。

そもそも日本はG7の中で唯一この両者に対して良好な関係を築いている国でもある。
しかも仏教と神道の二本立てという世界文化の中でもガラパゴスに近い宗教をもち、歴史的にも二者とはややこしいことは一切なく非常にニュートラルな存在だ。
せっかく両者を同席させて停戦を呼びかける貴重な機会なのになんていうアホなことをしてしまったんだろう。

このような好ましい立ち位置を潰してしまうような態度をとったこの市長はとっても危険な人物といえる。
一緒に飲みたくないタイプのヒト。
これから長崎市民が注意しなければならないのは、何が重要で何らかの行動を決めなければならなくなった場合、ここの市長は言葉を使う前に態度に示すだろうということ。
つまり「話す」より「ぶっ叩く」ヒトと思われる。
この正義とは自分のための正義で世の中のための正義ではない。
ある意味、わかりやすい歪んだヒトなのだろう。


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マリー・アントワネットネタだけでなく、最後の晩餐ネタに加えて選手村の食事の味でも物議を醸し出しているパリ五輪の開会式はともかくとして、実際に競技が始まってみるとそこはガチの世界。
魔物が棲むというオリンピックならではの展開もあり目が離せない。
というよりもヒヤヒヤすることが多く見てられない。

サッカー日本男子の決勝進出。
サッカー女子のブラジル戦の大逆転。
体操男子の2年ぶりの栄冠。
柔道のああお兄ちゃん、妹よ。
お馬さんにも銅メダルのな馬術競技。
西洋チャンバラに体のサイズは関係ない!
などなどなど。

連日新聞もテレビもラジオも大谷翔平のニュースを除いてオリンピック一色だ。
我が阪神タイガースの後半戦5連勝もユーチューブではないと見ることができないくらいだ。

ということで、オリンピック報道で占領されたマスメディア。
このおかげで多くの✗✗な人たちが暫しの休暇に感謝していることだろう。

たとえば、
岸田首相とその仲間たち自民党。
小林製薬。
蓮舫。
兵庫県知事。
各自動車メーカー。
イスラエル。
ロシア。
中国。
北朝鮮。
などなど。

オリンピックでトップページで取り上げられることもなかなかない。
でもこういう夏休み。
ホントはいらない。



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装置の概要について色々と説明したあと、
「で、申請等が必要になるんですがどうしますか?」
と訊ねたところ、
「上に訊かないとわかりません」
という答えが帰ってきた。
「で、ご予算に入りますでしょうか」
と訊いても、
「上に訊かないとわかりません」
と。
さらに、
「工事が必要ですけど」
と疑問文でもないのに、
「上に訊かないとわかりません」
と同じ答えが戻って来るのだ。
面白いことに彼らは「上役」でも「上司」でもなくて必ず「上」と呼ぶ。
天の声をもってサラリーマンしているのだろう。
ああ、お気の毒に、と思った。

で、これは10年ほど前、大阪の製薬会社というか製薬会社みたいな名前をした某有名化学メーカーに行ったときの相手の課長だったか係長だったかのセリフだった。
なんだか暗いムードが漂い、商談なのに笑顔が存在しない。
「ご愁傷さまです」
という雰囲気の中の「上に訊かないとわかりません」なのであった。

こういう会社は得てして問題を抱えているものだ。
この会社と打ち合わせをしたときの空気感があまりに変だったので、
「この会社の製品は買わないほうがいいかも」
と思った。
率直に危ないと思ったのだ。

テレビでCMがじゃんじゃん流れている製品の会社だったが、そういう製品が欲しくなった場合は類似した他社のものを買うことにした。

今年になってサプリ製品で問題が露見したこの会社はやり玉に挙げられているのに次から次へと色んな製品スキャンダルが出てくる。
たぶん例によって「上に訊かないと」と所轄官庁への報告ひとつとってもトップダウン。
色々漏れがあっても意見をすることもできなければ、それを単に報告することもできない雰囲気があるに違いない。
今も上に訊かないと何もできない。

そんな「ご愁傷さま」ムードが漂っている、あの雰囲気を思い出しながらニュースを耳にしているところなのだ。


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昨日の月曜日。
新幹線が保線車両の事故で終日運休ということになった。
ニュースを見ていると夏休み最初の月曜ということもあり家族旅行に出かける人、両親の故郷へ旅立つ子供、久しぶりに帰省しようとしている若い人、なんてのかインタビューを受けていた。
ビジネスマンだけでなく多くの人が迷惑を被ったことだろう。

なかでもこの新幹線の予期せぬ運休で最も迷惑したのは、会社に内緒で自宅に帰っていた単身赴任の人たちではないかと私は思っている。
とりわけ会社に内緒で東京から大阪、大阪から東京に戻っていた人にとっては終日悪夢の一日だったんじゃないかと思われるのだ。

単身赴任者はその扱いが会社によって異なっている。
ある会社では月に1度の帰宅を許可しているところ。
また別の会社では2週間に1度の帰宅を許可しているところ。
毎週の帰宅を許しているところ。
などなど。
会社と従業員のパワーバランスでも異なっているに違いない。

私は若いころに務めていたサブコン系の会社では毎週週末の帰宅が会社もち。
一方、8年前まで務めていた会社は月1回が会社持ち。
というような塩梅だった。

この単身赴任は多くの場合、家族に中高生の子供がいるケースがあり、単身赴任のお父さん、お母さんは月1程度の帰宅では子供たちが心配で会社に内緒で実費で帰宅することが少なくない。
私自身はそんな経験はないのだが、そういう得意先の同胞たちが愚痴を言っているのをなんども聞かされたものだ。

「帰宅するのにいちいち会社の許可がいるんですよ」

と言っていたのは大手事務機メーカーの営業マンなのであった。

その許可もなく実費で帰宅して昨日のような新幹線の突如の運休があったらどうなるのか。
朝イチの新幹線で東京に戻ってそのまま出勤するつもりが、

「へへへ、実は今、大阪なんです。」

とは言えまいて。

多くの家族を危機に陥れているであろう新幹線の予期せぬ運休。
JR東海の罪は小さくないのだ。


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書店が絶滅危惧種に指定されそうな勢いだ。
街によっては書店が一軒もないというところがあるらしく、書店に接すことのできない一部地方では書店を自治体が運営を始めているということがあるのだという。
公営書店。
図書館とどう違うのか訪問してこの目で確かめてみたいところだが、書籍や雑誌を読まない人の人口は増えるばかりでこの傾向は止まりそうにない。

そんななかで全国の書店減少率で統計をとると書店の減少率が低いのがトップが和歌山県で第二位が奈良県だという。

この理由はいったいなんなのか。

日本経済新聞によると和歌山では地元の中堅スーパーマーケット「オークワ」の貢献が小さくないという。
オークワは自社が展開するスーパーやショッピングモールに書店を設置。
一部の店舗では24時間営業で夜間は書店員をおかずにスーパーと共同で運営しえいるという。
つまり夜本を買いたくなったり雑誌をみたくなったらオークワに行けば良く、欲しければ買い求めることもできるわけだ。

奈良県の低減少率の理由は書かれていなかった。
私は週に何度か奈良に通っているが少なくともJR奈良駅前には書店はない。
奈良のオフィスの近くには大きな駐車場を備えた書店がありGEOと一緒に運営されており来客は少なくないようだ。

和歌山も奈良も大阪の近郊都市であり、とりわけ奈良県は大阪府と一体にしてもおかしくなく、奈良県民のかなりの数は昼間は大阪で仕事をしていて書籍購入は大阪のターミナルでもできそうなものだが、やはり住んでいるところの書店は大切にされる文化があるのか。
そういえば奈良県広陵町立図書館は20万冊規模の中規模図書館としては日本一の利用者数を誇っているというようなことを耳にしたことがあり、読書=奈良県という文化があるのかもしれない。
なんといっても日本文化が誕生した場所という土壌があるだけに京都をもものともしない強烈な保守的土壌があるのだろう。

読書は知の獲得の第一手段。
ネットのように何時でも書き換えのできる文章は本ブログにも見られるように誤字脱字が溢れているのと比べ、印刷物である書籍は責任出版、内容保証、書き換えできない証拠が残るだけに実に信頼度とクオリティの高いもの。
書店減少。
どのようにしたら軽減できるか。

和歌山と奈良に回答があうのかも。


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